14話 最初の宿と夜市
カルベナの門を潜り、ノリスの馬車からクロナを連れて降りる。背中と左手に荷物が入った鞄を抱え、右手でクロナの手を握る。
そしてノリスに向き直る。
「ノリス、今回も世話になったな。ここまで送り届けてくれて感謝する。…本当に礼はいいのか?せめて食事代ぐらい…」
しっかりと頭を下げながら、何も礼をしないと言うのは気が引けたので私は腰のポーチからギース硬貨が入った袋を取り出す。
ノリスはそれを見て、気まずそうに頭を掻いて手で私を制してくる。
「おいおい、知り合いをついでに乗せたってだけなんだから礼なんて要らねえって。俺は商人だぞ?旅は仕事みたいなもんだ。それに可愛いお嬢さんと話せたお陰で道中退屈しなくて済んだからな!」
その言葉にクロナが嬉しそうにノリスに手を振る。
「ありがとう、ノリスおじさん!おじさんのお話すっごく面白かったよ!また色んなお話聞かせてね!」
クロナの言葉にノリスは声を上げて笑い、優しくクロナの頭を撫でる。
「お嬢ちゃんにそう言ってもらえるなら俺ももっと面白い話用意しとかないとな!けど、次会う時はお嬢ちゃんが俺に話をする番だぞ?」
「ふふーん!!任せて!おじさんに負けないくらいの面白いお話用意しておくから!」
クロナが自身ありげに胸を張る。
ノリスは笑いながら馬車の御者席に座り直す。その背中を見て。もう一度ノリスに言葉を掛ける。
「本当に助かったよノリス。特にクロナが旅に慣れていない分ノリスの話があったおかげでずいぶんと気が紛れたようだ」
「おっ、褒められると照れるな。お前にそう言われるのは格別だな」
ノリスの言葉に私は微かに笑みを浮かべる。
「ははっ、なんだそれ。まぁ、私が他人を褒めるのは珍しいかもな」
私とノリスが互いに笑い、不思議そうに首を傾げるクロナの頭を撫で、抱き寄せる。
「鏖砕と言えば鉄面皮、無口だったからな。まっ、変わったお前の方が絡みやすい。困ったことがあればいつでも頼れよ。あんた達親子はいいお得意様なんだからな」
ノリスは馬車をぽんと叩きながら冗談めかして言ったが、その声にはどこか温かみがあった。
「分かった。また頼むことがあればその時はよろしく頼む」
そう言い、最後にもう一度頭を下げる。クロナもそれに倣い、小さな体を深く折り曲げてノリスにお辞儀をする。
「おじさん、ほんとにありがとう!おじさん優しいから好きだよ!」
ノリスはそんなクロナを見て満足げに笑い、馬車を走らせ始める。私も
「じゃあな、二人とも!カルベナの街を楽しんでくれよ!ただ宿は早めに取っておけよ!良い宿は直ぐに埋まっちまうからな!」
そう言って馬車を動かし始めたノリスを、イーファとクロナはしばらく見送っていた。馬車の背中が小さくなっていくと、クロナがイーファの手を引きながら顔を上げる。
「お母さん、ノリスおじさんっていい人だね!」
「ああ、本当にいい人だな。私達がここまで来られたのはノリスのおかげだ」
そう言って、私はクロナの手を握り返した。ノリスの馬車が街の奥へと消えて行く。
振り返ってみれば私は逃げ続けていたというのに周りの人に恵まれている。ノリスにヴィム爺村の皆……そしてクロナ
感謝してもしきれない……少しでも報いれるよう努力しなければ…
そう決意しながら私もクロナの手を引いてカルベナの中心へと歩き始めた
「お母さん、宿探す?私ね!いっぱいお店とか見てみたい!!」
クロナが嬉しそうに聞いてくる。その瞳は希望に満ち溢れていて、純粋な期待をそのまま表していた。私は一瞬だけ考え込むように目を伏せ、それから柔らかく微笑む。
「そうだな、まずはノリスの助言通りカルベナの宿を見つけよう。店は……また明日かな?今日はずっと馬車に乗っていたし、もう夜だ。それに疲れてしまってはせっかくの旅も楽しめないからな」
「分かった!初めてのお宿!!お母さんは色んな宿泊まったことあるの?」
「いや……お母さん実はあまり宿には泊まったことがないんだ。野宿が基本だったからな…」
クロナの言葉で過去の旅を思い返してみれば宿に泊まったという記憶が殆どない。野宿か教会で治療ついでに寝泊まりばかりだった。
「お母さん野宿してたの?それって怖くないの?お化けとかに襲われたりとか!」
クロナの目が大きく見開かれる。無邪気に驚く彼女に、私は少し苦笑いしながら答えた。
「確かに野宿は危険が多い。だが、旅をしている者なら誰でも一度は経験することだ。それに、大切な友達が一緒だったから怖くはなかったさ」
あの時の旅の記憶を思い出した瞬間、一瞬だけ胸がきゅっと締め付けられる。それでも私は平静を装い続けた。
「そっか……お友達って夢に出てきたあのお姉さんだよね?お母さんを守ってくれるなんて、やっぱりすごい人なんだね!」
クロナが目を輝かせながら言う。その純粋な声に救われる思いだった。私は小さく頷きながら、クロナの手を少し強く握り直した。
「そうだな。誰よりも強くて優しい人だった。けれど、今はお母さんがクロナを守る番だ。こういうのは順番だからな。もしかしたら将来はクロナが誰かを守っているのだろうな」
「私が誰かを守る……ふふーん!正義の勇者クロナの出番だね!」
「ふふっ、ああとても心強い。私も将来はクロナに守ってもらおうかな?」
クロナは私の言葉に満面の笑みを浮かべ私の腕にしがみついてくる。その小さな手のぬくもりが私の決意をさらに強くさせる。
◇
カルベナの街は夜でも活気に溢れていた。露店の明かりが通りを照らし、行き交う人々の楽しそうな声が響いている。旅人や商人が多いこの街は、昼夜問わず賑わっているのだろう。クロナはそんな賑やかな街並みに目を輝かせていた。
「お母さん、見て見て!あの露店、可愛いアクセサリーがいっぱいあるよ!」
クロナが指差した先には、小さなアクセサリーを並べた露店があった。夜だというのに未だ店仕舞いをしていないのに驚きつつ、観察してみれば手作り感のある木彫りのペンダントや色とりどりのガラスのブレスレットが並んでいる。
「綺麗だな。だが、今は宿を探すのが先だ。これ以上遅くなると良い宿が見つからなくなるかもしれない」
「ええ〜……でも、後で寄ってもいい?」
「もちろん。宿が決まったら少しだけ夜市を回ろうか」
私の言葉に、クロナはパッと顔を明るくした。「やったー!」と嬉しそうに声を上げる。その様子を見て、私も少し笑ってしまった。
街の中心に近づくにつれ、宿屋が目に入ってくる。立派な看板を掲げた宿や、小さな家族経営らしい宿まで様々だ。私はクロナの手を引きながら、比較的落ち着いた雰囲気の宿を選ぶことにした。
「ここにしようか。空いてるといいが…」
木製の看板に「風車亭」と書かれた屋根に備え付けられた風車が特徴的な宿。中からは明るい灯りが漏れ、温かな雰囲気が漂っている。クロナは嬉しそうに声を上げた。
「初めての宿、ワクワクする!泊まれるかな〜?」
クロナと一緒に部屋が空いていることを願いながら宿の扉を開けると、中には木製のカウンターがあり、笑顔の年若い女性が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ!お泊りですか?」
「あぁ、一部屋空いていればと……」
女性が帳簿を確認する。
「ちょうど空いているお部屋がございます、1泊ですか?」
「今のところは」
「承知いたしました、1泊の料金は食事無しで400ギース、朝夕食事込みなら追加で120ギースです」
泊まるだけなら400ギース。まぁ…そんなものだろう。宿の相場というものに詳しくないので安いのか高いのか分からないが問題ない額なことに変わりはない。
クロナに視線を向ければ、既にカウンターに置かれている食事のメニュー表に目を輝かせている。
「では、食事込みで」
「承りました、では此方がお部屋の鍵です。2階への階段を登って右手の一番奥がお部屋になります。食事の時間はお好きな時間にお申し込みください、ではごゆっくりお寛ぎくださいませ〜」
女性がそう言って鍵を手渡してくれた。言われた通りクロナを連れて階段を登り、奥の部屋の鍵を開ける。広すぎず狭すぎず、清潔感のある部屋だった。窓からは街の灯りが見え、ベッドもふかふかそうだ。
クロナは部屋に入るなりベッドに飛び込み、「わぁ〜!ふかふか!」と嬉しそうに笑った。
もしかしたら、値段の割に良い宿を当てたかもしれない。
「クロナ、そんなにはしゃいでると疲れるぞ。荷物を置いて夕食を食べたら夜市を回ろう」
「うん!ご飯の時間だ〜!どんなのかな〜?お母さんも楽しみ?」
「もちろん、旅が始まって最初の宿だ。私もワクワクしているよ」
荷物を置いた私たちは宿で夕食を食べ、カルベナの夜市へ繰り出していった。
宿の食事は質素かつ程々の味で十分満足できたことをここに記しておく。
◇
カルベナの街の中は夜にも関わらず活気に溢れていた。石畳の道に面した建物の窓からは暖かな明かりが漏れ、通りを行き交う人々の声が賑やかに響いている。ここは商業都市というだけあって、露天も多く並び、色とりどりの商品が飾られている。街を歩いているだけで、クロナがあちこちを指差して興奮するのも無理はない。
「お母さん!あれ見て!すごく大きな人形が動いてる!!」
クロナが指差す方向を見ると、露天商の一角に巨大な獅子の人形が宙に浮き、首を動かしたり吠える仕草をしたりと動いている。その精巧さに私も思わず目を見張った。
「確かに……あれは凄いな。魔法を使っているのか人形自体に魔法が仕込まれているのか…」
「でも、すごくかわいい!ああいうのやっぱり珍しい?」
「どうだろうか、少なくとも私はあまり見たことないな……買うには少し大きすぎるな…」
私はクロナと目線を合わせながらそう言い頭を撫でる。クロナは少しだけ残念そうに人形から目を逸らしたが、すぐに別の露天に目を奪われたようで、また元気に私の手を引っ張り始めた。
ふと空を見上げると、カルベナの夜空が目に入った。星がちらほらと輝き、空気が澄んでいるためか、星明かりが地上まで届いているような感覚だった。私たちは街の中心部にある広場に差し掛かり、その賑やかな景色に足を止めた。
「お母さんあれって噴水?すごい光ってる!」
クロナが指差した先には、中心に立派な噴水があり、水がまるで魔法のように揺らめきながら流れていた。その周囲には鎧を纏った戦士を模ったであろう人形達が飾られている。
…こういうのを芸術と言うのだろう。自信はないが…
「綺麗だな……夜市に来た甲斐があるというものだ…クロナも楽しいか?」
クロナが元気よく頷き、その噴水に近づいていきじっと見入っていた。その姿を少し後ろから眺める私は、この旅がクロナにとっても自分にとっても、かけがえのないものになるのだと改めて感じたのだった
◇
夜市を一通り回り、宿に戻る頃にはクロナの瞼がすっかり重くなっていた。彼女をベッドに寝かせ私はそっとその頭を撫でる。
「お母さん、今日もとっても楽しかったよ……おやすみなさい……」
クロナの小さな声が響き、やがて静かな寝息が聞こえ始める。
「おやすみ、クロナ……」
私は窓の外に目をやり、カルベナの夜空を見上げた。星明かりがまた一段と輝きを増し、明日への希望を感じさせるようだった。この旅路がどこへ続くのか分からないが、少なくとも、クロナと共に歩む限り、私は前を向いていけるだろう。
私も明日に備えてベッドに入ろう。
旅はまだ始まったばかり…明日買わなければいけない物を考えていると自然と眠気が襲ってきて私は逆らうことなく…静かに眠りについた
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