第31話 その瞳の色は
小さな多目的室の中。目の前に、黙って座っている竹内。
「……」
「……」
空気が……重い。
・・・・・・
朝、登校して廊下を歩いていくと、なぜかドアから俺の教室をのぞいている竹内の姿が見えた。
何か用事だろうか。神経質そうに中の様子をうかがっている。
張りつめた様子の竹内は、俺が後ろまで来たのに気付かない。
どうしよう、教室に入れない……
もう知り合いと言っていい竹内に、声もかけず通り抜けるのはおかしい。かといって、この間言い争って険悪な雰囲気になった相手に、何と声をかければいいか。
せめてこっちを振り向いてくれれば、何かしら会話できるだろうけど――
「……」
――そうだ。
竹内は俺に気付いてない。それなら俺はそーっと退散して、しばらく待ってから、いま登校しました的な顔をして来ればいい。10分も経てば、竹内は用事を済ませていなくなっているだろう。
「……」
音を立てずに、後ろへ下がる。そっと……
「……」
――俺はその足を、2歩下がったところで止めた。
思えばおかしな話だ。同じ合唱部で、これから一緒に歌おうという間柄なのに、声もかけられないだなんて。
もしここにいるのが陽和だったなら――
「おーい陽和、おはよう」
「あ、輝。おはよう」
なんて挨拶を交わすだろう。
あるいは里奈だったら――
「里奈、おはよう。何か用事?」
「あっ、輝さん。おはようございます!」
元気に答えてくれるだろう。
愛だったら――
「愛……? どうした?」
「あー、輝さん。ほら、楽譜返しに来ましたよ」
楽譜を返しに来てくれるとありがたい。
そんな何気ない言葉を、竹内にはかけられない。同じ合唱部員なのに、同じように扱うことができない。
同じ仲間なのに――
……。
「あの……竹内?」
「ひっ――!」
竹内は身体ごとぐるんとこちらを向いて、がつんと背中をドアにぶつけた。
背後にいた俺に気付いた竹内は、目を見開いたまま何も言わない。
そうだ、これじゃあだめなんだ。
ここは本当なら「なんだ、輝か」くらい言えなきゃだめなんだ。
互いに、かけるべき言葉をかけられない。この前、あの時の言い争いで、できた溝が深いんだ。
今からちょっと話をしようか――
なんて言うのは、無理強いさせるようで嫌だけど……
でも、かおる祭まで大して時間はない。こんな関係のまま過ごす余裕は、ない。
それに――
――竹内とも、できれば仲良くしたい。
できるか、分からないけど……
「あー……竹内、この後もし、時間あったら、えっと――ちょっとだけ、話さない?」
・・・・・・
その場でうなづいた竹内と、この空いていた多目的室まで来たわけだが……
「……」
「……」
空気が……重い
気兼ねなく話せるようにと思ってここまで来たが、あのまま廊下で立ち話をした方がラクだったかもしれない。
沈黙は、どれくらい続いたか――
「……海野さん、ごめんなさい」
かすかな声で、竹内がそう言った。
この間の事を言ってるんだろう、それならもう――
「いいよ、別に。もう気にしてない」
「だめ、そんな簡単に許さないで」
……ずいぶん厳しい事を言う。それはもういいのに。
竹内はうつむいた。表情が見えないほどに。
「あの時は――海野さんが正しかった。私たちが座って話し合っている間に、海野さんは行動して、里奈を連れ戻してくれた。私たちがしなきゃいけなかった事を、海野さんがしてくれた」
竹内は膝の上に置いた手を、ぎゅっと握った。
「愛だって、海野さんの楽譜を見て、海野さんの言葉を聞いて、それで戻ってきてくれた」
その手はかすかに震え始める。
「そして海野さんを引き戻したのは、その里奈と愛だった」
握った手に、力が込もる。
「海野さんは自覚してないでしょうけど――海野さんは、大切な種を蒔いていた。それが芽を出してくれたから、バラバラになった合唱部が元に戻れた」
爪が食い込んでいるのではないか――
「竹内――?」
声をかけた俺に、竹内は首を振って話を続けた。
「私は――ひとつの種も蒔かずに、ひとつの芽も育てなかった。海野さんというひとつの芽を、引き抜いただけ」
竹内は自分の膝を見たまま、話す。
「結局、私は何もしていなかった。それでも合唱部は元に戻れた。だから、私はいなくても合唱部は――」
「待って、待って」
話の先が読めて、俺は急いでその言葉を遮った。
「その台詞最後まで言わせちゃったら、今度は竹内が出て行っちゃう流れになるじゃん。だめだよ、それは」
竹内は顔を上げたが、目には光がなかった。
「どうして……? 今の私に、なにか価値があるの?」
「うん」
俺はすぐに答えた。
「さっき『合唱部は元に戻れた』って言ってたけど――いま竹内がいなくなったら、加わったばかりの俺はともかく、他の部員はどう思う?」
竹内は目を閉じて、言った。
「別に、何ともないでしょう」
「そ、そりゃあないよ」
諦めの響きが混じった言葉に、少し慌てさせられる。
「これまでずっと一緒にやってきたんだろ? 竹内がここでいなくなったら、それはもう、みんなにとって『元の合唱部』じゃないだろう」
「……そう? 案外、すぐ慣れるんじゃない?」
――冷たい。
それもその冷たさは俺ではなくて、竹内自身に向けられ続けている。自分で、自分のこころを切り付けている。
性格――なんだろうな、これも。
陽和は頑張り屋で、そしてひとりで悩みを抱え込みやすい。
里奈はとても素直で、でも部を飛び出して行ったり、「私たちだけの合唱部」なんて事を言い出すように、意外な意志の強さを持っている。
愛は俺の話を真剣に聞いたが、楽譜を持ち逃げして返してくれず――そうやって俺を連れ戻そうとする、優しさが見え隠れしている。
そして竹内はどうしてか、こんなにも自分を傷つけていく。
まだ俺は、竹内のことを全く知らない。竹内のことが、分からない。
どうしてあの時、竹内はひとりで俺と言い争いをしたのだろう。他の誰もがやらない事を――
……。
「竹内って――汚れ役、なんだね」
「え――?」
何のことか分からない、という顔。
俺はその顔を見据えて、言う。
「あの時――言い合いになった時、俺に抗議してたのは竹内だけだった。全員の代表、みたいな? ……いや違う、みんなの盾になってた」
「そんなつもりはないけれど」
竹内は少し眉を寄せる。
俺は少し、話題を変えた。
「覚えてる? 初めて会った日」
俺の言葉に竹内は少し戸惑ったようだったが、やがて言った。
「陽和があなたを無理に勧誘してて――その事情を、話しに行った時」
そう、あの時――
あれは俺が合唱部に関わることになった、大きなきっかけのひとつ。
「あの時、陽和はちょっと中途半端な態度だった。それを見かねた竹内が――たぶん、陽和に秘密で俺に事情を伝えに来た」
「ええ。そうしたから、あなたにこんなに迷惑をかけてしまった」
淀みなくそう言う竹内。
俺はあの時のことを、少し懐かしく思い返す。
「あれ、陽和にバレるの確定だったでしょ。実際、1日でバレてたし。そして、あえて事情を知らせないようにしていた陽和と、後で喧嘩になるのは確実だった」
「ええ、それで合唱部のみんなにも迷惑をかけてしまった」
俺が楽譜をもらいに行った日だ。
「あの時、陽和と喧嘩になって言い争って、みんなにも迷惑をかける――それを分かったうえでやったんだね」
「ええ、だから私はよくない人間なの」
そうだ、あえてよくない事を――誰もやりたくない事をする。
「それを汚れ役って言うんだと思うよ、俺は」
竹内は反応を見せない。
俺はそれでも、言葉を続ける。
「あの時、陽和は竹内に裏切られたと思って、ストレートに怒ってただろう。でも竹内は、陽和を裏切ったと思いながら、言うべき事を言い返さなきゃいけなかった」
竹内の手が、また握られる。
「陽和との喧嘩、それから俺との言い合い。竹内はだいぶ泥を被ったけど――その分、竹内はいい思いできてる?」
答えるようと顔を上げる竹内に、表情はない。
「いい思いをするためにやったわけじゃないから」
「それじゃ報われないよ」
俺は首を振ってみせた。
「こないだ岩村先生が言ってたよ、部員に『自分を大切にして』って言ってるって」
そう言って、少し竹内に笑いかける。どんな顔に見えるかは知らないけれど。
「自分のこと、大切にしてよ。竹内が無理してだめになったら、つらいのは竹内ひとりじゃない。他のみんなも、同じつらさを感じるはずだから」
それを聞いて竹内は、口をつぐんだ。
竹内の瞳が、こちらを見つめてくる。その瞳を、見つめ返す。
「泥を被るのはいいけど、後でみんなに拭いてもらうまでが、汚れ役の仕事だと思うよ」
少し伏せたまぶたの向こうに見える竹内の瞳は、綺麗な色をしていた。
・・・・・・
「私の言った事……許してくれますか?」
またうつむいた竹内の、か細い声。小さな部屋の中に、吸い込まれ消えていく。
その声を、この耳で拾って――
「あれはいいんだ。なんというか……あれは、俺が言わせたようなものだし」
俺のその言葉に、竹内は首を振る。
「いえ、あれは私が自分で言った――」
「ううん、違う」
俺が言葉を遮る。
「俺が悪かったんだ。俺があんな言い方しなかったら、竹内がああ言うことはなかった。だから、その……ごめん」
言いながら、だんだん声が小さくなっていった。
「いいえ違う、あれは私が――ごめんなさい、海野さん」
「……」
お互い謝ってるな、これ。このまま続けると、たぶん終わらない。
それなら、もう――
「――もうやめようか、この話」
そう言って、俺は背もたれに背中を預けた。
「どっちが悪いとか、もういいよ。ここはもう――」
少し、肩をすくめてみせる。
「『なにもなかった』――そういう事に、しちゃおう」
竹内はあっけにとられたような顔をする。
「『なにもなかった』……?」
「そう、『なにもなかった』」
「あの場のみんなが聞いたものを、『なにもなかった』って――」
そう言う竹内に、俺は首を振った。
「みんなのことは、知らない」
そう言って、できる限り笑いかけ――
「周りはどうだか知らないけど、俺たちの間では『なにもなかった』。そういう事にしない?」
視線を外した竹内の沈黙は、長かった。
その後に聞こえた声は、今日いちばんに小さかった。
「……うん」




