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前編


 朝はいつもは肌寒さを感じるくらいなのに、何故か今日は暖かくて心地よかった。半分だけ覚醒した脳がこのまま惰眠を貪ろうと即決を下し、再び深い眠りにつこうとして――――失敗した。先程までの心地好い眠気が嘘のように消え、ルエは目をこれでもかと言うほど見開いて固まる。


 なんだ、これは。なんで隣に、奴が寝ているんだ。


 暖かいものの正体、それは人間だった。性別は男。年齢は24歳。髪は黒。

 部屋は普段通りの自室なのに、この男の存在だけがいつもと違う。あってはならない、ここに居てはならない存在だ。一体何があった。何が起こったというのだ。


 ルエは布団を捲る勇気がなかった。ただでさえこの男が隣に寝ているだけで瀕死のダメージを負っているというのに、もし着衣がなければショック死してしまう。世の中には知らなくていい事実というものがある。例えばうざい男と一夜の間違いを起こしてしまったかもしれない、だとか。そんなものルエは死んでも知りたくはない。いっそのこと殺してくれよ、誰か。


 しかしいくら神に祈ったところで確かめないという選択肢はなかった。震える手でそっと自分の体に触れれば、かろうじて下着はつけている状態。

 これはセーフか、いや、限りないセーフに近いアウトだろう。いつも着ている寝間着がない。対してこの男は上半身は恐らく裸であった。恐ろしいことに艶かしい肩が見えている。こちらはアウトだ。真っ黒だ。


 ルエは泣きそうになりながら必死で昨夜の記憶を手繰り寄せた。







『供物が届きましたよー』


 小鬼たちが(見た目は子供だが中身は悪魔だ)嬉しそうに駆け寄ってきた。美味しそうな果物に麦や野菜、ワインや布など様々だ。


 ここはこの世とあの世の境目にある場所。暗闇に包まれたひとつの家があるだけの物悲しい所だ。そんなところに何故住んでいるかというと、それはルエが"人柱"というやつだからだ。

 何年前だったか、突然預言者たちが一斉にこの世の終わりが近づいていると唱えはじめた。彼らが言うにはあの世、俗に言うところの冥府とこの世が重なってしまうとのこと。

 それを防ぐために提案されたのが、境目にある空間に人柱を置こうというものだった。ぶっちゃけただの生贄だ。それに選ばれたのがルエ。


 境目には何もない。人柱に選ばれたときは絶望していたルエだが、住んでみると以外と悪くない。小鬼たちは皆面白くて楽しいし、供物はそこそこ良い品。特に不便はないし、大きな不満もない。


「供物が届いたのか」


 ――――この男以外は。


 この世には大国が2つある。各国はそれぞれ1人づつ人柱を用意した。そうして境目に住むことになったルエともう1人の人柱、男の名はジグ。


「おい、あまり果物を触るな。痛むだろ」


 ワイワイキャイキャイと小鬼たちとはしゃいでいたのに、現れるなりこの一言。この男は空気を読んでもっと場を盛り上げるなりなんなりできないのか。

 二人が人柱に決まったとき、周りからは年近い男女で良かったねだなんて喜ばれたがとんでもない。この人選はとんでもない過ちだとルエは今なら断言できる。


「いいじゃん、ちょっとくらい。みんなでお祝いしてるんだからさ。ケチ!」

『ケチー』

『ケチケチッ』


 小鬼たちもケチだケチだと大合唱で、ジグの眉間に皺ができる。ざまーみろ、とルエは鼻で笑った。

 ジグはいつも口うるさい。最初に出会った時はこんなに格好良い人がこの世に居たのかと感動したものの、その感動は1ヶ月も続かなかった。活発で明るく賑やかなのが好きなルエに、いつも冷静でルエを注意してくるジグは根本的に反りが合わなかった。ルエはさながら、厄介な姑と同居しているような気分だ。


『お祝いしよう』

『お祝いお祝い』

『前のやつやろう』

『ルエ、あれやろう』

「いえーい、やろうやろう」


 小鬼たちが言っているのは以前供物が着いたときにやった、御神輿というものだ。ワイン樽を担いで上下に揺らし、わいわい騒ぐ。小鬼たちは背が小さく頼りなかったが、皆で持ち上げてしまえばなんとかなるものだ。


『ジグもやろう』

「やらない。というか止めろ。危ないだろ」

「やっほーい」

『やっほー!』

『やっほー!』

「・・・・」


 やっほーやっほーと叫びながら樽を持ち上げて騒ぐルエと小鬼。そして唐突に悲劇は起きた。


 バゴッと不吉な音を立てて地面へ落ちた樽。床に広がる紫色の水溜まり。そしてドクドクと流れ出している―――届いたばかりのワイン。


「ぎゃああああ!」

『わあああああ』

『ああああああ』


 壊れた樽をジグが慌てて起こしたものの、中身は半分近く持っていかれた。溢れた分は使い物にならない。なんと勿体のないことか。次の供物までまだ先は長いというのに。


「お前たち、だから止めろと言っただろ」

「ごめーん」

『ごめーん』

『ごめーん』


 ごめーんの大合唱の最中、ジグの額に青筋が浮かんでいるのをルエは見逃さなかった。ジグは静かにキレている。これは二時間説教コースか。


「の、飲もうゼ!」


 なんとか誤魔化さないと。二時間説教コースだけは勘弁して欲しかったルエは親指を立ててそう言った。ルエは知っている、酔っている時のジグはほんの少しだけいつもより寛容になることを。樽も壊してしまったことだし、ワインが悪くなる前に飲み干してしまおう。


『ジグ、飲もう』

『飲もう』

『全部飲もう』

「お前たちは飲めないだろう」


 まったく、と舌打ちをしそうな勢いだがジグは否定しなかった。残ったワインを移し変えるにも限度があるし、勿体ないのは否定できなかったから。


「飲む前に、片付けだな」


 ルエがその瞬間助かったという表情で微笑んだが、もちろんジグは説教するのを忘れるわけがなかった。





 そうして程よく酒が進み、話が進み――――とはならなかった。


『ぎゃはははは』

「やらー!なんでよー!」

『ルエよわーい』


 破損した樽の残り全部を空にする勢いで飲んでいたため、案の定ルエはベロベロに酔っぱらっていた。そして第4回腕相撲大会イン境目なるもの(もちろんジグには何が楽しいのか理解できない)が始まり部屋の中はひっちゃかめっちゃかになっていた。

 ジグは部屋で静かに飲みたかったが、目を離すとルエたちが何をやらかすかわからないので戻るに戻れない。そういうジグも酒が回っているため顔をほんのり赤らめて、ワイワイと楽しそうに騒いでいる皆を遠巻きに眺める。


「チェスごっこしよー」

『しよー』

『するする』

『クイーンやりたーい』

「あんだってー?じゃああたしはキングじゃ」


 チェストー!とそこかしこから叫び声が響き渡る。(チェスごっこだなんて名ばかりの、ルール全無視した肉弾戦だった)ルエの足はふらふらだし、小鬼は可愛らしい見た目だが手加減を知らないので、そろそろ止め時かとジグは立ち上がって小鬼に声をかける。


「お前たち、そろそろ寝る時間だぞ。片付けて冥府に帰るんだ」

『はーい』

『片付けるー』

『ゴミまとめるー』


 小鬼は知能は幼いが素直なので扱いは楽だ。問題はこの人。


「えー、やだよー。まだ飲もうよー」

「寝る時間だろ。あまり深酒すると明日が辛いだろう」

「大丈夫大丈夫!」


 二日酔いで毎回気持ち悪いだの頭痛いだの騒ぐのはどこのどいつだ。と責めたい気持ちでいっぱいだったが、酔っぱらいに何を言ったところで素直に聞くわけがない。


『おやすみー』

『おやすみー』

「はいはい、おやすみ」


 手早く片付けて帰っていく小鬼。暗闇に包まれた境目には大陽も月も昇らないが昼夜はある。時計は夜の12時を過ぎていて、皆揃って随分夜更かししてしまったとジグはため息を吐いた。


「没収」

「おにー、あくまー」


 ルエからワイングラスを取り上げれば案の定文句が飛んでくる。しかしあまり甘やかすわけにはいかない。明日の惨状が目に見えているのだから。


 手首を引っ張り無理やり立たせると、グイグイと背中を押して退場を促す。まだ部屋に戻りたくなかったルエはソファにダイブしてまるで蛙のような体勢で貼り付いた。彼女は許しが出るまで梃子でも動かないつもりだ。これにはジグも頭を抱えるしかない。


「やだよー。だって楽しいんだもん。1人じゃ寂しい。ねえ、一緒に飲もう?」

「・・・・」


 はあ、と諦めたようなため息が聞こえてきてルエはニンマリと笑う。先ほど没収されたグラスを取り戻せばホクホク顔で座り直す。さあ飲もう、とことん飲もう、とジグを座らせ空いたグラスにワインを注ぎ押し付けた。されるがままのジグはもう逆らう気力がなかったのか無言でなんの感情も見えない真顔だった。


「もっと嬉しそうにしてよー。ほら、ニコって笑ってみて」

「あまり近づかないで欲しいんだが」

「なに女の子みたいなこと言ってるの!」


 深夜に男女二人で酒を飲む。普通ならば女性であるルエが警戒すべきなのだが、どちらかといえばジグの方が警戒心満載だ。そんな態度が不満なルエは唇を尖らせてジグに詰め寄る。


「私と居るの楽しくない?私はジグと居られて嬉しいのに」

「そ、そうか」


 ルエは酔っている。何度も言うがかなり酔っている。でなければ素面でこのような台詞は吐かないし思ってもいない。むしろ苦手だし気難しくて嫌いだとさえ思っていた。それはジグ本人も承知していることだが今はジグも割りと酔っていた。酔っぱらいの戯言を流すことができず動揺する。


「初めて会ったとき格好よくって嬉しかったんだよ。なのにいつもジグは怒ってばっかりでつまんない」

「・・・善処する」


 生憎だが怒らせているのはルエだ。しかしそのような都合の悪い事実はコロっと忘れるのが酔っぱらいというもの。

 大人しく話を聞いてくれるジグに嬉しくなったルエは飛び掛かるかのように豪快にジグの腕に抱き着いた。驚いたジグはビクリッと大きく身体を震わせて抱き着いてくるルエと反対の方を向く。


「おい、離れろバカ」

「バカって何よひどい。私と2人じゃいや?ね、ちゃんとこっち見てよ」


 自分とは違う柔らかな身体をぎゅうぎゅうと押しつけられて何も思わないほどジグは堅物ではない。ルエの方を見ればいろいろとよろしくないことくらい、酔っていても簡単に想像できた。そう、ルエは見た目は悪くないのだ。金髪の巻き毛に緑の瞳。そして驚くほど滑らかな陶器のように美しい白い肌。よくない、これは本当によくない。ジグはルエを刺激しないように(機嫌を損ねると面倒なため)丁寧に話を逸らそうとする。


「ほら、溢すぞ。何か食べられるものを持ってこようか」

「ねえねえ、この世界には私たち二人しかいないんだよ。ダメ?私だけじゃダメ?」


 ジグはルエの台詞の破壊力に「んぐっ」と喉から変な唸り声を上げる。ジグがいつもよりも優しかったので調子に乗ったのだろう、ルエはますますすり寄って甘えた声を出す。


「ねえ、ダメ?私じゃいやなの?こっち向いてちゃんと言って」


 ジグは身体を硬直させたまま首だけをぎこちなく動かし、自分の腕に抱き着いているルエの方を向く。酒で血色のよい顔と涙で潤んだ瞳に、ジグはゴクリと喉を鳴らした。


「いや、・・・・じゃない」

「よかったあ」


 花のように可憐ににっこりと笑うルエ。そしてルエはふらつきながらも立ち上がって、掴んでいたジグの腕を引っ張り上げる。


「いこ、私の部屋いこ」


 ジグは今度は欲望に忠実に、コクリと頷いた。











 残念ながらルエの記憶はここまでだった。いや、逆にそこからの記憶が無くて助かったかもしれない。もし覚えていたら二度と立ち直れないような気がした。何がどうなって服を脱いだのかはわからないし、何をしたのかもわからないけど、知らない方が幸せでいられそうだ。


 もそっと隣で寝がえりを打つジグにルエは飛び上がった。


「ああ、起きたのか」


 目を開けたジグはルエを見るなりそう淡々と言い、普段と変わらない態度。対してルエは顔を真っ青にして胸元の布団をあらんばかりの力を込めて握りしめている。彼女の様子がおかしいことにジグはすぐに気が付いた。


「どうした?」


 不審に思ったジグがルエの頬に手を伸ばせば、ヒイイイイイイッとお化けを見てしまったかのような悲鳴を上げるルエ。もちろんジグの手は宙に浮いたまま固まる。


「い、い、い・・・い・・・いや″あああああああああああああ!!」


 そして家中に響き渡る大絶叫を上げて、ルエは着の身着のまま脱兎のごとく部屋から飛び出して行った。


「・・・・・嘘だろ」


 唖然とするジグを一人残して。 






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