プロローグ ~嘘をついた日~
謎の魔法陣に吸い込まれた僕は、これまた謎の空間にいた。
周囲は青一色で、浮いてるような沈んでるような、飛んでいるような落ちているような、まるで判別がつかない感覚に襲われて、ひどく気分が悪い。
そんな不気味な曖昧さに耐えていると、気づいたら僕は、石畳の上でうずくまっていた。
重力と地面を感じた瞬間に僕の体は回復し、まずは状況を判断することにした。
顔を上げると、正面に人が立っていた。
雪が人になったかのように全身が真っ白の女性だ。
腰までストレートに伸びている銀髪が輝き、整った顔立ちで柔和に微笑んでいるのも相まって、その姿は女神と言われても素直に信じてしまいそうなほど美しかった。
こんな美人には会ったことがない。
言葉も出せずに、少し呆けていると、彼女のほうから話しかけてきた。
「お怪我はございませんか?」
小さいがよく通る声だ。
美人は声まで美しいんだなと、下らないことを思った。
何とか思考を正し、会話を行う。
「……はい、怪我はないです。それでここは一体どこなんでしょうか」
「それは重畳」
彼女は目を細めてコロコロ笑う。しかし、質問に答えてくれない。
「あの……」
「こらー姫ちゃーん!ちゃんと説明しないから困ってるぞ!」
背後からも女性の声がする。それはどこか懐かしさを感じる声で。
振り向くとまず朝焼けのような赤髪が目に入る。
小柄ながらも全身から発せられる力強さに、猛獣を目の前にしているかのような感覚を覚える。
しかし、それ以上に、快闊に笑うその表情は5年間求めてやまなかったもので――
「姉さん……」
「……ゆう君?」
――僕は5年ぶりに姉の八重樫 朝陽と再会したのだった。
◇ ◇ ◇
場所を移してどこかの客室。
未だに状況が掴めないが、とりあえず落ち着いてお茶でも飲みながら話をしようと、2人に連れられるままに僕はついてきた。
高級そうな椅子に座らせられると、ほどなくしてお茶が用意される。用意してくれる人は俗にいうメイドさんというものだろうか。3人いたが、みんな一様に白いカチューシャを頭に着けて、ロングスカートのメイド服をまとっていた。
「ゆうくーん?なーに鼻の下伸ばしてんのー?」
「……別にそんなんじゃないよ。ただ珍しいから見てただけだよ。そんなこよりこの状況の説明をしてほしいんだけど」
深く追求される前に話題を変える。
「それでは、まず私から自己紹介をさせていただきます。私はエレオノーラ・フォン・ニグレーン。このニグレーン王国の王女にして、≪聖女≫の役割を担っております」
「僕の名前は八重樫 夕陽です。あの、普通の一般人です。それで、その王国とか聖女とかって何でしょうか?」
「ユウヒはアサヒに似て可愛らしい顔立ちですね。流石、姉弟といったところでしょうか。でも、その隈はいけません。睡眠はしっかり取らないと。何事も体が資本ですよ?」
「あの、説明を……」
「それにしても2人目の勇者がアサヒの弟とは思いもよりませんでした。これもひとえに私の普段の善行に神がお応えくださったのでしょう」
話が進まない。しかも、この自称王女様が喋るたびに疑問点が増えている。
しかし、マイペースに神様にお祈りを始めてしまった彼女はもう放っておくことにした。
「……姉さん。説明、お願いしていい?」
「おーけー!」
とはいえ、姉さんもこの手の話は得意ではなく、多少手間取りながら僕は頭の中で、状況を整理していった。
「……つまり、ここは異世界で、この世界の魔王を倒すために5年前に勇者が召喚された。そしてその勇者が姉さんだったっていうこと?」
「そゆこと!漫画とかアニメみたいだよねー!」
結局は、そういうこと。フィクションでよくある話が本当に起こってしまっただけの話。
存在自体がフィクションのような姉の身に起こった出来事であれば、僕としては、まぁ信じてしまう話だった。
「でも、姉さんが勇者だとして、何で今更僕が召喚されたんだろう?」
――あるいは最初の召喚が姉ではなく僕であれば、父さんと母さんは。
「うーん。それがちょっと想定外でねー。実はあたしね、魔王自体は2年くらい前に倒しちゃったんだよねー」
「……じゃあ、何で帰ってこなかったのさ」
努めて、冷静に言った。
しかし内心は両親が死なずに済んだかもれない可能性への激情と姉と再会できたことへの歓喜がごちゃ混ぜになり、この時ばかりは感情を表に出さない自分の顔面に感謝していた。
「それについては、私から謝罪をさせてください」
王女様が僕に向き直る。
「私どもは魔王打倒のため、勇者アサヒを召喚しました。しかし、召喚の陣は古代の術式によるもの。現代には送還の方法は伝わっておらず、アサヒを返すことが出来なかったのです。……貴方を含めてご家族の方へ大変な不安を与えてしまいましたことは、本当に申し訳ございません」
そう言って、頭を下げる。
「あのね!ゆう君、あたしも心配かけてごめんなさい!」
と言って、姉さんも頭を下げる。
……女の子2人に頭を下げさせていると、どうにもいたたまれない気分になる。
怒りや悲しみの感情が消え去ったわけではないが、彼女達も不可抗力であったことは分かった。
「分かりました。言い分は理解できたと思います。ですから、もういいです。僕からこのことについて言うことはもうありません」
「……寛大な心に感謝申し上げます」
「それより話を戻しますけど、その、姉さんは魔王とやらを既に倒してしまったでしょう?なおさら僕が召喚される理由がないと思うんですけど」
「それがねー実は1週間くらい前に新しい魔王が現れちゃったんだよー」
ねー、と可愛らしく顔を見合わせる姉さんと王女様。
結構な非常事態だと思うが緊張感の欠ける2人である。
だれかー大人の男の人呼んでー。
◇ ◇ ◇
朝も近い時刻となっていたので、続きは睡眠を取ってからとなった。
そのため、一旦解散となり、メイドさんにどこで寝ればよいか聞いていたところ、姉さんから鶴の一声。
「お姉ちゃんと一緒に寝よう!」
その後、あれよあれよという間に部屋に連れ込まれ、今や隣並んで一つのベッドに寝ていた。
といっても、僕は横になっているだけで、眠れはしないのだが。
「ゆう君、もう眠っちゃった?」
「まだ起きてるよ」
「んふふふ」
奇妙な含み笑いと共にごそごそと衣擦れの音が聞こえる。
姉さんは僕の傍に近寄るとおもむろに手を握ってきた。
「ゆう君大きくなったねー」
「そりゃまぁ、5年も経てばね」
「お姉ちゃんも大きくなったでしょー?」
「身長は僕のほうが高くなったし、あんまり大きくなった気はしないな。それよりも」
そこまで言って、言葉に詰まる。
危うくとても恥ずかしいことを言ってしまいそうだった。
「それよりも?なに?」
「うっ……」
しかし、それを聞き逃す姉さんではなかった。
「なにかなー?言ってみー?お姉ちゃん命令だぞー」
「その……可愛くなったなと……思いました」
言ってしまえば、唯の一言。だけれど顔が非常に熱い。
きっと僕の顔は何の感情も出さずに、けれどもただ真っ赤になっているだろう。
実の姉に何を言っているのだろう、僕は。
「……そっかそっかー。ゆう君はお姉ちゃんのこと大好きだなー!」
「うぐぐ」
そこで、姉さんは更に身を寄せ、遂には僕を抱き枕にするように腕を絡めてきた。
「お姉ちゃんもゆう君のこと大好きだぞー!愛してるよー!!」
「ちょ、やめてよ!」
久しぶりの姉さんのスキンシップにドギマギしてしまう。
接触してる身体の柔らかさから、どうにも『女の子』を意識してしまう。
「……ねえ、ゆう君。パパとママは元気?」
打って変わってかぼそい声で姉さんはそう尋ねてきた。
両親は傍目から見ても、僕たちをとても大事にしてくれていたし、そんな両親のことを姉さんもすごく大切に思っていた。
連絡を取ることも出来ずに長い間、家族と離ればなれになっていた姉さんは、ともすれば僕なんかよりもよほど辛い思いをしてきたのかもしれない。
――僕は1つの決断をした。
「姉さんが居なくなって、それはもう落ち込んではいたよ。でも、まぁ2人とも元気に暮らしてはいるよ」