ハソラとの出会い
宗教国家ナンビュスは、男尊女卑の強い傾向があり、女が国の役職に就く事はほとんど稀であった。
男子の一番の出世街道は、12歳まで学校に通いその後僧院に帰依し、修行を積んで高等僧侶になる事だった。
覚えなければいけない教典は膨大であり、武術もある程度出来なくてはならず狭き門であった。
だが、ナンビュスはそれほど裕福な国民が多いわけではなかった。それでも学校に行けない子供にも、出世の方法があった。
教育を満足に受けることの出来なかった男子の唯一の出世の登竜門は僧兵…兵士になる事だった。
僧侶見習いと同じように僧院に帰依し、僧院では武術とある程度の教典の学習を行った。
19、20歳位まで僧院で修行を積み、その後兵士として僧侶として社会に出て行く。
今日は13歳になり、まだ幼さを残しつつ少し逞しくなった少年たちが、僧兵になるために僧院に帰依する日だった。
その中にイシトはいた。
クルエス僧院。国の各地に僧院があるが、ここはこの地域では最大の規模の僧院だった。ここにイシトは出仕する事になる。
数ヶ月前に貴族に嫁入りした姉がこの日のために服を仕立ててくれた。布は上質で肌触りよく、少し身分違いな気がして落ち着かない。首には、姉がくれた首飾りをさげていた。
イシトと同じように集まった少年たち、みんな一様に不安と期待織り交ぜた顔をしている。総勢、30人前後だろうか。
祭壇の前に集まり、一人一人呼ばれ僧侶に洗礼を受ける。
服を脱がされ、油のようなぬめぬめしたものを頭からかけられた。最高神ナハートの聖なる雫、そんなことを僧侶が言っていた。
イシトは正直神様というものがわからない。でもこの洗礼を受けると何かわかるのかなと少し期待していたが、受けても何もわからなかった。
その後五グループ、六人づつに分けられ、今度から寝食修行を共にする仲間だと伝えられた。
イシトはグループの仲間たちを見回した。名前を覚えるのは得意だ。天然パーマの気が強そうなのがチック、のっぽで気が弱そうなのがジョーイ、メガネをかけたのがカルマ、落ち着いて大人びてるのがルイ、線の細い少女みたいな顔立ちなのがハソラ。
初日は説明を受けた後、それぞれの部屋で談笑する時間がとれた。
どこ出身か、趣味は、あの説明していた僧侶の感想、様々な話で盛り上がる。その中で一人、輪から離れて会話に混ざろうとしない奴もいた。
少女みたいな中性的な顔立ちのハソラだ。我関せずと言った風に一人静かに配布された教則本を読んでる。
大人びてるルイが近づいていった。
「ハソラ、君の話も聞かせてくれよ。どこから来たの?」
「…………」
ハソラはルイをちらりとも見ずに本に視線を落とす。
気まずい空気が流れ、頭を掻きながらルイが戻ってきた。
「どこにでもいるよな、ああいう感じ悪い奴」
気が強そうなチックが言った。
「恥ずかしがり屋なんだよ……そのうち慣れてくるよ…」
のっぽのジョーイだ。
イシトはハソラが気になった。イシトは気むずかしそうな人間を見ると構わずにはいれない性分だった。誰とでも打ち解けられる天分がイシトにはあった。どんな気が難しい人間でも不思議とイシトには気を許す。村では泣く子も黙るイシトと言われていた。勿論、友達も多かった。
イシトは黙って近付いていく。ハソラもそれに気づいたのかちらりとこちらを見た。
「えい」
「うひゃあ!?」
イシトは間髪を入れずにハソラの両のわき腹をくすぐった。いきなりそうくるとは思わなかったのだろう。驚いた顔で小さく間抜けな声をあげて身体をくねらせた。
それだけ見て満足したイシトはそれ以上何もせず振り返って輪の中に戻る。ハソラもだが他の皆もあっけにとられた顔をしていた。
また無表情で読書に戻りづらくなったハソラは本を置き、今度はふて寝をはじめた。
それを見たイシトは満足そうな笑みを浮かべた。
それから毎日のように、教典の授業や武術の修行に追われることになった。既に武術を習っていた者、教典の基礎を覚えてる者もいたので
イシトにとっては分の悪いスタートだった。
だが武術はセンスが良くて見込みがあると教師である僧兵に褒められた。教典は苦手ではないけれど、あまり楽しくなかった。
最初から武術も学問もある程度こなせる優等生もいた。ハソラだ。
どこで習ったんだという位、素養があって出来が良かった。
「ハソラは、どこで武術や学問を覚えたんだい?」
大人びてて世話好きらしいルイは、あきらめずにハソラに話しかけていた。ハソラは大体無言だったが短く答えるときもあった。
「俺が天才なだけだよ」
冗談なのか本気なのか計りかねる口調でハソラはそう言った。
ハソラは生活態度はよくなかった。何かと挑発的な態度をして、教師をうならせた。羽目を外す事が多かったが成績はいい優等生のせいなのかか大目に見られることも多かった。
チックを初め、ハソラの事を気に食わないと思ってる少年も多かった。
ハソラは基本無口であまり周りに馴染もうとしなかった。いつも距離を置いた場所で一人で過ごしていた。
イシトも彼を気にかけていたが、なんとなくハソラは本当は、皆とつるみたいんじゃないか…そう感じる時があった。
無理をしてるように感じるのだ。
ある日、ハソラに業を煮やしたチックが、暴言を吐いた。
「ハソラがあまり叱られないのって、先輩僧兵に身体でも売ってるんじゃねーの?女みたいな顔だし!」
いつも我関せずのハソラが、その時ばかりは形相を変えてチックに本気で殴りかかった。ハソラが本気で怒るのをイシトは初めて見た。
チックをボコボコに殴り、全治二週間の怪我を負わせた時は、さすがに僧侶に呼ばれて説教を受けたらしいが、きついお咎めはなく部屋に戻ってきた。
部屋にはイシトしかいなかった。他の皆は図書室まで散策に行ってる。イシトはいつも皆の中心にいたが、本を読む気分になれないので辞退した。
イシトはハソラに声をかけた。
「ハソラ」
ハソラの身体が揺れる。
初日のわき腹くすぐり以来、イシトに警戒してるらしく、イシトが近づくと距離を置くように逃げていた。
だが、話しかけると答えてくれる確率はルイより高かった。周囲にも不思議がられた。
「チックは本当はハソラと仲良くなりたいと思ってるんだよ……。あまり嫌わないでやって」
「……俺にその気はない」
イシトはため息をついた。数ヶ月彼を見てきて、思ったことをぶつける時かもしれない。ゆっくり口を開いた。
「集団で生きていくには、周りの調和に合わせるのも必要だよ。何に構えてるのか知らないけどさ。もっと自然体になりなよ」
ハソラは不思議そうにイシトを見る。イシトは引き続きこう話した。
「見てればわかるよ。わざと皆から距離を置こうとしてるけど、無理して構えてるんだなって。自分を見せないように、何かを隠そうとしてるみたいに見えるよ」
ハソラは苦虫を噛み潰したような顔をしている。図星のようだ。
「何がそんなに怖いんだい?」
ハソラがはっとした顔でイシトを見た。イシトは真面目な顔でハソラを見据えていた。
ハソラはそのイシトの瞳に恐怖を感じた。
「お前には関係ない!!!」
いきなり突き飛ばされて、イシトはよろけながら尻餅をついた。
イシトは笑った。クールに見せようとしてるが、ハソラはかなり感情的だ。無表情の下に複雑な感情を隠し持っている。次第にわかってきた。そして、それを見せたのが嬉しい。
「……俺だって武術のセンスあるって言われてんだ…ハソラ、お前に負けないよ!」
そのままハソラに飛びかかり、取っ組み合いになる。それは部屋の仲間たちが戻ってきても続いた。ハソラはチックを大怪我させた事もあり、彼らはあまり関わりたくないといった風情で遠巻きに眺めた。
それは騒がしさを聞きつけた僧侶が部屋にやってくるまで続いた。
「全く…チックを大怪我させたに飽きたらず、説教の後にすぐ喧嘩をするなんて…全く反省してないね、ハソラ」
イシトたち僧兵見習いの監視役を務める僧侶…カイル先生だ。イシトとハソラを執務室に呼び出して説教をしていた。
「君の生活を、見直さなくてはいけなくなるよ。ハソラ」
カイルは深々とため息をついた。
「……父さんに伝えればいい。俺が問題児であることを」
ハソラはそう言った。カイルは口を閉ざす。
「……いやあの、僕からハソラにちょっかいかけたんです。チックの時も、あいつがハソラに酷いこと言ったんだし……彼は悪くありません」
イシトはハソラを庇った。ハソラはバツの悪そうな顔で俯いている。
カイルは少し考えるように口元を押さえイシトとハソラを見つめていた。そして口を開こうとした途端、奥の部屋の扉が開いた。
「院長…」
このクルエス僧院の最高責任者の院長だ。イシト達に洗礼を与えたのも院長である。
「ハソラ、そして君がイシトだね」
穏やかな顔で院長は言った。僧兵見習いの子供達一人一人の名前を覚えているのだろうか。イシトは名前を言われたのに少し驚いた。
クルエス僧院は決して小規模の僧院ではない。むしろ大きい方のはずだ。何人いるのか知らないが、ここにお勤めする僧侶は多い。末端の僧兵見習いをいちいち覚えてるのだろうか。すごい記憶力だ。
「ハソラ、君は成績こそいいものの生活態度も悪いし、問題を起こす。君の出生から考慮して大目に見てきたが、罰が必要だね」
ハソラの身体が動いた。顔を見ると、不敵に笑っている。
なぜここで笑うのか。もしかしてハソラは僧院自体に反感があるんじゃないか…そう感じた。
「ハソラ、来週、首都ナハジカ、王都に遠征する。付いてきなさい」
「……!?」
ハソラの不敵な笑いが驚きにゆがんだ。変な罰だな……?イシトは不思議に思った。あと出生から考慮して…そう院長は言った。出生…?どういうことだ?
「イシト」
「は、はい!」今度は自分の名前を呼ばれたので、そこで考えを止めた。
「君もハソラに付き合ってくれるね?」
罰……罰といえるのかわからない。正直面食らったが、
「はい…わかりました」
院長命令に逆らえる訳がなかった。
その後、院長はハソラと二人で話があると言って、イシトはカイル同伴で部屋に戻された。
部屋に戻る途中、イシトは先ほどの疑問をカイルに投げかけた。
「首都に付いてこいなんて…ご褒美にしか聞こえないんですが、何が罰なんでしょうか」
カイルは苦笑する。
「院長は思慮深い方だ。何か考えがあるんだろう」
出生がどうのというのもイシトは気になったが、それは聞くべきではないとなんとなく感じて、そのまま黙った。
「イシト…彼と同室で何か困ったことがあったら言ってくれ。いつでも相談に乗る」
イシトは少し考えたが、こう言った。
「ハソラは、何か無理してるように感じます。無理に問題児を演じてるような。でも、このままの部屋で皆と接していけば、自然とほぐれると思います。クールに見せてるけど、結構熱血なんじゃって、俺は思います」
「……そうか。僕も、そう思うよ」
部屋に着いた。別れ際にカイルはこう言った。
「イシト…ハソラと仲良くしてくれ。君は見てると誰にでも人気あるし、ハソラに構わなくてもと思うけど……。さっきの話からハソラをよく見てると感じたし……君が仲良くしてくれたら、あの跳ねっ返りも治りそうな気がする」
イシトは少し笑ってこう答えた。
「俺もあいつに興味あります。昔からああいう奴見るとちょっかいかけたくなるんです。」
まぎれもなく本音だった。
一緒に首都に行くことになる……イシトはそれが少し楽しみだった。