1話 紫煙
実質初投稿です、お楽しみいただければ幸いです
『イーファはさ、英雄ってどう思う?』
唐突すぎて、一瞬耳を疑った。血と獣臭が漂う建物跡。私たちの周囲には散らばった魔獣の死骸と、崩れた壁から差し込む冷たい風。それなのに、サーシャはそんな非日常にまるで慣れてしまったかのように、いつものように微笑んでいる。
『……いきなりなに?からかってるの?』
『からかってないよ、ちゃんと聞いてるの。英雄ってどんなものだと思う?』
『……分からない。そんなこと考えたこともなかった』
私は肩をすくめて剣を鞘に戻した。サーシャは満足そうに頷きながら、私をじっと見つめる。
『そっか。でも、私はイーファなら英雄になれると思うんだよね!』
その言葉に、思わず手が止まる。剣の柄を握ったまま、彼女の柔らかい瞳を見ると、どうしても嘘だと思えなかった。
『……私はただ剣を振っていただけ。その程度で英雄になれるなら、世界は今頃英雄だらけ』
『うーん、やっぱりそういう答え方するんだ。』
サーシャは苦笑し、私の言葉を否定も肯定もしなかった。ただ、ふわりと黒髪を揺らし、こちらに歩み寄ると、不意に私に飛びついてきた。
『それでも私は思うよ。イーファは立派な英雄だって!』
黒髪と金髪、対照的な私たちの姿が、窓から差し込む薄明かりの中で重なる。サーシャの体温が一瞬だけ伝わり、私はその温もりを抱きしめることもなく、ただ立ち尽くしていた。
彼女はいつだって前を向いていた。どんなに酷い戦いでも、どれほど絶望的な状況でも。私はその背中を見上げるばかりだった。
『……私は英雄なんか柄じゃない。』
それだけが、あの時の私に言えた精一杯の言葉だった。
サーシャと私は真反対の存在だった。
艶のある黒髪を靡かせ、誰にでも明るくすぐに仲良くなれる髪色とは真逆の光のような少女。
一方の私は、金髪だが性格は真逆。誰も信用できなかったし、誰も信用せず…友達なんてずっといなかった。
けど、ある時、孤児院に入ってきたサーシャは私を見るなり声を掛けてきた。最初こそ今までと同じように無視して、関わろうとしなかった。どうせ、そのうち諦めるだろうと高を括っていた。
だが、サーシャは諦めるどころかより一層、関わりを持とうとしてきた。ある時は食事中に無言で隣に座ってきたし、無言でパンを口に捩じ込もうとしてきた。極め付けにベッドに潜り込まれた時は、柄にもなく悲鳴を上げてしまった。そんな事が続き、皆から怖がれていた私は逆にサーシャを怖がった。
まぁ、それでも結果的にサーシャと私は仲良くなれたのだから、当時のサーシャの行動は正解だったのだろう。
結果、孤児院では一番仲の良い友達はサーシャだったし、私にはサーシャしか友達と呼べる存在が居なかった。
口癖のようにサーシャは「私達は運命で結ばれている」と言っていたが確かにそうだったかもしれない。
…けど、今となっては知りようがない。サーシャはもう居ない。
今から、10年前。人類と"魔獣"と呼ばれる怪物達との生存をかけた熾烈な戦争があった。街を容易く破壊する巨大な怪物や、人を惑わし誘惑し、国を乱す化け物ども…
そして其れらを従えていた存在…
それが"災厄の王"。人類の仇敵にして全ての元凶。…サーシャの命を奪った忌まわしき存在。
そう、サーシャは災厄の王との戦いで死んでしまった。生き残ったのは不器用な私だ。皆に愛され、神からもその才能と人としての在り方を祝福されていたサーシャは私を残して逝ってしまった。
——あの時サーシャに出会わなければ、サーシャと仲良くならなかったら、私がサーシャみたいに才能豊かだったら、私が、私がもっと強かったらサーシャを失わずに済んだ…そう何度も自問した。
だが、何度自問しても答えは出なかった。サーシャが何故最期にあんな事を言い残したのか私には分からない。
私が…何もかも中途半端だったから…
『本当に?』
そうに違いない。なにせサーシャはもう居ない。その事実が全てだ。私は私を導いてくれる友も失った…私が弱かったから
『でも私はそうは思わないよ。イーファはとっても強い、何度も助けられたもの。』
サーシャの声が響く。だが、それさえも結局は私の弱さ故だ。サーシャはいつもそうやって私を慰めてくれた。
だから、この声もサーシャを使った私自身の言い訳なのだ。だって、サーシャはもう何処にも居ないのだから
『言ったでしょ?貴方を導く、私は確かに此処に居る。私はイーファとずっと一緒、イーファ…私の大切な、大切な友達。』
やめろ…やめてくれ。私を惑わさないでくれ…サーシャ、私は何も変われなかった。サーシャという光を失って尚も私はこうやって歳を重ねて自堕落にしか生きれていない…そんな私をサーシャが見たらどんなに失望するか…
『しない。イーファはイーファ、私が貴女の心に大きな…とても大きな傷を遺したの。その私がどうして貴女に失望なんか…』
サーシャの声が響く。
嗚呼、分かっているさ…これは夢なんだ。どうしようもなく弱い私の汚れた願望を映し出した夢だ。夢から醒めれば目の前のサーシャは居ない。また…孤独の朝が来る。
『…時間なんだね。でも大丈夫だよ、私はいつもイーファを見守ってる、絶対導く。だから、安心して起きて。また…会えるから。』
サーシャ…すまない…ごめんなさい
——————どうか私を許さないで
そして、私は窓から差し込む朝日の光によって一日の始まりを知る。
「夢…か。あぁ、知っていたさ…」
サーシャ…わたしは…
—————私はまだ歩き出せそうにない
◇
村外れにあるその小屋は、一見して質素な造りだった。石と木材で組み上げられた壁は修繕を繰り返した跡が残り、時折吹き込む風を遮る程度の役割しか果たしていない。だが、それで十分だった。この場所はイーファにとって、過去から遠ざかるための隠れ家であり、静寂の中で息をするための場所だった。
窓の外には、平和そのものといった風景が広がっている。陽光を浴びて輝く緑の畑、畦道で遊ぶ子供たちの笑い声。どの家にも煙が立ち昇り、村の中央にある井戸には主婦たちが集まって話に花を咲かせている。
遠くに山の稜線が見える。その山からは村の守り神とされる野生の動物が時折下りてくるらしく。
その一角にひっそりと建てられた小屋の中で、イーファ・フィネラは揺り椅子に腰を沈め、煙管を口に運んでいる。
煙管の中の葉に火をつけ、紫煙を静かに吐き出す。煙はゆらゆらと空間を漂い、梁に吸い込まれていく。ただ、無言で煙を吸い、吐くを繰り返す。過去の光景を振り払うように、また一息、煙管に葉を込め火を点ける。
「…………」
静寂が部屋を支配する。
そんな環境なので外から近づいてくる足音に敏感に反応してしまう。杖をつく音が響く。イーファは窓の外を見ることなく、その音を聞き分けた。間違いなく、村長のヴィム爺だ。
「フィネラ、いるかの?」
「……いる」
戸口を叩く音とともに、しわがれた声が漏れる。イーファは煙管を皿に置き、立ち上がるとゆっくりと戸を開けた。目の前には、やはり杖をつくヴィム爺の姿があった。
老人の顔には、何か申し訳なさそうな表情が浮かんでいる。その目がイーファを見上げた瞬間、少し戸惑いを含んだ笑みを浮かべた。
「顔色が優れんようじゃな。また日を改めた方がよいかの?」
「…それには及ばない。ただ夢見が悪かっただけだ。用件は?」
老人が安堵の息を吐く。
「それなら良いのじゃが…実は護衛を依頼したくての」
ヴィム爺は申し訳なさそうに杖を撫でながら語りかける。
この老人はイーファについて知っている、知っているからこそあまりこういう依頼をしたがらないのだ。だが、平和になったとはいえ各地に根付いた魔獣による被害が無くなった訳ではない。
「護衛か…」
「女子衆が街へ出かけたいと言っておる。それで護衛を頼みたいのじゃ」
イーファが不思議そうに眉を上げる。
「魔獣か盗賊でも出たのか?街と言うなら…メイルだろうが街道とて治安が悪い訳ではないだろう」
「最近何かと物騒じゃ、冒険者が市民に狼藉を働いたという話も聞く。安全のためにどうか頼まれてくれんか?」
ヴィム爺は視線を伏せながら続けた。
「お主なら誰よりも信用できる」
その言葉を聞き、イーファは少しだけ笑みを浮かべた。
パイプから煙を一度吸い込み吐き出す。葉が無くなり火種も消えた煙管から燃え滓を灰入れに叩き出し、そっと懐に仕舞う。
「ヴィム爺、私を何も言わず村に留め置いてくれているだけで感謝している。護衛ぐらいなら任せてほしい。」
「…すまぬな、報酬は…」
「必要ない。普段の恩に対するささやかな恩返しだ。…それに煙草の葉を切らしていてな、丁度いい」
イーファが依頼を了承したのを見届けたヴィムは罪悪感を感じつつもこの世で最も信頼できる護衛を取り付けた事に安心感を覚えつつ踵を返して元来た道を杖を突いて戻っていく。
そんなヴィムに「また後で」との意味も込めて軽く手を振る。
ヴィム爺を見送りながら眼を動かすと村の平和な風景が目に入る。小さな子供たちが笑いながら走り回り、若い夫婦が馬車を荷台に繋いでいる。村全体が、まるでこの世に争いなどなかったかのような、穏やかな空気に包まれている。
「平和、か……」
イーファが小さく呟いた。その平和を作るために、数え切れない血が流れた。そして、その平和の中に、自分が本当にいるべきなのか、友を救えなかった弱い自分にその価値があるのか、10年経った今でもその答えは見つからない。
彼女の視線は無意識に、小屋の壁に飾られた剣に向かう。柄の部分に微かな光が反射している。だが、その剣は抜かれることなく、ただそこにあるだけだった。
『イーファは幸せになれるよ』
◇
「っ!!」
突然脳内に響いた懐かしい声に思わず肩が跳ねてしまう。周囲を見渡せば馬車に乗った村の婦人たちが私のことを見つめている。
「フィネラさん、どうかしたのかい?」
「おやおや、風邪かい?街の教会で見てもらわなきゃね。」
心配の言葉を掛けてくれる婦人達に小恥ずかしさから私は外套のフードを深く被り直し、顔を隠して視線を無理矢理遮る。
「…済まない、気が緩んでいた。風邪ではないからどうか心配しないでほしい」
「そうなのかい?ならいいんだけどねぇ」
「フィネラさんはまだ若いんだから無理しちゃダメだよ?それにこんなに美人さんなのにそうやって隠しちゃって…」
「アンタ、フィネラちゃんに自分とこの倅紹介しようとしてんじゃないだろうね!」
「やだねぇ、フィネラさんにはウチの馬鹿息子は勿体ないよ!アッハハハ!」
側から見れば無礼としか言いようがない態度の私にも婦人たちは明るく接してくれる。そんな彼女たちに素っ気ない反応しかできない自分が情け無いし、何より護衛を引き受けた身でありながら油断し、サーシャの幻聴に惑わされた事実が私の心に影を落とす。
「……あっ」
「………」
対面に座るまだ幼い少女と目が合うと、少女が不安そうにしながら私に小さく手を振ってくる。私が村に来た時はまだ赤ん坊だった子がすっかり大きくなったものだと老婆心を抱き、意図せず溢れた笑みと共に私も小さく手を振りかえす。
「…え、えへへ…」
喜んでくれたようでなにより。
色が落ちてきた自分の髪を触り、少しばかりの癒しを心に仕舞った。
景色を眺めていると、舗装された街道が現れ、その先に石造りの城壁を持つ都市が姿を現した。あの都市は古くから交易の中心地として栄え、戦争中も多くの人々がここに集まっていた。今ではその活気が一層増し、周辺地域からも人が集まる一大都市だ。
その都市の名は"『メイル』"
魔獣の侵攻に備える為に建造された城壁は堅牢で、要所に立つ監視塔がその防備を象徴している。高さこそ要塞都市には劣るが、その厚みは人々に安心感を与える。馬車がメイルに近付くと変わりつつある都市の外観が私の眼に飛び込んでくる。
平穏になった時代を象徴するように分厚い城壁の一部が取り壊され、新たな地区建設の為に職人達が出入りしているのが街道からもよく見える。
魔獣の時代が終わり、戦乱の傷跡を癒し、新たに一歩踏み出した人々はこの都市で再び未来を築いているのだ。
故に検問も非常に緩かった。門を抜けた先に広がるのは、活気に満ちた街並み…石畳の道沿いには商店が軒を連ね、果物や香辛料、日用品を売る店員たちが元気よく声を張り上げている。通りを行き交う人々の中には冒険者のような装備を身に着けた者も多く、都市が抱える多様性を感じさせた。
「すごいねぇ、やっぱりメイルは立派だね!」
婦人たちの声に、イーファは短く応じた。
「確かに、見事な都市だ。……何度見ても圧巻だな。」
「フィネラさんも来たことあるのかい?」
「……ああ、何度か。と言っても最後に来たのは…4年前だったかな」
婦人たちが興味津々と言った表情で詰め寄ってきたので思わず苦笑しながら、軽く会話を交わす。ある程度で満足してくれたのか、ある程度の集合時間を決めたあと、婦人たちはそれぞれ街へと繰り出していった
側に居た方がいいか聞くと心配ないと言ってくれたので、私も礼を言い、煙草の葉を買いに商店に向かうのだった
面白かったらよければブックマーク、評価よろしくお願いします