忘れた頃にやってくる
「……さて、そろそろ出ようかな」
十分に湯船を堪能した俺は、のぼせる前に温泉から出ることにした。
覗きに挑もうとした猛者達は未だに目を覚まさず気絶していたが、自業自得としか言いようがないし、多分放置で大丈夫だろう。
そう思い立ち上がった瞬間に、温泉の戸が開く音がした。他のお客さんか、それとも従業員さんでも入ってきたのだろうか。
と思っていたのだが、入ってきた人の姿が見えた瞬間、俺は言葉を失った。
「おお。これまた良さげな温泉だなぁ――って、アル? お前もここに泊まるのか?」
目の前に居たのは父さんだった。と、言うことはだ。今、|女湯(向こう)には――――――。
俺は全てを理解した瞬間、速やかに湯船に全身を沈ませた。
それと同時に、大きな声が響き渡った。
「アル!? ここに居るの!?」
「ちょ!! ルシカ! おま! こっちは男湯だぞ!! 他のお客さんに失礼だし、見られたらどうするんだ!!」
潜っているから周囲の状況はわからないが、多分母さんが柵の上からこちらを覗いているのだろう。防衛魔法仕事しろ。
「そんなことよりアルは!? アルはどこ!?」
恐らく母さんは今、人目を気にせず俺を探している。
まずい。父さんに何も説明せずに隠れちゃったから、もし父さんに俺が湯船の中にいるって母さんに教えちゃったら――!!
「……アル? 何を言ってるんだルシカ。アルがこんなところに居るわけがないだろう?」
……え? 父さん……?
「そ、そんなはずは……」
「でも事実として、湯船には誰も居ないし、あとはそこに変な謎の人山があるけど、その中に居るとも思えないなぁ……」
……これってまさか、俺が母さんに会いたくないと思っていたのをあの一瞬で察してくれたのか……?
「うーん……おかしいわね。私のセンサーにビビっと来たのがこの旅館だったのに。というか現在進行形でビビッと来てるんだけど、もしかして間違えたかしら……? ねぇあなた、本当にアルを見てないの?」
「ああ。見てないぞ?」
「……そう」
流石父さんだ。あの母さんを騙せるなんて。
「まあ、そういうことにしておいてあげるわ」
あれ? これほんとに騙せてる? もしかしてバレてる? バレて……ない、よね?
俺が不安に思っていると、体をポンポンと叩かれた。
「もう出てきて大丈夫だぞ」
父さんにそう言われ湯船から顔を出すと、父さんが苦笑いしながら俺を見ていた。
「別にあそこまで隠れなくても良くないか? ルシカはお前に会いたがってたし、顔くらい見せてやっても――」
「父さん。わかってる。わかってるけど、それは今じゃないんだ。どうかわかってほしい」
「……お前も大変だな……」
何かを察したのか、父さんは哀れむような表情になった。
「とりあえず早めに風呂を出て、ルシカと鉢合わせになる前に部屋に戻ることをオススメするぞ」
「丁度出ようと思ってたし、そうするつもりだよ」
「そうか。んじゃ、またな」
「ああ。またな、父さん」
俺は父さんに別れの言葉を告げると、逃げるように温泉を後にした。
「はぁ~っ……。助かった……」
母さんが温泉を堪能している間に、俺は無事自室へと戻ってくることに成功した。
あの母さんの事だし、すぐに風呂を出て待ち伏せしている可能性があるんじゃないかと思っていたが、特にそんなことはなかった。
自室にはすでに従業員さんが用意してくれた布団が敷かれていて、いつでも休めるようになっていた。
「……にしても、あの4人は大丈夫かな……」
女湯には未だに母さんが居る。それと同時に、俺と一緒にここへ来た4人の顔を母さんは知っている。
もし、女湯で鉢合わせにでもなったら大変なことになる。
何しろ母さんは俺という存在が絡んだ場合、手加減するという概念が存在しない。
しかも、俺と一緒に泊まりがけで温泉街に来たとなれば、鬼とも悪魔ともなりかねない。
「……なんか、自分のときより不安になってきたぞ……」
無事に帰ってきてくれよ……。と祈っていると、部屋の扉が開く音がした。
「あ、やっぱり先に戻ってきてたのね」
開いた扉から姿を見せたのはヘレンさんで、その後ろから他の3人も部屋に入ってきた。
「ヘレンさん。えっと……大丈夫でした?」
「ええ。アル君のお母さんが男湯を覗いてる隙にお風呂を出て戻ってきたから何ともなかったわ」
「そうですか……。それなら良かった……」
無事に生還したようでなりよりだ。でも、何ともなかった割には心なしか全員の顔色が優れない。
不思議に思っていると、ルリが口を開いた。
「でも、アルのお母さんが男湯を覗いてるときに、脳内で『貴女たちは後でね』って言葉が聞こえてきて……」
やっぱりバレてるよねコレ。
母さんの目を欺くなんて無理なのかなぁと思っていると、ファルが胸を張って近付いてきた。
「ま、まあ。アル君と一緒になるためにはひ、必然的にあのお母さんを説得しなくちゃいけないわけだし? べ、別にわた、私は怖くなかったよ?」
「声震えてんぞ。……あと、そういう言葉はボリューム下げるにしても皆の前で言わないようにな?」
俺の言葉にファル以外の全員が首を傾げていたので、どうやら今のファルの発言は聞こえていなかったようだ。
「でも、お兄ちゃんのお母さんってよっぽどお兄ちゃんの事が好きなんだね。ちょっと度が過ぎてるような気がするけど、それを抜けば良いお母――――――」
と、衣服の整理をしながら言っていたユリアだったが、突然口を閉じた。
「……ユリア?」
どうかしたのだろうか。そう思っていると、ユリアは衣服をもう一度最初から整理し始めた。そして、整理を終えるとこちらを振り向いた。
「えと、その、お兄ちゃん……」
「どうした?」
ユリアは言いにくそうにして顔を赤らめていたが、ゆっくりと口を開いた。
「し、下着……1枚、た、足りないんだけど……。お、お兄ちゃん、何か、知ってる?」
ユリアがそう言った瞬間、全員の視線が俺を捉えた。
これは――――――まずい。




