神の加護
シュレージェンにはプロイセン軍が進駐し、フランス兵に助けられたバイエルン軍がウィーン方面へ進軍していた。
カール6世がウィーン市民を顧慮してくれなかったせいか、バイエルン王の人気が高まっていた。
「オーストリアに女はいらない」
「フランツを追い出せ」
「我々にはカール・アルベルトのほうがいい」
これらのビラが繁華街グラーベンや、目抜き通りコールマルクトや狭い路地に張られていた。
バイエルン軍はリンツを越えて帝都に迫る直前、進路を変えてプラハへ向かった。
進軍を前にして、陣営でこの報告を知ったフリードリヒ2世は卒倒しそうにもなった。
あらかじめカール・アルベルトと打ち合わせ、ウィーンで落ち合うことにしていたからだ。
アルベルトはボヘミア王になりたがっている、というのである。
「おのれ、フランスめ! この横槍は許さん!」
フリードリヒは怒りを頂点とした。
フランスのルイ15世と戦略化フルーリ老枢機卿は、南ドイツのバイエルンがハプスブルクの領地になると傲りがたい強国になると恐れた。
そこで選帝侯を説得し「ウィーンはやめてプラハに向かい、ボヘミア(ベーメン)王になれば良かろう」と入れ知恵した。
「ウィーンを占領するより、ボヘミア王冠を手にした方が、神聖ローマ帝国の王者にふさわしい」
カール・アルベルトもその気になった。
ウィーンが敵の来襲を逃れたことでハプスブルク家には神の加護がある言い伝えが実証されたのだ。
オスマントルコやエルトリアの軍隊に幾度なく攻められたが踏みとどまっていたのだった。