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穹窿のエン  作者: あびあび
クルエス僧院編
3/4

王都ナハジカ探訪

クルエス僧院長が王都ナハジカに遠征する。

院長が外出するのは珍しくはなく、用事が沢山あるらしくしょっちゅう外出していた。今回の王都遠征も珍しくない。

イシトとハソラは何故だが同行する事になったのだが、僧院の少年達には彼らは表向き一週間、反省室といわれる特別室に入れられた事になっていた。

「ハソラはともかく、なんでイシトも入れられるんだ?」

頭のいいメガネのカルマはいぶかしんだ。

「俺が志願したんだ……ハソラとこれをきっかけに話したいから」

周りに酔狂だと言われたけれど、イシトはそういう事にしておいた。


王都までは移動に二日かかる。彼らは乗馬もまだ出来ないので基本徒歩、たまに馬車に乗せてもらえた。

護衛に2人、僧侶が院長まぜて3人。そしてイシトとハソラ。御者が1人。計8人での旅路だ。

早朝、日が出る前に出発した。

ハソラはとても不機嫌そうに……いや、眠いのかもしれない。渋い顔で歩いてる。

「ハソラ、お前王都に行ったことある?」

イシトはうきうきしていた。王都には行ったことがない。実はかなり楽しみだったのだ。

「ある。でも、人が多くてうるさいだけだ」

「やっぱり都会だし、皆洗練されてるのかな」

「お前は田舎者臭いからな」

イシトはふくれたがその通りだった。

「都会では知らない他人は信用するな。お前は人なつっこすぎる」

驚いた。ハソラがそんなこと言うなんて思わなかったのだ。

ハソラはあの取っ組み合い以来、声をかければ必ず反応を返してくれるようになった。イシトはそれが嬉しかった。

先の院長やカイルの話から推察するに、ハソラの背後には何か複雑な事情を感じられた。ハソラが皆から距離を置こうとしていたのもそういう事かもしれない。

だが、それについては詮索するつもりはなかった。触れてはいけない領域もある。それはその領域を侵す事になると思ったのだ。イシトは本能でそれを感じていた。

空は晴天、とても晴れやかな日だ。

イシトは上機嫌で歩き続けた。


王都ナハジカに着いたのは二日目の夜だった。夜でも町は賑わいを見せている。その町並みと喧噪にイシトは圧倒された。

宿に入り、部屋を当てられる。

イシトとハソラは二人だけの部屋を割り振れられた。

「ナハート神へ祈りを捧げるのだけは忘れるなよ。それが終わったらさっさと寝ろよ」

院長のお付きの僧侶にそう言われる。部屋から去ろうとする僧侶をハソラが呼び止めた。

「院長は王都になんの用事なんですか」

「要所の僧院の代表の僧侶様に参じるようにとの国王陛下からのご命令だ。何か口頭で話さなければならないご用事があるらしい。院長から、明日はお前等に王都を案内してやれと言われている」

「……なんで俺とイシトを連れてきたんですか」

「院長のお考えだ。俺にもわからん」

ため息をつきながら僧侶は部屋を去った。

「僧院の代表が国王に呼ばれるのは珍しくないって聞いたよ。国王陛下とか写し絵でしか見たことないや。どんな人なんだろう」

イシトはまだ興奮していた。寝れるだろうか。

「……さあな。興味ないよ」

そのままハソラは布団に入る。

「あれ、祈らないの?」

僧院では決まった時間にナハート神への祈りを捧げるのが慣例になっていた。僧院を離れても同じ事だ。

「監督もいないのに、信じてもいない神に祈る必要もない」

ナハート神を信じない。それはこのナンビュスでは禁忌とされる発言だった。イシトは息をのんだ。

イシトにとっても神というものは遠いよくわからない存在だった。でも、生活していく上で祈ったことは数多くあるし、何より信じてない発言をしようものなら不信心者の烙印を押されて村八分にされる。僧院で口にしようものなら在籍することすら難しくなるだろう。イシトはハソラを心配した。

「ハソラ……ナハート神を信じてないなんて、他の誰にも言うなよ」

背を向けて寝っ転がっていたハソラがこちらを向いた。

「……お前は不信心者だって、非難しないんだな」

「俺も正直、神というものがわからないから」

僧院にくれば何かわかるかなと期待したものだが、今のところ何もわからない。まだ帰依したばかりだし、修行不足かもしれなかった。

「前から思ってたが、お前は変な奴だ」

「え……なんだよ、それ」

ふくれた顔を作ったら、ハソラが笑った。

今まで見たことのないさわやかな笑顔だった。心からの笑顔に感じた。イシトは驚きみとれた。

「イシト、お前がいつも下げてるペンダント、それ大事か?」

「へ?ああ、うん。姉にもらったんだよ」

何故いきなりペンダントの話になるんだ?イシトは頭を捻った。

「王都に姉貴がいるんだって話、してたよな」

「え、ああ、うん。貴族に嫁入りしたんだ」

ハソラにはこれは話したことない気がする。やはり無関心のように見えて、皆の話を聞いている。

「仲良かったんだな。そのペンダント、いつも大切そうにしてる」

「うんまあ。うちは仲良かったよ」

本当はこの機に姉に会いに行きたかったが、それは許可が下りなかった。修行中なので、死別以外の理由で家族に会うことは出来ない。そういう規則だ。

「そうか……」

ハソラが起きあがってこっちを向いた。さっきの笑顔とは違う、何か企んでるようなにやりとした笑い。いつものハソラの笑顔だ。

「イシト、そんなお前に相談がある。明日、二人で抜け出さないか。その姉さんに、会いに行こうぜ」


翌朝、僧院を出て三日目、今日もすこぶる快晴だった。

起床時間より30分早く起きたイシトは、朝のお祈りをして軽く身体を動かし、定時にハソラを起こした。

こんなに興奮していては寝れない。そんなことを言ってたイシトは結局ハソラよりも早く寝た。ハソラは呆れたらしい。

先日、一緒に抜け出さないか。そう言われ、しばらく考えた後承諾した。田舎育ちの姉が都会で苦労してないか、ずっと気になっていたことだし、様子を少しでも見れたら。そう思ったのだ。

あと、断ってもハソラは一人で抜け出すだろうな。こいつはそういう奴だ。なら一緒に抜けて様子を見た方がいいとも思った。

僧侶に告げ口をすることは考えなかった。せっかく心が解れてきたハソラとの仲を悪くしたくなかったし、何より、姉がどうしてるのか気になる。

姉の住所は紙に書いてもらったのがある。弟妹にもらったお守りと一緒に自前の宝箱に入れていた。今回の旅にも持ってきている。

人に尋ねながらいけば着けるだろう。

朝食は院長達と食べた。僧院で食べる普段の料理より格段に豪華だった。イシトは夢中になって食べた。

食事中、院長は言った。

「イシト、ハソラ。私は国王陛下の元に参じてくるが、君たちはじっくり王都を見てくるといい」

観光して遊んできていいぞってことかな。いいのかな修行中の、しかも僧院に入ったばかりの俺たちにこんなに寛容で……

イシトは逆に心配になった。

食後の祈りをすませ、イシトとハソラは出かけていく院長を見送った。

イシトは確認したい気持ちでハソラに話しかけた。

「一応、俺たち罰でここにいるんだよな」

「そうだな」

「どう考えてもご褒美にしか感じないんだが」

「そうだな」

「逆に不安なんだが、いいのかな」

「食えないおっさんだ。まあいい、この状況は好都合……」

ハソラがぼそりと言った。

「え?なんて言った?」

「なんでもねえよ。支度するぞイシト」

そのまま部屋に戻る。観光中、僧侶の目を盗んで抜け出すつもりだった。今度こそは重い罰がくるだろうな。そう思ったが、イシトはなんだかすごくわくわくしていた。自分も不良なのかもしれない。そう思った。


王城への道のり、かたかたと馬車に揺られながら、院長は静かに目を閉じ考え事をしていた。

「院長」

その様を見ていた僧侶がここぞとばかりに尋ねた。

「イシト、それにハソラ、彼らを何故連れてきたのですか?ハソラを国王の元に連れて行くおつもりなのかと思いましたが」

「何、あの二人を仲良くさせるのにいいきっかけになるかと思ってね」

「それだけですか?」

「それだけだよ」

僧侶は心底呆れたような顔をして小声で言った。

「ハソラを特別扱いしすぎるのはどうかと思いますが。いくら現国王の息子とはいえ廃嫡子、もはや王族ではありません。しかもあの子は……」

「それ以上言うのはよしなさい」

きっぱりと言葉を遮った。まだ年若い僧侶は口をつぐむ。

院長は窓から外を眺めた

繁栄し人々が活発に生活を営んでいた。裕福そうな貴族の馬車とすれ違う。逞しい商人、幸せそうに笑う人々……その中には奴隷にされた異種族、俗称獣人たちや、物乞いも見て取れた。

「じっくり見てくるといい。この国の繁栄と抱える暗闇を」

重々しくも優しい口取りで、そう呟いた。


晴天の中、明るい公道をイシトとハソラ、そしてお付きの僧侶の三人で歩いてた。

「まったく……!!何故私が子守をしなければならないんだ……!!」

いらいらする僧侶をイシトが宥める。

「まあまあ先生。せっかくだから色々王都のこと教えてくださいよ!」

「……えーと、ちょっと待て」

僧侶が王都旅案内という冊子を取り出した。ハソラが呆れた目でその冊子を見つめていった。

「僧侶を務めるなら王都の事位、ご自分の口で説明してくださいよ」

「う、うるさい!!」

「ちょっとそれ、見せてください先生」

イシトが僧侶の手から冊子を取る。地図を見てみると、今いるところから姉の家は少し離れていた。さて、どうしよう。

「まったくお前達はマイペースだな!!いいか!!私の話をよく聞いて私から離れるなよ!王都には治安の悪い場所もあるからな!勝手に出歩くんじゃないぞ!」

頭を掻きながら歩く僧侶の後ろをついて行きながら、イシトとハソラはひそひそと話す。

「どうやって抜ける……?」

ハソラがニヤリと笑う。

「……俺に考えがある。任せておけ」

「わかった」

そのまま案内されるまま歩き続け、ハソラが声を上げた。

「先生、喉が乾きました。水をいただけないでしょうか」

僧侶が腰に下げていた水筒をハソラが物欲しそうに見る。

「ん、そうか。水も高いからな。私が持ってきたからこれを飲みなさい。ちょうどいい、このあたりで休むか」

ちょうどよく座れる木陰があった。三人で座る。

僧侶が水筒ごとハソラに手渡し、ハソラは数口飲んだだけで僧侶に戻した。

「まったく……私も国王陛下にお目にかかりたかったものを……お前達のせいで……」

ぶつぶつ言いながら僧侶も水筒を飲んだ。

「ハソラ……お前のような問題児に付き合わされるイシトの身にもなれ……まったくお前は……いくら……だからって……、に……」

僧侶がそのままずるずると横になり寝息をたてるまで、数分もかからなかった。イシトはあっけに取られた。

「意外と効くな、この薬」

粒のような丸い物体をハソラが取り出した。

「ね、眠り薬を盛ったのか、ハソラお前、それどこから手に入れたんだい?」

「調合した。何かと役立つと思って。ああ、お前等で少し試したから、効き目はわかってたんだがな。特に副作用もない。不眠に良い薬だ」

平然とハソラが言う。相部屋の仲間にこっそり盛った事があるらしい。イシトは怒りを通り越して呆れた。

「どこで調合方法調べたのさ。傷薬以外の薬の調合は中級僧以上にしか教えられなかったような」

「ちょっとな」

ハソラは含み笑いをした。


姉の住まう屋敷を目指して王都を歩く。あの僧侶と歩いていたときは治安のいい安全な道ばかり歩いていたようだ。道ばたには浮浪者が寝転がり、物乞いもいる。ガラの悪そうな連中もいて、何度かちょっかいもかけられた。

「姉さん、どんな人なんだ」

さして興味なさそうにハソラが聞いてくる。

「俺の姉ながら美人だぜ。絶対驚くよハソラ」

「美人、ねえ。お前と同じように変な姉さんなのか」

「俺のどこが変なんだよ」

「それがわかってないから変なんだよ」

無駄口を叩きながら歩く。ハソラと話すのは思ってたよりずっと楽しい。狭い通路を抜け突如、開けた広場に出た。人が押し合いながら行き来し、ざわめいている。何か催し物をやっているようだ。

「お、賑わってる。旅芸人かなあ……」

イシトは前に進もうとしたが、ハソラが手を掴んで止めた。

「ハソラ……?」

ハソラは険しい顔でその催し物を眺めている。なんだ……?とイシトもよく眺めてみた。長い耳の生えた少女が……裸で立っている。

「……!?」

「奴隷市場だ」

吐き捨てるようにハソラが言った。

「奴隷……」

「ああやって奴隷は裸にされて検分され。健康で機能しそうな身体かどうか。獣人の奴隷は良い値で取り引きされる」

獣人は、全知全能の神ナハートとそれに嫉妬した邪神エンとの戦いの時にエンに力添えした邪神の民である……と、そういえば授業で習ったような気がした。半分寝てた気がする。

生まれてはじめて獣人を見た。なんだかすごく怖い形相の種族なんだろうなー、と子供の頃なんとなく思ってたが、ちょっと見目形が違うだけで普通の女の子に見えた。貴族の小姓らしい男達はその子を見て、競って競りをしている。女の子は生気のない、どこかに魂をやってしまったようなそんな顔をしていた。イシトは、心の奥底に重い石ころがのしかかったような……胸が軋んだ感じがした。

ハソラは険しい顔でじっと女の子を凝視している。

「吐き気がする……腐ってやがる」

そう吐き捨てた。

イシトはそのまま黙って競りの様子を見た。奴隷は高価らしい。田舎で貧しく暮らしていた頃には想像も付かない値段が飛び交っている。

「イシト……行くぞ。イシト……?」

「ハソラ、あの子、これからどうなるんだ?」

「あの子は金持ちのところに売られて妾になるんじゃないか。なかなか器量がいいし」

「…………」

金持ちの妾がどういう暮らしをしているのかは計りかねたが、女の子の魂の取られたような様子が気になる。

「おい、イシト、行くぞ……イシト?イシト!!」

イシトはそのまま人の往来をくぐり抜け、競りの真ん中に立った。

広場がざわついた。

「なんだこのガキ」

「金持ってるのか坊ちゃん!」

奴隷を買おうと集まった金持ちらしい服装の男達がヤジを飛ばす。

イシトの突然の登場に奴隷商人は面白そうな顔をした。

イシトはどこか間の抜けた、勿論自分では意識してないが、そう感じさせるような調子でこう言った。

「あの、その子を解放してもらえませんか。悲しい顔してます」

一瞬、広場が静寂に包まれる。ハソラは自分の目が点になるのを感じた。

一瞬の静寂の後、広場が爆笑に包まれる。

イシトはそれに動じずそのままの様子で少女を見つめている。

少女の目に少し生気が戻り、少女もイシトを見返した。

「お姫様を助け出す王子様の登場ってか!!おもしれえ!!」

「こりゃ傑作だ!!!」

周りの大人たちは腹をかかえて笑っていた。

奴隷商人が黒い髭をなでながら、笑いをこらえるように言った。

「坊ちゃん、親元に帰りな。ここはぼくちゃんがくるところじゃないぜ」

「どうすれば解放してもらえますか?」

イシトは食い下がった。

「金を持って来るんだな。競りに勝てばお前のもんだぜ、王子様」

「お金は持ってないけど……」

「金のない子供が来るところじゃないぞ、ぼっちゃん」

手で追い払われる。イシトは続けた。

「俺はナハート教に入信したばかりで、まだそんなに神のことはわからないけど……種族が違うから、邪神の民だからってこんな扱いをしていいなんていう神は、信じない。」

イシトの語気が強くなる。ハソラがはっとした。

周囲の人だかりがそのイシトの台詞にひやりとした。王都でナハート神の不信を顕わにする者は法律で罰せられる。

「同じ人間だ……獣人だって同じ人間だろ」

周囲の笑い声は止まり、緊張に包まれた。

「俺は……」

イシトが先を言おうとしたそのとき、肩に手をおかれる。振り返ると、ハソラがいた。

周囲の視線がイシトからハソラに移る。新しい少年の登場に今度はどんな余興が始まるのか。そんな期待の目を背に、ハソラは鞄から何かを取り出すと、奴隷商人に乱暴に手渡した。

「これでこの子を買いたい」

いぶかしげだった奴隷商人は、その渡されたものをしばらく眺めていたが、やがて表情を強ばらせた。そして大声で叫んだ。

「……おめでとうございます!!この奴隷は、この若旦那のお買い上げです」

「はああああ!?なんだよそれ!!!」

「何出したんだあいつ……!!!」

広場中から不満の声があがる。

「…………ハソラ」

「イシト、お前バカにも程があるぞ」

獣人の少女に服を着せた奴隷商人が、そのままハソラに受け渡す。

ハソラは持っていた防寒のローブを少女に着せた。

「……俺もバカだけどな」

ハソラが自嘲するように呟いた。


市場で目立ってしまった分、裏道を通るのは危ない。

そんなハソラの意見で、イシトとハソラ、そして少女の三人でなるべく治安の良さそうな公道を歩いて進む。

少女はセイナと名乗った。年齢は16、イシトとハソラより3つ上だった。

「セイナはどこの生まれなの?」イシトが聞いた。

「イレストリアの国境付近の小さな村です……」

隣国のイレストリアはナンビュスと宗教を異にする大国で、邪神エンを崇めている邪教国家と言われていた。仲は悪く国境付近では小競り合いが続いてると聞いた。

「そう……なんとか、家に返してあげられるといいけど……」

「ナンビュスとの戦で家は焼かれました……そして親兄弟とも離ればなれになって、私は奴隷として売られました」

声が震えている。泣いてるのかと思ってセイナを見たら、もうそういうのを通り越したような、重々しい静かな顔をしていた。

ハソラが口を開いた。

「イシト、この子をお前の姉さんに引き取ってもらえないか。僧院には連れて帰れない」

「頼んでもダメかな」

ハソラが呆れた顔をした。

「女、しかも獣人、御法度に決まってるだろう」

姉も正直、貴族の家でどういう立位置かわからない。引き取ってもらえるかはわからなかった。

「そういえば、ハソラ。さっき、お前奴隷商人になにを渡したんだ」

ハソラが肩をすくめる。

「父親からもらった指輪だ。がらくた同然だ。こんなときしか役に立たない」

あの奴隷商人の態度を見るととても高級な品だったろう。彼は金目のものを持ち合わせていた。

イシトはそのまま黙ってハソラを見つめた。

漆黒の髪に碧の目。整った中性的な顔立ち、まだ成長過程にある身体は細身だが、貧弱には見えない。

「なあハソラ」

「なんだ」

ハソラが姉に会いに行こうと言ったときから勘にあった事を口に出した。

「お前、最初は俺を巻いて逃げる気だったろう。なんでさっき奴隷市場で逃げなかったんだ」

ハソラがぴたりと立ち止まる。

「そもそもなんで僧院に入ったんだ?」

「……お前は基本は単純バカだが、やけに鋭いときがあるな」

ハソラは深くため息をついた。図星だ。

「た、単純バカとはなんだよ!」

「逃げようと思ってた。お前の馬鹿さ加減をみたら、やる気失せた」

「さっきから人を馬鹿馬鹿と……」

「本当の事だろ」

やっぱり逃げようと考えていたんだ。どう見ても僧院に不満もあるし、先日は神を信じていないと言っていた。彼には金になるアイテムもあった。逃げる力があったのだ。逃げる気だったなら、さっきイシトが奴隷市場に躍り出た時にそのまま放っておいて逃げればよかったのに、ハソラはそうしなかった。

「本当は逃げて母さんを探そうと思っていた。でも、このまま僧兵になれば、父親の鼻をあかす機会もあるかもしれないと思ったし」

「…………」

よく彼の背後の事情を飲み込めないが、とりあえず話を聞く。

「あと、俺はお前に関心が出た。お前がどんな大人になって、どんな僧兵になるか、見てみたい。そんな気もしてきた」

「……へ」

こんなことを言われるとは思わなくて、イシトは目を剥いた。

「本当の馬鹿にしか出来ないぞ。さっきのアレは」

ハソラはくっくっくと、しかし優しく笑っていた。いつもはニヤリ笑いだが、たまにこういう瞬間がある。

「そ、そこまで言うことないだろ。人が真剣だったのに……」

「あの場で真剣にあの台詞が言えるところは本当に評価する」

「な、なんだよー……」

イシトとハソラの様子を黙って見ていたセイナは、とても仲のいい二人だな、そんな感想を抱いた。


夕方には三人は姉の屋敷にたどり着いた。思ったより大きい屋敷だ。城のように感じた。ここで姉は暮らしてる……はずだ。田舎暮らしの姉がいきなりこんなところに来て何事もなく生活できてるはずがない、そう思った。イシトはますます姉が心配になった。

門番に話しかける。

「なんだ、お前たち、ここは貴族様のお屋敷だぞ。お前等のような子供が来るところではない。帰れ帰れ」

「数ヶ月前、ここの貴族様の嫁になったユーリの弟イシトなんですが」

「ユーリ……確かに若奥様の名前だな」

門番は最初いぶかしんだが、取り次ぎはしてくれた。

「イシト……!!!」

待つこと数十分、村にいたときよりさらに美しくなった姉が驚いた顔で出てきた。

「姉さん……!!」

そのまま抱き合う。少しやつれたような気もするが、元気だ。ほっとした。

「イシト、僧院に入ると修行中のうちは身内には会ってはいけない決まりがあるって聞いたんだけど……隣の子達は誰?」

「あ、うん同じ僧院の仲間のハソラと、まあ…説明しづらいけどセイナだよ」

「どうも」

「こ、こんにちは」

「ハソラ君とセイナちゃんね。イシト、時間があるならあがっていって。旦那様にも許可もらったから」

ハソラと目を合わせた。

「一刻くらいならいいんじゃないか。それから帰っても深夜に着くだろ」

着いた後、間違いなくきつい罰が待ってるが、それは頭から追いやった。

「じゃあ少しだけ……」

詳しく姉の近況を聞きたいし、セイナを頼みたいこともあったのでお言葉に甘えることにした。


姉は嫁いで半年以上経っていたが、屋敷から出してもらえず王都の事を知らないようだった。慣れない暮らしで苦労することも多いようだが、旦那が本当に優しくて気を遣ってくれるらしい。姉は幸せそうに見えた。イシトは心から安心した。

奴隷市場で起きた事は伏せた。適当にセイナの素性を話して、なんとか姉の侍女にしてもらえないか話した。

姉は静かにイシトを見ていた。イシトがちょっと苦手な表情だ。この顔をする姉は、なにもかも見透かしてるように感じる。

「旦那様に頼んでみる。多分、大丈夫。駄目だったら、そのときはなんとかする」

姉はあっさり快諾してくれた。

「大丈夫なの、姉さん。そこらへん融通きくの?」

「旦那様、私にぞっこんだから」

姉がウインクする。

「イシトもいい友達が出来たみたいだね」

ハソラとイシトを見比べながら、姉はそう言った。

「お姉さん、こいつ馬鹿で変な奴ですが、前からこうですか」

ハソラがイシトを指さして言う。

そのハソラの言葉にユーリは笑った。

「イシト、ハソラ君イシトの事わかってるじゃない、よかったね」

イシトは渋い顔を作った。ユーリがさらに笑う。

短い談笑の夜はあっという間に過ぎていった。


姉にセイナを託し、別れて公道を歩く。すっかり夜が更けていた。

ぽつりとイシトが言う。

「帰ったら、どんだけ叱られるだろう」

薬で眠らせた僧侶も、起きて自分たちを必死で探しただろう。悪いことをした。

「叱られる、だけではすまないだろうな」

ハソラが人事のように言う。

なんだか多忙な一日だったが、この一日でハソラの態度は大分柔かくなっていた。僧院で感じていたような、無理してる様子はもう感じない。

帰り道の途中で、イシトの姉の住所を調べそこにいるだろうと踏んだ僧侶と鉢合わせし、そのまま盛大に殴られ、叱られた。残りの日程は監視付きで部屋に閉じこめられ経をひたすら書かされた。結局、反省室に入れられたのと同じだった。でも二人なのでそんなに退屈はしなかった。

僧院への帰り際にはイシトとハソラはすっかり長年の親友のように冗談を言い合い、笑いあう関係になっていた。

僧侶たちも彼らの変わりぶりに驚き、院長もそれを見て笑ったらしい。

「神というものが本当にいるなら」

イシトが言った。

「いつか、理解できるといいな」

「本当にいるならな」

ハソラはやはり神に対して懐疑的だったが、とりあえず同意した。

まだなにもわからない、神のことも世界のことも。

僧兵になるための修行は、まだ始まったばかりだった。

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