確かに魔法が使えるとは言いましたが!
ーーどうして。
私、エレオノーラは、目の前の職場の上司を不敬ながらもズビシと指差し、高々と宣言する。
「ならばあなたにだけ授けましょう。私のとっておきの魔法ーーブレイキアリス魔法とハムストリング魔法を!」
もうすぐアラサーだと言うのに、愛しのセリス様は瞳を少年のように輝かせ、歓声を上げた。
その様子に、内心、私は頭を抱えた。
ーー本当に、どうしてこうなった。
事の発端は、お昼過ぎ。
はぁ午後の訓練かったるいなーと愛用の椅子でグダグダしていた時でした。
眉間にシワを寄せた端正な仏頂面がぬっと現れました。私の直属の上司であるセリス様です。
今日も素敵だなぁ結婚したいなぁとぽけっと見惚れていると、なにわに手を引かれ、騎士団庁舎の会議室に連れて行かれたのです。
中は静か。薄暗いです。二人っきりです。二人っきりなのです。ここ重要ですね。でも無言の時間が流れるだけなのでただただ次の展開が怖いです。
なんだどうしたまた私何かやらかしたっけと表情に出さずに混乱していると、当のセリス様は頬を赤らめやたら言いにくそうに目が泳いでいるのです。わざとらしい咳払いなんてしちゃって、まるで不審者です。生粋のイケメンが台無しです。
でもいくら鈍感な私でもわかりましたよ。ははぁん告白だな、と。もしかするとそれ以上で一線超えちゃうかも、と。誰だって察するでしょう?
密室で男女二人。何も起きないはずがなく、ってやつですよ。
あぁ、胸の鼓動が。ときめきが。
どうしよう。セリス様に聞こえちゃうかも。
いい歳こいて乙女チックだなどと同僚に笑われそうですが、実際まだ純潔の乙女ですもの。だからあれこれもしかしてラブロマンスの始まりかもキャーって思ったのも束の間、
「私に魔法を教えてくれ!」
「はい喜んで! ……って、え?」
その居酒屋の店員のような元気の良い返事を自分でもどうかと思うけど、それよりセリス様、この桃色の雰囲気をいとも簡単にぶち壊すのは流石ですね。
はい、白状しますよ。期待してました。
ものっそい愛の囁きを期待しておりましたよ。
ついに春が来たのだと、叶わぬ恋が報われる時が来たのだと舞い上がっておりました。
それはもうセリス様を長年お慕い申しておりました。
お慕い申し過ぎて婚期も逃しました。てへ。
何せ、騎士団に入ったのだって、この隊に入ったのだって、セリス様の直属の部下になったのだって、偶然ではありません。全てはあらゆる手練手管を用い一計を案じた努力の結果なのです!
だからこそ、何かが起きて欲しかったんです!
「は? 魔法?」
ひとり舞い上がっていたのが恥ずかしいのと落胆もあって、自然と声も低くなる。
「君は昨日言っていただろう。自分は魔法を使えると」
魔法。うん。確かに言ったよ?
酒の席でね。
酔って煽てられた勢いでね。
冗談っぽくね。
え? それ信じますか、普通。
天然? 天然なのか?
ジト目で端正なお顔を見つめると、セリス様は渾々ととその結論に至った説明をしだしました。
先に言っておく。
私には不本意ながら武勇伝に因んだ様々な渾名があります。
オルメリアの嵐。虎殺し。酷氷の麗人。霊長類最強の女。等々。
可愛くない物騒な二つ名が山の様に積み重なっています。
私が認知してない裏側ではもっと言われているらしいけど、藪蛇ですので聞く勇気はありません。
「騎士団腕相撲大会で並いる男どもを蹴散らし優勝した」
あれは左利きの有利な条件と手首を巻き込むテクニックとフライングという名の駆け引きだから!
「動物園から逃げ出した獰猛な虎を素手のみで叩きのめし屈服させた」
まだ子供で大きな猫くらいのサイズだったからなんとか、しかも最終的に大人しく勝手に檻に戻っていったよ!?
「崩れかけていた戦線を持ち直すため、一人で特攻し敵軍前線司令部を壊滅させた」
突然の濃霧に迷った先で偶然出会して命辛々逃げまわっていたら、火薬庫に流れ弾が偶然当たって連鎖爆発して炎上延焼しただけなんですけど!?
そんな感じで続々と、私の不幸中の幸いの出来事、もといつよつよな武勇伝をつらつらと続けるセリス様。
一つ一つを心の内で訂正する私。
なにこの罰ゲーム。好きな人にこんな女性らしくないこと述べられるなんて、目の前にセリス様がいなければ恥辱で腰元の銃で自らの頭を撃ち抜いている頃合いだよ〜。
ちなみにこれらの何が厄介かと言うと、全てが作り話ではなく真実も混ざっていることだ。まさに詐欺師の手口。清々しいほど誇張されて拡散されているけれど。
「だから私は確信した。君こそ本物の魔法使いに違いないと!」
確かに。
確かに、酒宴ではちょっと調子に乗っていた。
好きな人の手前、良い格好しいしていた。
だから同僚たちにセリス様同様に壮大に語られ煽てられるのも黙って聞いていた。制止しなかった。
でも、つよつよ武勇伝を肯定したわけではない。
私が真実だと言ったことはないのだ。
まぁ否定もしませんでしたけどね!!
そんな羨望の眼差しで虚偽塗れの私を見ないで。
そんな期待の籠もった声で矮小な私を賛美しないで。
くっ、こんな事態を招くとは、己の能力が憎い。
嘘だと言えたらどんなに楽か。
でも、嫌われてしまうかもしれないと思うと、二の足を踏んでしまう。
セリス様がここまで魔法に拘るのには理由がある。
セリス様の生家はかつて魔法使いを大量に輩出していた魔導の大家だった。その功績もあっての不動の名門公爵家であり王国軍のトップに代々の当主が籍を置いていたのだ。
でもそれも過去の栄光。
魔法を使える人はここ何世代もおらず、ツチノコなみの希少種になってしまっている。
今の王国で魔法が使えるのは誰一人いない。
そう、私を除いてね。
セリス様はそう考えているはずです。
魔法が使える私自体が虚構の存在なんですけどね!
「頼む! どうしても私は魔法が使えるようになりたいんだ」
教えてあげたいのは山々なんだけど、肝心の中身がね。伴ってないんです。
「私にできることならなんでもする! 魔法が門外不出なのは重々承知だ。君の誠実さに漬け込むようで申し訳ないが、この通りだ!」
今なんでもって。いやいや、誠実と言われた手前使えないのに偽るのは……でもなぁ……。
返答に窮していると、セリス様は業を煮やしたのかついに頭の高さが限界を超えて下がり、土下座の姿勢になっている。
好きな人のこんな姿見たくなかった。そしてそれをさせてしまって申し訳ない。意地悪したいわけじゃないんですよ?
云々唸り、決意する。嫌われてもしかたないから本当のことを言おう、と。
「あの、実は私」
「あー会議の準備かったるいなー」
突如ガチャリと会議室のドアが開き、ドア越しに同僚と視線が合い、互いに固まる。
向こうも誰かいると思わなかったのだろう、ノックせず開けたものだから体裁を整える時間がなかった。
とどのつまり。
頭を下げたままのセリス様。というより土下座。
それを見下ろす私。いや、剣呑な視線のため、蔑んでいる形になってしまっている。
うん。まずは弁解させて?
「こりゃどうもお忙しいところ失礼しました」
ちょっと待って!?
ドアを閉める際に、やべーよついに蒼い悪魔が上官をしばき倒して土下座させてるよとか何とか捨て台詞を吐いていきやがりましたよってかそれ初めて聞いた渾名なんですけど!?
うわあああん、また私に不名誉な渾名が増えてつよつよ武勇伝に新たな一ページが刻まれてしまったようです。
しょうがない、噂を広められる前にあいつらを叩き潰そう。そうしよう。
「気を取り直して。あのですね、実は……」
出鼻を挫かれたが、早急に解決させてボコりに行かなくては。
「実は、私は……わた、しは、」
言え。言うんだ、私。
頑張れ私。躊躇するなよ私!
嫌われるのは今更だから落ち込む必要はないぞ!
だから!
「実は私、魔法使いなんです」
ごめんなさい。やっぱ無理でした。
うわっ眩しい。セリス様、めちゃくちゃ笑顔だ。爽やか。格好いい。直視できない。まぁ直視できないのは罪悪感もあるけど。
でもこの時ばかりは、私はこの答えで正解だったと信じて疑わなかったのです。
それに、とある秘策を思いつきました。誰も傷つかないハッピーな方法をね。
「ですが、一つだけ条件があります」
「条件?」
セリス様は顔を上げて体を固くした。
一体どんな悪辣な条件を想起しているのだろう。
下僕になれ、とか。
生涯ブランド品を貢げ、とか。
爵位と領地を寄越せ、とか。
はたまた伴侶になれ、とか。まだセリス様も未婚だし、それもありよりのありですね。うん。
でも、セリス様の反応的にそういうことを言いそうな女と思われている事実。膝が崩れそうになるが、何とか持ち堪える。
「次から君とか階級とか名字ではなく、ファーストネームで呼んでください」
「なんだ。そんな事か」
ほっと一息吐くセリス様。
心折れそう。
血反吐吐きそう。
でもそんな事が私にとって重要なんです!
「エレオノーラ殿!」
「…………」
違います!
「エレオノーラさん?」
「…………」
惜しい! でもバッテン!
「……エレオノーラ」
「よろしい」
呼び捨て! 親しみ! 嬉しみ! 友人……いや、夫婦みたい! とっても素敵だわ!
「よろしく、エレオノーラ」
「はい、セリス」
流れに乗ってついでに私も敬称略!
セリス様のお顔にはそれ二つ目の条件じゃないか的な引き攣りがあったけど、気づかなかったことにしますね。えへへ。
苦言もないしノープロノープロ。一気に距離が縮まった気がするー!
良き哉良き哉!
そして冒頭に戻るのです。
「魔法とは何か!」
「隣国である帝国の建国の祖である聖女が、信仰する女神から授かった奇跡の御業です」
そーなの!?
衝撃の事実。無学で申し訳ない。
こんな学のない脳筋な私が騎士団に入れたのも時代が良かった。
男女共同参画社会。
女性でも外で男性と同じように働ける時代になったのだ。
けれど、男は外で働き、女は家を守るという、旧態依然とした保守派もまだまだ多く、根強い。
ま、そんな不埒な殿方は実力行使という名の暴力で黙らせてきたけどね。
筋肉の密度が濃くて、常人より力強いらしいんだよね私って。
私が男だったらと父に泣かれたのは良い思い出。
「違ぁう! そんなふわふわとした抽象的なものではありません!」
「ならばその心は?」
「決まっています」
私の信ずる神は一つ。
「私の魔法の真髄を教えて差し上げますよ!」
バッと上着を脱ぐ私。
巷のお嬢様方は皮と骨ばかり。肉もなくダルダルの手足。細いことが綺麗だと勘違いしてやがる。
真の肉体美とは!
たるみのない二の腕! くびれたウエスト! きゅっと持ち上がったヒップ! 引き締まった流麗な脚線美!
見よ。この鍛え抜かれ均整の取れた肉体を!
ふふふ。セリス様、アンダーウェア姿の私の肉体美を見て動揺してる、動揺してる。
キレてる、筋肉キレてるよ、私!
「これが……魔法の真髄……!?」
ゴクリ、と喉を鳴らすセリス様。
見惚れてますね。照れますねぇ。
そうです。
健全な魔法は健全な肉体に宿る! はず。
「つまり、私はどうすればいいんだ!?」
「筋トレです!」
己の肉体のみを信じろ。それに答えてくれるだけの力をあなたの身体は秘めているのだから!
あ、セリス様が微妙なお顔をしてる。
そりゃそうよね。
騎士団幹部のセリス様は腕っ節で今の地位に上り詰めたわけではないのですから。主に知略。頭脳ですね。
まぁ指揮官に必要なのは個人の武力ではなく統制力とか指揮力とか執行力とか調整力とかなので、リーダーシップのかけらもない私がヒラのままなのも納得できる。
「虎程度なら軽く捻れるようになりますよ」
「流石魔法だ!」
大人の虎は無理だけどね!
でも、率先垂範して鍛えようという気概は買いますよ私は!
イケメン細マッチョに鍛えてあげますよ!
目的がズレてる?
魔法とは?
ははは。なんとかなるなる。任せなさい。
「合言葉は!」
「己の筋肉は!」
「嘘をつかない!」
「裏切らない!」
掛け声は!
「ワークアウト!!」
ふふふふふ。さあ、やるぞー!
んで。
蒼い悪魔こと私エレオノーラがセリス様をしごき……もとい鍛え始めて早数ヶ月。色々と噂になりまして。
上司を奴隷の様に扱っているだとか。
公爵家を乗っ取ろうと画策しているだとか。
見た目は冷酷な氷の女かも知れませんが、中身は乙女なのですよ? 泣いちゃいそうです。
その前に身体が動くから、噂の発信源をシメてますけどね。
でも、当のセリス様も散々な風評に全く靡かないのは、やっぱり天然なのかしら。昇進に響かないか心配です。大丈夫かしら。
「腹回りの肉が気になり始めていたけれど、エレオノーラの教えの通りにやっていたらなんと、ほら!」
セリス様が嬉しそうに服をたくし上げてくる。おお、割れてる、六つに割れてますよ!
滴る汗。浮き出る血管。筋肉の陰影。はあ、眼福ね。
流石私。育成能力もあると見た。
「僕もかなり体力がついてきたと思うんだ。だからそろそろ……」
いつからか、私に対してはセリス様の一人称が私から僕へと変わった。口調も柔らかくなっていますね。素のセリス様は何だか犬みたいで、それはそれで可愛いです。
ですが。
「まだですね。まだまだ」
しゅんとセリス様が気落ちした。
だから、もうちょい待っててくださいね。
んでんで。
「なあ、エレオノーラ。どうだろうか、そろそろ……」
「まだですね。まだまだ」
そう突き放すと、セリス様はまた気落ちした。
けれど、これには深い事情があるのです。
そう。まだまだ、私は魔法を使えないのだ。
端的に言って、マズい。
隠し通すのも限度というものがある。
はぁ、と人知れずため息を吐く。
「嘘を本当に作戦、完璧だと思ったんだけどなぁ」
内容はこうだ。
筋トレで時間稼ぎ。
そのうちに私が魔法を覚える。
セリス様に魔法を教える。
更に親密になる。
婚約。ゴールイン。
という完璧な作戦だった。
そう、だった、のだ。
前提条件で崩れ去らなければな!
最終的に可愛いお嫁さんになる算段もついていたのに!
全部おじゃんだよー!
座学の勉強は苦手なのだけど、人生で一番やったのになあ。結果、魔法のまの字も全く理解出来ませんでした。
「そろそろ誤魔化すのも限界、かな」
「嘘? 作戦? それに誤魔化すって、何を?」
うおわあ、全部聞いていらっしゃった!?
疑心の目を向けてくる。
たじろぐ私。詰め寄るセリス様。背後は壁だ。逃げ場はない。密着しそう。顔も近い。トレーニング後だから上気した端正なお顔が。近くて。
あああ、もう無理だ。頭爆発しそう。良心的にも。言い訳思い付かない。
さよなら、私の初恋。十何年にも及ぶ長く淡い初恋だった……。
「ごめんなさい。本当は私、魔法使えないです。ただ力がちょっとだけ強い普通の女の子なんです……」
ちょっとだけと普通を強調してしまいました。
この期に及んで小さなプライドが邪魔をする。ああ、嫌になりそう。
しかし、セリス様は飄々とした顔で仰ったのです。
「謝る必要はないよ。知っていたし」
……へぁ?
固まる私に、爽やかニヒルなセリス様。
「魔法は後天的に覚える事はないからね」
…………。
え?
つまり、どゆこと? そういうこと?
「セリス」
「なんだいエレオノーラ」
「私をからかっていたんですね!」
「なんでそうなる」
憤怒する私に、セリス様は苦笑で返した。
「まぁ、最初はちょっとだけその可能性もあるかもって思ってたけどね」
君は武勇伝多すぎるからね、と言う。
ならば、師事し続けた理由は?
「単純に、私の強さに憧れただけ……?」
そう結論付けると、色々と合点がいった。
指揮官でありつつ、個人の武勇に憧れる、普通の男の子だったんだ。私から技術を盗もうと。なるほどね。
あーあ。
私一人で盛り上がっていただけかぁ。
なーんだ。最初から脈なんて無かったんだな。良いように利用されて。当たり前か。未婚とはいえ、公爵家のセリス様が木っ端貴族の私なんて見向きもしないよね。
「うん。だからそろそろ、僕も君を守れるくらい、逞しくなれたんじゃないかって思ったんだけど。まだまだみたいだ」
ポリポリと頬を掻いてそそくさと立ち去るセリス様。それをぽかんと無言で見送る私。
訳がわかりません。
けれど、まあ、いっか。
嫌われなかったみたいだし。
これからも一緒にトレーニングしてくれそうだもの。
良き友人ポジも楽しくて、結構居心地いいのよね。
だから、もう少し、愛しの彼を私好みの肉体に改造していくのも悪くない。