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どこにもいけない深夜の庭で



冬月フユツキさん、電話鳴ってたよ。結構長かったから急用かも」


デスクに戻る間際、同僚に声をかけられて、カナは軽く頭を下げた。


「すみません、ありがとうございます」


印刷したばかりの資料を抱えたまま、足早に自分のデスクに戻り、急いで支給されているスマホを手に取る。


「あれ?」


しかし、そこにはいつもの通り現在の時刻が大きく載っているだけだった。

カナは一瞬眉を寄せて、資料の束と社給スマホをデスクの脇に置く。そうして、椅子を引いたところにある浅い引き出しを手前に引いた。

案の定、プライベートの方をマナーモードにし忘れていた。

画面には、着信履歴が残っている──シュウヤからだった。


「……」


そろそろけじめをつけなくちゃ。

カナは音量をオフにすると、引き出しの奥にしまい込んだ。




やっと就業を迎え、クタクタになった身体で帰りの電車に乗り込んだ。

二人がけの座席の窓側に座り、ポケットからスマホを取り出す。


『いつでもいいから、連絡して』


一昨日届いていたシュウヤからの最後のメッセージを見返して、カナは深い深いため息を吐いた。


シュウヤと居酒屋で偶然会ったあの夜から、二週間が経過していた。

早く連絡を取らなければと思うのに、別れるのが辛くて、いまだに逃げ回っている。

社会人失格だと落ち込みながら、カナは最寄り駅に着くまでの時間を睡眠に充てようと両眼を閉じた。



──あの夜、シュウヤに会えたことは嬉しかった。

連絡をしてくれていたことも。

有頂天になりながら、会社の気ばかりが疲れる飲み会が早く終わることを祈った。

もっとたくさん会えたらいいのに。

苦手なビールを飲み干すと、頭が少し、くらくらした。

出会い方さえまともだったら、普通に付き合えたのかな。

思って、苦笑する。

ありえない。

シュウヤが声をかけてくれたのは、あのバイトがあってこそだった。

おそらく自分はいい鴨なのだろう。

だからシュウヤは、こんなにマメに連絡をくれるのだ。

つらいなあ。

恋に敗れ、傷つき、だから頼った次の相手とすら、上手くいきそうにないなんて。

馬鹿みたい。

どれだけ男運が悪いのだろう。

利用し、利用されているだけの関係だと理解しているのに、それでもまだシュウヤを思い切ることが出来ない。

ズブズブ。ズブズブ。

沈んでいく。

それはきっと、傍から見れば無様な姿。


『冬月さんは、彼氏いるんだっけ?』

『え?』


突然話題を振られて、カナはビールの底から顔をあげた。

向かいの席で、上司が赤い顔をにやつかせている。


『駅歩いてるとこ見たよ。すっごいイケメンの彼氏』

『え、冬月さんって彼氏いるの?』


恋愛話に飢えている同僚たちが、こぞって視線を向けてくる。皆、仕事や税金や健康の話題に、飽きていた。


『イケメンなの? どこで知り合ったの?』

『えっと……知人の紹介で』


思わず嘘をついてしまう。

言えるわけがない、契約彼氏で、お金を払って会ってもらっているんです、だなんて。


『いいなあ、いいなあ。私も恋したい! っていうか、うちの息子も最近彼女が出来てね』

『嘘。まだ中学生でしょ?』

『そうなの! 生意気よねえ』


話題が移り、カナはほっとして聞き役に戻る。

中学生同士の微笑ましい恋の話に、笑顔がこぼれた。

自分も、そんな真っ直ぐで純粋な恋がしたいと思った。

今なら、引き返すことが出来る。

そうだ。

シュウヤとのことは思い出にして、新しい恋に踏み出そう。


大丈夫。出会いはきっとそこかしこに転がっているはずだから。




──とはいえ、自分から別れ話を切り出したことのないカナにとって、それは難題に違いなかった。

しかし、このまま音信不通で自然消滅……というのもなんとも後味が悪い。

別れるにしても、嫌いになったわけではないこと。

新しい一歩を踏み出したいこと。

シュウヤといて楽しかったこと。

とてもとても感謝していること。

それだけは、誤解のないように伝えたかった。


ガタンガタンと、電車が揺れる。

今日も仕事は激務だった。

明日はやっと休みだから、今夜はゆっくり寝て、体力と思考が回復したらシュウヤへ電話をしよう。

決意しながら、心地いい揺れに身を任せる。

と、その耳を穏やかな声がくすぐった。


「カナちゃん」


え?

会いたすぎてついに幻聴が聞こえるまでになってしまったのだろうか。

カナはパチリと目を開けて、二人がけの座席の、通路側に座っていた青年に目を向ける。


「ストーカーになっちゃうかと思った」


苦笑したシュウヤは言って、浅く微笑んだ。


「シュウヤくん……?」


なんでここに。

呆然とするカナに、シュウヤは困ったように眉を寄せる。


「心配したんだよ。全然連絡くれなかったから」

「あ……ごめ」

「それとももう俺とは会わないつもりだった?」


いきなり核心を突かれ、カナは口ごもる。

シュウヤの眉間の皺が深くなった。

言わなくちゃ。


「あ、あのね、シュウヤくん、私」

「俺は別れる気ないから」


遮るように言われて、かと思うと、手に封筒を握らされた。


「え?」

「今までカナちゃんが払ってくれたお金。返すよ」

「なんで」

「本当に付き合いたいから」


真っ直ぐに見つめられて、カナは硬直する。

まだ夢を見ているのかもしれない。


「カナちゃんが好きだ。俺と普通に付き合って欲しい。あのバイトも辞めた。っていうか、結構前からカナちゃんとしか会ってなかったけど」

「……そうなの?」


カナは引き寄せられるみたいにして、シュウヤを見上げる。


「そうだよ」

「どうして?」

「質問ばっかりだね」


シュウヤの声に、やっとほんの少し、いつもの柔らかさが戻る。


「だって、カナちゃんと遊ぶのが一番楽しいし、それにほっとけなかった。また悪い男に泣かされちゃうんじゃないかって」

「……」


シュウヤくんは、悪い男にならないの?


出そうになった言葉を、なんとか飲みこむ。

あんなバイトを軽々とこなしていたのだ。

シュウヤもそうならないなんて限らない。

誰だって恋の初めは幸せに満ちているものだから。


「……なんか、俺のこと疑ってるでしょ」


図星を刺され、カナは目を逸らす。


「だって、でも」

「いいよ。時間をかけて知ってもらうから」


シュウヤの右手が、カナの頬を覆った。そっと上をむかされる。


「返事は?」


肯定以外は許さないと、仄暗い瞳がカナを捉える。


「えっと……」


どうしよう、どうしよう。


新しい恋をしたかったのに。

その必要はもうないのかもしれない。

だってここは、こんなにも暖かい。


「終点までに聞かせてね」


シュウヤが微笑み、身体が離れた。

ガタンガタン。

よるの景色が流れていく。

なんて伝えよう。

カナは言葉を考え続けた。

どこにもいけない、深夜の庭で。






読んでくださってありがとうございました。

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