プロローグ
目が醒めたら一面が真っ青な空だった。
身体が浮いてるような、蒼穹と同化したような不思議な感覚を覚えた。
この同化感覚を失うのが嫌で、イシトは身体を動かすのを躊躇った。
国に伝わる神話を思い出す。
人の魂の形は樹木の形をしているという。悟りを開くと、人間でありながら聖なる樹木と同じ境地に立つことができるらしい。
木と同じ境地ってなんだろう…。イシトにはいまいち意味が分からなかった。でも今は広大な空そのものになったような心地で、これがその境地というようなものだろうか。
このままこの夢心地にたゆたっていたい…。
そう思ったが、その時間は長く続かなかった。
いきなり頬をつねられる。いたずら好きの6歳の弟だ。
「イシト兄ちゃん。みっけたー!こんなところで寝てると風邪引くよ」
イシトの家には6人の弟妹がいる。イシトは長男で12歳、上には14歳の姉もいる。一人だけの静かな時間などなかなか取れない。
いつも弟妹の世話に奔走しているが、たまに隙をみて、家の裏の小さな小山で過ごすのが好きだった。今日はいつの間にか寝ていたが、身体を動かすのが好きなのでよくここで武術の真似事をして過ごしていた。
両親も家が貧乏なのにこんなにぽんぽん子供を作らなくても…と思っていた。母は既に末の2歳の妹を産んだ後他界している。
まあ…賑やかだし弟妹は可愛くない時も多いがまあ可愛いのでいいか…。
「兄ちゃんいたー」
「お兄ちゃんー」
11歳から5歳までの弟妹が総勢4人でやってきた。
寝っ転がったまま弟妹に背を向ける。
「兄ちゃんはいませんーここにいませんー」
よくわからない抵抗をしてみる。
「父さんがイシト兄ちゃんに話があるって呼んでるよ」
なんとなく嫌な予感がする。いない振り続行だ…。反応しないでいると11歳、1つ下の弟が声を上げた。
「よし、みんなでイシト兄ちゃん引っ張ろうぜ」
ずるずるずるずるずる…
弟妹総勢で足を引っ張られる。
「や、やめろ、 服が擦れる!!わかった起きるー起きますー」
イシトの静かな時間は幕を下ろした。
厳格な宗教国家として名高いナンビュス王国は、大体大陸の中央に位置する。しかし護られているかのように、峻厳な山に囲まれている。
世襲制の王族が統治しているが、国民の精神的指導者は大僧正だった。
ナハート教。ナハートという神を最高神に据える唯一神教…ナンビュスはそれに癒着した宗教国家であり、ナハート教の総本山である。
イシトはナンビュスの首都から大分離れた、山の麓にある小さな村で生まれた。貧しいが幸せな日々を過ごしていた。
お金はないので学校は行けない。そのことに密かに劣等感を抱いていた。が、村には必ず一人国に認められた僧侶がいて気さくで親切なその僧侶に少しだけ学問を教えてもらうことが出来た。
イシトは勉強より身体を動かすのが好きなので本当は武術を習いたかったが、家にお金がない。
一人の時間があれば、武術ごっこ…真似事をして過ごしていた。
「イシト…また裏山に行ってたのか。あの場所が本当に好きだな」
家に入ると栗色の髭を生やした、精悍だが少しやつれたイシトの父親が立っていた。普段は町に出て雑貨屋を経営している。でも大して稼げてなかった。イシトは稼ぎが悪い父親をあまり尊敬できなかったが、別段仲は悪くない。そばには姉が座っていた。
姉はユーリという。イシトの2つ上の14歳。村でも絶世の美少女だと評判だった。気だてもよく、優しくよく気がつく。イシトにとっても自慢の姉だった。
かしこまったように座ってるユーリを見て、何かあるとイシトは感じた。
「父さん…姉さん、どうしたの」
父と姉が目くばせをする。姉のユーリが切り出した。
「実はね…イシト、姉さん、お嫁に行くことにしました」
「……え」
少し驚いた。驚いたが姉はもう14歳、田舎ではこの歳の結婚は珍しくない。
「そうなの…誰と結婚するの?クーヤ?あいつ姉さん好きだったもんな」
近所のガキ大将だ。姉に何度もちょっかいをかけていた。
姉は首を振る。父が口を開いた。
「いや…数ヶ月前…首都ナハジカの貴族様がユーリを見初めたらしく、是非嫁として迎えたいとの仰せだ。その貴族様の元に嫁ぐ」
「……へ」
今度は本気で驚いた。貴族?雲の上の人間の元に嫁ぐ?
「……姉さん、その人が好きなの?」
「……少しだけお話ししたけどいい方だわ」
姉が少し目を伏せたのを、イシトは見逃さなかった。
「私たちの生活費、特に学費を出費してくださる。喜べイシト、お前も学校に行ける」
つまり、金の事情で嫁に行くということか。急速に胸が冷えていくのを感じた。
イシトは静かに口を開いた。
「姉さん、姉さんはそれでいいの…?」
姉は静かにうなずいた。笑っている…。
イシトはなんだかむしゃくしゃしたような、すっきりしない気分に襲われた。喜べ…?何にだよ…。
「一ヶ月後に婚礼だ。イシト、お前もそのつもりでいろ」
父親だけはやけに嬉しそうだった。イシトはどこか冷えた気持ちでその後の父親の話を聞いていたが、あまり頭に入らなかった。
夜、弟妹の寝息が聞こえる中、イシトは眠れずに天井を仰いでいた。
姉が都会の貴族の元に嫁ぐ…すごい話だ。
村ではもちきりの話題になるだろうな…。
金のため…というところになんだが嫌な気持ちを覚えたが、姉は今までとは比べものにならない生活を手にすることが出来る…。弟妹も学校に行ける…。生活も楽になるだろう。夢のような話だった。
ひょっとしたら、見も知らずの人間に姉をとられるのが嫌なのかもしれないが、認めたくなくて頭から追い出した。
ギシ…ギシ…
家がきしむ音が聞こえる。ぼろい家だから雨漏りもしたりするけど…。誰か起きてるのかな…。姉さんかな。
イシトは静かに起きあがって居間をのぞきこんだ。父親だったらほっといて寝よう…。
暗闇で影しか見えないけど、シルエットは姉であることを確認し声をかけた。
「姉さん……」
「イシト…起こしちゃった?ごめん。寝れなくて、少し散歩しようかなって」
「そう……俺も付き合うよ」
二人で一緒に静かに家を出た。
いつもの裏山…家の裏手にあるごく小さな山に、イシトとユーリは腰をかけた。ほぼ砂山だ。ここにくると一面大空が見える。
星が綺麗にまたたいていた。
「イシト…イシトは勉強好き?」
ユーリが口を開いた。少し考えてから口を開く。
「勉強は生きていく為にしなきゃならないものだと思ってる。でも、あまり好きじゃないや」
「そう…学校行けるとなると、嬉しい?」
「……姉さんはあまり知りもしない人間のところに嫁ぐの、嬉しい?」
姉を目を見ながら聞き返した。姉もまっすぐこちらを見る。
「イシトは心配してくれてるのね……ありがとう。もちろん、嬉しいわ。結構素敵な人だったのよ…いい生活も、出来るしね」
と、口では言ってるが、姉も不安なのだろう。イシトにはよくわかった。
でも語気に決心の固さを感じて、口をつぐむ。
「イシトも学校に行って、いい職について…。いい人みつけて…。そうなっていくといいね」
「……俺は学校に行かない。僧兵になる」
ずっと前から考えていたことを口に出した。姉は驚いた顔をする。
「……僧院に帰依して兵士になるの……?せっかく学校に行けるのに、そんな危険なお職につかなくても…」
姉の結婚に反発してではない。ずっと前から考えていたことだ。
学校に行けない子供でも、帰依して国の為に尽くす僧兵になれば、賃金と生活は保証される。出世街道として僧侶があるが、イシトは学がないし、そもそもあまり興味がなかった。
「俺は頭を動かすより身体を動かす方が好きだし……向いてると思うんだ。武術に興味あるしね」
姉と視線を交わす。姉は静かな栗色の目だ。イシトは隔世遺伝かなんなのか、ここらへんでは珍しい金髪とそれより深い金の目を持っていた。
「イシトの目は綺麗だね…。実はすごい羨ましかった」
「結構、珍しがられるのも嫌なもんだよ」
姉は深いため息をつく。
「お父さんには言ったの?兵士になりたいって」
「大分前に言ったことがある。学校に行けるならそっち行けというと思うけど、俺は僧兵になるよ…なりたいんだ。チビたちは、ちゃんと学校に通わせてやって。俺はバカだから、学校に行っても大して出世出来ないと思うし。何より性に合ってる」
姉は微笑んだ。
「……わかった。お姉ちゃんはイシトを応援する。だからイシトも、お姉ちゃんを応援して」
「……わかった。姉ちゃんが幸せになれるなら、協力は惜しまない」
「……ありがとう。心強いよ」
将来を方向付けた若い姉弟は、その後しばらく黙って星空を見上げていた。
それから一ヶ月、姉が嫁ぐ日がやってきた。
イシトも、僧兵になりたいという希望を改めて父に打ち明けたが、あっさり承諾を得た。父はそもそもイシトにあまり期待していなかった。
国に仕えるなら、自分の生活位支えられるだろう。そう判断してのことだった。
姉の相手はいかにも貴族のおぼっちゃんという感じだったが、貴族の持つ嫌みな傲慢さがなく、気さくだった。イシトは安心した。
「イシト…これ、あげる。お守り。お父さんの雑貨屋さんにあるやつで作ったの」
ユーリに手渡されたそれは、国の紋章である車輪を模したペンダントに、青い羽根がぶら下げてあった。
「ありがとう……姉さん。幸せに……」
姉は笑顔で幸せそうに見えた。イシトはそれで満足した。
13歳の誕生日が来たら、イシトは僧院に出仕する。
このとき彼は知らなかった。その事が自分の運命のみならず、国の運命も変えていくということに……。
手探りで小説の書き方や物語創作を模索しています。感想アドバイス等ございましたらよろしくお願い致します。