12.5話 クロナの願い Ⅱ
「た、旅……?」
漸く石化が解けたイーファが混乱しながらクロナに言葉を返す。その結論は想定していなかったといった様子だ。
「うん!メイルでもあんなにワクワクするんだからもっといろいろなところ行けばもっとワクワクできると思うの!ねぇ、お母さん…ダメ…?」
碧い瞳がイーファの下から覗き込んでくる。その瞳を見つめながらイーファは困り果てる。
確かにイーファもかつては旅をしていた。しかし、旅と言っても魔獣と戦う旅で所謂観光とは全く異なるもので風景を眺めたり現地の食事に舌を打つなどした記憶よりも魔獣に襲われる村を助けたり、修行として強者に挑んで敗北したりと物騒な記憶しか浮かんでこない。
それでもイーファ達が旅に出たのは15歳のとき、クロナはまだ8歳、旅に出るとしてもあまりに早過ぎる、イーファはそう考える
「…ダメとは言わないがまだ早いと…お母さんは思う。旅というのは過酷なものだ、今みたいに常にベッドがあるとも限らないし、食事だって質素になる。もう少し大きくなってからでも…いいんじゃないか?」
明確な拒絶ではないが、やんわりとした否定。クロナの年齢と旅の過酷さを考えればいくらイーファでもそれを認めることはできなかった。
確かに魔獣の数は減った。街道も話で聞く限り10年前と比べて整備され道中には宿も複数存在するかもしれない。しかし、かつての戦いの最前線から遥か後方に位置し、汚染地域にも隣接していないメイルにハイドラが現れた。1年前には暴食の眷属がイーファ達が暮らす村を襲った。
旅をするということはそう言った不測の事態に遭遇する可能性が今以上に跳ね上がる。もし、旅に出てクロナが傷付くことがあればイーファはもう二度と立ち直れないだろう。
そんな恐怖や不安がイーファに渦巻いている。
「でも……やっぱり行きたい!!わたしも……冒険してみたい!!」
クロナの懇願。イーファには何が大切な娘をここまで突き動かすのか分からなかった。もしかして夢に出てきたというサーシャの影響なのだろうか…とイーファは考えるが答えが出ることはない。
「……取り敢えず今は家に帰ろう。そんな簡単に決めれる話でもないしな……」
イーファは無理矢理話を切り上げ先延ばしにした。不満そうに頬を膨らますクロナの姿に罪悪感を感じながら、家に帰ってぐっすり寝たら考えが変わることを祈って…
◇
「山より高い灯台といったら"アークレイン"だろ?あそこまでなら街道も綺麗に整備されてるし要所要所に宿場町もあるなら心配ないと思うぞ?魔獣もめっきり見掛けなくなった、何十回って通った俺が言うんだ、間違いない」
あれから数日経っても諦めないクロナに対してかつてないほど悩んでいたイーファが村にやってきたノリスにその事を相談してみるとまさかまさかの彼はクロナの側についた。
喜びの舞でクルクル回るクロナと、眉間に皺を寄せノリスを睨むイーファ。
「そ、そんな睨むなって!でも事実なんだから仕方ないだろっ!今じゃアルシェルって都市からアークレインに直通の馬車便まであるんだぞ?中にはアークレインの魔法学院にそこから通ってる子供だっているんだ」
外堀が次々に埋められていく。旅に出る危険性が目に見えて減っていく言葉にイーファがチラッとクロナに視線を向ければその瞳はこれでもかとキラキラ輝いている。
「ここからアルシェルまでは距離があるが、そこさえ終われば後は早いもんだ。なんなら、アルシェルまでは無理だがアルシェルまでの道が整備されてる都市までなら乗せてけるぞ?どうする?」
決定的な一撃だった。「旅には行けない」という壁がノリスの言葉で粉砕された。
「お母さん!!!」
クロナの母に対する勝利を確信した呼び掛け。イーファがゆっくり、ゆっくりとクロナに向く。
「……なんだ、クロナ」
僅かに声が震えているのは気のせいではないだろう。
「—————————行こっ!!」
イーファは自他共に認める親バカである。もうこうなってしまっては可愛い娘のお願いを拒絶する理由がなかった。
深い溜息のあとイーファは小さく頷いた。
「……アークレインまでだからな。それ以上はいくらクロナのお願いでも無理だ」
「やっっったぁぁぁあああ!!!」
クロナの歓喜に満ちた咆哮を聞きながらノリスにイーファが向き直る。
「恨むからな、ノリス」
「なんでだよ」
◇
準備もある為、一旦ノリスはメイルに行った後、2日後に合流する約束を交わした後、イーファはクロナを連れてヴィムの元を訪れた。
ヴィム爺はイーファの話をじっと聞き終えると、顎を撫でながら微笑んだ。その表情にはどこか寂しげな色が混じっていたが、彼の声は温かかった。
「そうか、クロナと一緒に旅に出るか……それは良いことじゃ。イーファ、お主も変われたのじゃな……村に来た頃は全てに絶望していた顔をしておったのに、今では立派な母親の顔をしておる」
「……なんだかむず痒いな。それと、急な話で驚かせてしまって……この村への感謝を忘れた事はただの一度もない……だからこそ心苦しくはある…申し訳ない。それとワンまで預かってもらって…」
イーファは申し訳なさそうに再度、頭を下げた。ワンは残念ながら旅には連れて行けないのでヴィム爺の家で預かってもらうことになった。当のワンは暖炉の前でスヤスヤ眠っている。
しかしヴィム爺は手をひらひらと振り、そんな彼女を気にする様子もない。
「気にするでない、人にはそれぞれ歩むべき道がある。お主がここに来て、クロナと一緒に暮らしながら次第に成長していく姿はもう一人の娘を見ているようで儂も嬉しかったんじゃ」
イーファの膝に座っていたクロナが嬉しそうに口を開く。
「ヴィムおじいちゃん、わたしね、お母さんと一緒にいろんな場所を見に行くんだよ!おじいちゃんみたいに、ワクワクするお話をいーっぱいできるようになりたいの!」
クロナの言葉にヴィム爺は目を細め、嬉しそうに笑った。
「ほっほっほっ、それは良い目標じゃ。では、儂もイーファとクロナの土産話を聞くために長生きせねばのぉ」
ヴィム爺が笑い、何かを思い出したかのように立ち上がると、家の奥へと向かった。その間、クロナはイーファの袖を引っ張り、目を輝かせながら話しかけた。
「お母さん、旅ってどんな感じなの?お魚さんがいっぱい泳いでる湖もあるかな?」
「そうだな……きっと、あるさ。旅は危険で苦しいものだが、人を成長させてくれる。…何度でも言うが私から離れたらダメだからな?」
「もー!分かってるよ!でも……お母さんと一緒なら、どこに行っても楽しい気がする!」
イーファの言葉に、クロナは期待に胸を膨らませる。そしてしばらくして、ヴィム爺が手に持って戻ってきたのは、黒と金色の細やかでそれでいて目立ちすぎないように織られたケープだった。
そのケープを見てイーファが目を丸くし、クロナは興味津々といった目でヴィム爺の手に収まるケープを眺める。
「捨ててくれと言った筈だったんだがな……まさか、あの時からずっと持っていたのか?」
「捨てれる訳なかろう?お主の旅の記憶が詰まった大切な品じゃ。勝手ではあるが、修復もさせてもらった…この瞬間をずっと待っておった、主人の手に戻る時が来たんじゃ」
ヴィム爺が差し出したそのケープをイーファが懐かしそうに受け取る。
「お母さんそれなーに?」
「これはな…私が旅の最中に親友とお揃いで作ってもらったものだよ…懐かしいな…」
イーファは少し迷うようにクロナとケープを交互に見つめた後、膝からクロナを下ろし、そっとケープを広げる。そして、ケープをクロナに羽織らせ、留め具をしっかりと固定した。
旅をしていた時点でかなり身長が高かったイーファに合わせて作られているのでケープはクロナの体をすっぽり覆い隠す。
「えっ、お母さん…?」
「…ふふっ、似合っているぞ。私にはもう小さいからな、クロナが着るといい」
「いいの!?わぁ〜!!絵本の魔法使いみたいだ〜!」
ケープを嬉しそうに触りながらはしゃぐクロナの頭をイーファは優しく撫でた。
「本当に感謝する。ヴィム……言葉で言い尽くせないほど世話になった」
「いつの世も助け合いじゃよ。だが、気を付けるんじゃぞ?旅は楽しいだけじゃない、危険も多い。イーファよ、クロナから決して目を離すでないぞ?」
ヴィム爺の言葉に、イーファは真剣な表情で頷いた。
「…忠告感謝する。肝に銘じよう…私は母親だ、ずっと側にいるよう心掛ける」
ヴィム爺はそのイーファの言葉に満足そうに頷いた。
その後も少しだけ話し込んだ後、イーファとクロナはヴィム爺の家を後にした。村を離れる準備が整った今、村の人々にも別れを告げるために何軒か訪ねる。
村人たちは驚きつつも、イーファとクロナの新しい旅立ちを祝福してくれた。そして、村を歩いているうちに、クロナがイーファの手をぎゅっと握り、ポツリと言った。
「お母さん、私、旅が始まるのが楽しみ。でも……」
「…でも?」
「おじいちゃんたちに会えなくなるのは、少しだけ寂しい……」
その言葉に、イーファは少しだけ考え込むような顔をしてから、優しく微笑んだ。
「それは自然なことだ。でも、二度と会えない訳じゃない。旅が終わればまた戻ってくればいい。それにクロナが見てきた景色や話を村の皆に達に聞かせたら、きっと喜んでくれる」
「……うん!帰ってきたら、いーっぱい話す!」
そう言って笑うクロナの顔を見ながら、イーファは彼女の小さな手を握りしめた。そして、二人は静かに村を歩き、夕日が村をオレンジ色に染める頃、イーファ達は家に戻り旅に出るための支度を始める。
貴重品や床下に保管していた大量のギースを大きな鞄に詰めていく。どちらにせよ、旅の消耗品などはノリスに送ってもらう先の街で揃えねばならない。出来る限りのクロナの替えの服などを手際よく詰めて、鞄を閉じる。
イーファも捨てきれず保管していたサーシャと旅をしていた頃のブーツや外套を取り出して、軽く埃を払う。クロナも自分用のノリスから譲ってもらった鞄に人形やサーシャの魔導書などをドンドン詰め込んでいく。
辺りがすっかり暗くなり、梟の声が響きだす頃には準備も終わり、軽い整頓も終えたイーファとクロナはベッドに二人仲良く入る。
まだ一日あるが準備は早く終わらすに越したことはない。
「お母さん旅楽しみだね!私ワクワクして寝れないかも!」
「ははっ、旅では睡眠も大切だぞ?だが……そうだな、私も楽しみだよ。いっぱい思い出を作ろう……皆に自慢できるぐらい」
「うん!ワンと一緒に行けないの寂しいけど帰ってきたらお土産いっぱい渡してね……」
クロナの声が小さくなっていく。やがて、その声が止み小さな寝息がイーファの耳に入ってくる。
「…おやすみ」
眠りについた娘の頭を優しく撫で、イーファも眠りにつく。
「必ず守るからな……今度こそ手を離しはしない……」
深い決意を胸にイーファの瞼が閉じられ意識が闇に溶けていった。
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