第14話 いつかは君を笑わせたい
ともかく予習をしなければとシャーペンを手に取ったが、出した芯はすぐ折れた。
さっき放り投げたからな……中の芯がバキバキに折れたんだろう。
新しい芯を出そうとした時、急にスマホが大きな受信音を鳴らした。
メッセージ、相手は「桜井陽和」。
……陽和の顔を思い浮かべてみる。陽和はすぐに笑いかけてくる。人懐っこい笑顔で。
「はー……」
思わずため息が出た。
今日は色々大変だった。それにまだ、英語の予習もできてない。
思い浮かんだ陽和の笑顔に、心と身体が解きほぐされていく気がする。何の要件か知らないが、この際なんでもいい。言葉を交わしたい。
通知欄に出た陽和のメッセージを見る。
【輝、もう帰れてる?】
すぐ返信しようと、アプリを開いた。手早く書き込む。
【うん、英語の予習やってる】
そう送信してから、傍らのシャーペンが目に入った。細かく折れた芯がいくつか、ノートの上に散らばっている。
俺はちょっとにやりとして、またメッセージを書いた。
【いかんシャーペンの芯が折れた。再装填する】
そして、送信した……と思ったが――
ほぼ同時に受信音が鳴った。
陽和が送った次のメッセージと俺のが被ってしまったらしい。
【そっか、ごめんね邪魔しちゃって。がんばって!】
【いかんシャーペンの芯が折れた。再装填する】
……。
陽和の暖かい言葉と、俺のアホみたいな話が並んでいる……
陽和は俺の予習の邪魔したと思ったらしいが、別に構わない。何か話があったんだろうし、せっかくだからもう少し――
ややあって、また受信音が鳴った。
【今、ちょっとだけ時間くれる?】
うん、いくらでもいいよ。
……でもちょっとだけ、悪戯してみたい気もするな。
それなら――
【40秒で再装填(リロード)しな】
俺は有名映画の台詞をもじってシャーペンの再装填を促した。いや、再装填するのは俺だけど。
陽和、これを見てどんな顔してるかな。
「……」
……返信これでよかったのか?
今、陽和の顔は見えてない、声も聞こえてない。もし真剣な話を切り出そうとしていたなら、このふざけた言葉が陽和を笑わせることはない。
いけないと思って、急いでちゃんとした返信を書く。
【時間なら全然大丈夫だよ。とうした?】
急いで送信した。
すぐ微妙に誤字があるのに気付いたが、もう遅い。
陽和の返信は早かった。
【いい……? ちょっとだけ通話しても】
ああ、いくらでも。
俺は【OK】と送ってから画面上の受話器のマークを押した。
・・・・・・
『もしもし、輝? ……ごめんね、宿題中だったよね』
「いいよ。元々手が止まってたし」
陽和は少し黙ってから、力のない声で話し始めた。
『輝……ごめんね。私、勝手に輝を巻き込んで、それで合唱部もダメにして――』
また「ごめんね」……メッセージでもそれ言ってたよ陽和。
「大丈夫、ダメになってない。まだちゃんと活動は続いてる。俺は今日ずっと練習してたんだから」
だいぶ長い休憩時間はあったけど。
「今日でだいぶ練習は進んだ。あと2日もあれば合わせに出られる」
と言っても……今日はもう金曜、土日を挟むから合わせは実質4日後か。もどかしいな。
『ね、輝……』
消えそうな陽和の声。
『輝、無理してない? 私、輝までダメにしちゃったら――』
「大丈夫、これくらい」
俺は念を押すようにそう言った。
……陽和、今日の件でだいぶ参ってるな。
こういう事は、俺は過去6年間で何度か経験している。大変だったけど、いつも最後には丸く収まっていた。あまり気にしてもいいことはない。
「まあ、そんなに珍しい事じゃないよ。俺は大丈夫だし、部活のこともだいたい後でなんとかなると思う。あんまり心配すると損するよ?」
出て行ったふたりのことを考えても、無駄だろう。まさか捕まえて引きずり戻すなんて、できるはずがない。本人が自分の足で戻ってくるのを期待するのがせいぜいだ。
俺たちにできることは、そうやってふたりが戻ってきた時、戻って来ていい場所をきちんと空けて待っていることくらいだ。
陽和が俺の言葉に答えず黙ってしまったので、適当に話題を変えることにした。
「今日さ、岩村先生と話したけど、何というか――意外に怖いところあるんだね」
『……そうだね。普段はほんわかしてるんだけど、時々そうなる。なんだかよく分からない人』
陽和の声に少し普段の調子が戻って、ふっと気持ちがほぐれる。
にしてもあの先生、色んな側面があってどれが正面か分からないような性格してるなあ。
そういえば……あれがまだある。
制服のポケットから出して、机の隅に置いてあるあれ。
話のネタにしてしまおう。
「陽和、あのさ。俺、先生と色々話して、聞いちゃまずかった話まで聞いちゃって口止め料もらったんだけど……」
『口止め料……』
「そう、2ヵ月前の――」
「――食券」
『――食券』
「……」
『……』
『……どこの?』
「どこ、って?」
『どこのお店の?』
「駅前のラーメン屋の」
先生と同じ台詞が出てしまった……。
わずかに間があって――
スマホの向こうで吹き出す声が聞こえた。
『……ふ、ふふ、あははは! 私、牛丼屋!』
――!?
『こ、こ、琴音はね、バスの整理券……くっ、あははは!』
先生――――!
・・・・・・
陽和の笑いがおさまるまでには数分を要した。
『ご、ごめんね……私、ちょっと……』
「うん、俺もバスの整理券はちょっと可哀そうだと思った」
『くっ、ふ、ふふふ……もうやめてよ、輝』
とても楽しそうに言っている。聞いていて気持ちがいい声。
それにしても、あの先生いったい何持ってるんだ。しかも部員みんなに渡して……
あ――そうか、あれは偶然じゃなくて、用意してあったやつだ!
岩村先生のポケット、たぶん色んな『券』を仕込んであるんだ――しかも要らんやつを。いったい何を想定してそんな……
……そうか。
ツッコミ待ちだ。
くっそー、時限爆弾みたいなボケまで仕掛けてきて。今ここからツッコミになんて行けるかよ。
『そっかー、輝はラーメン屋か……ふふ』
陽和はなぜか嬉しそうに言う。
『でもよかった、私たちは一緒なんだね――食券』
陽和、これまでにないくらい楽しそうだ。明るい声や優しい声は何度も聞いてきたけど、素の大笑いは初めて聞いた。どこまでも楽しそうな声が、ずっと耳をくすぐってくる。
でも――できれば俺が、自分の言葉でこんなふうに笑わせてみたいな。
俺、ちゃんと陽和を笑わせることができるかな……。
・・・・・・
互いにたくさん笑って、もう他に話題はなくなってしまったが、何となく通話を切れなかった。
陽和も切らなかった。だから妙な沈黙が、繋がったままの通話を通して伝わり合っていた。
「……」
そうだ。
……笑わせることは、まだできないけど。
せめて喜ばせられるように、その種くらいは蒔いておけたら――
「陽和――」
『なに?』
スマホ越しの返事が、なんだか愛らしく聞こえる。
「合唱部、ね――なんとか廃部を避けられるように……もしダメでも、なんとか年度末までは活動できるように、やってみるつもりでいる」
返事は、なかった。
「今日母さんにさ、言われたんだ。後悔したくなければ、いま全力を出しなさい、って。それでもダメだったら――」
『…………だめ、だったら?』
小さな返事が聞こえた。
「それでもダメだったら、泣いちゃいなさい、って。それも含めて、高校生活なんだから、だとさ」
『……うん』
「全部自分の言葉じゃないのが悔しいけど……たぶんこれが正しいんだと思う。母さんが『伝説の先輩』なんて大げさな名前で呼ばれるようになったのも、そんな風にやり続けた結果だったのかもしれない」
『……』
「母さんと同じに、っていうんじゃないんだ。ただ、後悔したくないから全力を出す――それで行こうと思う。高校生なんて、どうせまだ子供扱いだろ? だったら母さんの言ったとおり、ダメだったら泣いちまえばそれでいいだろ」
『でも、輝の泣いてるところは、見たくないよ……』
「見なければいいよ。そのうちケロっと泣き止んでやるから」
俺はそう格好をつけた。
『だめ』
――え?
『私の見てない所で泣いちゃだめ。輝が泣く時は、私も一緒に……』
…………そう来るか。
「分かった――」
陽和がそう言うのなら。
「――それじゃ、一緒に頑張ろう」
『うん』
・・・・・・
「それじゃあ、また月曜に。おやすみ」
もう時間も遅いので、話が切れたところで俺は通話を終えようとした。
『あ……輝、えーっと』
しかし妙に歯切れに悪い言葉が返ってきた。
「陽和?」
『う、うん』
なんだろう……。
『あの、輝……今度の、月曜……その、練習のあと……』
急に声が小さくなって……言葉が途切れた。
「なに? 練習のあと?」
そう聞き返す。
『……練習のあと、また、い……に――』
う……聞き取れない。
「ごめん、いま何て?」
少し沈黙があって――
『ごめん、何でもない!』
明るい声が返ってきた。
『宿題、途中だったね。頑張って!』
いつも通りの陽和の声が聞こえてくる。
『それじゃあ、また。おやすみ』
「あ……うん。おやすみ」
つい、そう答えてしまった。




