第74話 残響止まず
クラスの点呼を終えてみんなが部屋に戻ってきてから、先生方と共に軽い練習を行った。
練習といっても新たな注意や指導等はなく、これまでに受けていた注意点や指示の再確認、台詞も含めた全体の流れを確かめる形になった。
歌に関しては軽い練習だったが、30分かかる全体の流れを何度か繰り返し行ったので、時間はだいぶかかった。
・・・・・・
「はい、それでは今日はここまでにしましょうか。……岩村先生、何かありますか?」
「いえ、ありません。このくらいでいいでしょう」
ふたりの先生が、そう言い合う。今日の練習はここまでだ。
「それじゃあ終わりにしましょう。みんな気を付けて帰って――明日のためにゆっくり寝てね」
山口先生はそう言って微笑む。
「みんな、今日は今日、明日は明日だ。内容は同じだけど、実質別の舞台だと思って。今日は本番前日……いいね?」
岩村先生はそう念を押す。そう、まだ明日が残っている。先生の言う通り今日はまだ本番前日。気を抜いていはいけない。
「ありがとうございました、さようなら」
「さようなら」
陽和に続いて、みんなで声を合わせふたりの先生に挨拶する。山口先生と岩村先生は、それに応えながら部屋を出て行った。
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更衣室で制服に着替えてから、部屋に戻る。窓を閉めて、鍵を全部かけて。室内に残すキーボードと電子ピアノは高価なので、外から見えないようカーテンも閉めた。
みんなで鞄を背負って部屋を出て、最後に陽和がドアに鍵をかける。
「それじゃあ私は、鍵を返してから行くので。みんな先に帰ってください」
「んー、今日はみんなで帰ろうよ。待ってるから」
いつものように鍵を返しに行こうとした陽和に、絵里さんがそう言った。
「うん、そうしよう。陽和にはいつもひとりで行かせてばかりだし――今日くらいは待てる人は待って、一緒に帰ろう」
花菜さんのその言葉に、みなうなづく。
「……」
「――? どしたの、陽和?」
なぜか答えない陽和に、絵里さんが声をかける。陽和は絵里さんに顔を寄せてなにかささやいた。
表情は、陰になって見えなかった。
「んー、そっかー」
そう言った絵里さんはくるっとこちらを向いた。
「輝くん、先に正門まで行ってて。私たちばっちりおかめししてから行くから」
「――? はい」
どうして俺だけ先に?
……「おかめし」って何だ? 「おめかし」か?
「それじゃ――」
「うん、行った行ったー。ばいばーい」
絵里さんにぐいっと背中を押され、俺はひとり先に行かされた。
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正門前――
あれからしばらく待っているが、みんなはまだ来ない。することがなくボケっと立っている俺と、門を出て行く生徒たちの視線が時々合って気まずく目を逸らす。
ガヤガヤと楽しそうに話しながら出て行く一団が、またひとつ。合唱部の7人の一団は、まだ来ない。
「いや、やっぱヒロイン5人は多過ぎだって」
「でもちゃんと伏線回収できてたじゃん?」
「私あの主人公はあんま好きじゃないなー」
また出てきた中学らしい女子生徒の一団。これたぶんうちのクラスの映画の話だな。そうだ、5人は多いよ。
「あ……」「え……?」「あっ……」
――?
急に、会話が止んだ。ボケっと立つ俺の顔を見て。
「えーっと……海野、先輩? さようなら」
「へ? ……あ、さよなら」
何の脈絡もなく、立っていただけの俺に挨拶してきたその女子生徒。
よく分からず締まらない挨拶を返した俺。
「海野先輩、さようなら」
「さよならー、海野先輩」
めいめいそう言って、足早に立ち去る。
「今の人――?」
「……切ってたってほんと?」
「劇部の子がそう――」
「嘘でしょ、それでアレって」
妙なひそひそ話が聞こえて、俺は顔をしかめてよそを向いた。
「――伝説、来ちゃう?」
「来たでしょ、これ」
ああ――母さんの話をしてる。
ついに、バレたのか。……早かったな。
夢見ていた「普通の学生生活」も、これでおしまいか。これからはたぶん、俺の周りは騒がしくなってしまうんだろう。俺じゃなくて、俺の母さんの話で。
もう少し長く、静かに過ごしたかったけど……もうおしまいか。
でもおかしいな、どうして俺と母さんが「海野」だと分かったんだろう。
母さんは「伝説の先輩」と言われているだけで名前はもう忘れられている。俺だって「俺が海野だ!」などと全校に向けて名乗った覚えはない。俺の名前を知ってるのは同じクラスのやつと合唱部員くらいだ。
どうしてだろう、顔も見たことないはずなのに。なんだか妙に「海野先輩」って強調して声かけて。
ちらっとこちらを振り返った女子生徒たちと目が合って、あちらが慌てたように目を逸らす。互いに顔を寄せ合いながら話す後ろ姿が遠ざかっていく。
ああ、そうだよ。みんなが大好きな伝説の海野先輩はたぶん明日来るよ。
「あ、海野先輩、さようなら」
「……! さ、さよなら」
また別の一団に、挨拶された。
・・・・・・
「海野先輩、サインください」
「やるもんか」
振り向くまでもなく、こいつは明である。
「いやー、お前の独唱、よく聞こえてたぞ。お前すごく音出るんだな」
「お前あの時いなかっただろ」
あえて振り向いてやると、やはりにやにやした明が立っている。
器楽部は合唱部の後に待機してたんだから、明はあの時会場にいなかった。聞こえていたわけがない。
それなのにこいつは――
「いやあそれはもう聞こえてるよ、会場の外まで。よく俺の耳に入るんだ」
「それはない。音響さんにお願いして、マイクだって切ってもらってたんたぞ。正直、会場内ですら響いたか自信ない」
「響いてるさ。ほら――」
そう言って明は言葉を切り、少し後ずさって俺と距離をとった。
すぐ、目の前を通る女子生徒の一団――
「海野さん、さようなら」
「海野くん、さよならー」
……。
「海野先輩、さよなら」
「う、海野先輩、さよなら!」
ひとしきり生徒たちが通り過ぎると、明は俺の前に戻ってきた。
「な? よく反響してるだろ? 女子の黄色い声」
……それかよ。
女子ばかりなのは共学化1年目だからだ。俺とお前の方がこの学校では珍しい。こうして正門に立っていれば、そりゃあ女子生徒がぞろぞろ前を通る。
それに、その「黄色い声」の理由は俺の歌声じゃない。
「母さんと俺の名前、バレたんだろ。さっき『伝説』がどうとか言ってた」
どうしてバレたのか分からないが――これで俺は「伝説の先輩の息子」というレッテルを貼られた。
「これから先……卒業まで顔を見られる度にこんなふうに言われるんだろ、俺」
「そうだろうな」
明の簡潔な答えに顔をしかめる。
そんな俺を、明は無視して勝手にしゃべる。
「よく響く声だ――演奏が終わってもまだ聞こえてる」
「何の話だ?」
そう聞いたのに、明はそれには答えない。
「『伝説の先輩』とお前の名前は、どっちも知られてなかったよな。合唱部で知っちまった桜井は例外として。仮に今日どちらかがバレたとしても、1日でこう結び付けられるものかな」
そうだろうか。現に今、顔も名前も知らない生徒たちから妙に「海野」を強調する挨拶を繰り返し受けている。
「会場にいなくても、こうして聞こえてる。これがお前の声の『響き』だよ」
「――?」
俺はいまいち分かっていないのに、明は詳しく説明してくれない。
いつもそうだ。俺が理解していないと分かってるくせに、思わせぶりな事だけ言って頭の中をかき乱す。
「ところで、お前もう帰ったほうがいいぞ」
明はいきなり話題を変えた。
「いま待ち合わせ中だ」
「そいつらは来ない。もうだいぶ前に東門の方へ行った」
「そいつら」って……合唱部のみんなか?
どうして知ってるんだ。というか、どうして東門へ? こことは逆側だ。
「途中ですれ違った。桜井にはあえて声をかけなかったが……ちと盗み聞きをね」
盗み聞き――行儀が悪いな。
「あのな、輝。お前……いや、それはいい。俺がとやかく言う事じゃない」
そう言って明はため息をついた。
「とにかく、あいつらは来ない。だからお前はもう帰れ。帰って、よく寝て、また明日来て――そしてあいつらの言う通りに過ごすんだ。何も考えずに」
――?
「いいか、何も自分から考えるなよ。自分で勝手に動くな。あいつらに合わせてりゃそれでいい。シナリオは、もう用意されてる」
「シナリオ?」
また、いまいち分からないことを言う。
「輝――下手を打ったな。まあ、お前がやりそうな事だけど」
「何のことだ?」
明は黙って首を振った。
「明日には分かる。俺が盗み聞いた通りなら、な」
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俺は明を見送ってみんなを待ち続けたが、俺の名を呼びながら通り過ぎるのは知らない生徒ばかりで、よく知った7人だけは来なかった。
暗くなるまで待ったが、来なかった。




