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第6話 輝きを見つめて

 学校外周の森――


 この学校の周囲に巡らされた人工の森で、校内から――少なくとも1階や2階からでは外が見えない。

 森の中もよく造り込まれている。大きな木以外は園芸部が管理しており、部員たちが代々育てている木があったり、ちょっとした庭園なんかが造ってあったりする。

 生徒が自由に散歩できる道もあって、ベンチがたくさん置いてあるから昼休みをここで過ごす生徒も多い。


 ただ、さすがにもう暗い。下校時刻――午後7時まであと少し……

 校庭の照明が差し込んでいるからまだ足元は見える。人通りのある校門から、できるだけ遠ざかりたい。


 急ぎ気味に歩いていると、すぐ後ろで桜井の足音が急に乱れた。

 慌てて差し出した手に、桜井の手が重なる。ちょっと冷えた手の感触――思ったより細くて小さい……


 危うく桜井を転ばせるところだった。

 いつも意識していないが――昔から、俺の歩きはかなり速い。そこにさらに急ぎ気味で歩いたから……


 すぐそこにベンチがある。校門からは離れてきたし、道も何度か曲線を描いた。もう外から視線は通らないはずだ。


 ここまで来れば、いいか。


 重なったままの桜井の手を引いて、ゆっくりそこまで連れていった。大人しく座った桜井の隣に、俺も座る――


 そして……


 それきり互いに黙り込んだ。

 桜井はうつむいて何も言わない。俺はそもそも、何と言えばいいか分かってない。


「……」


 いかん……

 何も考えずにここまで連れてきてしまった。


・・・・・・


 桜井をここに連れてきた理由は単純だ。あのままひとりで帰らせたくなかった。


 下校時間になれば校舎は閉まる。校門も閉じられる。だからもう居残ることはできない。

 でも――この森の中ならこっそり居座れる。


 森は幅こそ広くないが長さがかなりある。下校時間前には先生が見回って生徒を帰らせるが、歩く道のりが長すぎるから巡回は下校時間30分前くらいに始まる。今くらいの時間になると、もう巡回が済んで職員室にでも戻っている頃だ。


 だからここには、明日の朝まで誰も来ない。

 それにもうすぐ暗くなる。泣いていようが何だろうが、顔はよく見えないから恥ずかしくも情けなくもない。


 我ながらうまくやったと思う。

 そしてまた、思慮が足らなかったとも思う。ここまで来て、なんと声をかけるのかまだ考えていなかった……


「……」


 ――どうして、桜井は泣いていたんだろう。


 今日あった部活での大喧嘩のせいかな、とも思うが、本人からそう聞いたわけじゃない。

 何か別の理由――実は全く関係のない、俺の知らないことで泣いていたのかもしれない。そうだとしたら、俺は本当に何も言えない。


 ああ、本当に気の利いた事のひとつくらい言えれれば――


 ……。


「……ごめんね」

 桜井が消えそうな声でそう言った。


「……ごめん、って?」

 そしてようやく、会話ができた。


 薄暗い森の中、桜井の表情は見えない。


「……海野くん。合唱、やめていいよ」


 ああ――

 つまり()()()()()()、なんだ――


 よかった――

 それなら、答えられるから。


 桜井はしばらくしてから、独り言のように話し始めた。


「――分かってる。琴音の言ってたことが正しい。海野くんは4月に入部しなかった。初めから合唱部には入らないって、自分で決めていたのに……」


 うん、確かにその通りだった。


「なのに、私が誘い続けてやめなかったから――だから琴音が、私の代わりに今の合唱部のことを話して……それを聞かされたら、海野くんが拒否できるはずないよね――」


 それは……違うな。


「私、毎日うるさかったよね。聞きたくもない合唱部の話なんて聞かされて、それで『やる』なんて言わされることになって――」


 たんだん、桜井の言葉が涙声に変わっていく。


「――ごめんなさい」


 そして、胸を締め付けるすすり泣きだけが残った。

 でも……その涙は、流さなくていい。


 ()()()()()なんかない。その言葉は、俺の自由(・・)意思(・・)なんだから。


「桜井……」

 呼んでみたが、すすり泣きしか聞こえてこない。


「……」


 いや構わない、勝手にしゃべろう。

「……あのさ、俺がどうして合唱をやめたのか、分かる?」


 分かるはずはないから、答えなくていい。


「別に嫌いになったんじゃないよ。ただ自由な時間が欲しかった……それだけ」

 そう言って肩をすくめてみせたが……暗いから見えなかったな、今の。


「ほら、合唱部って活動毎日でしょ。街中で遊ぶ暇もないじゃん。文化祭はステージばかりで、クラス展なんでほとんど回れないし」

 軽い口調で言ってみたが、すすり泣きはまだ止まらない。


「やめようって決めたのはね……入学式の前の日だよ。半年くらい考えた末の決心だった」


 そう、あの時はずいぶん悩んだ。だから――


「だから……これは『未練』っていうのかな。合唱の話を聞かされると、『決心』がすぐ揺らぐんだ」


 そう。たぶん未練なんだろう。やっぱり合唱に未練があったから、俺は合唱部の話を普通に聞いてしまった。あの時、別に聞かなくてもよかったのに。

 もしかしたら、その話を聞き始めた時からもう結論は出ていたのかもしれない。


「つまりさ、俺の『決心』なんて、元々大したものじゃなかったんだね」


 そうだ、俺は表面上はその「決心」にしがみついていた。でも合唱部の話を聞かされてすぐ迷うくらい、それは大した「決心」ではなかった。


 だから……母さんの助けもあったけど、これは俺が――


「これは、俺が決めた事。桜井がしてきたことも、竹内に話を聞いたことも、あくまで()()()()――」


「――合唱をやめて、本当にいいのか。それをもう一度考えるための」


 「決心」したのは入学式前日。

 それはよく考えた結果じゃなかった。時間に迫られて、慌てて決めたものだった。


・・・・・・


 校庭の照明が消え、ぐっと暗くなった。明かりが欲しい。


 鞄の中をごそごそ探る。俺は夜道を歩く時、寄り道して真っ暗な道に迷い込むことがある。だからその時用の懐中電灯がどこかに……

 細長いもの……これだ。


 いつだったか母さんがくれて、何年も引き出しに仕舞ったままだった古い懐中電灯。最近たまたま見つけて使い始めた。本体は細く、光源は1センチもない小さな電球ひとつだけだが、こいつには面白い機能がある。

 先端部分をぐるぐる回すと取り外しができて、中の電球がむき出しに――「キャンドル風」と説明書には書いてあったが、まるで光る魔法の杖を持っているみたいになる。


 そのほのかな光を、桜井と俺の間にかざした。

 桜井の顔が、黄色く柔らかい電球の光に照らされる。小さな電球は、あまり強く光らない。まるで、本当にろうそくの火を見ているかのようだ。


 どうだ明るくなったろう? と思ったが、桜井の表情は晴れなかった。


 桜井は力なくうつむく。

「今の話……嘘、だよね。私が泣いたりなんかしたから、ついた」


 うーん、信じてくれないのかなあ……


「ねえ、桜井――」

 呼ばれた桜井は何も言わず俺の顔を見る。


「俺がこれだけうまい嘘、器用に言えると思う?」

「ううん」


 ……。


「あの、即答はちょっと傷つくんだけど。せめてもうちょっと考えてみせてから言って……」


 それを聞いた桜井はまた下を向いて――そして、「ふふっ」と声を漏らした。


「……海野くん、私が一生懸命になって合唱部に誘った時、即答で『やだ』って言ったよね」


 ……そうでした。


 顔を上げた桜井は、小さな光に照らされて、人懐っこい笑顔を見せた。

「ねえ、返す言葉もないでしょ」

 ……ありません。

「ねえどんな気持ち? 自分のした事が自分に帰ってきて、今どんな気持ち?」


「……」


 俺は懐中電灯を遠ざけた。


「あ、待って明かり返して。暗いの怖いから!」

 桜井が慌ててこちらに寄ってきたが……うーんどうしようかな。


 ……でも、本当に暗いのが苦手だったらまずい。

 俺はすぐ明かりを元の位置に戻した。桜井の顔が、さっきより近くに見える。


 しばし二人で、その明かりを見ていた。


「海野くん――」

「ん?」

「――やさしいね」

 しんみりそう言った桜井に、少しどきりとさせられた。


 思えばもう真っ暗闇になった森の中で二人きり、桜井はさっき寄って来たまま離れない。俺が作った状況だけど、それを嫌がらず離れない桜井を意識して急に心がざわついた。


「でも――」

 言い出したのは桜井。

「――邪魔しちゃうね、海野くんのかおる祭。クラス展、ほとんど回れなくなっちゃう」

 ああ、そんな事か。


「桜井――」

「……ん?」

 短く答えた桜井は、ちょっと首を傾げて見つめてくる。


「普通の人生でさ、一生の間に舞台に立てる回数って何回くらいだと思う?」

「へ? えっと……」

「ほぼ、ゼロだと思うよ」

 俺は答えを聞かずに言った。実際、そんなもんだろう。


「お客さんが入ってる会場の舞台で、スポットライトの光を浴びて立つ機会なんて、まずないはずだよ」


 合唱部員である桜井は、もう慣れていて意識していないかもしれないが――


「合唱部っていうのは、そういう舞台に何度も立つ。普通ならやりたくてもできないことが、当たり前にできるんだ」


 そのことを、少なくとも俺は合唱をやめるまで意識していなかった。初めての舞台は緊張していてそれどころじゃなかったし、その後は舞台に立って歌うのが当たり前になっていった。

 やめてから分かった。それは一生記憶に残るすごい経験なんだ、って。


「今年合唱部に付き合うことになって、俺は出られる舞台がひとつ増えた。しかも()()()()は全校生徒。うちの学校、中高合わせて千人くらいいるでしょ。一千人が注目する舞台の上に、俺たち……8人だけで立つんだ」


 背もたれに背中を預け、その舞台を目に浮かべて宙を見つめる。


「クラス展巡りは来年でも再来年でもできる。それよりこの1回……今年しかない大舞台の方がずっと貴重でしょ」


 そう、俺は危うくこの機会を逃すところだった。


「……その舞台への切符をくれたのは、桜井だよ」


 少し顔をそむけた桜井の表情は、見えなかった。


「ねえ――」

 そう言ってこちらを向いた桜井の表情は、柔らかくみえた。


「私の事、陽和(ひより)って呼んで。(てる)

 急にそう言われて、またどきりとする。どうして――


「うちの合唱部、みんな名前で呼び合うから」

 ――あ、そういうこと。


 でも、そっか。合唱部の輪の中に、入れてくれるってことか。


「分かった。これからよろしく……陽和」


 陽和は光を見つめながら、少し目を細めた。

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