第12話 手にしたバトン
「うーーーん…………」
先生のその声は途方もなく長かった。
「だいぶ難しいね……」
難しい……か。
・・・・・・
俺は先生に促されるままに、自分の考えを話した。
そしていま先生が言った通り、それはとてつもなく難しく、ほぼ不可能と言っていい案だった。
先生は俺の顔を見て言う。
「輝くんの言った2つの案……1つ目は、とりあえずできなくはない。だいぶ無茶苦茶なやり方だし本来なら断固反対だけど――さっきの練習の感じからすると、輝くんならまあいけそうな気はする」
俺もそう思う。なんとかいけそうではあるが、無茶苦茶だ。ただもちろん、ゴーサインが出たなら絶対にやる。
そして先生がまだ言及しない2つ目の案……こいつは俺としても成功の可能性がとても低いと思っている。ただ、もしもそれがうまくいけば、合唱部は――
――来年3月に、舞台に立てる。
先生は頭をぐしゃぐしゃ掻いた。
「とりあえず、みんなと相談してみよう。そのうえでOKが出たら、後は輝くんに全て任せる。もちろんその時は、俺もとことん付き合うよ」
それならとても心強い。この人に付き合ってもらえるのなら。
それから先生は苦々しい表情で言った。
「2つ目は……ひとまずダメだと思っておくよ。もちろん輝くんを信じてないわけじゃない。ただ限りなく不可能に近いのと――」
……?
「あのね、俺は普段から部員みんなに『自分を大切にして』って言ってるんだ。輝くん、君も大概だよ。今言った2つ目の案は、絶対に誰も手伝えない。君は孤立無援の状態で事に当たることになる」
……。
「はあ――」
先生は長いため息をついた。
「俺が教員だったらなあ……どっちも協力できるんだけど――」
「まあ、しょうがない。やれる事をやっていこう」
そう言って、先生は姿勢を正した。
「じゃあ1つ目の案に戻ろう――99年目にして初めての『男声独唱』について」
・・・・・・
「まず、分かってるね? 俺はただの指導員だから特に権限はない。部活の方針を決めるのは、基本的に部員たちだ。俺はそれに従うだけ。だから輝くんの男声独唱という案を通すには、みんなに賛成してもらわなきゃならない」
俺が提案した2案のうち、1つ目は本番の舞台で俺ひとりで1曲を歌うというものだった。
それはつまり、この合唱部始まって以来初めての男声のみでの歌唱――そして、今合唱部に男声は俺しかいない。
――だから独唱。俺ひとりで舞台に立つ。
これはインパクト狙いだ。今日出て行ったひとりが言っていた。舞台で輝く先輩が輝いて見えたから入部したと。
かおる祭の校内発表では全校生徒が演奏を聴いている。つまりそれは全ての生徒に対して歌を見せつけるチャンスということだ。
もし俺に相応の実力があれば――ひとりで千人の生徒に最高の歌声を届けられたなら、そのインパクトは大きい。「舞台で輝く合唱部員」を思い切り見せつけられる。
そしてこの学校の部活動参加は任意……だから俺みたいに部活に所属していない生徒も普通にいる。そしてそういう生徒が部活に途中から参加するのも、認められている。
だから、かおる祭でのインパクトに打たれた者が来てくれれば……千人のうち2人か3人でも入ってくれれば、合唱部はだいぶらくになる。
もちろんこの件は部員みんなの了解をとらなくては実行に移せない。そしてそれには大きな反発があると思う。
理由は単純で、部員が歌える歌が1曲減るからだ。しかもその代わりに、正式な部員じゃない俺が、ひとりで舞台を占有して1曲歌うことになる。
悪い言い方をすれば、俺がみんなから1曲奪うということだ。
だが……
「俺としては大歓迎だな、それは」
先生がそう言ったので驚いた。
「ビックリしただろうね。でも実際そうなんだ。みんなの方の問題で」
「みんなの問題、ですか?」
俺は聞き返した。
「そう。今の計画だと5曲歌うことになっているけど、指導する側からみると、正直全ての曲の完成度が低い。特に2番がある曲は、メロディーだけじゃなく歌詞まで気をつけなきゃならない。そういう問題」
そうか、もうかおる祭までの時間は長くないから――
「5曲全てを歌おうとすると、全てレベルが低いまま本番を迎えてしまう、ということですか」
「そう。みんなは頑張るつもりらしいけど、俺からするとそれはやめてほしいかな。1曲減らして、その分の練習時間を他の4曲に充てた方がいいと思う。かおる祭まではあと1ヵ月――今ならまだ間に合う」
そういう事情もあるのか。
それから先生は、ちょっと微妙な表情をした。
「でも、俺はあんまり強く言えないんだよね、それ」
強く言えない――? 指導する側が?
「曲を減らすか減らさないか――それは部の方針に関わる問題になる。部活動指導員である俺はそこに干渉しちゃいけないんだ。『指導の一環』として軽く促したりはできるんだけど、既に一度拒否されちゃってるから」
先生はそう言って、少し背もたれから身体を離した。
「でも輝くんが男声独唱を提案するなら、いい機会だ。その時一緒に、俺ももう一度みんなに言ってみようと思う。やっぱり曲は減らした方がいい」
それなら都合がいい。俺ひとりで提案するより、普段からみんなと接している岩村先生の口添えがあった方が、みんなも受け入れやすくなるだろう。
「じゃあ、次に全員集まった時に――」
……そう言って、俺はちょっと言葉に詰まった。
「――来れる人たちが集まった時に、提案してみましょう」
「……」
詰まった理由に、先生も気づいたようだ。
「……そうだね。そうするしかないかな」
とりあえず、そういうことに決まった。
・・・・・・
「あ――……っ!」
急に先生が声を上げた。いったい何が――
「休憩してたの、忘れてた――」
……今頃気付いたのか。
「練習、いくよ!」
「はい!」
長すぎる休憩を終えて、再び猛スピードの練習が始まった。
・・・・・・
『6時50分になりました。まもなく下校時刻です――』
「あ……」
「あ……」
ふたりの声が重なった。
下校の放送だ……
あと10分で学校を出なければならない。一応、昨日陽和と使った「脱出口」はあるが。
「いかんやりすぎた、輝くん片付け! 急いで!」
先生は楽譜をしまって、まだ残っていた合唱部の備品を片付けようとドタバタやり始めた。
でも「片付け!」って言われても……俺、まだ一度もやった事ないのに……
とりあえず小さいものは、楽譜の入っているカゴの中にしまうらしい。
先生は無造作に備品を手に取る。
「いいよ突っ込んじゃえー! 今度みんなに怒られれば、それで済む!」
先生は胸を張ってそう言った。
怒られるのが前提か。今度、欠席しようかな……
振り返ると、机の上に古いメトロノームがぽつんと残っていた。
どうしてか、見つめられているような気がした。
「……」
俺はゆっくりと歩み寄った。
99年間、こうして合唱部員が紡ぐ物語を見つめてきたこれは、廃部になった後どうなるのだろう。
誰かに引き取られて、全ての思い出を秘めたまま、二度と始まらない次の練習の日を待ち続けるのだろうか。
あるいはこのまま、廃品として捨てられるのだろうか。
そっと両手で持ち上げる。
意外な重さを持ったそれが、手のひらに沈み込む。99年間、そうやって歴代の部員たちの手に収まってきたんだろう。
これは、99年間のリレーを走る合唱部員が手にするバトン――
……そのバトンが今、俺の手の中に収まっている。
20何年か前、学生時代の母さんも触れたはずのこのメトロノームが、今は俺の手の中にある。
……。
……ああそうだ、母さんなら。
あの母さんなら、きっと――




