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第1話 きっかけ

 5月半ば――

 新しい学校にも慣れてきて、俺はそろそろ()()()()()()()について考えようかと思っていた。

 俺は、もう自由なんだから――


 ホームルームも終わって帰り支度を始めるクラスメイトをよそに、俺は机に頬杖をついて、窓から吹き込む風を感じていた。

 放課後、どうすっかな……


 そして災厄の種は、そこに無邪気に現れた。


「海野くん、ちょっといい?」

 はい海野です。……ちょっとならいいよ。


 やって来たのは女子生徒、何度も見た顔だ。俺と同じクラス委員で、確か――桜井、といったっけ。

 肩に少しつかないぐらいの髪、愛嬌あるぱっちりとした目――明るい性格も相まって、このひと月ほどでもう男子生徒たちの視線を集めている。


 ――でも今は、それを気にしている場合じゃなさそうだ。


 俺はこないだ、早速クラス委員会をすっぽかした。そのせいで、うちのクラスは目の前にいる桜井が一人で出席した。

 実を言うと、中学3年間クラス委員を貫いた俺は、その間一度も真面目に働いたことがなかった。こんなの今に始まったことじゃない。

 だってクラス委員、意外にラクなんだよ。普段は起立とか礼とか言っておけばいいだけだし、クラスの話し合いの時は司会をもう一人に任せて書記としてボケっと立ってればいいだけだし――

 ……でもさすがにまずいな、委員会すっぽかしたのは。


 桜井は空いていた隣の席に座り、体をこちらを向けた。

 そして謝罪の言葉を探し頭をフル回転させる俺に、妙な事を聞いてきた。

「フルネームは『海野輝(うみのてる)』、でいいよね」

「ああ……そうだけど」

 なんだ、全校に言いふらして吊るし上げようとでも――?

 わざわざ確認しなくても、同じクラス委員だ。名前くらいもう知ってるだろ。俺だって――あれ、桜井の名前なんだっけ。

 桜井は急に前のめりにこちらに寄って、俺の顔をじっと見た。やばい目が笑ってない。母さんごめん、俺はここまで――

「お母さんの名前は、『()()()()()』、で合ってる?」


「……」


 ……どうして、知ってる?


 母さんの存在が知られているのは、もう当たり前のことだ。かつて母さんは妙な問題児だったらしく、学校内で起こした様々なエピソードが現在まで伝わっており、今では「伝説の先輩」と呼ばれている。

 でも俺は、「俺がそいつの息子だ!」などと自慢して回ったりなどしていない。どちらかというと迷惑なので、誰にも言わないでいる。そもそも、母さんの名前を出したことがない。

 なのにどうして、「ウミノリツ」のことを俺に聞いてくる……?

 どこかで母さんの名前を知った――それで名字が同じだから、適当に聞いてみたのだろうか? なら――


「いや、母さんの名前は……『ウミノハル』だよ」

 こちらも適当ぶっこいておけばいい。

 だが――

「うーん、厳しいかな、その嘘は。お母さんの名前、考えないと思い出せないなんて」

 だめだミスったな……


 いや、ミスとかそういう話じゃなさそうだ。これはたぶん「質問」じゃなくて「確認」。なぜか分からないが、俺と「伝説の先輩」との関係性がばれている。


 ――それを確認して、どうしたいんだ?


 仕方ない、正直に答えていこう。

「……そう、母さんの名前は『ウミノリツ』。それで?」

 桜井の口元が少しにやりとした。

「漢字は『旋律』の『律』でいい?」

「ああ」

 答えはしたが、桜井はなぜ例に「旋律」を出したんだろう。「規律」とか「法律」とか色々あるだろうに。


 母さんの名前は「海野律」。「伝説の先輩」の二つ名で知られていて、本名の方はもう忘れられ伝わっていない。20年以上前の話だから、当然だ。


 俺が正直に答えたら、桜井はぱっと笑顔になってさらに身を乗り出してきた。

「私の部活、知ってるでしょ?」

「知らない」

 即答してやった。本当に知らなかったからだが、同時に予想もついた。

 桜井はむーとむくれた。

「合唱部、だよ。合唱部」

 そうだろうな。この流れからして。


 母さんもかつてはここの合唱部にいた。「伝説の先輩」なんていうくらいだから、合唱部にも伝説のひとつやふたつ残したのだろう。置き土産が多い先輩だ。

 で、その息子の俺に()()期待して、合唱部に入ってくれと言うわけか。


「もー、そんな顔しないでよ」

 顔に出ていたらしい。

「ねーねー、海野くんもさ、合唱――やってみない?」

「やだ」

 ちょっと可愛い子ぶりながら言った桜井に即答を返す。やるつもりはない。


 桜井は眉を寄せて唇をとがらせる。

「ちょっとー、即答はさすがに傷ついちゃうよ。断るにしてもさ、もうちょっと考えてみせてよ」

 そう言って、急に上目遣いで媚びるように見てくる。

「もし入部してくれたら――私、『サービス』してあげちゃうよ?」

 いらん。そもそも何する気だ、こいつ。

「『サービス』って?」

 ちょっと聞いてみると――


「この前クラス委員会すっぽかして、私だけ出させたのチャラにしてあげる」

 それか……


「うーん、それはいいかも……」

 顎に手を当てながら答えた俺に、桜井はぱっと笑って目を輝かせる。

「それじゃあ――」

「だめ」

 桜井の笑顔がしぼんだ。が、それでもぐいっと身を乗り出してくる。

「どうしてー? せめて理由教えてよ」

 理由――?


「俺は母さんとは違う。歌うなんてめんどくさい。やりたくない」

 そう一息に言ってから、俺は立ち上がって鞄を背負った。もう帰る。

 桜井が何か言おうとしたが――お前はこんな所で油を売っている暇はないはずだろう。

「合唱部員なら、さっさと練習行きなよ」

 そう言って、俺は桜井を置き去りに教室を出た。


・・・・・・


 それだけ冷たい態度をとったのに、次の日の朝、登校するとすぐ桜井が駆けつけてきて、「一緒に合唱やろうよ!」と熱烈な勧誘をしてきた。


 さらに昼休み、下校前……俺に前のめりになって話す桜井は、妙に可愛い子ぶった所作をするので周囲の注目を引いた。急に親し気になったように見えたのか、桜井は俺と付き合い始めたんじゃないかと噂が立った。

 そりゃあ俺だって桜井と付き合えるなら嬉しいけど、癖なのか去り際に「うーん」と気持ちよさそうに伸びをする姿にはちょっと惹かれかけたけど――


 ……そういう話じゃないんだよなあ。


・・・・・・


 放課後――


「ほら、早く部活行けよ」

 俺が手でシッシッと追い払うと、桜井はしぶしぶ鞄を背負った。

「うーん仕方ない、また明日!」

 目をぎゅっとつむって伸びをして、出て行く桜井――

 ああ、「また明日」もか……


 ぐったりと椅子に沈み込んだ俺の隣に、また誰かやって来た。

(てる)、合唱部やってみない?」

 桜井じゃない。こいつ声真似すらする気ないな。

(あきら)、お前部活は?」

 今までさんざん桜井に使われてきた隣席の主、宮田明(みやたあきら)だ。

 短髪でさわやかな表情が女子の人気を呼びつつある男子生徒――悪かったなこっちは微妙な顔の中途半端なくせ毛で。「顔が釣り合わないコンビ」なんて誰が言い出したんだ、ちくしょう。


 明はようやく空いた自分の椅子に座って、俺の方を向いた。こいつ、器楽部のはずだけど今ここにいていいのか?

「いやー、俺くらい徳が高いと1時間くらい遅刻しても怒られないんだよね」

 嘘こくな。器楽部は確か文化祭――「かおる祭」で演奏するだろう。あと1ヵ月しかない。遅刻なんかしたら大目玉だろう。


 明は俺が桜井に絡まれていることをよく知っている。桜井がやって来る時に都合よくこいつの席が空いているのは、こいつ自身がそれとなく席を離れているからだ。こいつはいつも、俺のことを見物して楽しんでいる節がある。

 だからこうして、自分から出てくるのは珍しい。


 今日は何か話がある、ということか――


・・・・・・


「輝、なかなか面白い展開になってるな」

「面白くないよ」

 そりゃあ普通だったら大歓迎だ。クラスでそこそこ人気の女子生徒と仲良く話しこめるのは。

 でもなんだ、口を開けば合唱合唱――よりによって一番聞きたくない話を聞かせてくる。


 明は机に肘をついて、こちらを見据えた。

「なあ輝、桜井はどうして『今』、お前を合唱部に誘ってるのかな。体験入部期間なんてとっくに終わってるのに」

「母さんと俺のことを知ったからじゃないか? どうして知ったかは知らんけど」


 母さんの歌唱力は凄まじい。学生時代だってそれなりに上手かったろう。それでその話が、たぶん伝説扱いで合唱部に残ってるんだ。

 で、20余年ぶりに現れた「伝説の息子」に、新しい伝説を作らせたい――そんな事でも考えたんじゃないのか。


 明は表情を変えない。さわやかなその顔から、考えが読めない……

「そうかもしれないけど、なら来年誘ったっていいだろう? まだ高1だぜ?」

 そう言って肘をつくのをやめ、明はまっすぐ俺を向く。

「あの妙にしつこい勧誘――あれは絶対『今』じゃなきゃいけない理由がある。俺からしたら、あいつはなんだか必死に見えるよ」

 必死? 桜井が――?


 明はもう一度肘をついた。

「どうだ、ここはひとつ巻き込まれてみたら?」

 くそ、こいつ他人事だからって……

「お前、また俺を見ものにして楽しむつもりだろ」

「さて、どうかな」


 それで言いたいことは済んだのか、明は席を立ってすたすたと教室を出て行った。

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