4 成り損ない
勇者の諦めの悪さに防御結界が敗れた翌日。魔王はベッドの上で安らかに眠る少女が目を覚ますのを一睡もせず待っていた。別段、心配というわけではなくただ眠る必要がないからである。
少女が気を失ったあと、彼は手早く少女の応急手当てを済まし床に転がすのも悪いかと思って自分の居室に運び込んだ。ここ百年くらいはベッドも使っていなかったのであちこち埃が溜まっていたが、そこは魔術で吹き飛ばした。魔術の無駄使いである。
それから少女を寝かせ一晩。やはりかなり消耗していたようで、時折寝言を洩らしながらも少女が目覚めることはなかった。
その様子を壁に凭れながら眺めること十数時間。太陽が真上を越える頃、ようやく眠り姫が目を覚ました。
「んぅ……ふあぁあ」
欠伸を洩らしながら少女が身体を起こす。まだ寝ぼけているのか、ぼーっと虚空を見つめる姿はかなり間抜けである。
「ここは……」
ようやっと頭が回りだしたのか少女はあちらこちらに視線を彷徨わせ始め、壁に凭れかかる魔王と目が合った。
パチクリと瞬きを繰り返し、数度瞼を擦ったのち、確認するように再び彼に目を向ける。それで壁に凭れる魔王の姿が紛れもなく本物だと認識したのか、少女は一気に顔を真っ赤にして狼狽しだした。
「な、なんでアンタがここに!?」
「何でも何も、ここは俺の居室だ」
「なっ!? 意識のない女の子を部屋に連れ込むとか、サイテー!」
何やら人の厚意を盛大に勘違いしている少女に堪らず魔王は溜め息を洩らす。
「年端もいかない小娘に欲情なんてするか」
「はあ!? アンタだってあたしとそう大差ないじゃない」
「これでも何百年と生きている」
「…………」
何のこともないように落とされた爆弾発言に少女は唖然呆然。それも致し方ないだろう。自分と然程変わらない外見の少年が実は自分よりも何百年と長く生きていると知れば誰だって驚く。
「……詐欺じゃない」
少女が正気に戻って最初に呟いた文句がこれだった。概ね間違っていないので、魔王はとやかく言うのは止めた。
「体調はどうだ?」
「え? ああ~、そうね。だるいし右手は痛いけど、まあ大丈夫」
右手の不調以外は問題ないという少女の言葉に、魔王は軽く眩暈を覚えた。
手当した時の見立てでは一週間はまともに動けないはずだったのが、どうだ。鈍いのか、尋常ならざる回復能力でもあるのか。どちらにせよこの世界では常識はあってないようなものだと改めて実感したのだった。
「……アンタが手当てしてくれたのよね……?」
「あ? あぁ、まあな」
「……ありがと」
ぼそりと少女が感謝の言葉を呟いた。魔王はそれに対して照れたわけではないが、
「勇者が魔王に感謝してどうする……」
自分が勇者を手当てしたことは棚に上げてそう言った。
「う、うっさいわね! そんなことよりもアレよ、アレ! 意味ってやつを教えてもらおうじゃない!」
露骨なまでに話を変えようとしてくる。どうやら少女は素直に感謝を述べることに慣れていないと見える。まあ態々揚げ足を取る必要もないので魔王はスルーした。
それよりも、教えるか教えないか。悩むところ、いや、面倒なところであった。
「ちゃっちゃか言いなさいよ」
「教える筋合いがない」
「いいじゃないケチ。結界破ったんだからご褒美くらいよこしなさいよ」
「うるさい、しつこい、面倒」
「言ったわね!? 本音言ったわねっ!?」
思わず口走った魔王に憤慨する少女。
「おいこら、目を逸らすな魔王。こっち見なさいよぉ!」
ベッドの上でぎゃーぎゃー喚き散らす少女から目を逸らしつつ、魔王はどこまでなら話しても差し支えないか思考する。教えないという選択肢は少女の諦めの悪さを考えてすぐになくなった。聖剣並みの諦めの悪さとか、笑えない。
ただ、教える前にこれだけは問わなければならなかった。
「お前に、知る覚悟はあるか?」
軽く威圧を放ち、若干脅かすような口調で魔王が問う。
少女が如何なる意志でここまで来たかは知れないが、これから語る事実は少なからず少女にショックを与えるのは間違いない。果たしてそれを受け入れられるかどうか。
少女は威圧に一瞬気圧されるも、すぐに確固たる意志を持って彼を見返した。
「ある……とは言い切れない。受け止めきれないかもしれない。でも、知らないときっと後悔する。だから、教えて」
「……そうか」
少女の意志が変わらないことを態度から悟り、魔王は軽く嘆息を洩らす。
「……これから語るのはあくまで俺の知る事実と推測だ。だから全てを鵜呑みにするなよ」
最初に念を押してから、魔王は静かに語り始めた。
ステータスオープンとアイテムボックスの存在。
魔力が今までの勇者と比べて圧倒的に少ないこと。
聖剣が扱えないこと。
これらのことから召喚の際に何かしらの不備が生じて勇者としての能力が与えられなかったのであろうこと。
それ故に勇者として見限られているであろうこと。
見限られた云々は魔王の憶測だが、ほぼ間違いないだろうと彼は考えていた。でなければあんなお粗末な装備で送り出されるはずがない。
大まかなところは全て話し終えただろう頃合いで話を区切る。
しかし魔王は自身に関することはその殆どを伏せた。語る必要性もないし、ただでさえ余裕がないだろう彼女に余計な負担はかけまいと気遣ったからだ。
少女は終始無言で魔王の言葉に耳を傾けていた。途中何度か驚いたりはしていたが、パニックになるようなことはなかった。
それでもショックがなかったわけではなかったようで、ふっと仄暗い笑みを浮かべると、
「つまり、あたしは成り損ないの勇者ってわけね……」
自虐的に笑う少女の姿はあまりにも痛々しかった。
「…………」
魔王はただただ沈黙を貫いた。
元より彼は少女を憐れむ気も、ましてや慰める気もなかった。打ちひしがれようが絶望しようが勝手にしろというのが彼の心情だった。
「……ねぇ」
少女から声が発せられる。それは酷く弱々しく、今にも消え入りそうなか細い声だった。
「ちょっと一人にさせて……」
一方的にそう告げると少女はベッドに身を沈め、静かに瞼を閉じた。
魔王はその様子を見届けたのち、彼女の意を汲んで部屋をあとにした。その際に「一階の廊下の奥に浴場がある。使いたければ使え」と言ったのは彼なりの気遣いなのだろう。
少女の格好は変わっていない。つまり、全身煤塗れということ。流石にその状態のままでいさせるのは気が引けたのだ。
部屋から驚愕の声が上がるが魔王は無視した。意図せずしてシリアスを壊す魔王だった。
大きく崩れた壁の穴から外を見る。まだ太陽は空で爛々と輝いている。
何をしようか、と迷う。常なら何をすることもなく玉座で無為に過ごしているが、どうにもそんな気分にはなれなかった。
――あそこに行くか。
ふとした思いつきに身を任せ、魔王は城の地下へと歩みを進めた。