16話 出発
朝の早い時間から起きて、2日間世話になった宿を出る。荷物を左手に、まだ眠そうなクロナを背負い、アルシェルへの乗合馬車に乗車する為に人の出も疎なカルベナの街を進んでいく。
背中から小さな寝息が聞こえる。早く起きることこそ出来たがまだ幼いクロナにはそこから起き続けるというのは少々酷だったのだろう。
起こさないよう気を付けながらクロナに小さく声をかけてみる。
「もう少し寝ていていいぞ。着いたら起こすからな」
返事はない。クロナは深い眠りの中にいるようだ。私の声が届いたのかも怪しい。
私の背中でぐっすり眠る娘に嬉しさを感じる。クロナがそれだけ私の背で安心できているということが喜ばしい。
背中に感じる大切な命の温もりが私に生きる力を与えてくれる……感謝してもし切れない。
冷たい空気が肌を刺す中、通りを見渡せば大半の店はまだ準備中で、露店には覆いが被されている。……朝食があればと思っていたが残念ながら無さそう……
と思っていたら一軒だけ既に開店している店がある。近付いて覗いてみればその店はパン屋のようだった。ありがたい、朝食のパンを購入するためその店にお邪魔する。
「いらっしゃい!おや、見ない顔だね、旅人かい?」
店の奥から姿を現したのはふくよかな温和そうな男性。小さな店内に備え付けられたカウンターには……驚いた。黒パンではなく白パンが幾つか並べられて、焼きたての香ばしい匂いが食欲を刺激してくる。
「そんなところ……かな?アークレインを目指していてな……美味しそうだ。白パンとはすごいな……」
「はっはっはっ!お客さんは運が良いね、そうウチでは朝の早い時間限定で白パンを販売してるのさ!まぁ、あんまり多くは作れないから数量限定だけどね」
どうやら本当に運が良かったらしい。旅立ち前に少しの贅沢といこう。私は荷物を置き、店主に注文をする。
「ふふっ、ではありがたく贅沢をさせてもらおう。3個貰えるか?」
「あいよ、3個だね!サービスで蜂蜜の小瓶付けとくよ!ウチの自家製だけど味は保証するよ!」
店主が手際よく白パンを小さな籠に詰めて、その隙間に蜂蜜の小瓶を差し込んで手渡してくる。
「何から何まで感謝する。これは礼だ、釣りは必要ない」
少し色を付けて代金を支払い、パンが入れられた籠を受け取る。
「おや、良いお客さんだ!じゃあ受け取るよ、良い旅を!」
嬉しそうにする店主に軽く頭を下げ私は店を離れる。店主の声を背に受けながら左手にパン籠と鞄を持ちながら私は馬車乗り場へと急いだ。
◇
馬車乗り場に着いた時には、すでに他の乗客たちがぽつぽつと集まっていた。大きな荷物を抱えた旅人らしき男や、行商人と思われる女性、そして旅慣れた雰囲気の冒険者風の男性が2人、私達と同じく乗合馬車を待っている。
背中のクロナが小さく身じろぎした。目が覚めたのだろうかと思い、そっと声をかける。
「クロナ、起きたか?そろそろ馬車が来るぞ」
「……ん……お母さん……?」
ぼんやりした声が耳に届いた。まだ眠気の残る目を擦りながら、クロナは小さくあくびをする。その年相応な仕草がとても微笑ましい。
「ああ、お母さんだよ。ほら、自分で歩けるか?」
「うん……大丈夫……」
クロナをそっと下ろせば、クロナは背伸びをしたあと、しっかり自分の足で立つ。
「クロナ、朝食のパンを買ってきた。お母さんの代わりにこのパンの籠を持っていてくれないか?」
「パン!!わかった、持ってる!!」
クロナにそう説明すれば、喜んでといった具合にパン籠を私の代わりに持ってくれる。そして、クロナを降ろしたことで空いた右手でクロナの手を握る。
手をしっかり握り、馬車乗り場の係員の方へ向かう。
「二人でアルシェルまで行きたい」
「お二人ですか?アルシェルまでですね。はい、こちらの木札をお持ちください。馬車はまもなく到着します」
馬車の待ち時間で係員からの説明を受ける。
「アルシェルまでは3日から5日ほど掛かる場合がございます。道中ではそれぞれ宿場町で停車しますので休息は街の宿でお取りください。
時間が来れば出発しますので遅刻などないように。遅刻した場合は次の馬車か御自分で目的地まで行っていただくことになるので」
係員から木札を受け取り、クロナと一緒に馬車の到着を待つ。木製の簡素な椅子に腰掛けると、クロナは私の肩にもたれかかってきた。
「お母さん……アルシェルってどんなところ?」
「聞いた話では冒険者の街と言われているそうだ。カルベナよりも大きくて店の種類が多いとも言っていたぞ」
「わぁ……楽しみ……」
クロナは目を輝かせて小さな声で答える。その表情を見ていると、これからの旅が少しだけ明るく感じられた。
私は以前の旅でアルシェルを訪れることはなかったのでどういう都市なのかを人聞きでしか知らない。冒険者は戦争中の自由衛士団の流れを汲む組織、母数が多いぶん荒くれ者も多いだろう、街の状況次第ではそのままアークレインに向かうことになりそうだな……
私は大抵の火の粉なら払えるがクロナがいるとそうはいかなくなる。危険はできるだけ犯さずできるだけ安全な旅にしたい。わざわざ馬車を選んでいるのだってそう言う理由で、そもそもクロナに無理をしてほしくない。危険とは無縁の旅になってほしい。
愛剣アリストリスを抜くことがないならそれで良い。魔獣が襲ってくるなら容赦なく屠ろう、岩が道を塞ぐなら消し飛ばそう。
どうかクロナのあの笑顔が曇ることがないよう……私は持てる力を全て使う気だ。それが母親として、旅の同行者としての私の使命だと思う。
◇
待つこと数分、馬車が到着した。大きな四頭立ての馬車はすでに何度も使われているらしく、車体には傷や泥が目立つ。それでもしっかり整備されているのか、揺れも少なく頑丈そうだ。
係員の指示で他の乗客と共に馬車へ乗り込む。クロナを先に乗せ、続いて私も荷物を抱えながら中へ。固い木の座席は長旅で座り続けるには辛いものだ、しかし贅沢は言っていられない。
「クロナ、こっちだ。私の側に座れ」
「はーい!」
クロナを座らせると早速外の景色を眺め始めた。まだ出発していないというのに、好奇心で目を輝かせている。その後ろ姿に少しだけ安心する。
乗客が全員乗り終えると、御者が声を上げる。
「さあ、これよりアルシェルへ向けて出発だ!長旅になるが、皆さん気をつけてな!」
馬車がゆっくりと動き始めた。車輪が石畳を転がる音が一定のリズムを刻む。クロナは外の景色を眺めながら時折こちらを振り返り楽しそうに話しかけてくる。
「お母さん、アルシェル楽しみだね!どんな街かワクワクする!」
「そうだな、私も楽しみだよ。……あまりはしゃがないようにな?他のお客さんの迷惑になってはいけないぞ」
「うん!気をつける!」
「ふふっ、本当に分かっているのか?ほら、おいで」
膝をポンポンと叩けばクロナが私の膝に飛び込んでくる。長時間となるとキツいがなに、可愛いクロナの重みなら何年でも耐えてみせるさ。
……チラッと周りを見れば他の乗客たちが私たちに優しい目線を向けているのに気付く。その視線に恥ずかしさを覚えた私は視線から逃げるように頭を俯ける。
そんな視線から逃れるように私は無理矢理思考を切り替える。アルシェルまでは約3つの宿場町を通るという話だ。良い宿があればクロナも喜んでくれるだろう……
思考しながら聞こえてくるクロナの絶え間ない声に、私は相槌を打ちながらふと目を閉じる。この先、どんな出会いや出来事が待っているのだろうか。静かな揺れの中で、少しだけ未来のことを思い描いた。




