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10話 前を向く理由



「クロナさんは我々が責任を持って見守ります、どうかフィネラ様は御自分の体を労ってあげてください」


司祭のその言葉に近くの鏡を覗けば、そこに写る私の顔は確かに酷いものだった。

色が落ちてきている黒い髪は乱れに乱れ、肌の状態も随分と悪い。


確かにこれでは、クロナが起きた時に心配されてしまう。


「……少し、街に出てくる。クロナを頼む……」


「お任せを、フィネラ様もどうかお気を付けて。メイルも平穏ではなくなってきました」


神父のその言葉が引っ掛かる。クロナを連れて門を潜った時は全く気付かなかったが、意識を街に向けてみれば以前訪れた時と比べて、街全体がピリついているのを感じる。


「何か起きたのか……?」

 

「……メイルから南に行った所にある村でハイドラが目撃されたようです。冒険者や近隣の街が捜索していますが、まだ発見と討伐には至っていないようで……」


「ハイドラか……」


その名を聞いて過去の旅の最中に出会った魔獣を思い出す。8本の頭を持つ蛇の魔獣。大型魔獣に分類され、名のある個体の多くが"絶望の獣(ドゥルフヴォルタ)"の眷属だった。


災禍の魔獣…奴等は討伐されて尚も世界に牙を剥いているようだ。主が死のうと眷属が消えることはない、人類を殺し尽くすか討伐されるか、飢えて死ぬか、厄介な連中である。


「何処に潜んでいたのか…村の皆が心配だな…」


「冒険者やメイルの自警団が捜索中のようです。しかし、今は対魔獣の戦術も確立され、かつてのような被害が出ることは稀です。それもこれも、あの時代を戦い、生き抜いた者達の努力があったからこそ…とは言えハイドラが危険な魔獣であることに変わりはありませんが」


「そうだな……その努力を、犠牲を無駄にしてはいけない……分かってる…」


自分で言いながら、その言葉に心を締め付けられ手を強く握り込んでしまう。私が逃げている間も世界は進歩してきた。あの時代の犠牲を無駄にするなと…それなのに私は……


 


私はまだ過去に囚われて僅かにしか歩けていない









教会を出て、街に出てみれば以前は賑やかだった大通りは人通りも少なく、営業している商店も少ない。露天商は全く居らず、人の居ない道を小鳥や鼠が這い餌を探している。


街に繰り出したはいいものの、やる事もなく広場にある噴水の淵に腰掛け、ただ空を見上げる。


曇天……灰色の空が視界一杯に広がる。

そんな灰色の空を見上げながら昔を…10年前を思い出す。



——————血と泥に塗れた時代だった。何処に行っても聞こえてくるのは真っ暗な未来への絶望と魔獣への怨みの声、家族を失った子供が粗末な服のまま義勇兵に加わり戦いに赴く。都市の陥落が伝えられる度に広がる深淵のように深い絶望。


まだ20にも満たない子供だった私でもそんな希望の無い世界の現状を理解できていた。きっと、隣にサーシャが居なければそもそも旅にすら出ず、剣も取らず適当な場所で魔獣に喰われて死んでいたのだろう。


希望は無くあるのは絶望だけ、そんな世界でもサーシャは笑っていた。自分が誰かの希望になれるならと笑い、率先して人を助け、魔獣の群れを魔法で薙ぎ払った。くだらない事でも馬鹿みたいに笑い、些細なことでもよく泣いていた。私はそんなサーシャの隣で、ただ剣を振るった。



都市を襲う魔獣を斬り捨て、魔獣に塞がれた街道をサーシャと一緒に解放し、炊き出しも何度もやった。偽善だと罵られることもあったが、サーシャが文句を言わなかったので、私も無視した。そんな事を続けながら旅をしていたらやがてサーシャの噂はあちこちに広がった。


そんな時だった。人類の生存圏を後退させた最強の魔獣の一体…"憤怒の獣(グランダンヴォルグ)"が討伐されたという話を聞いたのは。


初めて人々の目に希望が宿った。自分達も戦える、魔獣に勝てるのだと。災禍の魔獣の討伐はそれ程までに人類にとって喜ばしい報せだった。当時の私はあまり気にしていなかったが、こうして"暴食カダルヴォルン"や"災厄の王"と戦ったからこそ理解できる



——————希望は人を強くする。


希望があるから人は戦える。どんなに苦しくてもどんな絶望に陥っても希望があるなら人類は何度でも立ち上がる、それを知れたのがあの旅だった。




もう一度、視線を空から地面に落とす。

私の足は地についている。こうして息をして体には血が流れ確かに生きている。



クロナという娘を授かり、人並みの幸せを得ているがそれが怖い。


サーシャを守れなかった私がこんな幸せでいいのだろうか…


責任から逃げ続けた私がこんなに幸せでいいのだろうか…



悩みが晴れることはない。小さく歩き出したその道を振り返るのが怖い。振り返ったら…クロナまで失ってしまうのではないか…そんな思いが強く湧き出てくる。


また、手を握り空を向く





————目に飛び込んできたのは碧い瞳だった





「お姉さん、1年ぐらい前に教会で結界解いた人でしょ?」


ビックリして肩を跳ねさせた私がその場から飛び退いたらそこに立っていたのは黒いローブで全身を覆った魔女のような出立ちの女性。


……思い出した、確か私の前にクロナを閉じ込めていた結界の解呪に挑戦していた子だ。

まさか、覚えられていたとは……にしては私の初見の印象と随分違う気がする。他人の空似か、はたまた一年で雰囲気がガラリと変わったのだろうか


「あれは…偶々だ」


「えー?私が歯が立たなかった結界をあっという間に解除したのが偶々?嘘にしても下手だね」


「…何の用だ、ただ絡みに来ただけなら他所へ行け」


「今、目が泳いだ。それに急な話題転換、腹の探り合いは苦手?」


なんだ、コイツは。人を見透かしたように……確かに苦手なのは事実だが…


「黙った、やっぱり図星だ」


「……だから何の用だ」


こういう手合いは苦手だ。知った顔で人の内側にズケズケと踏み込もうとしてくる。そのつもりがないのは分かっていても、今の私には煽りにしか聞こえない。こんな精神状態でこの状況を続けても悪化する未来しか見えないので私は場所を変える為に腰を上げる。



「希望があるのがそんなに怖い?」


「っ……」


立ち去ろうとした背中に浴びたその言葉に私の心が跳ねる


「後ろばかり気にしてたら前に進めないよ」


「…だからなんだ、勝手な事を……」



「誰も貴女を責めやしない。貴女の事を知って認めてるから誰も責めてくれない」



閉ざしていた扉が勝手にこじ開かれる気がした



「貴女が貴女を許さない限り貴女は自分を殺し続ける。そんな末路こそ誰も求めてない」


「お前は……」



「絶望に呑まれたら後に残るのは獣だけ」



「貴女が手を伸ばさないと零れ落ちるよ」




「——————希望は有限なんだから」




突如、強風が吹き荒れ私の髪を揺らし、視界が遮られる。



そして気付いた時にはその女の姿はもう何処にもなかった




教会に戻る途中、どうしてもさっきの女の言葉が頭から離れなかった。



"絶望の後に残るのは獣だけ"



私を見透かしたような言葉。その不気味さ以上に、核心を突かれたような感覚が胸を刺す。背中を向けてあの場を離れたはずなのにあの女の声がまだ耳に残っている。


教会のに到着し、診療所に続く扉に差し掛かった時に扉の向こうから聞こえてくるクロナの声に少しだけ肩の力が抜けた。


「お母さんまだかなぁ……」


それは司祭に向けて話しかけているのだろう。クロナの少し心配そうな声に、胸が暖かくなると同時に痛みも感じる。


「クロナ……私は……」


声には出せない。小さく呟いた言葉が空気に溶けて消えた。


扉を開け中に入ると、クロナがぱっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。その瞬間だけで、私の胸に広がる暗い影が薄れるのを感じる。


「お母さん!どこ行ってたの?」


「少し外に出て息抜きをしていただけだ。…体調はどうだ?痛いところとか苦しいところはないか?もう大丈夫なのか…?」


「うん!もう元気いっぱい!さっきまで神父さまに教会案内してもらってたの!ねっ、神父さま!」


クロナが司祭のほうを振り返ると、司祭は微笑みながら頷いた。


「ええ、クロナさんが大変熱心にお聞きしてくるので私としてもつい熱が入り色々とご案内させていただきました。何も告げず大切な娘さんを連れ回したことを謝罪致します」


「いや…クロナが喜んでいるようなので私としても感謝しかない…ありがとう、コルネリウス神父」


そんなやり取りをしていると、クロナが私の服を軽く引っ張った。


「お母さんどうしたの…?なんか元気ない?」


「……そう見えるか?」


「うん、ちょっとだけ…大丈夫?お母さん苦しそう…」


クロナの純粋な心配の言葉に胸が締め付けられる。私の弱さを見透かしたようなあの女の言葉とは違い、クロナの言葉は私を信じきったものだ。それが余計に痛かった。


「……ああ、そうだな。少し胸が痛い、な…」


クロナの前で弱音は吐かないと決めていたのに口から溢れてしまった弱音。


「お母さん胸痛いの…?じゃあ私が治してあげる!!」


クロナの悲しそうな表情が余計に胸を締め付ける。強い母親であろうとしても、心に入った深い罅から私の弱い部分が溢れてしまう。


しかし、クロナはそんな弱い母親であるを否定することなどなく、目をギュッと瞑りその小さな手を私の胸に置いてくる。


クロナの手の温かさが私の心の罅を塞いでくれる気がした


「どう?お母さん痛いの取れた??」


「……あぁ、あぁ…クロナのお陰で綺麗さっぱり痛みは消えたよ…」


私の娘はきっと私の弱さなど気にはしない。この子はこんなに健気に私を想ってくれているのに肝心の私がその想いに応えるのを怖がり、逃げようとしていた


きっと私は最低の母親だ…血の繋がっていないたった一人の大切な娘の想いを踏み躙ろうとしてしまった。愛を与えるべき親である私がその愛を逆に受け取り、返すことを恐れてしまった。


クロナを引き取った時に決めた筈なのにずっと目を逸らしてしまっていた。



———————逃げたいと思ってしまった



けど、もうそれは終わりにしよう


どんなに苦しくてもこの子を最後まで愛そう。何があろうと私はクロナを愛し続けよう。クロナが私を母親だと認めてくれているように…


———————クロナが私の唯一の娘なのだ


サーシャの声が頭に響く



『イーファは幸せになれるよ!』


…ならば幸せを掴んでみせよう。誰にでも胸を張って誇れる幸せを、もし全ての後にサーシャに失望されたとしても受け入れよう。


私の幸せがクロナに幸せを齎すなら…私は…私は後ろ指を刺されたとしても幸せになってやる。



娘の為に…私は全てを捧げよう


「ありがとう…ありがとうクロナ……」


「えへへ…お母さんちょっと痛いよ〜」


今はただ…この温もりを感じていたい…



「……神父」


「…はい、フィネラ様」


「私とこの子に…"祝福"を授けてくれないか…?」


"祝福"。それは教会が親と子に与える誓いの印…親子である事を認める聖なる証明


「喜んで……神もこの尊き瞬間を喜ばれていることでしょう、どうぞ此方に…」


「お母さん、祝福ってなーに?」


「祝福は……私とクロナが本当の親子になる為の儀式みたいなものだ…クロナは…私が母親で本当にいいのか…?」


思わず聞いてしまう。ただ、クロナはそんな私の問いにキョトンとした後、満面の笑みで答えてくれる。


「私のお母さんはお母さんだけだよ!!」


「……ふふっ、そうだったな」


クロナを抱き締める。


夜の闇の中、蝋燭に照らされた教会の中でコルネリウス神父の神へと捧げる言葉が響き、やがて彼が私たち親子に向き直る。


「試練の道を歩む者イーファ・フィネラ。そしてその心清らかな娘クロナ・フィネラ。この母子に主の祝福と御加護があらんことを—————」



私が手を合わせ祈れば、クロナも私を見て手を合わせてくれる。コルネリウス神父の言葉が終わると同時に体に温かな気が流れてくる。


これが祝福……


「お母さん…終わり?」


「あぁ……クロナ、改めて…よろしくな?」


「えへへ……これからも私のお母さんでいてね!約束!!」


クロナの差し出してくる小さな手に私も手を重ねる。この手が私を超えるその時まで…そしてその先もずっとこの手を離さないと誓い……






——————非常事態を報せる鐘が鳴り響いた



・災禍の魔獣②

憤怒の獣(グランダンヴォルグ)

最も人類を殺害した災禍の魔獣。二度の決戦に勝利し各都市を蹂躙しながら進撃していたがかつて存在した世界最大の要塞都市"ヴァルグラーデン"との総力戦の末に討伐された


状態:討伐済み

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