願いと対価
家に招待する、と言われて浮かれ切ったラグは勿論断るだなんて選択肢を選ばなかった。
扉越しの会話であればお付きの二人も一応いたけれど、屋根の上の時は無理だったので参加しなかったが、家に招待、となれば一応二人きりにするわけにもいかず二人もヘルミーナの家にやってくる事となった。
野郎三人を家に招き入れるとか普通に考えたらとんでもない事ではあるけれど、しかしお付きはあくまでもお付きであって、ラグを全肯定して全てを許容する役割を持っているわけではない。
もしラグがツガイの嫌がるような事を無理にでもしようとしたならば、その場合は力尽くでも止めなければならない役目を持っている。
故に、ヘルミーナは野郎三名を正直招待したくはなかったけれど、家に招いたのである。
「飲み物とかどうしようかなと悩んだんですけど、水でいいですよね?
本当だったら家の裏に大量発生していた青虫をすり潰してそれにしようかなとも考えたんですけれど」
「お構いなく」
「あぁ、水が一番だな」
お付き二名は即座に答えた。
元々最初の出会いからしてヘルミーナがラグに対して好意を持っていないというのはわかっていた。
ましてや彼女がこうして生まれ変わる前、その時にラグによって無理矢理連れ去られて挙句命を落とした事を二人は知っている。
「そうですか? 青虫の体液、手間暇はかかるだろうからおもてなしとしてはこれでいいんじゃないかなとも思ったのに」
「いやぁ、本当に気を使わなくていいぞ」
「そうだな。やっぱ水だよな」
ヘルミーナが最も嫌っているのがラグである、と二人はわかっている。
望みがないのもわかっている。
けれど、ラグがどうしたって諦めきれない事もわかっていた。
そうでなくとも、豹獣人の方はツガイを失っているのだ。
だからこそ、一度失った相手が再び目の前に、となればそう簡単に諦められるはずがないと痛いくらいに理解していた。
自分だってきっと、また目の前にかつて愛した人が生まれ変わって現れてくれたなら、もう二度と離すものかとなるに違いないのだから。
それはそれとして、そのとばっちりでヘルミーナが獣人全体をよく思っていないのもわかっている。だが青虫の体液は流石にない。貴重なたんぱく源ですよ、とか言われても生憎と二人とも昆虫食を嗜むタイプではなかったので、とっても遠慮したかった。
青虫汁か水の二択なら、そりゃあ水を選ぶに決まっている。
いくら手間暇をかけていようとも、結果出されるのが青虫汁とかそんなものに手間暇をかけるなと言いたい。
まぁ、一応事前に確認をとってくれるだけ温情なのだろう。きっと。
しれっと青くてどろっとした液体がコップに入って出てこなかっただけでもマシだ。
明らかに潰れた青虫の原型が分かる形で出すのではなく、手間暇をかけるとなればそこら辺わからないようにやるのだろうな、ともわかってしまった。
うわぁ、と内心でドン引きである。
いくら運命とはいえホントにこの人でいいんですか? という気持ちもよぎる。
とはいえ、流石にそれを口に出すわけにはいかなかった。他人から見たら明らかにどうかと思う相手でも、運命のツガイからすればどうしようもないほどに愛おしい最愛の存在なのだから。
あと、自分の運命が他人に悪く言われたらよっぽどの事がない限りカッチーン! となって争いごとになりかねないので、余計な事は言わぬが吉なのである。
キンキンに冷えた水は、普通に美味しかった。
ちなみにヘルミーナだけは、お茶を淹れていた。これっぽっちも持て成そうという意思がない。だがしかし、この時点でお付き二名はそんな事とっくに「知ってた!」となっているので文句など出るはずもないし、ラグはそもそも家に招かれただけでにっこにこだった。
正直ちょっと不憫にも思える。
「色々と考えたんですよ」
最初に切り出したのはヘルミーナだった。
ラグは招かれたのにそういや手土産とか持ってこなかった! と今更のように思い出して内心慌てていたけれど、それに関しては後で改めて、と考え直していた。困ったことにここ一月、ラグは最愛のツガイと会話し交流を重ねていたけれど、思い返せばヘルミーナが好きな物は何一つとしてわからなかった。今日、せめてここでそういった話もできたらいいな、なんて浮かれていたのだ。
好きな物さえわかれば、ラグにしてみれば後は簡単な話なのだ。
どこにだって、飛んでいけばあっという間なので。
家の外に出ている時は大体用事があるから関わらないで、ときつく言われた事もあって、本当に遠目で眺めるだけだった。それしか許されていなかった。
けれども、諦めずにコツコツと対話を続けた結果、こうしてようやく家の中に招かれて、顔を見て話ができるくらいになったのだ!
悲しい事にラグはそう信じて疑っていなかったし、それ故にヘルミーナとの心の温度差なんて気付く気配もなかったのだ。
仮に気付いていたとして、果たして何かが変わったか、と聞かれればとても困るのだが。
「そちらは私の愛がほしい。前からそう言ってましたよね」
「あぁ、それは勿論。我らは運命なのだから」
「でも、不公平だと思うんです」
「え?」
だってそうでしょう? とヘルミーナは小首を傾げる。
そんな動作も愛らしいな、なんて思いながらラグは考えを巡らせた。
運命で、最愛なのだからラグの愛は勿論ヘルミーナのものだ。誰がなんと言おうとも。
そして、運命であるが故にヘルミーナの愛は自分に向けられる事が正しい。
ラグの考えはそうだった。
だがヘルミーナが続けた言葉はラグが思っていたものとは少し違った。
「貴方は結局私の願い事なんて叶えてくれなかった。それなのに、自分の願いは叶えてもらって当然、というのは違うと思うの」
貴方が私のお願い事を叶えてくれるのならば、私は貴方を愛しましょう。
続けられたその言葉に、ラグはわかりやすく飛びついた。
最愛のお願い事だなんて、叶えるに決まっている! 何だって言ってほしい。そうして喜んでもらうのは、自分にとって最上の喜びでもあるのだから!
この村にきて、初めてラグはわかりやすくそんな気持ちを顔に出した。なんだったら頬は仄かな興奮で紅潮すらしている。その瞳は、初めて運命であり最愛のツガイによるおねだりという事もあって、いっそ星のように煌めいてすらいた。
そう、ラグの想いがようやくツガイに届いたのだと。
お互いに向き合う時がきたのだと。
そう、思っていたのである。
「それで、一体何を願うつもりなのだろうか?」
一月ほどの短い期間の交流の時に、今世のヘルミーナの両親も既に亡くなっている事は聞いていた。
というか、そもそも家の中から外に出てくる人物がヘルミーナしかいなかったし、他に誰かの気配を感じる事もなかったので彼女が一人暮らしである事はとっくに知っていた。
ただ、それでももしかしたら、仕事か何かで他の場所にいる可能性もあったし、だからこそラグは念の為に確認したのである。
答えにくかったら答えてくれなくても構わないのだが……と、前世のヘルミーナからすると驚くくらいに気遣いのある前置きから、ご両親は? と尋ねてきたのだ。
親の了承も何も得ず故郷から強引に連れ去った人物とはとても思えないくらいの変化である。
病で倒れた、と返せばでは新しい家族に自分が今度こそ、というような事は言わなかった。
ただ、そうか……すまない、と本当にそこらの人間のような反応をしたので。
ヘルミーナもその時はそれ以上何かを言う事はなかったのだけれど。
まぁそれはそれ、これはこれである。
ヘルミーナは今日、全てに決着をつけるつもりでいた。
彼の出す答えがどういったものであろうとも。
それでもどちらにしても終わりは今日やってくる。そう確信していた。
「そうね、欲しいものがあるの。それをくれる?」
「あぁ、君が望むならなんだって」
そう言って微笑むラグの顔は、愛しい者へ向けるものだ。その目にはひたすらに愛しいという感情があって、その会話も含めるとどこにでもいる恋人同士のやりとりのようにも聞こえてくる。
ただ、そのあまりにもありふれたどこにでもいるだろう恋人のようなやりとりが。
お付きの二人には何だか奇妙に思えたのも事実であった。
お付きの二人は宿に帰ってきたラグから、今日はこんな話をした、あんな話をした、というような事を聞かされていた。
本来ならば付き従ってその場で聞いている内容のはずなので、それを伝える事は何も問題がない。
ラグはかつて、人間もそれ以外の異種族も、獣人たちと同じような常識の中で生きているものだと思い込んでいたけれど、しかしお付きの二人はそうではない。
獣人たちとの争いが終わった後になって、そうしてようやく獣人以外の種族との歩み寄りが少しずつ開始された後の生まれだ。
それ故に、当時の獣人のような意識は――全く、と言い切れないのが困りものだが、まぁ持ってはいなかった。一応人に寄り添った考え方もできる。
だからこそ、ツガイと歩み寄るべくして設けられた対話の機会、その内容を二人は一応知る必要があった。仕事である。
そうしてどんな話をしたのか、またその内容に相手を不快にさせるような何かが含まれたりはしていないか。
そういうものをチェックしていたのである。
ラグが偽りの内容を報告する可能性も絶対にないとは言い切れないが、しかし上手くいくかどうかの瀬戸際だ。人間寄りの意見を出せる相手の言葉を無視して、またかつてのような失敗をする事を考えるなら内容を偽ったところでラグには何の得にもならない。
だからこそ、余計に不安しかなかったのだ。
だってこんな風に家に招き入れてくれるような、そんな親しさを得たとはとてもじゃないが思えなかったので。
ヘルミーナが何かを企んでいるのではないか? とすら思えた。
ただ、仮に彼女が何かを企み、ラグを排除しようと考えたとして。
人と比べると圧倒的に頑丈な竜人だ。人としても、その年頃の女性としても恐らく平均的な力しか持ち合わせていないヘルミーナがどうにかできるとは思えない。
たとえナイフを持ち出してラグに向けて振り下ろしたところで、そのナイフが竜人を殺すために作られたものであるならともかく、普通に食料を切るためだけのものであるならラグに傷をつける事すら難しい。むしろ普通のナイフなら突き刺そうとした時点でナイフの方がぺきっ、と軽やかな音を立てて壊れると思われる。
だからこそ、お付きの二人はヘルミーナが何を言い出すか、予想もつかなかった。
そしてその答えはすぐに知る事となる。
「貴方のその心臓を下さい」
先程までの、少しばかり浮ついたような声とは打って変わって、地の底からこちらを見上げるような声だった。暗い、暗い水の底から月を眺めているかのような、じっとりとした声だった。
お付きの二人は一瞬知らぬ間に古井戸の底にでも落ちたのかと錯覚した程だ。
寝ようとして、完全に眠りにつく直前で階段から足を踏み外したかのような錯覚を覚えてビクッと身体を跳ねさせるような、そんな動きを無意識に二人同時にやらかしていた。
耳が知らず後ろへぺそっと倒れそうになる。
ただの人間が……それもまだ年若い女性が出していいような声ではない。
地獄に住まう亡者のような声だった。
そのあまりにも湿度の高い声に、最初言われた内容をお付きの二人は理解できなかった。
今、なんて? と聞き返すよりも先に、
「是非とも貴方のその手で、抉り抜いて下さいな」
更なる言葉が追加される。
理解が追い付かない。
けれども、理解しなければならない。
今、目の前の女は、運命のツガイである相手に、自害せよと告げたも同然だった。
自分の意思で心臓を抉り出して、そしてそれを捧げよと。
いくら運命で最愛の相手の願いであっても、流石にそれは……とお付きの二名は思ったし、流石に冗談としても性質が悪すぎると思った。だから、流石にそれはちょっと、と窘めようとしたのだが。
「だって不公平じゃない。貴方のせいで私は一度死んだのに。どうして貴方は生き続けているの?」
言い分としては無茶苦茶だ、と思えなくもない。けれども、ヘルミーナの気持ちに沿って考えるなら、その言い分は無茶苦茶だけども、何の突拍子もないものでもなかった。
その言葉に、豹の獣人は紛れもなく幻想を聞いた。
かつての最愛、既に失われた命。
もし、彼女が。
新たな生を受けて自分の前に現れてくれたのであれば。
今度こそもう離さないと固く誓うだろう。
けれども、そんな最愛に、何故まだ生きていて、生まれ変わっていてくれなかったのか、と言われたら。
このままでは貴方が先に寿命を迎えてしまうわ、どうして一緒に死んでくれなかったの? などと言われてしまったら。
有り得るはずがない。あるはずがない。
けれども、確かに彼女の声で、豹の獣人はその言葉を聞いたのだ。
今度は貴方が先に置いて逝くのね……なんて言われたら。
そうだ、最愛が死んだ時点でさっさと死んで、次もまた共に生まれ変わろうと思うべきだったのだ。
そんな風に思ってしまった。
実際に豹獣人の最愛がそんな事を言うかどうかはさておき。
けど、もし言うのであればそういう風に言うのだろうなぁ、と思ってしまったのだ。
熊の獣人はそういった幻聴はなかったけれど、しかし目の前の光景がなんだか異様なものに見えてしまって、困ったことに場の雰囲気に完全に呑まれてしまっていた。
「ね? お願いよ」
ヘルミーナが笑う。
蕩けるような、ラグが今までで一度も見た事のない最愛の笑顔だった。
自分で自分の心臓を抉り出せ、なんて頼み、普通なら聞くはずがない。
いくら君のためなら死ねる、なんて常々愛を囁くように言ったとしても、実際本当に死ねるかどうかはその時にならないとわからないのだ。
ラグだって、最初流石にそれは、と断ろうとした。
確かにヘルミーナの前の人生を台無しにした、と言われてしまえばそれは否定できない。
けれど、では。
ここで自分が死んだとして。
果たして本当に彼女は自分を愛してくれるのか? という疑問が芽生えるのもまた当然であった。
口先だけなら何とでも言えるのだから。
けれど。
心臓をねだるその口が、その表情が、今までラグが一度も見た事のないような、それこそ本当に愛しい者に向けるようなものだったので。
これを断れば、彼女はもう二度とこんな表情見せてくれる事はないのだろう、と悟ってしまった。
それどころか断れば、きっと明らかにガッカリした顔をしてもう二度と顔を合わせてくれなくなるかもしれない。
そう思えるだけの何かが。
確かにそこにあったのである。
だからこそ、ラグは断ろうと思ったはずの言葉を飲み込むように、開きかけた口を閉じて覚束ない動きではあるが自らの手を心臓へ向けたのである。
まるで、灯りに誘われる虫のようだった。