【三】シイナのひみつの胸の中
その後も大小ぶつかりあいもあったが、カンヂたちの関係はおおむねいい方に深まっていった。
険悪に分かれた二人だが、日があけて学校にいったらなにもなかったみたいになってた。
男子ってのはさわぐだけさわいだら忘れちまうから気楽だ。
だけどその二人が放課後の湿度計観測を命じられたときは、さすがビミョーだった。
夏休み直前の一週間、二人で校内七ヵ所を回る。
普段から二人っきりになることなんてないカンヂとシイナだから、しかもあんなことがあったすぐ後に平静でなんていられない。
「あっちい」
「ああ」
「なあ、暑くね?」
「ああ、暑いな」
そして無言。
大人の背丈ほどの高さに設置された木造白ペンキ塗りの箱のカギを開け、片方が中の温度計を読みあげるともう一人はそれを手元のシートに記入、暑いとかダルイとかそれ以外の会話はなし。
一学期も明日までというこの日も、二人はそんな風。
「外30、中28度。なあなんか雨ふりそうくねえ?」
空には墨を流したように雨雲がグングン発達しはじめてた。
「ああ。急いだほうがいい」
かけ足で観測点を回るが、のこりあと二つってタイミングでついに雨に降られてしまう。
「うぎゃ~~~~~! めちゃめちゃスゲー!」
「用具庫まで走れ! あそこなら雨しのげる!」
バケツひっくりかえしたみたいなキョーレツな雨だ、20メートルも走らないうちにびしょ濡れになり、走って走って用具庫に飛びこむとヒジやアゴからしずくがボタボタ落ちる。
膝に手をつき息をととのえていると、後ろで稲光がバッと光ってドカンと雷おちる。
「スゲーヤベー今チョーびびった」
「校舎の避雷針に落ちたみたいだ」
「ウソ。どこどこ」
また雷。
二人は出した頭をまた引っこめる。
雨足はさらに強くなり、地面が煙るほどの土砂降りになった。
水滴が地面をぶったたく音でゴウゴウと空気がうなる。
肌ざむくなり、カンヂは服をぬいで水気をしぼる。
「バカなにぬいでんの」
「ひえるから。お前も服かわかしたほうがいいぞ」
「ヤだよ恥ずかしい、こんなトコでいきなりハダカとかバカじゃん」
言いながら、シイナは両腕を抱き背中をまるめる。
雨はいっこうに弱まる気配をみせず、雷鳴はさらにつづいた。
カンヂはシャツをまたぬいで、シイナの肩にかけてやった。
それから用具庫の重い引き戸をしめる。
「なにしてんの」
「お前ふるえてる。さむいんだろう」
扉が完全に閉まると、闇がおりておたがいの顔が見えなくなる。
「おれが走らせたせいだ。悪かった。校舎に引きかえせばここまでぬれずにすんだ」
「……べつに、そんなんカンケーねーし」
コンクリート屋根とブロック壁ごしに聞こえるくぐもった雨音。
雷鳴がゴロゴロ腹の音みたく聞こえる。
カンヂが平均台に腰かけると、シイナもちょっとはなれたところにすわった。
「服、かわかさないのか?」
「ああ」
「今なら誰も見てないぞ」
「おまえいんじゃん」
「外にでていようか?」
「いらねーし」
「そうか」
「うん」
深呼吸すると、石灰の粉っぽいにおいがした。
「なあ」
「うん?」
「おれ、わりいこと言った」
「? なに? いつ?」
「こないだお前んちいったとき、お前ら、ウソの家族って」
「ああ」
「あれ、ごめん」
「ふむ」
「おれんち、今なんかうまくいってなくて、お前らスゲー仲いいからなんか、ムカついたっつうか……」
「そうか」
「うん」
シイナがくしゃみをした。
「服、かわかせよ」
「うん」
カンヂの服をバーに広げて引っかけ、シイナはそろそろとハデ柄のシャツをぬぐ。
水をしぼり、それをまた着こむ。
「スッゲーぬれてる。ゾーキンみてえ」
シイナはやっと笑った。
それからカンヂにシャツをかえしたが、カンヂはそれを丸めて手にもつだけだった。
「服、きねえの?」
「ああ。さむくはない」
「そっか」
シイナがカンヂの横にすわる。
さっきよりちょっと近い。
「なあ」
「うん」
「おれ、ずっとプール休んでんじゃん?」
「水疱瘡だろ?」
「あれ、ウソ。本当は病気なんかじゃないんだ。つか、病気じゃねーけど、なんつーか」
シイナはだまりこむ。
カンヂもだまって次の言葉をまつ。
「おれさあ、胸、あんだよ」
「ないやつなんていないだろ。ないと息できない」
「ばっ、そうじゃねえっての。胸、ふくらんでんだっつの」
カンヂがシイナを見る。
ずいぶん闇にはなれたが、表情がわかるほどには見えてない。
「それは病気じゃないんだな?」
「ああ。なんか、ムツカシー名前の体質だって。なんか、副腎皮質がどーのって、意味わかんねー。オンナのホルモン出てんだって。キモチわりいよな」
「べつに気持ちわるくない」
「だってオンナみてーなんだぜ?」
「女が気持ちわるいのか? お前、滑川をかわいいっていってたじゃないか」
「あいつホンモノのオンナだもん。胸ふくらむのトーゼンだしカンケーねえじゃん」
「ふむ」
カンヂがナルホドとうなずいた。
「さっぱりわからん」
ハナシの通じないカンヂに心底あきれて、シイナがなが~くでっかいため息をつく。
そっからむっつりとだまりこみ、
「なあ、」
「うん」
「見てみるか?」
カンヂがまたシイナを見た。
いや、さっきからずっとシイナを見てはいた。
闇をさぐるように、なにかを考えながら。
カンヂがなにも言わないので、シイナもだまってすそをまくる。
「わかるか?」
「いや。ドア開けて光をいれていいか?」
「バカ。ぜってーすんな」
「じゃあさわっていいか?」
「はあ? いいわけないだろ」
「見えないうえにさわれないんじゃ、どうなってるのかわからん」
しょーがねーなー、シイナはつぶやいて舌うちし、
「ちょっとだけだぞ。すぐ手ーひっこめろ」
シイナが体をこっちにむけた。カンヂの手が腹からじょじょに上へすべってく。
「む?」
やわらかい感触。
カンヂは一度手を引っこめ自分の胸をさわり、もう一度シイナにふれた。
「本当にふくらんでるな」
「うん」
「サイコよりも小さい」
「ばっ、はなせよ! ああキモチわり。お前、姉ちゃんのさわったことあんのか?」
「ああ。前に一度。風呂に入ってて」
「いっしょに風呂入ってんのかよ」
「ああ。おれとサイコがまず入って、チビたち順番に呼んで洗って湯船につけこむ。毎日十人以上だから大変なんだぞ。子供はじっとしてないし」
「お前の家のがおれよりずっとヘンじゃん。ゼッタイそうだよ」
「そうか?」
「そうだ。ぜってーヘンだ。で、なんつってさわらしてもらったんだ?」
「べつになにも。チビたち洗い終えて最後二人でつかってて、胸って湯にうかぶんだなーって見てたら、『触ってみっか?』って」
「そんでさわったのかよ」
「ああ。お前より大きかったぞ。安心しろ」
「イミわかんねー。こっからおれもデカくなるかもしれねーじゃん」
「そしたら、もっとこまらないか?」
「……そうだな」
二人が外にでたら、雨はとっくにやんでた。
きれぎれの雲のうえには太陽と青い空。
「なあカンヂ」
「なんだ」
「おま、今日のゼッタイにバラすなよ」
「ああ」
「ガチで、ぜってーのぜってーな」
「わかった」
「おま、ウソついたらショーチしねえぞ」
「しつこいぞシイナ。おれはこの話をぜったいにだれにも言わない。家族にもクラスメイトにも。約束する」
シイナはカンヂのうしろを、水たまりをよけながら歩き、
「ぜってーな」
まだ念おしした。