【三二】メタモルフォーゼ
「今までどうしてたとか、今なにしてるとか、そういうの話した」
あの後シイナは、母親と真夜中までずっと話をしたそうだ。
「母さん、ずっとあやまってた。俺、ちゃんと反抗とかしてなかったから、急に怒ったのがこわかったみたい。ほんっとダメな人だよな。一人にしとけねーって思う」
美術室にはカンヂとシイナだけ。
今日イサナは来ていない。
毎水曜日、イサナは部活動にはでてこない。
「もうゆるせたか?」
「わかんね。だけど、あの人俺の母親だもん。家族だもん。すてれねー」
「そうか」
「うん。じゃ、部活いってくる」
「ああ。そうだ、今日サイコが顔をだすそうだ。またいびられるぞ」
「今日は母さんと夕食なんだ。セーフセーフ」
「なんだ。だったら二人してうちで食えばいいだろ」
「げえー、ふざけんなよ。久しぶりの母子団欒なんだぜ?」
「そうか、ざんねんだ」
「あ、お前、俺がいないからってサイコさんと変なことすんなよ」
「ヘン? なにが」
「うるせ。とにかくダメだからな」
そしてシイナは走っていった。
カンヂは一人で模造紙をきざみはじめた。
部活動をおえて家に帰ると、子供たちにシイナはどうしたどうしたとさわぎたてられた。
「カンヂにーちゃんふられたの?」
「うーむ、そうかもしれないな」
「げんきだしなよー、ね」
小学三年生になって、近ごろ一気にませたサナがよしよしと頭をなでる。
「オンナは他にもいっぱいいるよー!」
六年生のカスミが言った。
「っぱいおー」
おそまきながら言葉をはっするようになったケンゴもなにかほえた。
特におちこんでいるというわけじゃなかったが、カンヂは元気をもらった。
「よーし、サイコが来る前にトランプの特訓しておくか! おいみんな集まれ! 今日はサイコをこてんぱんに負かすぞ!」
号令とともに子供らがよってきた。
「うわあ、何だこれ」
美術室に入ってくるなりシイナがおどろきの声をあげる。
そこには、やけに横に細長い下描き途中の絵があった。
「なにこれ。イミわからねー」
ふしぎそうに見いるシイナにカンヂは画集を見せてやる。
「この本の。こっからここまでのページが一枚の絵だ」
シイナはじいっとそれらのページをにらみ、めくり、もどし、考えこんだ。
「なんだこれ。ほんとキモチわるい絵。蜂が魚になって鳥になって船になってとか、意味フメーじゃん。はしっこなんで? 字じゃん。メ、タモーフォセ?」
「メタモルフォーゼ。変容、って意味だ。この絵のタイトル」
「なんで女言葉なんだよ」
「ヘンよ、じゃない。へ・ん・よ・う、だ」
「ジョークだよ」
「それにしても面白くない」
扉がまた開いてイサナが入ってきた。
「トイレ帰りー、いらっしゃーいシイナくーん、その絵どうどうどうー? すんごいっしょー」
いつものように上機嫌をふりまく。
「横になげー、帯みてー。一〇メートルぐらいあんじゃん」
「一〇メートルはないよー、一九センチ×七メートル。これ原寸大」
「七メートル! それでもデケー!」
「インパクトあるっしょー?」
「あるある。絶対ウケる」
「しょー?」
楽しげに笑いあう二人。
「さあ下描きに入りましょう。九月までに目処たてとかないと、文化祭までに完成しませんよ」
カンヂがそこに割りこんだ。
実際夏休みはもう終盤ちかく、これだけの大作を部活だけで完成させるのはかなりの難題だった。
「人手がたりないのよねー。あと二人いればねー」
イサナがため息をつく。
「そしたら俺、手伝いましょうか?」
「お前、ずっと筆にぎってないだろう」
「ああそっかー、シイナ君も美術部員だったもんねー、でもうーん、ブランク長いかなー」
「やりゃできるよー。俺のがカンヂよりも上手いもん」
「それは聞きずてならんな。絵ってそんな簡単なものじゃないぞ」
「ちょっときびしいかもねー、今のシイナ君じゃー。ていうかシイナ君、くんっておかしいねー、今は女の子だもんねー、ちゃんづけの方がいいー?」
シイナが実に微妙な顔をした。
「だったら、」
それを見たカンヂが仏心で提案した。
「両端の文字の部分をやってくれ。そこなら失敗も目立たないだろう。先輩、構いませんか?」
「うーん、カンヂ君がいいならそれでいいよー」
というわけでシイナも美術部の合作に手をかすことになった。
おまけあつかいで。
すぐに二学期がはじまって、シイナは昼休みごと足しげく美術室にかよったが、下描きはまかせられないというのでしばらく出番はなく、ぼんやりカンヂたちの背中を見ているだけだった。
新学期最初の水曜日、その日もイサナは部活を休みカンヂ一人が作業をしていた。
そこにシイナが入ってきて、
「よお。どんなもん?」
「なんだシイナ、水泳部はサボりか?」
「いんや、今日は見学。今トイレ休憩。プールサイドは腰冷えてつらい」
シイナは生理の周期で体調をくずす。
この日もそうらしかった。
丸イスに腰かけ絵にむかうカンヂをぼんやりながめる。
「なんかさー、お前ばっかり描いてねえ? イサナ先輩よりか、お前のが描く部分多いじゃん?」
「俺のほうが手が早いからな。それだけだ。人それぞれだよ」
「そっか」
シイナは尻をモゾモゾさせ、立ちあがってカンヂが授業で描いた絵を手にとった。
「お前。上手くなったよな実際」
それは果物のレプリカを写生した単純な静物画だったが、輪郭のとりかたも陰影のつけかたも、他の生徒たちの作品とくらべるとハッキリちがいがわかるほど達者だった。
先だってはあんなふうに言ったが、もうシイナの腕じゃ足元にもおよばない。
「それはそんなにいい絵でもない。納得していないとこも多いし、画材にもなれてないし、そういう絵は得意じゃない」
カンヂは作業をつづけながらしゃべる。
「何枚も描いてコツをおぼえて腕をみがいて、その絵がうまくできてるってんなら、それはくさらずに描いてきた成果なんだろう。継続は力なり、って」
「語ってんじゃん」
カンヂは笑った。
「本当だ。格好わるいかな」
「でもねえよ」
シイナはずっとカンヂの背中を見ている。
「なあカンヂ」
「うん?」
「これ、気のせいかもしれねーけど、俺さあ、視線かんじるんだよな」
カンヂがやっとふり返った。
「またなにか言われたか?」
「そうじゃなくて、先輩なんだよ、三年生。水泳部の。なんかあったじゃん? 俺のこと色々言うやつとかいたとき」
「ああ」
「そん時さ、俺に、辞めんなって言ってくれた人なんだよな。だから、すごい感謝してるし尊敬してる」
「ふむ」
「でもさ、そういうのとって、ちがうだろ。ちがくねえ? なんか」
「なにがだ?」
シイナはでっかいため息をついた。
「いいよ、もう。気のせいかもしんないし」
そしてすねた。




