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ゆっくりと沈め


気乗りしない授業の合間、シュウヤは見るともなしにスマホを眺めていた。


友人たちのタイムラインを覗き、興味を引かれた写真にハートを送り。

と、画面の上から新着のメッセージが落ちてきて、条件反射のようにタップした。


『今日飲みに行かない』


「……」


想定していた人物からでないことにわずかに気落ちし、『行く』とだけ返事をして画面を閉じる。正面では変わらず、年配の教授が複雑な数式を展開していた。


忙しいのかな。


今朝ふと思い立ち、バイトで知り合った客の女性──カナにメッセージを送ってから、すでに五時間以上が経過していた。

いつもなら遅くても一時間後には来る返事が、今日は既読すらついていない。


熱弁する教授と相反するように、シュウヤは心は冷えていく。


単に仕事が忙しいだとか、スマホを家に忘れただけならばいいけれど、その可能性は低いだろう。


この契約彼氏バイトでは珍しくもないことだったから、容易に想像はできた。


つまりは、自然消滅という名の縁切りだ。





契約彼氏。

それは、暇つぶしに始めたバイトだった。

時間にも融通が効き、これと言った知識も必要なく、しかも時給は高いときた。

友人に誘われ、遊び半分で登録した。半年前のことだった。


人付き合いは昔から得意な方だったし、女性経験もそれなりにあったから気負いはしなかった。

簡易版ホスト、と男友達にはからかわれたけれど、無闇に女の子にお金を遣わせているわけではないし、女友達との遊びの延長のような気分でいた。


客の中には気が合う人もいたし、しんどくなる人もいた。

けれどどの人もそれぞれに悩みを抱えていて、話を聞いてあげると憑き物が落ちたみたいにスッキリした顔をしていた。

感謝されるたび、冗談でなくホストも向いているんじゃないか、あるいはカウンセラーなんて。と、思い始めてもいた。


特定の彼女が出来たら流石に止めようと思いながら、ひっきりなしに来る予約をまえに、ずるずると続けてしまう毎日。


そんな時だった。

カナと知り合ったのは。


バイトの帰り道。

終電間近の繁華街で、彼女はひとめも憚らず泣いていた。

ダークグレーの地味なスーツに、肩口で切りそろえた黒い髪。パソコンでも入っていそうな黒い鞄を肩にかけ、赤くなっている鼻にぐしぐしとハンカチを押し当てている。


仕事で嫌なことでもあったのだろうか。

それとも恋愛関係だろうか。


周囲の視線が彼女に集まっているのが心配になって、気づけばシュウヤは声をかけていた。


『お姉さん一人? どうして泣いてるの』


我ながらなんて軽いセリフだろうと恥ずかしくなりながら、その女性を覗き込む。

と、涙に濡れた瞳で見上げられた。

あ。可愛い、と思ったのも束の間、その女性は警戒心も露わに冷たい声を出してシュウヤを払おうとした。


あれ? 案外しっかりしてる。

この人は一人でも大丈夫かもしれない。


そうは思ったけれど、ついつい強引に引き止めてしまった。


どうしてだろう。と今でも思う。


いつもは、そんなことはしない。

シュウヤはそんなにお節介な性分ではない。

来るもの拒まず、去るもの追わず──だから歴代の彼女からは冷たいと言われたこともあった。


どの子も、大切にしているつもりだったのに。


けれど確かに、別れる時に苦しかったり、悩んだりしたことはあまりになかったように思う。どの子ともあっさりと縁を切ってきた。




俺ってそんなに冷めてるのかな。


どこか他人事のように自分を分析しながら、もう一度スマホを見やる。

やはりカナからの返事はなかった。

切られたのだろう。

知り合って三ヶ月ほどだけれど、上手くやれていると思っていた分、落胆もひどかった。


……まあ、仕方ないか。


授業の終わる鐘の音が鳴る。

胸を刺すような痛みには気付かないふりをして、シュウヤはテキストとノートを閉じた。

カナが失恋から立ち直ってくれたのだと思えば、それは、良いことに違いなかったから。




しかしその夜。

まるで運命のようにシュウヤはカナと出くわした。


「……カナちゃん?」

「え? シュウヤくん?」


友人たちとの飲み会の最中。

トイレに立ったシュウヤは、狭い居酒屋の通路でカナを見つけた。

今日は暖かそうなオフホワイトのロングセーター姿だった。最後に会った夜より少し伸びた髪をふわりと内巻きにしている。ああ、やっぱり可愛い──じゃなくて。


「カナちゃんも飲み?」

「うん。会社の人たちと。すごい偶然だね」


そう屈託なく笑うカナに、シュウヤはどう返したものかと軽く首をかく。


「うん……えーと、カナちゃんさ……もしかして今日、スマホ持ってない?」


そうだと言ってくれ。

願いながら尋ねる。

カナは困ったように頷いた。


「うん、そうなの。社用ケータイがあるから仕事はなんとかなったんだけど、プライベートの方、家に忘れちゃったみたいで」


言いながら、カナは「あれ?」と瞬きをする。


「もしかしてシュウヤくん、連絡くれてた?」

「……うん。今日会えないかなって、思って」


カナは驚いたように両目を開く。


「ごめんなさい! 無視したみたいになっちゃったよね。本当にごめんなさい」

「いや、そんなに謝らなくても」


そうか。

忘れただけなのか。

切られたわけじゃなかったのか──まだ。


「なくしたわけじゃないならよかった。安心した」


言いながら、思った。


この曖昧な関係は、いつまで続くのだろうかと。


そんなの決まっている。

カナが飽きるまでだ。


「────」


当たり前の事実に、どうしようもない焦りが込み上がる。

ぐらり。


「カナちゃん」


シュウヤはカナの細い手首を握った。

わずかに身構えられる。カナは、男性経験がそう多くはないのだ。


「この後会いたい」


強く言えば、カナは見るからに狼狽えた。


「今日は遅くなるし、無理だよ」

「じゃあ明日は?」

「ん……明日も仕事が詰まってるから。ごめんなさい」


シュウヤはゆっくりと手を離す。


「そっか」


取り繕うように微笑む。


「ごめんね、無理言って」

「ううん」


カナがすまなさそうに見上げてくる。頬が赤いのは、アルコールのせいだろうか。

おずおずと別れを切り出される。


「……じゃあ、また。連絡するね」


ほんとに?


「うん、また」


静かに言って、互いの席に戻っていく。


「……」


シュウヤは、ポケットから取り出したスマホで、例のサイトを解約した。


次に会ったら告白をしよう。そう決意して。



けれどその夜。いくら待ってもカナからの連絡は来なかった。

その翌日も、翌々日も。

カナからの連絡は、来なくなった。



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