切れない手紙
「おい、そこの兄ちゃん。ちょっとこっちに寄っていっておくれよ」
小学生の僕は田舎のおじいちゃん、おばあちゃんのお家に遊びに行ってる時にお使いを頼まれて、とある古びた商店街をさ迷っていた。
そんな中、全体的に薄汚く、見るからに怪しげな古い木造の商店から、中年のおじさんのような『がらがら声』で僕を呼んでいるのが聞こえた。
不気味さは感じたものの……恐る恐る声のする方へと近づいてみると……
……そこには、髭を顎下や鼻の下にモサッと生やした、見るからに怪しげなおじさんが佇んでいた。
「僕に何かようですか?」
そう僕がおじさんに問いかけると……。
「僕、これを買ってくれんかね?」
「何これ?」
「見て分からんか? 手紙だよ」
それは何の変哲もない茶色い封筒に、茶色い紙が1枚入った本当にただの手紙だった。
「何か書いてるの?」
「いいや。なにも。これから書くためのもんだからね」
「そうなの? いくら?」
僕は恐ろしさと好奇心の間で揺らぎながらも、謎の商店の店主のおじさんとのやり取りを続けていた。
「千円だよ」
「高いしそんなのいらないよ」
当然の答えだった。何の変哲もない、ただの手紙一枚で千円もするなんて、小学生だった子供の時でも相場よりもお高い事が目に見えて分かっていた。
それに小学生のお小遣いで購入するにも普通に高すぎる値段でもある。
「そう言わないでよ。これは普通の手紙に見えて普通の手紙じゃないんだ」
「うん? どういうこと??」
「これはね特殊な力が宿っている手紙であって、何があっても、どうやっても切れる事の無い手紙なんだ」
「ふーん。そうなんだ」
おじさんの説明を受けても僕の心は全く揺れる事はなかった。
『切れない手紙』だからと言って何に役に立つことなのかピンと来ないし、何が凄いのかもさっぱり理解することが出来ずにいたからだ。
「あと、もう1つ。一度書いた文字は絶対に消えないという優れものなんだが」
「それって……書き直すことが出来なくて逆に不便なんじゃ……。
おじさん、とにかく僕はその手紙を買うお金もないし帰るよ」
そう言って帰りかけた僕の体を引き寄せるように「……僕、嘘はいけないよ……。……お使いのお金で……買えるでしょ……」
おじさんは僕に『これでもか』と顔を近づけ、これまで聞いたことのない低い声で僕に声を発してきた。
小学生の僕は当然とても怖くなり、持っていたお使いのお金でその手紙を買ってしまうのだった。
その後はと言うと、お金は落としてしまった事にしたものの、そんな理由では許してもらえず、親にとても叱られ、泣きながら夕食を食べる事になってしまうのだった。
それから20年の時が経ち、この話しは笑い話として付き合っていた彼女に話していた。
「へーそれは災難だったね。それでその手紙はどこにあるの?」
作り話を聞いてるかのように『クスクス』と笑いながら僕に問い掛ける彼女の笑顔はとても愛らしく、僕にとってこの時間がとても幸せな一時であった。
「笑いごとじゃないって。本当にあの謎のおじさんが怖かったんだから……確か、これこれ」
そう言いながら笑っている彼女に机の引き出しに入れてあった、何の変哲もない千円で購入した手紙を見せた。
「ねぇ、これ私がもらってもいい?」
「えっ? 別にいいけど」
ただ思い出があって置いていた何の変哲もない手紙だったので、彼女が何に使うかも分からなかったが、好きな彼女がもらってくれるって言うなら、処分するのにも惜しかった事もあり喜んで渡した僕だった。
……そして。
その手紙を渡した数日後……。
彼女は自宅マンションの一室で何者かに何度も刺されて意識不明の重体で発見された。
彼女の友人が早い段階で発見し、救急隊員の迅速なる処置のお陰で、一命を取り留めたものの意識はもう戻らないとの医師の説明を受けた。
僕はその言葉を信じられず、来る日も来る日も病院に通い続け時間が許す限り彼女に付き添い続けた。
『彼女にもう一度会いたい』『彼女と過ごしたあの楽しかった日々をもう一度取り戻したい』と願いながら。
その願いが通じたのか……
――彼女はとある日の丑三つ時に奇跡的に目を覚まし……僕にこう問い掛けてくれた。
「……て……が……る」
これまでに聞いたような事のない、掠れた声で必死に言葉を絞りだす彼女。
僕も懸命に彼女の口元に耳を近付けて話し声を聞き続けると……
「……てがみ……に……かいて……いる」
「手紙ってあの手紙? 手紙に何を書いたんだ!?」
僕は必死に彼女に問い掛け続けたものの……
それが彼女の発した最期の言葉になってしまった。
彼女の死後、傷害事件から殺人事件へと捜査が切り替わっていたものの、依然として犯人の手懸かりは掴めないでいた。
その後も彼女を殺した犯人の捜査は難航し続け、あっという間に彼女の三回忌を迎えた。
もちろん僕もあれから彼女が残した言葉を手懸かりに、遺品の中から懸命にあの手紙を探したものの見つける事は出来ずに、この日まで経過していた。
そんな中、彼女の家族や友人達が集まり、彼女の実家で供養を行った帰りの事だった。
「私……。話したいことがあるんです……」
こう僕に話してきたのは、刺された彼女を一番に発見した、彼女の幼い頃からの親友の女性からだった。
そんな親友だった女性に対し不審に思いつつ、僕はその女性に言われるがままに女性の家へと行くことになった。
「ごめんなさい……。突然こんなところに……」
外も日が落ち暗くなっていた。
そんな中、女性の薄暗いワンルームマンションの一室へと案内された僕は、生前の彼女の思い出話しでもしてくれるのだろうかと期待もしつつ、彼女の暗い表情に少しばかりの違和感も抱いていた。
夜遅くまで長居する気は無かったので「どうしたの? 話って……?」
すぐに本題へと入ろうとしたその時だった……。
親友の女性は『ガクガク』と全身を震えさせ、これまで見たことのない勢いで涙を溢れだし、瞬く間に何かに酷く怯えるような格好になっていった。
「――どうしたんですか? 大丈夫ですか? ちょっと落ち着いてください」
僕は必死に女性を落ち着かせて話しの続きを聞くこととなった。
すると彼女は……。
「……私。もう……むり……なんです……本当に……どうしたら良いのか……」
そう言って彼女は一枚の手紙を僕の目の前に差し出してくるのだった。
「これって……」
……そう。その手紙こそが……僕が探し求めていた彼女に渡したあの手紙だった。
「ど、どうしてあなたが……」
あ然とした表情で固まる僕に対して……。
「とにかく……読んでみて下さい……」
そう言う彼女に言われるがままに封筒を開き……封筒の中の紙を取り出すと……。
「うわっ!!?」
僕は驚きその手紙を手元から離してしまった。
「な、な、なんで……こんなことに」
それは紙の至るところに血のような赤い色が至るところに滲んでいるのが一目見て分かった。
「……わた……しが……わたしが」
彼女は再び泣き始めた。
大きな声で泣き続ける彼女を余所目に恐る恐る手元から離した手紙を拾いなおした。
「これって……」
それは間違いなく僕と付き合っていた『彼女の字』そのものだった。
しかし、いつも綺麗な字を書く彼女にしては珍しく、いつもよりも震えて書いたようなそんな字に見えた。
そうして内容を読み進めると……。
「……これに書いてあることって……本当なんですか……」
僕はこれまでよりも低く詰まったような声で泣き続けている女性に問い掛けた。
「……すべて……ほんとうです」
「なんで……なんでそんなことを!!」
「仕方がなかったんです……!あの子にやってもらわないと……わたしが……わたしが……」
「それで……身代わりにさせるなんて……あんた人のやることじゃないぞ!!」
「……この……この手紙を……何度も……何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も刻んで捨てようとした!!あらゆる方法で刻もうとしても切れなかった……燃やそうとしても燃えなかった……わたしは……彼女に『呪われて』いるんですよね……!?」
両手で手を覆って震えながら泣き叫ぶ彼女。
僕はそんな彼女を尻目に警察へと連絡をするのだった。
そして事情聴取の結果彼女は逮捕された。
彼女の親友はなぜ、僕の彼女を殺し、彼女の書いた手紙を僕に見せたのかだが……。
僕が渡した切れない手紙にはこう書かれていた……。
彼女は親友の女性に脅されて性的被害にあっていたこと。
その事を僕に直接打ち明けられずに苦しんでいたところを、この手紙の話しを知り、この手紙で伝えることにしたこと。
そして手紙の最後には彼女の名前と共に……
『こんな汚れた私になってしまってごめんなさい。
許してとは言わないけど私はあなたを愛し続けます。
大好きです。』
そう書いてあった……。
また……手紙の最後の部分のみ血痕とはまた違った濡れかたをしているのがはっきりと分かった……。
それを見れば彼女がどんな想いで、僕にこの手紙を書いていたのか……胸が締め付けられる想いになった。
後日、改めて知らされたが警察の事情聴取によると彼女の親友がセッティングした場所で何度も彼女は性的被害にあっており、そのことを彼氏であった僕に手紙で伝えようとしたことが親友の女性にバレてしまい、彼女と女性が手紙の奪い合いを行ってる際に事件が起きてしまったと。
親友は殺すつもりはなかった。あれは呪いの手紙だとの謎の供述をして怯えていたようだった。
これで事件の真相が全て明るみになったが、僕の心が晴れることは一生ない。
あの時……。
手紙の話しをしていたあの時……。
……彼女が苦しんでいることをなぜ気付いてあげられなかったのか。
それだけが僕の中で何度も、何度も後悔し続けている。
ただ、殺人犯が言った『呪いの手紙』は僕にとっては彼女からの『最期のラブレター』でもある。
彼女の悔しい想いや苦しい想いが沢山詰まった手紙だが、僕は死ぬまで……――彼女の元に行くまで……――大切に保管し続ける。
あの後、手紙を購入した商店の店主を探したものの店主も、店も、そして商店街すらも既に無くなっており、近くに住んでる人に聞いても何の手がかりを得ることは出来なかった。
きっとこの手紙は僕が死んでこの世から居なくなった後にも存在し続けるだろう。
そうすると……いつしか誰かの手に渡ることになるかも知れない。
僕は彼女の書いてくれた手紙の最後に自分の名前と……こう付け加えた。
『僕もあなたを愛し続けます。ずっと大好きだよ』と。
「――何これ? 古い手紙みたいだけど……。」
あなたの周りにも……古びた手紙は残っていませんか……。
もしかすると……それは……。