第3話 その陽は輝きを求め
俺でなくてはならない理由が説明されてない。
人数不足を解決したいのなら、誰に頼んでもいいはずだ。確かに俺は部活に入っていないから使えそうにも見えるだろうが――こんな頑固に拒絶する俺より、もっと可能性のある生徒を探した方がましだろう。部活に所属していない生徒は、他にもいるんだから。
だが桜井の態度はそうじゃなかった。まるで俺以外は見えていないようだった。
どうして、俺なんかを――
・・・・・・
その答えは、予想外に悲痛なものだった。
「混声合唱を楽しみにしていた」――と。
初め俺は首を傾げたが、竹内に言われて気付いた。この学校は、去年まで女子校だった。
合唱は大まかに分けて、
女声パートのみの「女声合唱」、
男声パートのみの「男声合唱」、
そして女声・男声両方のパートで歌う「混声合唱」がある。
この学校は去年まで女子校だったわけだから、当然女子部員しかいなかった。すると女声合唱意外に選択肢はない。
ところが、今年度の男女共学化によって開学以来初めて男子生徒が入学してきた。
それはつまり、合唱部にも男子の入部が期待できるということ――だから混声合唱ができるかもしれない、ということになる。
それは合唱部始まって以来の大イベントとなるはずだった。「伝説の先輩」たる俺の母さんのいた時代でも、混声合唱はできなかった。
それは、もし叶っていれば、後の世代に語り継がれる新しい伝説になったかもしれない。
しかし現実は容赦がなかった。
部員募集のビラを配って、新入生歓迎会でも精一杯歌ってみせて新入生を誘い、練習室でわくわくしながらまだ見ぬ後輩がやって来るのをみんなで待っていた。
――そして、一人も来なかった。
期待の男子どころか、女子すらも来ない。楽しみだった混声合唱ができないばかりか、部の存続問題にまで転落することになった。
結局、合唱部の活動は今年で幕を閉じることに決まった。校内を行き交う男子生徒を見ながら、楽しみだった混声合唱を諦め廃部へ向け歩んでいるところだそうだ。
部員たちはだいぶ落ち込み、涙する者もいたようだ。しかし今は気持ちを切り替えて、コンクール以外では最後の舞台となるかおる祭へ向け、これまで通り練習を続けていらしい。
しかしただ一人、まだ気持ちを切り替えられていないのが桜井なのだという。
部長の桜井だけは、まだ混声合唱を諦められないでいる。なんとか男子生徒を引き込めないかと、同学年で副部長である竹内に相談し続けているそうだ。
その竹内が考えるには、桜井はどうも自分のことではなく部員全員を気にかけているらしい。廃部はもう避けられなくとも、せめて混声合唱だけはさせてあげたい――そう言ったことがあるという。
そしてある時、桜井は「伝説の先輩」の事を知った。
当時を知る卒業生が、たまたま部の様子を見にやって来たのだ。そういう事は、ここの合唱部では頻繁にあるそうだ。
その卒業生は伝説の先輩「海野律」と過ごした日々を懐かしそうに語ったという。全国大会の舞台に立った話を、部員たちはどこか遠い世界の出来事のように聞いたそうだ。
そしてその卒業生は、現在も母さんと交流のある人だったらしい。
その息子さんが確か、今年入学したと聞いたけれど――そう言ったらしい。
この時、桜井は急にその話に食いついてその息子の名前を尋ねた。竹内にはそれが、なんだか鬼気迫るものに見えたという。
その卒業生はだいぶ長く考えていたが、ついに思い出してその名前を口に出した。
すなわち、「海野輝」と。
・・・・・・
「それだけで――?」
確かに俺は「伝説の先輩」の息子だが、別にそれは遺伝するわけじゃない。母さんは伝説級だとしても、俺が合唱部の役に立つとは限らないだろう。実際、俺はただの冴えない高校生だ。
「……あなたに合唱の経験があるということも、把握してるの。あなたは隠していたようだから、申し訳ないけど」
「……」
そうか。
もう知ってたか、それ。
「……大した歌唱力じゃない」
俺は母さんみたいに全国大会なんて行ったことはない。
しかしそれを聞いた竹内は、少し首を傾げながら言った。
「小4から中3……つまり去年まで6年間の経験者。コンクールでは審査員から、講評欄にほぼ名指しで高評価されたことがある。そんな人の歌唱力が、大したことないの?」
……どこから漏れた情報か知らないが、よく知ってるな。
「私たちは別にいい。でも陽和はちょっと――必死、なのかな。最近少しおかしくて。たぶん、あなたに律さんの姿を重ねてる」
重なれるわけがないのに。俺が、母さんの姿になんて――
「陽和にとってあなたは特別。その気になれば、いくらでも新しい伝説を作ってくれると思ってる。あなたの考えは関係なくて、これは陽和の思い込み。今、陽和はあなたに全身全霊で期待を寄せているの」
……そんなふうに思われてもな。
でも、少しおかしい。
「でもさ、竹内。俺に対する桜井の態度は確かにしつこかったけど、そこまで必死には見えなかったよ。ちょっとうざったい程度で、追い払うと簡単に立ち去るし」
それを言うと、竹内は表情を曇らせた。今日初めて、表情が変わった。
「……陽和は、あなたの自由意思を尊重しようと言ってる」
「自由意思?」
思わずオウム返しに聞いた。
「そう。陽和はあんなにあなたに期待してるのに、強制はしたくないと言ってる。『あくまで海野くんの意思で来てほしい』って。だからもしあなたが陽和を――それこそ怒鳴りつでもして拒否したら、もう何も言ってこないと思う」
……ここまでの話を聞かせたうえで、俺に桜井を怒鳴りつけろとでも?
竹内の瞳に、力がこもった。
「私は、陽和の態度はいけないと思う」
これまで説明するだけだった竹内が、初めて自分の意見を言った。
「私は理由なんて知らないけど、あなたが入部をしなかった時点で自由意思は示されてる。合唱部に入るつもりはないと。だから私は、あなたに入ってくれとは言わない」
……うん、確かにそうだ。俺はもう合唱をやるつもりはない。だから合唱部があると知っていても、入部せずにいるんだ。
「陽和の態度は中途半端すぎ。自由意思を尊重すると言うなら、初めから勧誘しなければいい。それでも勧誘するのであれば――」
竹内は一旦言葉を切った。
「――あなたの意思なんて関係なく、無理にでも引き込むべき。勧誘した時点で、既にあなたの自由意思を曲げさせようとしているんだから」
「……」
竹内はまっすぐに俺の顔を見た。
「ここで決めて。『やる』か『やらない』か。もし『やらない』と言ったら、もう決して勧誘はしない。陽和には私から、厳しく言っておく。あなたは一言、『やらない』と言えばそれだけでいい」
・・・・・・
「……」
正直、この学校で合唱をやるつもりはない。
でも、それだと――
初めての混声合唱を楽しみにしていた合唱部は――
俺に対して、半ば信仰めいた期待を寄せている桜井は――
「……」
おそらく俺を最後の希望とみて、すがりつこうとする桜井は――
・・・・・・
「……待ってくれ」
俺は『やる』でも『やらない』でもなく……
「明日まで待ってくれ。それまでに結論を出す」
そう、言った。