襲撃
みんなを集めてラウンジに待機していると、エレンさんが誰かを連れてやって来た。
制服を着ていることから船のクルーだと思われる。深刻な顔をしており、嫌な予感は高まっていく。
「皆さん、こちらは副船長のコリンさんです」
「初めまして」
コリンさんは一歩前に出て挨拶をした。
「早速で申し訳ございませんが、緊急事態のため勇者様の力を借りたくやって参りました」
野性味のある顔つきの割に腰が低い。姉さん達はともかく僕は大人にそんな態度を取られるのには慣れていないので、余計緊張してしまう。
「緊急事態?『風船鯨』に何かあったの?」
可能性として高そうな事象をニィエルさんが挙げる。
しかし、コリンさんは頭を横に振った。
「ワイバーンの群れが船に近付いています」
「はあっ!?」
大きな声をあげたのはロベルトさんだ。
「ありえねぇだろ!この大陸にワイバーンは居ない!まさか海を渡って来たってのか!?」
「群れっていうのもおかしいわね。仮に海を渡るとしても少数のはぐれのはずよ」
「私も同意見です。つまりこの群れは偶然ではない、何者かの作為での襲撃です」
何者とは、単純に考えれば魔王だろう。しかし、自分で魔王城に来るように言っておきながら、こんな妨害を行うだろうか。どちらかというと来て欲しそうにしていたが。
「いずれにしても迎え撃つ他なさそうな状況です。勇者様には甲板で手伝いをして欲しいのです」
「おーけー、まかせてー」
姉さんはいつも通り呑気に返事をする。その変わらなさが潜った修羅場の多さを思わせる。
「姉さん、僕は何をすればいい?」
経験がない僕は指示を受けることにした。自分勝手に動いて事態を悪化させることは避けなければならない。
特に今回は、たくさんの人の命がかかっている。
「ゆう君はラウンジに待機。絶対に甲板に出ないで」
しかし、姉さんから返ってきた言葉は思いもよらないものだった。
「えっ、いや、でも一人でも人手が必要なんじゃ」
「船を守ることに集中したいの。守る対象は増やしたくない」
……言外に足手纏いだと言われているのと同じだった。
「アンタ言い方を考えなさいよ!」
「本当のことだもん。危ないことはお姉ちゃんがやるから、ゆう君はゆっくりしてていいよー」
「アサヒ!」
「いいんですニィエルさん。分かったよ姉さん。僕はラウンジで大人しくしてる。だから船のことはお願い、あと絶対無事で帰ってきてよ」
「うん、じゃあ行ってくる!」
言うが早いか風のように走り出す。続いて他の人達も同じように甲板に向かって動き出した。
ニィエルさんは、しきりにこちらを気にしていたが、振り切るように走り出した。
「なあ、ユウヒ。アサヒは何もお前のことが憎くて言ったんじゃないぜ」
「そんなこと言われなくても分かってますよ。それに状況を考えたら不確定要素は出来る限り排除したほうがいい。姉さんがそんな判断が出来たことにむしろ感心しているくらいです」
「ハッハ!それはそれでヒデェ話だな!」
ロベルトさんは弾けるに笑うと甲板に向かった。
残ったエレンさんは静かにこちらを見ていた。
僕はロベルトさんが居なくなってから、一呼吸おいてエレンさんに話しかけた。
「エレンさんも怪我しないように気をつけてくださいね」
「ユウヒは平気ですか?」
「みんな気を遣いすぎですって。姉さんのことなら僕が一番理解していますから全然平気ですよ」
「でも、ユウヒは男の子でしょう」
エレンさんは本当に僕のことをよく見てくれている。隠している部分を簡単に暴かれてしまった。
「そういうのは見て見ぬふりをするもんですよ」
「アサヒとユウヒに不和が生じるのを未然に防ぐのが≪聖女≫の役目です」
「そんな大層なことじゃないです」
「後で二人にはきちんと話し合いをしてもらいますから、しばらく待っていてくださいね」
こんな状況で僕達のことを考えてくれることに感謝しつつ、あまりの面倒見の良さに少し呆れる。
これでは姉というよりは、
「エレンさんは、僕達のお母さんみたいですね」
「後ほど言及させてもらいますので、お覚悟を」
エレンさんは、そう残し去ってしまった。失言だったようだ。
危ないことは姉さんに任せていいらしいから、是非受けもってもらおう。
◇ ◇ ◇
ラウンジには戦えない人達が集まっていた。一応護衛としてクルーが数人配置されていたが、どの人も年若く新人さんのようだった。
つまりは僕と同じ理由で待機しているのだろう。いや、お客さんをまとめる役目がある分、僕なんかよりも役に立っている。
そんな自嘲交じりの考えをしていると誰かに袖を引っ張られた。
視線を向けると小さな女の子がいた。
「お兄ちゃんは騎士様なのに何で上に行かないの?」
僕の腰に提げているショートソードを指差す。
今の僕には中々クリティカルな物言いだが、この子がそんなことを知る由も無い。
「これは持ってるだけで、僕は騎士様じゃないんだよ」
実際ほとんど振ったことのない剣なので本当に持ってるだけなのである。
「じゃあ剣は使えないの?」
「まあ、いざとなったら使うと思うけど、どうしてだい?」
「リオちゃんのパパとママを守ってほしいの」
『リオちゃん』とは自分の名前だろうか、女の子の後ろには一組の男女が立っており、目が合うと薄く笑いながら会釈してきた。
「自分は?パパとママだけでいいの?」
「パパとママは怖がりだから。リオちゃんはこんなの全然怖くないもん」
「そう……リオちゃんは強いんだね」
胸を張る女の子の頭を撫でると気持ちよさそうにふにゃっと笑う。
「それにね!勇者様が居るから怖いことなんてないんだよ!」
一点の曇りもない瞳で言い切る。ここまで信頼されている姉さんが誇らしい。
きっと、ここに居る人達みんなが勇者様を頼りにしているのだろう。
それに比べて僕はどうだろう。子犬のように姉さんにくっつきまわって、修羅場に同行させて貰えず勝手に傷ついている。情けない限りだ。
僕だって≪勇者≫なんだ。とりあえずは目の前の女の子を安心させるとしよう。
「分かった。リオちゃんのパパとママは何があっても僕が守ってあげる」
今は口だけだが、きっといつか姉さんの横に立ってみせる。
◇ ◇ ◇
ほどなくしてワイバーンの群れがやってきた。と思ったら甲板から強大な炎が放たれ、群れの大部分を炭にしてしまった。
ラウンジから甲板上の様子を見ることはできないが、多分ニィエルさんの魔法だろう。
その炎を皮切りに甲板が騒がしくなる。ラウンジの窓から覗ける程度ではあるが、衝撃波や光の矢が敵を蹴散らしているのが見える。恐らくロベルトさんや姉さんの攻撃だ。魔法が使えなくても飛び道具はあるんだ。
エレンさんは、徒手空拳で戦うらしいが飛んでいる相手にどうするのだろうか。
続けて眺めていると敵の一団が拳の形をした謎のエネルギーに粉砕された。
確実にエレンさんの放った技だ。大砲もかくやという威力で敵の命を散らす。
逃れた敵も他の攻撃によって草を刈るように簡単に処理されていく。
短時間で大きく敵の数を減らし、じき戦闘も終わりを迎えるだろう。
馬鹿馬鹿しいほどの戦力差に呆れてしまう。今の100倍敵が居ても突破してしまいそうだ。
気が抜けて、無意識に詰まっていた息を吐いた。
リオちゃんは平気な顔して敵が殲滅される様子を見ている。肝の据わった子である。
「ん……?」
船体下の方から、こちらに飛来する物体が目に入った。すぐに正体に気付く。
「さがれええぇえええ!!」
叫びながらリオちゃんを抱えて飛ぶ。
次の瞬間、一頭のワイバーンがラウンジの壁をぶち抜いた。
衝撃に吹っ飛ばされるが、何とか背中から着地し腕の中のリオちゃんを庇うことに成功する。
打ち付けられた背から伝わる痛みに少しの間、呼吸が出来なくなる。
だけど、体は五体満足で、一見してリオちゃんにも怪我は無いようだ。
安堵したのも束の間、リオちゃん目を見開きながら声を張り上げた。
「パパ!ママ!!」
顔を向けるとしゃがみ込むリオちゃんの母親と庇うように覆いかぶさる父親の姿。
そして、二人の前には大きく口を開くワイバーンが居た。
口の中には鋭利な牙が並んでおり、爬虫類のような目からは何の感情も読み取れない。
周りの人達もとても助けられるような状況ではなく、僕だって間に合わないタイミングだ。
幾ばくもしないうちに喰われてしまうだろう。
リオちゃんはすぐに走り出したが遅すぎる。このままでは両親の次に彼女も喰われる。
僕はリオちゃんを止めるために立ち上がる。
アドレナリンが分泌されているせいだろうか、思考が加速して全ての動きが緩慢に見える。
両親が喰われた後、リオちゃんはどうなってしまうのだろうか。親が居なくなる悲しみや苦しみはよく知っている。あんなに小さな子がそんな辛い目にあうのだろうかと思うとやるせない気持ちになる。
走り出して一歩目でリオちゃんに追いつく。後は彼女を引き留めるだけだ。
僕にもっと力があれば良かったのに。力があればリオちゃんだけでなく、リオちゃんの両親も救うことが出来たはずだ。
先ほどのリオちゃんとの約束を思い出す。どうやら彼女との約束を守ることは出来なさそうだ。
姉さんだったら、きっとこの状況でも皆を救えるだろう。僕じゃ姉さんのようには出来ない。
リオちゃんの肩に手をかける。彼女の顔が目に入る。瞳から涙を流していた。
気付いたらリオちゃんを抜き去っていた。
何をしているのだろうか。自分でもそう思う。でも体が勝手に動いていた。
姉さんなら救うことが出来るというのなら、今だけは僕も姉さんになればいい。
なれない訳がない。何故なら僕はあの姉さんの弟で、同じ≪勇者≫なのだから。
疾走する姉さんの姿を思い出し、更に体を加速させる。限界を超え足の骨が砕けた。
自身を傷付ける程の力に、自分にこんな力があったのかと他人事のように思う。
今だけは痛みも躊躇いも必要ない。とにかく駆ける。
リオちゃんの両親を突き飛ばす。何だ出来るじゃないか。僕は自分を褒めてやりたくなった。
乱暴なのは許してほしい。そこまで配慮する余裕は無かった。二人の驚く顔が見える。
突き飛ばした腕にワイバーンが喰らいつく。鋭い歯が皮を裂き、肉に突き刺さる。
ブチブチと聞こえてくる音に、腕が引き千切られるとも思ったが、そのまま船外に引っ張り出されてしまった。
見る見る遠ざかる船。どうやらワイバーンは降下しているようだ。上昇すれば姉さん達に気付いてもらえただろうに運が悪い。
兎にも角にも今まさに僕を美味しく頂こうとしているワイバーンをどうにかしないといけない。
噛みつかれている片腕は使えないが、もう一方の腕は使える。アッパー気味にパンチを放つと相手の顎が砕けた。
殊更強い敵ではない。僕でも十分倒せるレベルだ。しかし、状況が悪かった。
ワイバーンは滅茶苦茶に暴れ回る。踏ん張ることが出来ない空中では抗うことが出来ない。
腕を引き抜くことも出来ないため、体を上下左右に振り回され平衡感覚も失ってきた。
血を失い過ぎたせいか意識も朦朧とする。これはまずい。
負けじとこちらも拳を何度も突き出す。完全に顎を砕くと口が開かれる。
すると、ワイバーンが頭を振り回した際に腕が引き抜けた。
重力に従い落下する。もはや船がどこにあるのかも分からない。
僕の意識は目前に迫る緑を最後に途切れてしまった。