ため息
夜明け前の街を歩いていた。瑠璃色とは思えない世界。真っ暗な世界。街頭も少ない住宅街では自販機の明かりがやけに眩しい。視界の端でネコが寝転んでいる。
空気が冷たくて、夏が死んだことを改めて感じる。課題が面倒くさくて外へ逃げ出したのはいいが、次は寒さに襲われてここから逃げたくなった。寒さは孤独感を引き連れて心身を刺す。僕の吐く息はまだ白く、でも苦しくて虐められている気分だ。白い息が赤くなることを期待しながら耳を済ました――車の通る音は聞こえない。
ため息を吐いても僕の悩みがなくなることはない。それに、ため息なんて瞬く間に空気に溶ける。僕もそのくらい器用であればよかったのになと思う。
ポケットに入れていた手を出して冷えた耳を触る。その耳が救われた感覚を、僕は欲しているのだ。きっと友達も両親も知らない。僕すらも曖昧でよく分かっていない。自分勝手で他人任せな欲望だ。
手が冷えてきたのでポケットへ戻す。もちろん、それは現実でもそうなる。誰かが僕を救ったとしても、その人はしばらくすれば僕から離れていくに違いない。だって、僕は冷たいのだから。自分勝手だから。他人任せだから。前回もそうだったから。
一人で悩んで苦しんでいた時、僕を助けてくれた人がいた。くだらない悩みも歪んだ価値観も、その人は全てを受け入れてくれた。だからこそ甘えてしまったのかもしれない。僕が支えられているのは当たり前だと、その人が傍にいることが当たり前だと、勘違いした。
関係の崩壊は一瞬で、たった五文字の言葉を最後に僕は独りに戻った。今思い返せば、一方的な依存であった。いや、利用していたのかもしれない。便利な道具として。
最低な話だ。もう誰も僕のことを救ったりなんかしない。それくらい分かってる。でも救ってほしい。夜に沈むのも、ベッドに呑み込まれるのも、課題に逃げられるのも、心が分散するのも、生活を怠けているのも、全て赦してほしい。そして、僕を満たしてほしい。傍にいるだけでいい。別に何もしなくてもいい。から……。
信号の赤と黄色が点滅していて、不安や恐怖を煽る。鬼でも出てきそうな感じ。朝の四時だというのに、カップルが手を繋いで歩いていた。鬼の方がいくらかマシだった。心まで暖かいあの二人に僕の姿は見えていないだろう。もしかしたら、あの二人は別の世界にいるのかもしれない。そんな気がした。
ため息。もう全てが嫌になってきた。他者の幸福を目の当たりにすると、自分の苦しみがより鮮明になる。僕は人の幸せも祝えない心が貧しい人だ。生きる価値はあるのだろうか、生きていていい理由があるのだろうか、死にたいとは思っているが、自殺願望はない。本当に面倒くさいのは課題ではなく僕に違いない。そりゃあ逃げたくもなる。
苦難から逃げるための、幸せを探すための散歩だった。しかし、縺れた心に足を取られ、手には一握りの羨望。最早、呼吸がため息の連続になりそうだ。
夜が溶け始めている。ところどころ人を見掛けるようになり、時間の経過を感じた。一日三十時間の体内時計が慌てて時間を現実に合わせる。もういっそのこと壊した方が早いことは知っている。脳裏にこびりついている記憶ごとリセットしたい。全てを忘れて楽になりたい。
夜更かしした時の気持ち悪さが吐き気となって現れた。同時に、闇が心の中でじわじわ肥大化する。夜が行き場を失い、心の中へ入ってきたみたいだ。
一限サボろうかと考えながら家へ帰った。おそらく二限もサボるだろう。