十五話
俺の目の前まで殴り飛ばされた男を見て、俺もようやく脚を止める。
「助かったシロコ」
男が気を失っているのを確認してシロコに視線を向ければ、彼女は笑顔のままズカズカと俺に近付いてきて後ろに回ってくる。
「あの………。シロコさん?」
何も言わないシロコに俺が冷や汗を流しているとガッチリとホールドされてしまう。
ここまで来て、俺は自分の末路を悟ってしまった。不意に俺を襲う浮遊感。次の瞬間には激しく脳が揺れる。
「テメー何人様に迷惑掛けてんだぁ!」
「ギャァァァァァァァ!!!」
ジャーマンスープレックス、と言っただろうか。実際に見るよりも先に技をかけられるとは思わなかった。
「ご協力感謝いたします」
俺に追いついたレストレード警備部隊長の片割れがシロコに話しかける。
訓練されている衛兵だからだろうか、二人ともそこまで息は上がっていない。
「あー………。その、この人は私の番って言うか、夫と言うか………」
「?」
不思議そうにシロコを見るレストレード警備部隊長(どっちがどっちか分からない)。そんな二人にシロコは笑顔を崩さずに告げる。
「この変態は私がキッチリと躾けておきます」
彼女の笑顔がここまで恐ろしく感じたことが今まであっただろうか。断言しよう。ない。
シロコはそれよりも、と話を続ける。
「こっちの黒ずくめの男性。誘拐犯なんです」
「誘拐犯?」
レストレード警備部隊長が眉を顰めて黒ずくめの男に視線を送る。
「はい。幸い人質は無事に帰って来ましたし被害も特にありません。あったとしたらこの人がウチの評判を落としたくらいで」
初めての頃はバリバリ男口調だったシロコが随分女口調が板についてきたな、何て思いながらふと、疑問が浮かんでくる。
「何でそんな詳しく知ってんの?」
「えー?」
最近、本当に彼女の笑顔が怖くて堪らない。圧と言うのだろうか。お前はちょっと黙っていろ、と言う感情がヒシヒシと伝わってくる。
俺は小さい悲鳴を上げてなすがままの状態で地面に寝転がる。パンツ一丁なので背中にチクチクと砂利が刺さる。
「………分かりました。では、ご主人の方は今回だけ厳重注意と言うことにしておきます。では、我々はこれで」
レストレード警備部隊長が黒ずくめの男を連行していく様子を見て、ようやく解決した、と俺が安堵のため息をついた時だった。
「その連行待ったッス!」
突如、警備部隊長の背後から声が届いてくる。
その場の全員が振り返ると、そこに居たのは案の定のチサトと、チサトの手を引っ張って走るナスターシャだった。
「これはチサト嬢。何か、この連行に異議がおありで?」
チサトから近い方のレストレード警備部隊長が不思議そうにチサトに向かって話しかける。
対してチサトの方は走っていたにも関わらず息は切れていないようだ。
「連行に異議はないッス。でも、この子が少しお話がしたいって」
チサトがそう言うと、ナスターシャが俺たちの横をすり抜けてのびて倒れている男に近づいていく。
「オジサン!」
「ん………、あ?」
千智の呼びかけに男は目を覚まして起き上がる。
「お嬢ちゃんか。なんだい?」
「ご飯美味しかった!ありがとう!」
「待て待て!どう言う意味だ?」
ナスターシャが頭を下げて男に感謝する様に俺は困惑する。
ナスターシャは誘拐されていたはずだ。恨み言を言うならまだしも、ありがとうはお門違いにも程がある。
「ターシャね!オジサンにご飯作って貰ったの!すっごい美味しかった!」
笑顔でそう告げるナスターシャを見て、俺は起き上がった男に視線を移す。複雑そうな顔をして、しどろもどろにナスターシャへの返事を捻り出そうとしている。
そんな様子を見て、俺は少しだけ疑問を持った。
「………なぁ、アンタどうしてこんな事やったわけ?」
俺の質問に男は少し考えるようにぽつりぽつりと言葉を溢していく。
「お、俺、つい一ヶ月前まで街から街への物資運搬の仕事をしてたんだよ」
「物資運搬?でも今は外はスライムで溢れててそんなのできないだろ?」
俺が口にした疑問に、チサトは呆れたように口を開く。
「だから、そう言う時のために自分達や民営の護衛ギルドがあるんッスよ!」
「こう言う事案は中々国も兵力を割けませんからねチサト嬢達には民を護る者としても頭が上がりませんな」
豪快に笑うレストレード警備部隊長。
彼の笑いを華麗にスルーしてでも、とシロコが口を出す。
「確かにちょっと長いけどスライムの繁殖期間はいつものことだし、貴方の仕事場でもその期間の損失分を補填できる金額は積まれてるんじゃ………あ」
何かに気付いて声を漏らすシロコに、我慢できなくなったのか、男がポロポロと涙を零す。
「長すぎたんだよ!スライムが減らないせいで補填する金もそこを尽きちまったらしくて俺ァお払い箱よ。再就職しようにも今の時期は何処も閑散期で雇って貰えねぇ。姉妹には女房とガキにまで逃げられちまった」
「そこまで、あのスライム達は深刻なのか?」
男の惨状を耳にして不意に言葉が出る。
だってそれはあまりにも非情で残酷で、ありていに言ってしまえば可哀想だろう。
だが、レストレード警備部隊長は表情を変えずに告げる。
「それはこの国の民の殆どに当てはまる話だ。お前だけが不幸だと思うな」
「兄者の言う通りだ。まだこのセントラルシティでは優先的に物資を運んでいるからか、然程影響は見られない。だが、周辺の街や村では物資の不足から職を失い、犯罪に手を染める者も増えている。最悪の場合は飢饉で壊滅状態だ。国も何とかしようと動いてはいるが人手も不足している」
だからこそ、きっと俺達のような存在がいるのだろう、と俺は自分の役割を再確認する。
それと共に、俺一人が何とちっぽけな存在なのかも理解してしまった。
この世界に転生して二ヶ月程。毎日のようにスライムを退治している。最近では日に1000は退治していると言う自覚もある。
だが、それでもきっとまだ足りないのだ。
「では、我々は彼を連行するのでこれで失礼します」
レストレード警備部隊長は男を立たせるとそのまま連行して行った。
「オジサン、何処か行っちゃうの?」
「そうッスね。あの人は悪いことをしようとしたらか罰を受けるッス」
「大丈夫だよ、ターシャちゃん。きっとすぐに戻って来るよ」
不安そうに男の背中を眺めるナスターシャをチサトとシロコが宥める。
「よーし!ナスターシャは無事!金も無事!一件落着したし帰るか!」
「終始地面で寝転がってたモモさんが締めると格好つかないッスね」
「それを言っちゃあお終いよ」
俺とチサトが互いに顔を見合わせて笑っていると、ナスターシャが俺の顔を覗いてくる。
「どうした?」
「モモもお外で裸だから悪い人?」
「え?」
「そうね。とーっても悪い人」
「ちょ、シロコさん!?」
「じゃあモモも罰を受けるの?」
「いやいやいやいや!モモさん悪いことしてないからね!罰受ける必要ないから!」
「そうね。罰は受けないといけないかな」
「話聞けや!」
俺の話を一向に聞こうとしない二人。最後の頼みはチサトであると視線を向けて見れば、すでに彼女は少し離れたところにいる。
「じゃあ自分は教会に帰るッス。ご協力ありがとうございましたッス」
希望は潰えた。恐る恐るシロコを見ると、何やら嬉しそうにこちらを見下ろしている。
「あの………罰と言うのはいったい何なのでございましょうか?」
「市中引き回し」
何故だろう。語尾にハート記号が付きそうな声色なのに全くと言って良いほど嬉しくない。
市中引き回しと言えば罪状を書いた物を首に掲げた罪人を馬に乗せて衆目に晒す罰の事を言うが、目の前の悪魔のような女の言うそれは違う。
「それじゃあナスターシャちゃん。いつもみたいに回復魔法をお願いね」
純粋無垢なシスター見習い、ナスターシャの修行と称して行われる公開処刑だ。
まずシロコが俺の脚を持って教会まで歩く。すると、砂利まみれの道では当然俺の背中は擦れて皮膚や肉が削ぎ落とされる。
しかし、俺の血や臓物などのグロテスクな物を公衆の面前に晒すわけにはいかない。
だから、ナスターシャの回復魔法を常時かけ続けて痛みだけを残す。
この拷問とも言える罰を考えたシロコは間違いなく悪魔である。
「それじゃあ始めるねー」
「え、頼む、ちょ、ま、ギャァァァァァァァァァァァァ!!!」
街に俺の断末魔が響き渡る。
「お、何だ何だ?今日もなんかやらかしたのかい兄ちゃん。ま、その格好見れば何となく分かるけどよ!」
「夫婦揃って中がよくって羨ましいねぇ!」
夕方だと言うのに酔っ払った人達がこの光景に野次を飛ばして来る。
俺が何かをやらかせばシロコが市中引き回しの刑に処す。セントラルシティではもはやいつもの光景となってしまった。
「笑ってないで助けてェェェェェ!!!」
と、助けを求めてみたって、いつものことだと笑顔でスルーされるし、そもそもシロコの力が強くて止めることは不可能だろう。
結局、この私刑はナスターシャが回復魔法を失敗しないことを願いながら教会に着くまで続くのだった。
そして、その日の晩………。
「ギャハハハハハハハ!!!」
「笑い事じゃないんですけど!?」
俺、ナトス様、ナスターシャ、シロコの四人(シスターのマリアンヌさんは夜も遅いので帰った)で食卓を囲んでいる中で今日の出来事を報告しているとナトス様が盛大に吹き出した。
「悪い悪い。まぁ、ナスターシャに何もなくて良かった良かった!」
「代わりに俺は背中がまだヒリヒリしますけどね!」
「これに懲りたらもう裸になるまで掛けないでねダーリン?」
わかってるよ!と食い気味に頷いて、無邪気に俺の作った晩御飯を掻き込んでいるナスターシャに視線を送る。
何処も怪我はなさそうだし、気分が悪いと言うわけでもなさそうだ。
「………そう言えば。シロコは今日何処行ってたんだ?」
ふとした疑問だった。ナトス様とマリアンヌさんが少し遠くにある土砂崩れに巻き込まれた村の救援に向かったのは二人が帰って来てからすぐに教えて貰ったが、結局シロコの用事は教えてもらえていない。
彼女からの回答を待っていると、シロコが気まずそうにご飯を食べ終わったナスターシャを見る。
シロコが何を気にしているのかを察した様子のナトス様がナスターシャに諭すように話しかける。
「………シスター・ナスターシャ。食べ終わったら何をするんだった?」
「えーと………、ナトス様の像にお祈り!」
「よし、行ってこい」
はーい!と元気よく返事をしたナスターシャが部屋を飛び出して礼拝堂へと向かう。
それを確認したシロコはコーヒーを一口飲んでからゆっくりと息を吐く。
「私、皆を助けたいんだ」
「皆?」
「うん。今も宮廷魔導師団の詰所の地下の、あの冷たい牢屋の奥にいる皆」
シロコ・イツガミ。彼女は元々宮廷魔導師団が所有していた奴隷だった。
貴族達の間では亜人、特に動物と人間の特徴を併せ持つ獣族は忌み嫌う対象らしく、奴隷として取引されていた。
そんな扱いを受けていた彼女を脚として貸し出され、なんやかんやあって手柄を立ててシロコは奴隷身分から解放された。
「私が奴隷から解放されるまで、抜け出す方法なんてないんだろうなって思ってた。でも、ダーリンが前例を作ってくれた」
「手柄を立てる………か」
語っているシロコの手に力が入る。
「さっきの事件を見て分かった。スライムの大繁殖は最悪国を滅ぼすかもしれない大問題。これを私が解決すればきっと皆解放できる」
「………………………」
俺は言葉を失った。
彼女の目的には、ではない。仲間を助けたいと言う感情は俺にも理解できる。
だが、国の存続に関わる手柄を上げても解放できる奴隷は精々二、三人と言うところであると言う前例もできてしまっていることを彼女は理解していない。
いや、おそらくそれから目を逸らしてしまっているのだ。もし解放したいならばまずこの国の亜人達への意識を変えるべきだろう。
「まぁ、頑張れよ」
絶対にそれに気付いているはずのナトス様は呑気そうに酒のつまみをつまんでいる。
それを見たら、俺も言葉をつぐむしかなかった。
しばらくして、シロコも部屋に戻り、俺が食器の片付けに立ち上がるとつまみをつまむナトス様の手が止まる。
「あ、明日オメーはノーサスんとこの神子と一緒に仕事あるから用意しとけよ」
「はーい」
食器を水に浸しながら俺はナトス様を見る。
最近の彼女は色んなところに飛び回って、大抵深夜あたりに帰ってくる。今日はまだ帰ってくるのが早い方だと言えるだろう。
「どうした?」
「え、あ!何でもないですよ!?………ただ、最近ナトス様は忙しそうだなーって」
俺の視線に気付いたナトス様が怪訝そうにこっちを見てくる。俺も慌てて視線を逸らして弁明する。
すると、ナトス様は少し笑って答えた。
「あぁ。最高神代理になったからなぁ」
「最高神代理………」
シロコを奴隷から解放することができた手柄。その手柄で手に入れた物がもう一つある。
ナトス様の最高神代理と言う位だ。この世界の三人の神様がそれぞれに転生させた神子。彼らの活躍度合いを真っ先に一定以上にすれば得られる物だ。
「最高神代理もめんどくさい仕事が多いんだよ」
そう言って一升瓶を煽るナトス様。
「でも、ここからだぜモモ」
「え?」
「最高神代理はあくまでも通過点だ。これから一年、更に世界の問題を解決し、世界の誰しもに認められて初めてオレ様は本当の最高神になれるんだ」
酔いが回ってきて饒舌になっていくナトス様に俺は水を一杯、ナトス様の座る席に置く。
「はいはい。俺はそれを支えりゃいいんでしょ?まったく、とんだ神様に転生させていただいたもんだ」
「んだと、コノヤロー!」
出会いこそある意味最悪ではあったものの、今は特段悪くない。寧ろ、少し心地よささへ覚えるのだった。
ナスターシャのお祈りが無事に終わった事を確認し、ナトス様を寝かしつけて、俺はようやく自分の部屋へと戻る。
ドアを開けた瞬間飛び込んでくるのは全体的にピンクな空間と俺のベットにちょこんと座る下着姿の高身長美少女。
「お帰りなさいダーリン」
「………何やってんの?」
最近毎晩のようにこれをやってくるシロコに俺はため息を吐きながら近くの椅子に座る。
最初の頃は結構理性と本能の間で葛藤していたが、今ではもう慣れてしまった。
「………おいコラ。誘ってんだからいい加減抱けや」
アホらし、とシロコがベッドから降りると今度は俺がベッドに座る。
口調が元に戻っていることは指摘せずに、俺はシロコに視線を向ける。
「第一、ダーリンだの番だの言ってくるけどキスして首筋噛むのがお前の言う結婚式なのか?噛み跡全然治らないし」
なーなーで流してしまっていたが、よく考えたらおかしな話だ、と俺は告げる。
するとシロコは呆れたように俺をベッドに押し倒して噛み跡に手を触れた。
「これはな、一種のマーキングって奴だ」
「マーキング?」
シロコの息が耳を擽ぐる。そのまま首筋に痛みが走って、しばらくすると口に血を付けたシロコの顔がまた視界に入ってくる。
「オレの歯型が結界的な役割をしててな、これがある限りお前の行動は手に取るように分かるし、誰の物かも示すことができる」
「こっわ!」
メンヘラ女が使いそうな手段に俺はドン引きしながらシロコを身体から引き離す。
「こう言う風に点で魔法陣を描く手法もある」
「へー」
魔法の奥深さに感心していると、シロコがベッドから起き上がる。
「それじゃあオレはそろそろお暇するわ。明日も調査があるからな。………じゃあね、ダーリン」
………結局、シロコは何がやりたかったのだろうか?
そんなことを思いながら、俺はベッドへと潜るのだった。
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