39 教会
テスト週間終わったので投稿です。
空が茜色に染まり始めた頃合いで二人は区切りをつけ、前もって取っておいた宿に向けて歩を進めていた。
「ん? あれって……」
T字路に差しかかった所でふと夕香は足を止めると、宿とは逆方向に続く道の先を見た。
夕香の視線の先には夕焼けを背に立つ一つの建物。屋根の先端に十字架があるのを見る限り恐らく教会なのだろう。
「教会かぁ……」
夕香は物珍しげに教会を凝視して言った。
「ちょっと覘いてもいい?」
「構わないが……」
そんな物見遊山な気分で教会を覗くのはどうか、とイザヨイは思いつつも自分も気に掛かっていたので言葉を呑み込む。
この世界における宗教の位置づけや宗教観が分かれば今後の旅路に役立つ。知っていて当然の常識が抜けているというのは何かと不都合が多いのだ。
何より聖剣や勇者に繋がる情報が得られる可能性がある。それだけで十二分教会を見る理由足り得るだろう。
二人は宿への道とは真逆に足を向けた。
教会建物自体は若干古臭い感じがする以外、至って普通のものだ。中に入らずとも正面に立つだけでどことなく気が引き締められる。
時間が時間なだけに出入りする人間はいないようで、教会の入り口は閉ざされていた。
もう閉められているのでは、とイザヨイは考えるも夕香はそんなことなどお構いなしに閉じられた木製の扉に手を掛ける。
ぐっと夕香が扉を引き開けたと同時、イザヨイは建物内から洩れ出る何かを感じ取り、一瞬身体を強張らせた。
「どうかした?」
「……いや、なんでもない」
「……そう」
夕香は怪訝な表情のまま教会内部へと入っていく。
イザヨイも若干の躊躇いを抱きつつ建物内部へと足を踏み入れる。
入口を潜り建物の敷居を踏み越えて――
「――ッ!?」
突如重い何かが圧し掛かってきたような重圧に襲われ、倒れこそしないもののイザヨイはその場でよろめく。
「体調でも悪いの、イザヨイ?」
立ち眩みのようによろめいたイザヨイに、夕香が声音に心配の色を滲ませる。
イザヨイは不安げな夕香に片手を振り、身体強化の魔術を行使して体勢を立て直す。どうやらこの現象は物理的な重圧を対象に掛けるものらしく、肉体を強化すれば問題なく耐えられるようだ。
圧し掛かる重圧を力技で振り払い、イザヨイはこの現象の原因を探るため周辺一帯の魔力の流れを見る。もしも何者かがイザヨイ個人に対して魔術を行使しているのならば、魔力の流れの根元を辿ればすぐに判明する。結界的なものであっても同じ、基点となる部分を潰せばイザヨイを襲う謎の重圧も消え去る。
夕香に訝しまれない程度に周囲へ目を走らせる。しかしどこにも術者らしき人間も基点らしきものも見当たらない。それどころか教会内部に人為的な魔力の流れ自体が感じられなかった。
代わりに教会の入り口で感じたのと同じ謎の力の流れを感じ取れた。恐らくこの力がイザヨイに影響を及ぼしているのだろう。
未だ圧し掛かる重圧に身体強化で耐えながら、イザヨイは何の影響も受けていない夕香を見やる。
「な、なによ。そんなまじまじと見て……」
イザヨイに真っ向から凝視されて若干頬を朱に染める夕香。その反応に首を傾げながらもイザヨイはこの現象を分析する。
夕香には全く影響を及ぼさずにイザヨイだけに重圧が掛かっている。二人の違いといえば、勇者か魔王か。もっと具体的にいえば、人間か魔族か。
この重圧に夕香が襲われない理由は恐らく、夕香が人間だからだろう。故に夕香は教会入り口でも何も感じなかった。
対してイザヨイは魔族である。人間ではない。故に教会入り口で内部から洩れ出る謎の力を感じ取り、建物内に侵入した途端重圧に襲われたのだ。
人間には害を為さず、魔族にだけ牙を剥く力。しかも魔王のスペックを有するイザヨイが一瞬倒れかける程の重圧を及ぼすもの。並みの魔族であったなら立ち上がることするできないだろう。
それ程までの力の正体。イザヨイにはその力に覚えがあった。
――聖剣。
彼の剣が内包する力に似ている、いやそのものだ。幾度となく戦ってきたからこそイザヨイは断言できる。この力は間違いなく聖剣のそれと同じであると。
まさかここであの忌まわしい聖剣の力と相まみえるとは思ってもいなかったイザヨイ。その表情には抑えきれない嫌悪と憎悪が滲み出ている。
「ねえ、イザヨイ。なんだかさっきからアンタおかしいわよ?」
流石にイザヨイの様子が異常だと感じ、夕香が顔を覗き込む。
「……ここに、聖剣と同質の力が流れている」
「え、それってつまりっ」
不意に、後方に複数の気配を感じ取ったイザヨイが夕香の口を手で抑えた。
何の前触れもなく口を塞がれた夕香は驚き、塞いでいる手を引っぺがそうとするがイザヨイの表情を見て抑える。夕香もまた、イザヨイ越しに気配を感じたのだ。
イザヨイは内から湧き上がる仄暗い感情を理性で抑えつけ、ゆっくりと背後を振り返る。その際、念のために夕香を背に庇うように立つ。もしも相手が敵対者であった時のためだ。
教会の丁度入り口あたり、二人が感じ取った気配の主達はそこに立っていた。
人数は二人。一人は法衣姿の穏和そうな見た目の男。もう片方は教会に似合わぬ大剣を背負った冒険者風の出で立ちをした若い金髪の男だった。
「おやおや、こんな時間に来客があるとは思いませんでした。留守にしていて申し訳ありませんね」
法衣姿の男、恐らくこの教会の神父だろう。神父は丸メガネを掛けた顔に柔らかな笑みを浮かべてイザヨイ達に歩み寄る。
イザヨイは一瞬神父の接近に警戒を滲ませるも、相手から敵意の欠片も感じられなかったので肩の力を抜く。ただしあまり緩めると現在進行形で圧し掛かっている重圧に負けかねないので気は緩めないが。
「いや、神父不在の時に入った俺達に非はある。すまない」
「いえいえ、教会の扉はいつ何時、誰に対してでも開かれていなければなりません。貴方がたに非などありませんよ」
神父と言葉を交わしつつ、イザヨイはもう一人の男へと注意を向ける。
冒険者の出で立ちをした若い男。恐らく年の頃は夕香よりも上といったところ。どこか張り詰めた雰囲気を身に纏う、生き急いでいるような青年だ。
だがイザヨイが気にしているのは冒険者であることではない。
この青年、歩き方や身体つきが年齢と不釣り合いな程に洗練されている。恐らくかなりの実力者、ランクで言えばAは下らないだろう。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。
金髪の青年はイザヨイ達を無視して教会の奥へと消えていった。
「彼は……」
「ああ、グラム君ですか。彼はとても信心深い信徒でしてね、Sランク冒険者でありながらこの教会にとても貢献してくれている人なのですよ」
「Sランクって……」
イザヨイの後ろで夕香が呻くような声を上げる。冒険者ランクにおいて最高ランクである人間との邂逅に驚愕しているのだ。
一方イザヨイは予想していただけにあまり驚きはしていなかった。ただ、何故こんな教会にSランク冒険者がいるのかが不可解であった。
テルムスがそうであったように、どこの冒険者ギルドにもあの胡散臭い王族からの依頼が流布されている。その依頼のせいでテルムスは戦力不足となり魔物の侵攻の際に危機に陥ったのだが、今は置いておくとして。
王族からの依頼、それによって高ランク冒険者の大半が王都に向かってしまった現状で、マルシェルグに留まるSランク冒険者。どうにも怪しいと感じざるを得ない。
神父は彼が信心深いと言ったが、それもどうだろうか。あの感じからして敬虔な信徒には見えない。
要注意人物として調べるか、そう心の内で決めてイザヨイは神父との会話に意識を向ける。
「それで、本日の用むきは何でしょうか?」
「ああ、実は冒険者仲間からここを勧められてな。今まで戦いに明け暮れていたからこういった場所にはあまり頓着なかったのだが、来てみると案外悪くないと思ってな」
つらつらと嘘八百を並べ立てるイザヨイ。何故立て板に水の如く嘘が吐けるのか、夕香は以前の串焼き屋の一件を脳裏に浮かべながら思った。
「おお、それは嬉しい限りですね。良き御友人の導きに感謝を」
大仰とも言える反応を見せて神父が首にかけていた十字架を握る。
神父が手に持つ十字架、それからは聖剣と同じ力が放たれていた。
それを悟った瞬間、イザヨイは腰に差していた剣の柄に手を伸ばしかけていた。が、その手はすんでのところで夕香に止められた。
「落ち着いて、イザヨイ。流石にそれはまずいわよ」
背中に張り付くように囁く夕香に、イザヨイは沸騰しかけた思考を冷ます。
危うくこの場で剣を抜くところだった。らしくない、軽率な行動にイザヨイは頭を抱える。
だがそれも仕方ない。彼の剣の力を前にするとどうしても甦ってしまうのだ。聖剣に奪われていった大切な家族の姿が。
目の前の十字架は聖剣ではないが、それを彷彿とさせる同じ力を内包している。それだけでイザヨイの心は掻き乱され、平静さを保てなくなってしまう。
そんなイザヨイの内心を察して今まで後ろに控えていた夕香が代わりに受け答えをする。
「えっと、それで少し教えとかを窺えたらいいな~、と思って」
「ええ、ええ、構いませんよ。では椅子にでも座ってゆっくりお話しましょうか」
神父は備え付けられた幾つかの長椅子の最前列を勧め、自らは祭壇の前へと歩いていく。
夕香は隣に立つイザヨイの手を引いて最前列の長椅子に座る。
「大丈夫?」
先の行動から少しばかり不安な夕香。いつも落ち着いていて滅多に衝動的な行動を犯さないイザヨイのらしからぬ行動。理由と心情を察せるからこそ、夕香は心配だった。
そんな夕香の気遣いにイザヨイは頭を冷やし、夕香の頭に手を載せて少し乱暴に撫でた。
「悪いな、心配かけて。もう大丈夫だ」
「な、ならいいのよ。ていうかなんで撫でるのよ」
不満げに言う夕香だが、言葉ほど嫌がってないように見えた。
イザヨイは夕香の反応に苦笑を浮かべながら、祭壇の前に立つ神父を見上げた。