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不死の魔王と成り損ない勇者  作者: 矢野優斗
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41 囚われた獣人



 夜も深い時間帯、マルシェルグの街を駆け抜ける一陣の風があった。

 自らに幻影魔術を行使し、持ち前の魔王スペックで民家の屋根の上を駆けているのはイザヨイだ。姿は見えないため、外からではただの突風が吹き抜けたようにしか感じられない。

 幾つか民家を越えた所でイザヨイは一際大きく跳躍し、音もなく教会前へと降り立った。

 夜の教会というのは昼間と違い神秘さは鳴りを潜め、打って変わって不気味な雰囲気を放っていた。

 イザヨイは構わず教会の扉に近づき内部の気配を探る。どうやら聖堂内には誰もいないようで、シーンと耳が痛い程の静寂が返ってくるだけだ。

 しかしそれでもイザヨイは警戒を怠らない。昼の時に見たあの冒険者の存在があるからだ。

 今現在、イザヨイの姿は魔術によって見えなくなっているがそれはあくまで視覚だけだ。つまり気配や匂い、音などの要素は隠蔽できていないのである。

 Sランクともなれば気配を読むくらいは当然できるだろう。見つかれば戦闘になるとは限らないし、たとえ戦闘になっても負ける気は欠片もないが、それでも潜入がばれるのは避けたい。

 慎重に慎重を重ねてイザヨイは教会の扉をゆっくり押し開く。昼間に神父が言っていたように、教会の扉は何時でも開いているようだ。

 音が立たないように、そっとゆっくり。そして開いた僅かな隙間から内部を覗き見る。

 聖堂内はやはり誰もおらず、暗い夜闇に支配されていた。辛うじてステンドグラスから月光が差し込んではいるものの、照らされているのは教壇付近だけ。それ以外は真っ暗だ。

 しかし魔王のスペックには夜目が備わっている。この程度の闇はイザヨイにとって何ら問題がない。

 すっと滑り込むように聖堂内に侵入する。すると予想通り昼間と同じ重圧が圧し掛かってきたので、イザヨイは落ち着いて身体強化をかけて対処した。

 若干の動き辛さを覚えながらイザヨイは真っ直ぐ教壇へと向かう。


「……ないか」


 教壇付近をくまなく探してイザヨイは嘆息を洩らす。

 イザヨイが探していたのは神父が読んでいた聖書だ。もしかしたら神父が意図的に伏せた事実が聖書にはあるのでは、と考えたのだが、残念ながら聖書は見当たらない。恐らく神父が持ち帰ったか、どこか別の場所に保管されているのだろう。

 僅かばかり肩を落としながら、イザヨイが次に目を向けたのは教会の奥へと続く扉。昼間、冒険者の青年が消えて行った先だ。

 イザヨイは音もなく扉に近づき、念には念を入れて気配を探る。しかしやはり誰の気配も感じられず、イザヨイは慎重を期して扉を開いた。

 扉の先には通路が続いていた。完全に明かりの差し込まない暗い通路。教会にしては随分と暗い雰囲気の漂う場所であった。

 通路の奥は石壁となっており、その間に左右に幾つか部屋へと繋がる扉がある。イザヨイはまずその部屋の一つ一つを調べていくことにした。


 一つ目の部屋。机と椅子が幾つか備えられており生活感があるものの、これといって目ぼしいものは見当たらなかった。


 二つ目の部屋。どうやら倉庫らしく、木箱や樽が安置されていた。ざっと中身も調べたがやはり注目すべきものはない。


 そして三つめ。ここが当たりだった。


 ぐっと扉を押すと隙間から漂ってくる独特の匂い。魔王城でも嗅いだことのある匂いは旧い書物から漂うそれだった。

 三つ目の部屋はこじんまりとしたもので、机と椅子が一つずつ。そして壁には棚が備え付けられており、中身は書物で埋められていた。

 イザヨイは迷うことなく本棚へと向かい、その中に神父が読んでいた装丁の聖書がないか探した。

 目を書物の背表紙に走らせて上から下まで見ていくが、見覚えのある装丁の本はない。どうやらあの聖書は神父が常に持ち歩いているようだ。

 軽く肩を落としつつも、イザヨイは気を取り直して目の前の本棚を物色する。注目すべきは旧い物だろう。イザヨイは本棚の中でも背表紙が旧くボロボロな物を適当に選んで手に取っていった。



      ▼



 本棚の中身を粗方物色し終えたところでイザヨイは溜め息を吐いた。

 本棚に容れられた本の殆どが外れだった。霊薬の調合法など少し気を惹かれるものはあったが、それでも聖剣などに纏わる話は皆無。まるで意図的に隠されているかのようだ。

 一向に情報が集まらない現状に僅かな苛立ちを覚えながら、イザヨイはその場を後にしようとして――


「――何だ……?」


 妙な気配を感じて足を止めた。

 一瞬、物音が聞こえた気がした。しかし、それがどこからかまでは分からない。

 イザヨイは耳を澄ませ、全神経を聴覚に集中する。

 静まり返った教会の無音が続く中、集中しなければ聞き逃してしまいそうな程にか細い声が聞こえてきた。


 ――たす……て……。


 耳に届いた弱々しい声にイザヨイは顔を上げ、声の発生源へと足を進めた。

 声の発生源は部屋の外。それも通路の奥、石壁の先から聞こえてきていた。

 イザヨイは何の変哲もない石壁の前に立つと、あちこちに手を当てて何か仕掛けがないか調べ始める。そうしてしばし、壁の右端に奇妙な凹みを見つけ、それを押した。


 ――ガコン!


 何かが外れたような音が鳴ったかと思うと、石壁が地面に吸い込まれるように下がっていった。そして出現したのは地下へと続く隠し階段だ。


 ――たすけ……て……。


 声がよりはっきり聞こえるようになった。

 警戒を最大まで引き上げて、イザヨイは一段一段慎重に階段を降りていく。本来ならば灯りの一つでも持っていくのが普通なのだろうが、イザヨイにはその必要性がない。

 極力音を立てないように気を払いながら降りていった先にあったのは、教会には似つかない鉄格子に閉じられた部屋、牢屋だった。


「これは……」


 呆気を取られてイザヨイが呟くと、牢屋の中で一つの影が動いた。

 イザヨイは一瞬身構えるも、その影が牢屋内部で倒れていることに気づいて構えを解いた。

 牢屋の鉄格子とは反対側の壁に開けられた僅かな隙間。腕が一本通るか通らないかというその隙間から差し込む月光に照らされて、床に倒れている影の正体が浮かび上がる。


 粗末な襤褸布を着せられた少女だった。

 布から見える四肢は至る所が痣だらけで、顔も酷く腫れている。食事も満足に取れていないのか、その身体は枯れ木のように細い。余程酷い扱いを受けてきたのだろうことは想像に難くない。

 そして何よりこの少女、頭頂部からは耳、後ろ腰のあたりから尻尾が生えている。どちらも獣を思わせるもので、普通の人間には通常備わっていないものだ。


「獣人か……」


 イザヨイの呟きが届いたのか、倒れていた少女がぴくりと反応した。


「だ……れ……」


 口内を切っているのか、喋り辛そうにしながらも少女が声を発した。

 そろそろと顔を上げる少女。瞼が腫れていて瞳も半開きであるが、その双眸は確かにイザヨイの存在を捉えていた。


「見えるのか?」


 イザヨイが微かな驚きを覚えて尋ねると、少女がやっとのことで頷く。


「まりょ……く……が……」


「そういうことか」


 恐らくこの獣人の少女にはイザヨイの姿ではなく、イザヨイが有する魔力が見えているのだろう。魔力ばっかりは幻影魔術でも隠しようがない。

 イザヨイは牢屋内で倒れ伏す少女を見下ろして悩んでいた。

 きっと夕香ならば一も二もなく助け出そうとするだろう。こんな幼い少女が牢屋に閉じ込められ、あまつさえ酷い暴力を振るわれているとなれば、夕香は必ず助けようとする。

 しかしイザヨイは迷う。この少女が何者かも分からない現状で迂闊に救おうという選択は愚行だ。もしかしたらこの少女はとんでもない大厄災を招く存在なのかもしれない。そうでなくとも、何かしらの面倒な背景を持っているのは間違いないだろう。

 どうするべきか、イザヨイが思索を巡らせていると、


「たす……けて……」


 ぼろぼろの身体を片手で持ち上げ、もう片方の手を必死に伸ばそうとする少女。その手の先には確かにイザヨイがいる。

 少女の金色の瞳がイザヨイを見つめて離れない。最後の希望に縋るような少女の目が、イザヨイを見つめ続けていた。


「…………」


 何時からだったか。

 救いを請う勇者を、絶望に嘆く勇者を、涙を流す勇者を、見向きもせずに作業のように殺すようになったのは。イザヨイ自身、もう既に思い出せない程に昔のことだ。

 それで構わなかった。それで正しかった。そうでなければ心が狂ってしまいそうだったから。

 だが、夕香と出会ってから、イザヨイの心には少しずつではあるが変化があった。

 夕香の優しさに、真っ直ぐさに、愚直さに当てられたのか。イザヨイの心の奥底に沈んでいた良心や罪悪感というものが浮上し始めていた。

 今この時もそうだ。獣人の少女を打算抜きで救ってやりたいと、思ってしまった。自分にはそれを為せるだけの力があるのだからやればいいのだと、考えてしまった。

 だがしかし、イザヨイは己の内から湧き上がるその欲求を押し殺した。

 もう既にこの手は血で汚れきってしまった。今さら人助けなんて、都合の良いことはできない。

 だから、イザヨイは倒れ伏す獣人の少女の頭に優しく掌を載せて――


「――まだ諦めるな。折れるな。もう少しだ。あと少しで、勇者が来てくれる」


「ゆ……しゃ……?」


「ああ、そうだ。馬鹿みたいに真っ直ぐで、俺なんかよりもよっぽど強いヤツだ。そいつが必ず、お前を救いにくる」


「ほん……と……?」


「ああ」


 力強くイザヨイが肯定すると、少女はその金色の瞳に涙を滲ませた。

 ボロボロと涙を零して少女は声もなく嗚咽を上げる。泣き声を上げることも辛いのだろう。それ程までに痛めつけられているのだ。

 そんな少女の姿に歯噛みしつつ、イザヨイはゆっくりと頭から手を離す。すると少女がどこか名残惜しげな気配を漂わせるが、イザヨイはまるで気づかない。

 薄暗い地下室を見回し、イザヨイは最後に獣人の少女を一瞥してから階段を戻っていった。

 通路に戻ったイザヨイはどうにか石壁を元に戻し、潜入した痕跡を出来る限り消してから聖堂に戻る。

 相変わらず聖堂内は教壇のあたりが月明かりに照らされているだけで、それ以外は真っ暗闇だ。

 イザヨイはさっさと教会を後にしようとして――


「――おやおや、もうお帰りですか」


 背後から聞こえてきた声に、電撃に撃たれたような衝撃を受けて硬直した。


「いやはや驚きましたよ。まさか姿が見えない存在とは。魔族の持つ固有能力というやつですかね」


 続けられる言葉にイザヨイは愕然とする。

 気配が読まれたのならまだいい。しかしまさか自分が魔族であることまで看破されるとは思いもしていなかったのだ。

 イザヨイは驚愕を相手に悟られないようにしながら振り返る。丁度教壇の前、月光を背負いながら声の主は悠然と佇んでいた。


「数時間振りですね、魔族な冒険者さん」


 柔和な笑みを浮かべる神父が、あの聖書を携えてイザヨイを見つめていた。



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