森下 青葉の憂鬱
物事には裏と表がある。それは何にでも当てはまることで裏表のない物なんて存在しない。表があるから裏があり、裏があるからこそ表があるのだ。それは例えば光と闇、善と悪といったものだ。その二つは決して交わらない水と油のようなもの…。
はて、ここまでたとえ話していると元は何の話だったか忘れてしまうから困る。そうそう、表と裏の話だ。人間にもそれが当てはまる。表の人格と裏の人格、それは相反するもの。とまぁ厨二臭く語ってみたものの、結局何が言いたいかっていうと人間の裏と表には越えられない壁があるということだ。
*****
目が覚める。気が付くと知らない天井。知らないにおい。そして自分のものとは違う寝息。隣を見ると整った寝顔。しかもその人はがっちりとしがみついている。え、ちょっと待ってなんでこの人私にしがみついているの?ていうかここどこ?
青葉は驚いたように跳ね起きる。それにつられて由梨も跳ね起きた。
「うわっと、もう朝…? あ、おはよう青葉ちゃん。よく眠れた?」
由梨は腕をまくらのようにして微笑みかける。あぁ、なんでこの人はこんなにもかっこいいんだよ…。
「え…あ…はい…」
ささやかれた青葉は頬を赤く染め頷く。この人胸がなかったらほんとにイケメンだよな…。
「昨日のこと、覚えてる?どう?」
「昨日…。 えっと、飲み会に行って…それで…えっと———」
青葉は昨日のことを掘り返そうと頭を回転させる。昨日は飲み会に行って運ばれてきた生ビールを進められそのままに飲んだことまでは覚えている。覚えているが…。
「えっと、そのあとのことは覚えてない…かも」
「そっか、それじゃあ仕方ないね。とりあえずもう起きよっか」
先ほどから二人はベッドに横になったままの姿勢だ。青葉は頷くとゆっくりと上半身を起こす。そして違和感。位置エネルギーを得てそれを維持できなくなった布団は重力に従って取得した位置エネルギーを運動エネルギーに変換する。まぁ端的に言うと持ち上げられた布団がずり落ちたのだ。そして布団に包まれていたその体躯がさらけ出された。そこにあったのは豊満ながらも引き締まった裸体だった。
落ち着きを取り戻してきていた頭は沸点を通り越していたことを思い出した液体のように一気に沸騰した。
「な、ななななな………!!!」
「あぁ、ごめん。一応服着せようとは思ったんだけど私の服どれも合わなくって。で、昨日着てたのは洗濯してるし…。 で、どうせ私しかこの部屋にいないしそのままでも大丈夫かなって———」
そういう由梨も一糸まとわぬ姿だった。まぁ結果客観的に見ればシた後のように見える。
「ももも、もしかして、何かシましたか!?」
「シてないよ!?いや、シたかったけど何もしてないから!」
「シたかった!?今シたかったって言いました!?」
言った後に気が付く。とんでもないことを口走ってしまったのだろう。何しろ女性が女性にシたいと口走ったからだ。…うん、このままでは色々といろいろとイロイロとまずい。
何がまずいって…?それは———
「あ、あの…。由梨さんって———そっちの人?」
空気が凍り付く。昨日の風呂の日じゃない。今、青葉はアルコールが抜け意識がはっきりしている。ゆえにこの問答はこの後の人生を左右する。リアル背水の陣はごめんだ。昨日はなんだか錯乱していたが今は昨日のような奇跡など起きるまでもない。
「…黙ってるってことは、そうなの?」
「………」
返す言葉が見つからない。これを世間一般では図星を突かれるというのだろうか。背中には冷たい汗がつつっと流れた。
「え………っと、どう…なの?」
ゴクリ、と空気を飲む。ここで嘘をつくのは簡単だ。しかし嘘をつくというのはどこか許せない自分がいる。ゆえに、ゆっくりと、首を縦に振る。あぁ、人生オワタ…。
そんな由梨の姿を見て青葉は胸元で手をぎゅっと握り息を吐き出す。それはどこから見ても安堵の物に見えた。感じた。思えた。思いたかった。
「そう…なんだ」
ぽつりと呟く。細く、小さい声。そしてその表情はふにゃんとふやけていた。
「そっか…そうなんだ」
咀嚼し確認し消化し吸収する。そしてそれを飲み込んだ青葉は幸せそうな笑顔になった。
推測だが、おそらくこれは類似の法則だ。同じ部分、同じ要素を持っている人間を見つけると親近感なんかで距離感が狭くなる。簡単な話だ。違うところだらけの人間同士よりも少しでも同じ部分がある者同士の方が接しやすいというものだ。ゆえに、これはおそらくこれにあたるのだろう。
「———あ、あのね?」
青葉が口を開く。いきなり話しかけられたのでびくりと肩を震わせる。それを心配し口を止めるが、大丈夫とだけ言って続きを促す。
「あ、あの…。 お願いが…あるんです。 わ、私がそっちの人ってこと、黙っていてほしいんです。お願い…できますか?」
断るまでもない。もしここで断ってしまっては昨夜我慢した意味がない。
「うん、わかった。 青葉ちゃんのことは黙ってるね。あ、私のことも黙ってくれたらうれしいな」
カーテン越しに差す朝日を背後に受けながら青葉に微笑みかける。さて、ここで思い出してほしい。二人が今一糸まとわぬ姿であることを。
「あの…作者さん。今それ言いますか?」
いえいえ、まぁ忘れてそうですし。
「じゃあ服取ってくるね。乾燥機にかけて干してたからもう乾いてると思うよ。取ってくるね」
そう言い残し由梨は外に出る。えっと、この人今素っ裸だってこと忘れてません?
「おぉ由梨、今起きたのか?あの子の服持ってきたんだ…が———」
「あ、兄貴。ありがと———」
「おまっ!おまぁぁぁ!?なんで服着てないんだよ!服くらい着ろよ!」
「………はぁ!?ちょ、こっち見んな馬鹿兄貴!!」
由梨は事態に気が付き顔を染め上げる。そして健二が持っていた青葉の服を奪い取り部屋へと戻っていく。部屋に戻ってきた由梨は大げさに肩で息をしていた。
「え、えっと…?由梨さん?」
「あ、あぁこれ、兄貴が持ってきてくれたから。 今日休みだよね?」
「う…うん。休みだよ?明日は講義だけど午後からだし」
「じゃあ今日一緒にどこかに行かない?ほら、二人の秘密ができた記念にさ?」
クローゼットから服を選びながら話しかける。さて、パンツにするかスカートにするか…。
「ねぇ、どっちがいいと思う?」
「えっと、スカートの方がいいと思うよ?」
「そう?じゃあこっちにしようか」
落ち着きを取り戻した由梨は選んだ服を着用する。青葉もいそいそと着替えていた。
「…それで気になったんだけどさ? 胸、何マップ?」
ちらり、と青葉の方を確認しながら我慢していたと言わんばかりに質問する。いきなりな質問に驚き素っ頓狂な声をあげる。
「あ、いや、その…ね?昨日お風呂に入ったときから気になってて…ごめんね?変なこと聞いて」
「あ、そ、そう…。 そ、そうだ、今日どこに行くの?」
「う~ん…とくには決めてないけど…。 そうだ、最近できたショッピングモールとかどう?」
「えっと、隣町にできた奴だよね?あそこ近くなんだけどまだ行ったことないんだよね」
「そうなの?じゃああそこでショッピングした後家までお見送りできるね。じゃあ決定ね」
*****
大体20分くらいバスに揺られ着いたのは大型ショッピングモール。中にはブティックや本屋、果てにはホビーショップなんかもある。おおよそないものはないだろう。まぁパッと思いついたらから具体的に何があるとか決めてないんだけどね。
「あ、あの服カワイイ!」
「ほんとだ、由梨さん似合いそう」
「え?青葉ちゃんの方が似合いそうじゃない?」
「いや…。その、私胸が大きいらこういう服着ると太って見えるんだ…」
見ていたのは白いワンピース。いたるところにフリルが施されておりゴスロリっぽくもある。どちらかといえば甘ロリといったところか。
時刻は10時半を回っておりまばらだった客もどんどん増えてくる。気が付くと都内の某スクランブル交差点並みに混んでいた。
「青葉ちゃん、はぐれるといけないから手、つなごっか」
「う…うん」
差し出された手をおずおずと取る。その手からは由梨の体温とわずかな湿り気、わずかに早くなった鼓動が感じられた。
(………由梨さんも、緊張してるのかな)
腰まである長い髪の隙間から覗く頬はやや赤く染まっていた。ショッピングモールの中、そこだけは二人だけの空間になっていた。
しばらく歩いてお昼ごろ。中にあるイートインコーナーで一緒にお昼を食べていた。イートーンコーナーは多くの子連れやカップルなんかがワイワイと騒いでいる。そんな中に二人はいた。由梨はカレーライスを食べており、青葉はオムライスに手を付けていた。
「ん、これ美味しい。 青葉ちゃんも食べてみる?」
そういって一口分スプーンですくって青葉に差し出す。
「あ、ありがと」
おずおずと口に含む。間接キスだとかそういったことは考えない。ここで断ったら気まずくなると思ったのだ。カレーは中々スパイスが効いていてやや辛く、若干値段が高いのも頷けた。
「ん、ほんとだ。美味しい」
「でしょー?」
パッと笑顔になる由梨かまぶしく、なんとなく目を背けてしまう。自分がこんなまぶしい人と一緒にいていいのか…。時折そんなことを考えてしまう。今日はずっとそんな感じだ。
青葉はいつも波風を立てないように生きてきた。それなのに由梨という太陽のような人と一緒にいる。それ自体が波風を立てているようで落ち着かない。そんな彼女からすると顔面偏差値の高い由梨は全く違う世界の人間に見える。そんな人間と一緒にいることは青葉の言う『波風』に相当する。恐らく———というか絶対に———由梨はそんなこと気にしてはいないとは思うが、どうしてもそう考えてしまう。
そんなことを一人考えながらもそもそとオムライスに手を付けていると、ひときわ大きな泣き声が耳に飛び込んでくる。休日のショッピングモールなんかではよく見る光景だ。あれが欲しい、これが欲しいだのなんだの言った挙句泣きだす子供だ。しかし今回のそれは違っていた。子供が一人ひときわ大きな声で泣いているのである。周りに親らしき人影はない。迷子だろうか…?
「あの子、一人だけど迷子なのかな…」
由梨は心配そうに子供に目をやる。どうやら女の子のようでピンクのワンピースを着ている。周りの大人たちは我関せずといった感じで見てみぬふりをしていた。まぁ、こういう大型のショッピングモールなんかじゃ日常茶飯事なのですぐに収束するだろうという考えがあるのだろう。
そんな中、女の子に男が近寄っていくのが見えた。親———というにはちょっと無理があるような年齢に見える。男は女の子と何か話しているようで、律義に女の子と目線を合わせて話している。
「ねぇ、あの人あの子の関係者なのかな…」
ぽつりと青葉の口からそんな言葉かこぼれる。
「それ、どういうこと?」
「だって、あの子どう見たって4、5歳なのにあの男の人20前後にしか見えないよ?親子っていうには無理があるんじゃない?」
「確かに…。でも、考えすぎじゃない?きっと両親がどこにいるかとか聞いてるんじゃない?」
由梨はそんなことを言っておどけているが、どうも気になる。もしかしたら大きな事件に発展するかもしれないし…。
そんなことを察してか、由梨は立ち上がって女の子の方へと歩を進めた。近づいてわかるのだが、男は名前や年齢を聞いているようだった。確かに必要な情報だが、ここでそんなこと聞く必要はあるのだろうか。
「あの~、姪に何か御用でしょうか?」
由梨が話しかけると男は肩をびくりと振るわせて驚いたように見えた。
「え、えっと、保護者の…かた…ですか? とてもそうは…見えませんが…」
男はおどおどしていて、ぼそぼそとついて出る言葉は周囲の喧騒にかき消されそうで聞き取りにくい。目も泳いでいて一向に由梨を見てくれない。
(この反応…。青葉ちゃんの言ってたことはあってるっぽいな)
どこか心の中で確信する。青葉はもしかしたらこの男が誘拐なんかを企んでいたのかと察知したが、どうやらその予想は当たっていたらしい。
「はい、そうなんですよ。ちょっと目を離したすきにはぐれちゃって。ご迷惑をおかけしたようでどうもすみません」
「え…あ、はい…。 じ、じゃあ僕はこれで———」
男は何かに追われるように逃げていった。何とか危機は去ったようだ。
「ゆ、由梨さん。大丈夫だった?」
男が去った後直後、青葉が近くによって来る。女の子はいまだ泣いているようでとても話ができる様子ではない。
「兎に角迷子センターに行こうか。えっと、歩けるかな?」
由梨が優しく問いかけるが、一向に泣き止む様子はない。由梨が困り果てていると、青葉が女の子を優しく抱きしめた。すると落ち着いたのか次第に泣き止んでいった。
「えっと、とりあえず迷子センターに行こうか。歩ける?」
女の子は小さく頷く。そして迷子センターへと向かっていった。
迷子センターの前まで行くと、女の子の親が見つかった。女の子の手を引いていた二人に勢いよくお礼を言って去っていった。
「それにしても、よくあの人が怪しいってわかったね」
「うん…。私、男の人の“そういう目”に敏感だから…」
それを聞いて、由梨はちょっと申し訳なさそうにそっかとつぶやく。こうして、二人はショッピングモールを後にした。
*****
太陽がやや傾いてきた帰りの電車の中、休日とはいえ帰宅には微妙な時間だからかバスの中には人はそんなにおらず、片手で数えられるほどしか乗っていなかった。由梨と青葉は同じ座席に座り周囲からは見えないように手をつないでいた。交じり合った体温は程よい湿り気と共にとても心地よく感じた。




