【三六】文化祭前夜
文化祭前日になっても制作はまだおわりが見えなかった。
下校時間はとっくにすぎていたが、カンヂとイサナはかかりきりで彩色していた。
「はあー、おわんないねー」
「イサナ先輩はもういいですよ。自分の分担はおわったんでしょう」
「うーん、でももうちょっと。だってカンヂ君にはー、三分の二ぐらいやってもらってるしー」
「イサナ先輩がもう少し手のはやい人だったらと思うことはあります」
「いけずうー、いーけーずー」
しゃべりながらも二人の手はかなりの速さで動いている。
期限はもう目の前なのだ。
「シイナ君、こないねー」
「そうですね」
沈黙がおりる。
「おじゃま」
戸が開いて、男の声がした。
作業服姿のしらない男が立っていた。
「クニちゃん」
イサナ先輩がかけよる。
「どうしたの? お仕事は?」
「今日はもうおわり。遅くまでやるっていってたから、よった」
これがイサナの恋人らしい。
カンヂはまじまじと相手を見た。
目があい、男同士で会釈する。
目もとのやわらかい、背の高い若者だ。
「ごめんねー。もうすこしだけ、やっていきたいんだけどー」
イサナがカンヂと恋人を交互に見た。
「もう帰ってもらってかまいませんよ? 分担はおわってるんだから」
「えーと、えーと、えーとお、じゃあ、いいかな、カンヂ君」
「おつかれさまです。あとは自分がやっておきます」
イサナが荷物を手ばやくかたづけた。
二人でならんで出てゆくとき、男はやわらかい笑顔でもう一度会釈した。
ふむ、これはイサナ先輩が好きになるのもわかるな。
はたから見ても、お似合いの二人だ。
カンヂは絵にもどり、作業を再開した。
「今の人、イサナ先輩の?」
開いたままの扉から、今度はシイナがきた。
「そうらしい」
「て、もっとほかになんかねーのかよ」
「優しそうな人でよかった。お前はなんかあるのか?」
「別に、ねーし」
「そうか。お前もそうでうれしいよ」
シイナはだまりこむ。
「お前の作業、のこってるぞ」
「うん。なんとか、ちょっとだけでもやっとく」
シイナはカンヂの横にすわり自分のキャンバスをならべたイーゼルに立てかける。
それから筆をかりてちょっとだけ塗り、
「カンヂ、」
「うん?」
「おまえさあ……」
「何だ?」
シイナはなにか言いかけてやめ、
「俺って、男かな、女かな」
「お前はどっちだって思ってる?」
「わかん、ない。でももう男にはもどれねーって、思う」
「じゃあ女だろ」
「でも、女って自覚もないんだ。いまだに、自分が女のマネゴトしてるって気分になるときある」
カンヂはシイナを見る。シイナは手をとめていた。
「水泳部の先輩とうまくいってないのか?」
シイナは首をふった。
「すっご、いい人だよ。お前にも負けないぐらい。すごいいい人。俺が男だったこともぜんぜん気にしないで、好きだって言ってくれた」
「そうか」
カンヂはさびしそうにほほ笑んだ。
「そうか、俺はもう、お前にはいらなくなったのか。そうか」
カンヂも手をとめていた。
「カスミもサナも手がかからなくなった、ヒデヲは来年小学校にあがるし、ケンゴもそのうち俺の手なんかいらなくなるんだろう。俺たちも、みんなみんなばらばらに大人になるんだろう」
遠くで消防のサイレンがなっている。
「俺の初恋って、たぶんサイコだ。イサナ先輩に彼氏がいるって話きいてて気がついた。あいつが葛木さんつれてきたとき、ちょっとだけサイコ取られたって思った。あいつに好きだったって言われて、だから、うれしかった。なんか、初めて本当にみとめられた気がした。俺は単純でバカだな。お前、俺によくバカだっていうもんな。それ、わかる」
カンヂはふたたび手を動かした。
「こんなにおそくまで、いいのか? 先輩と帰るんじゃないのか?」
「おまえこそ、何時までここにのこるつもりだよ」
「十時。ぎりぎりまで手をくわえたい」
文化祭前日は居のこりする生徒が多く、学校側も気をきかせて下校時間をうしろにのばしてはいたが、午後十時が最後のしめきりになっていた。
「じゃあ俺も、それまでいるよ。それぐらいに母さんがむかえにくるんだ」
「そうか」
二人はおだやかに会話をつづけ、手を動かした。
教師が帰宅時刻をつげにきたとき、まだ絵は完成していなかった。




