私が死んだ後の彼
どう聞いても失礼としか思えないヘルミーナの発言に最初に苦言を呈したのは、果たしてお付きの豹っぽい方か、はたまた熊っぽい方か、ヘルミーナからすればどうでもよかった。扉越しなので姿も見えていないし。
ただ、事あるごと、会話の合間合間でラグに向けての「貴方の事が大嫌いです♡」という気持ちを隠す事なく言葉にしていたら言われただけで。
けれども。
ヘルミーナにとってそんな相手の苦言など、どこ吹く風である。
「はー、獣人ってやっぱクソ。いい? 今新しい生を受けたからって前の人生でやられた事がチャラになったわけじゃないんだわ。
こいつが私の前の人生で仕出かした事は、人間の世界では普通に犯罪なの。犯罪者に友好的に接するのは、同じ穴の狢で後ろ暗い犯罪者とかそういうやつなの。まっとうな人間はむしろ犯罪者とは関わりたくないの。おわかり?
っていうか、それでもいやいや会話をしてあげてるんだから、感謝こそされても文句言われる筋合いないわよ。
文句をどうしても言いたいっていうのなら、故郷も家族も友人も全て奪われた前の私と同じ状況になってから言いなさい。流石に命まで奪われてから言えとは言わないわ。
で? 文句がおありかしら?」
扉越しとはいえ、殺意の滲んだヘルミーナの言葉に。
お付きの者は「いいえ何もないです」としか言えなかった。
お付きの二人からすれば、ラグは尊き存在である。そのラグに、やめろと小声で制された事もあってそれ以上ヘルミーナに突っかかるわけにもいかない。
そうでなくとも獣人だってツガイを奪われるような事になれば怒り心頭になるし、ツガイでなくとも家族や友人を奪われたとなれば普通にブチ切れる。
故にヘルミーナにだけ我慢を強いるなどできるはずもない。
そんな事を言えば余計にヘルミーナの態度は獣人死すべし慈悲はない、という方へ傾くに違いないのだから。
お付きからすれば、どうやら運命のツガイらしいラグの相手だ。
どうにか二人を顔を合わせた状態で話をしたりして歩み寄って欲しい気持ちはあるのだけれど。
外野がそれをやいやい言ったところでヘルミーナが素直に頷くはずもないのは、彼女に関わってまだ短い時間だけれど充分に理解するしかなかったのである。
話をしていたのは、ほんの十分程度だろうか。
その十分で普通なら心が折れそうになるくらいお前の事が嫌いだよ、という意味合いの言葉を言われたものの、それでもラグはどうにか耐えきった。
十分で会話が終了したのは、完全にヘルミーナ側の都合である。
「ご飯もまだだしこのあとやる事あるんで」
という一言で会話を打ち切ったのである。
どのみち、このたった一度の会話だけで全ての関係を断ち切れるとは思っていなかったし、どうせ下手したら昼とか、明日にもまた来るんだろうなぁ……とヘルミーナは知っていたので。
獣人たちが運命のツガイを見つけたからとて、無理矢理攫ったりはできなくなった。
とはいえ、相手を口説き落とすべく当面の間交流を深めたい、と申請すれば関わる事は可能なので。
そういった書類を申請する場――役所が近くに無いのなら数日時間を稼げたかもしれないが、困ったことに小さな村でも一応役場はあるのだ。
なので、昨日の時点でラグは役場でそういった書類を提出してきたのだろう。
お互いの仲が決定的にどうしようもない、と周囲が見てもわかるくらいに拗れてしまえばそれ以上の交流も無理に、とは言えなくなるが現時点、ヘルミーナは確かにラグの事を嫌いに嫌いまくっていても、周囲から見れば出会って間もない状態なわけで。
今はまだ、突然のツガイというものに混乱していると思われていてもおかしくはない。
前世云々はヘルミーナとラグ、そしてお付きの二名くらいしか把握していないだろう。ヘルミーナだって前世の記憶を思い出したからとて、その話題を村の人たちに提供したわけじゃないのだから。
毎日のように嫌いだと言い続けていたら、そのうち諦めてくれないかなぁ……と思う気持ちと、諦めてくれなかったらどうしてくれようか、という気持ちと。
積極的にどうにかして終わらせたいというのもあるし、それとは反対に面倒だからなぁ、という消極的な気持ちとがどうにもぐちゃぐちゃに存在していたのである。
ま、とはいえ。
まかり間違っても絆されたりはしないだろうな、というのだけは確実だった。
さて、そんな感じで次の日も、そのまた次の日もラグはヘルミーナの家にやってきた。
とはいえヘルミーナだって暇ではない。採ってきた薬草の調合をしなければならないし、その下準備だとかは中々に手間がかかる。
作業によっては二階の部屋でやる事もあるので、あんた飛べるんなら屋根の方に回って、と言って二階で作業をしながら、窓をちょっとだけ開けて声が聞こえる程度には妥協する。
ラグも言われたとおりに羽を広げて屋根の上に座って、そうしてそこでぽつぽつと会話をしていた。
屋根の上だとお付き二名は行って行けなくもないが、最悪建物が壊れる可能性を考えて二人は早々に宿へと引き返したらしい。
お付きの意味、とは?
と思ったが、まぁ普通に考えて竜人は他の獣人たちの中で段違いで強いのだから、こんな辺鄙で面白さの片鱗を見せるような愉快な事件が起きるでもない平和な村で一人にしたからとて、命の危険に陥る事はないだろうと判断しても間違ってはいない。
扉越しよりも、窓をちょっと開けた事でヘルミーナの声がよりハッキリ聞こえる屋根の上はラグにとってお気に入りになったらしく、それから彼は話をしに来た時はすっかり屋根の上が定位置になった。屋根の上が定位置なので、お付きはすっかり来なくなってしまった。
お付きの意味、とは?
とまたも思ったが、まぁあの二人が村に滞在している間はその分宿の稼ぎもあるわけだし、金蔓だとヘルミーナは考える事にした。
別に一日中話をしているわけでもないが、短くても十分ほど、長くても三十分、といった本当に短い時間だ。
一時間以上話をした、という日は今のところない。
そんな短い時間の中で何を話したかと言えば、ヘルミーナが死んだその後の話である。
当時、ラグは竜族の長の息子としてそれはもう大切に大切に育てられてきた。
当時の獣人たちはそれぞれの種族ごとに分かれていたのだとか。前世のヘルミーナはそもそも獣人に詳しくなかったし、攫われる前もそう関わる事がなかったのでへぇそうなんだ、くらいの認識だった。
とはいえ竜人たちの数はそう多くはない。だからこそ、彼らに仕えたいという獣人たちが彼らの里にはいたらしい。
そう言われてもヘルミーナの記憶にはない。
もしかしたらいたかもしれないが、精神的に不安定になっていたヘルミーナが正確に覚えているはずもなかった。
大切に大切に育てられてきたからこそ、彼は基本的に大抵の事は自分の思い通りになっていたらしい。
だからこそ、そろそろお年頃だし運命のツガイとか探しにいっちゃおうかな、みたいな軽いノリでもって彼は里を出たのだとか。
里、って言われてもあのやたら高い山の上のお城みたいなのがそう、と言われるとヘルミーナとしてはそっちの方に違和感があるのだが。なんというか、里という言葉からどうしても陸続きな印象が強い。下手したら雲の上だったぞあの城。
そこからばびゅんとひとっ飛びで地上のあちこちを移動して、そうして運命のツガイを見つけてしまったわけだ。ラグにとっては幸運で、前世のヘルミーナにとっては地獄の始まりである。
運命を見つけて、今の今までほとんどの事が思い通りになっていたからこそラグは早速ツガイを連れて家に帰ってきた。
ところがツガイは自分を拒絶するばかり。家に帰して、家族に会いたい。そんな訴えを何度も繰り返す。
家はここで、家族にはこれから自分がいるのだからそれで問題ないだろう、そう告げてもツガイは泣くばかり。
急な環境の変化にまいっているのかもしれないな、と思って少しばかり様子を見ようとしていたけれど、食事は摂らないしラグが近づこうとすれば近くにある物を手当たり次第に投げつける。別にぶつけられてもラグにとっては痛くもかゆくもないけれど、拒絶される事は悲しかった。
日に日に弱っていくツガイ。
どうにかしたくて、その日ラグは再び地上へ向かって、ツガイへ何か、贈り物をしようと考えた。
そうして贈り物を手に入れて、帰ろうとしたそこで、見てしまったのだ。
地上へ落ちていくツガイの姿を。
勿論助けるべく彼は今までで一番速く飛んで移動したけれど。
間に、あわなかった。
あとほんの数メートルというところで、伸ばした腕は届かないまま、ツガイは地上に落ちたのだ。
骨が砕けるような音。肉が衝撃で裂けて赤が広がっていく。
まるで、熟して腐る直前の果実のように呆気なく潰れてしまったのだ。
目の前でツガイに死なれて、ラグは発狂した。取り乱して、死体に――肉塊と言った方がいいかもしれない――縋りついて泣いて叫んでどうにかしようと飛び散った肉片をかき集めようとして。
鳥の獣人である従者が止めるまで、ラグはそうしていたのであった。
それを聞いてヘルミーナが思ったのは。
ふぅん? 目の前で愛するツガイに死なれたんだ。へぇ? ざまぁ。
という、なんとも血も涙もない感想であった。
しかもギリギリで助けられなかったとか、いいタイミングでしたね、ととてもにっこりである。
これで助けられていたら、前世のヘルミーナの地獄はまだ続いていたのだろう。
ツガイに死なれた獣人は、衰弱したり発狂したり、はたまた後を追って死のうとしたりする、というのは聞いていた。
ラグの話だとどうやら彼もまた後を追って死のうとしていたようなのだが、彼の家族はそれを許さなかった。許さない、というよりは死んでほしくなかったが故の行動だろう。
ラグが身動きできないようにして、身の回りの世話をしながらも長い年月幽閉していたらしい。
ツガイがいない間、彼の精神はほぼ死んだも同然であった。
その間にどうやら色々と我慢の限界がきた人間種族と獣人以外の異種族たちによって獣人たちとの戦争が起きたらしいが、その間もラグの世界は静かなものだったらしい。
そこら辺は終わってから聞かされた話なのだとか。
そうして、色々と獣人たちと他の種族との約束事ができて、少しずつ獣人たちとの関係に変化が訪れるようになって。
ふ、とラグは今まで何にも心を動かさなかったのに、まるで水面から顔を出した時のように本当に突然、意識がクリアになって緩やかではあったが拘束を解いて、部屋から出たのである。
それについて、ラグの父はもしかしたら新たなツガイが生まれたのかもしれない、と言った。
新しい運命。
そう言われてもまだピンとこなかったけれど、今までのような喪失感が胸の中から消えていたのはそういう理由かと納得もした。
今すぐ飛び出して運命のツガイを探しに行きたかったけれど、しかしラグが幽閉されていた間に変わった出来事を説明しなければ、最悪やらかして今度もまたツガイと引き離される可能性がある。
だからこそ、ラグの父はそれらをじっくりと説明していった。
人間たちと獣人たちの戦争に、竜人たちはほぼ参加していなかった。
理由は簡単。
彼らの里は人間がそう簡単に行ける場所ではなかったし、またラグの事で色々と大変だった竜人たちはわざわざ地上に降りて何かをしようという程暇ではなかった。
もし、竜人たちもこの戦争に参加していたのなら、結果は変わっていたかもしれない。
けれど、獣人たちは別に竜人相手に恨み言を言うほどではなかった。
戦争に参加しなかった事に関しては多少思う部分もあったかもしれないけれど、しかし獣人側が不利になった事で作られた条約は竜人たちにも該当する。
後になって文句を言うくらいなら最初から参加して勝利してこっちの有利な話にもっていけば済む話だった。
ある程度決着がついてから今更のように竜人たちが暴れたとしても、その上で彼らが勝ったとして、その場合は間違いなくお互いの間に盛大な溝が深まるだけだった。
そういう意味では、竜人たちが参加しないままだったのはある意味で良かったのかもしれない。
竜人が改めて参加してまたも世界を巻き込んだ戦争に、なんてなれば、もうどちらが勝っても獣人と歩み寄ろうなんて思う者はほとんどいなくなるだろう。
竜人たちもそれくらいは一応理解している。
そうして、父から色々な話を聞いて、それから人間たちについても聞く事になった。
獣人以外の種族はツガイだとか、そういったものが出会った直後に判明するわけではないのだと。
そんな今更な事を本当に今更になって理解したのである。
運命に出会ってテンション上がりすぎた獣人たちは、どうして相手が自分を拒絶するのかわからなかった。冷静に落ち着いて話し合えばもっと早くに根本的な部分に気付けたかもしれない。
けれども。
戦争が始まる以前、獣人たちはそれぞれの種族で集落をつくっていたのもあって、情報の伝達はまばらで全体的に広まったりはしていなかった。
だからこそ、運よく話し合って理解できた獣人とそれ以外の種族のツガイもいたけれど、どうしてうまくいったのか、だとか、そこら辺ほとんど上手く伝わっていなかったのである。
戦争が終わりを迎えた頃、いくつかの集落は潰されて、いくつかの里は破壊され。
そうして住処を追いやられた獣人たちも大勢いた。
結果として竜人たちが居を構えていた山の麓周辺に集まる形となって、そこが獣人たちの国となった。
強者が統べるのであれば、王、と呼べるのは竜人たちになる。
戦争に参加しなかった事に不満を持つ者もいたようだが、しかし強さという点では確かなのだ。
獣人たちを統べているのは、ラグの父親なのだそう。
えっ、てことはこいつ王子様なの? うわぁ。
ヘルミーナは内心でドン引きである。
里だのなんだの言ってた時は精々族長の息子とかそういう肩書だったのかもしれないが、王子と言われると途端になんかこう……うわぁ、という気持ちにしかならない。いや確かにツラは良いので王子様と言われればそれっぽい感じはするのだけれど。
だがしかし、王子が人間の娘を誘拐して城に監禁、とかもうどうしようもなさマックスである。当時はまだ王子じゃなくても腐敗しきった王国の気配しかない。
将来的に父の跡を継いで彼が王になるかもしれないのか、と考えると大丈夫か? とも思ってしまう。余計なお世話だろうけれど。いくらツガイがヘルミーナであろうとも、彼女はどこまでも他人事であった。
まぁ何かそうなる前に色々とごたついたりもしただろうけれど、いちいち個人の心情だとか事情だとか全部汲んでいくわけにもいかないだろうし、それら全部をラグが把握しているとも思えない。
「私が死んだあと、私の故郷がどうなったかとかはわかる?」
「……すまない」
「あぁ、そう。やっぱお前くそ野郎だよ」
まぁツガイに目の前で死なれて?
後を追おうとしたけど身内に止められて?
お部屋に動きを制限される状態で幽閉されてたわけだし?
そりゃあ私の故郷に赴く余裕はなかっただろうね、とは思う。
しかもよくよく聞けばどこの村から攫ってきたかもラグは覚えていなかった。
ただただ飛び回って、何か人間の住んでるところがあるなぁ、あっ、ツガイの気配! となってそのままの勢いで乗り込んだので、どこの大陸のどの村だとか、そういうのぜぇんぶすっ飛ばしていたようなのだ。
じゃあ前世の家族や友人たちは、私が最後どうなったかを知らないままだったって事か……とヘルミーナも何となく申し訳ない気持ちになった。悪いのは全面的にこの誘拐犯だが、前世のヘルミーナの両親とか、娘はどうなっているのかと心配しながら生きていったわけだ。死ぬまで。
前前世のヘルミーナは家族との折り合いがそこまでよろしくなかったから学校とか必要な時は外に出るけどそれ以外の時はほぼ家の自室にこもりっぱなしだったし、成人してからはさっさと家を出て一人のびのび過ごしていた。
けれど前世は家族仲は良かったほうなのだ。
前前世の両親ならヘルミーナがいなくなろうともあまり気にする事はなかったかもしれない。精々犯罪とかやらかしてないか、とかそういう心配はしたかもしれないが、その後は失踪届だけ出してハイ終了。
間違いなくそうだと断言できる。
けれども前世の両親はそんな風にドライに割り切れるタイプではなかった。
友人たちだってそうだ。
間違いなく前世の友人たちは生まれ育ちが前前世であったなら、自分が死んだらパソコンの中のデータを何も見ないでオールデリートしてくれ、とかいう約束をお互いにしたであろうくらいには仲が良かったので。
そんな、大好きで大切だった人たちの心に最後まで重しを抱えさせてたとか大変申し訳なく思ってしまう。
そして元凶は窓の外、屋根のところにいる。
そう考えると今日も殺意が漲るなぁ!!
なんて怒りに身を任せ、ヘルミーナは採取してきた木の実をごりごり砕いたのであった。やはり怒り……怒りの力は侮れない……!