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不死の魔王と成り損ない勇者  作者: 矢野優斗
32/41

32 力の自覚



 この一カ月で夕香は目覚ましい成長を遂げた。イザヨイから消費魔力を抑えながらも高火力の魔術を教えてもらい、リリスからは剣術とそれに伴う戦いの運び方を指南された。加えて魔物を倒すことでのレベリング。これによって基礎的な能力も幾らか上昇した。

 しかし、それでも夕香がリリスとの手合わせで上げた勝ち星は数える程しかない。まだまだ技や動きが未熟というのもあるが、それ以上に経験が浅すぎる。不測の事態に臨機応変に対応できないのだ。

 そんな夕香が対するリュヴィウスは対極的に経験の塊ともいえる。イザヨイ以上に永い時を生き、越えてきた戦場や死線は数知れず。歴戦の猛者どころではない強敵だ。

 そんな経験チートとも言えるリュヴィウスに夕香が勝利するにはどうするか。答は一つ。どれだけ相手の意表を突けるかにかかっている。

 積み上げられた経験は莫大で、リュヴィウスにとって予想外や不測の展開など殆どない。これまでの永い戦いの中で既に経験しているからだ。

 それでも、そんな相手の意表を突かない限り夕香に勝ち目はない。

 故に夕香は必死に戦っていた。気を抜けば一瞬で命を刈り取られる戦闘の中、チャンスをただ虎視眈々と狙い続けた。



      ▼



 リュヴィウスの鋭利な爪が振り下ろされる。それを夕香は左の剣で迎え撃ち、勢いが減衰したところでリリス直伝の受け流しに持っていく。リリスにはできない、魔族並みの膂力を有する夕香だからこそ為し得る力技だ。

 そうして受け流して、今度は自分の番と握り締めた右の拳を放つ。それに応じてリュヴィウスも己の硬い竜鱗に覆われた拳を突き出す。


 ――パアンッ!


 筒音にも似た破裂音が響く。魔族と魔族並みの膂力から放たれる拳の衝突に大気が軋み、踏み込みに耐えられなかった大地が罅割れた。

 ただの拳の衝突から齎されたとは思えない衝撃が全身を突き抜けて、しかし夕香は歯を食いしばってその場に踏み止まった。そしてもう一発見舞ってやろうと拳を引いたところで、左脇腹を鞭のようなものに強かに叩き飛ばされた。


「かふっ!?」


 強烈な一撃に肺から空気が吐き出され踏ん張りが効かなくなり、夕香の小柄な身体が水平に吹っ飛ぶ。それでもすぐさま体勢を整えようと地面に手を突いて勢いを殺し、地面を抉りながらもなんとか止まる。


「ぐっ、今のは……」


 痛む脇腹を抑えて立ち上がった夕香は攻撃の正体を睨む。

 夕香の脇腹を襲ったのはリュヴィウスの強靭な尾だ。夕香がリュヴィウスの両手に意識を向けているその隙に、死角から鞭の如く強烈に彼女を打ち据えたのだ。  

 常人なら一発で内蔵の幾つかを損傷する程の強烈な一撃。だが夕香は若干顔を顰める程度で済ましている。それに僅かではあるがリュヴィウスは驚く。


「貴様、本当に人間か?」


「失礼ね、ちゃんと人間してるでしょうが……」


 乱れた呼吸を整えて、夕香は左手に剣を、右手を拳に構える。そのスタイルはリリスの二刀流に若干ではあるが似ている。ただし夕香の場合は一刀一拳だが。


「はああああ!」


 吹き飛ばされて開いた間合いを一気に詰めて夕香が左の剣で斬りかかる。


「馬鹿の一つ覚えか」


 つまらな気に言ってリュヴィウスが腕を翳す。そこへ夕香の剣が勢いよく振り下ろされる。

 ガキンっ! と音を立てて夕香の剣が僅かに弾かれた。リュヴィウスの腕を覆う竜鱗と真っ向から衝突し、押し負けたのだ。

 剣を弾かれて夕香の体勢が一瞬崩れる。その一瞬を突くようにリュヴィウスの鋭い貫手が放たれた。


「やばっ!?」


 リュヴィウスが放つ貫手は剣の突きと遜色ない。そんなものをまともに受ければ如何な夕香とて大怪我か致命傷になる。それ即ち夕香の敗北に変わりない。


「く、このっ!」


 躱すのは間に合わないその貫手に、夕香は一か八か空いていた右拳を横合いから叩きつけた。

 リュヴィウスの腕を捉えた拳は狙い通り貫手の軌道をずらし、それだけに留まらずリュヴィウスに僅かながらも隙を生じさせた。

 その刹那の隙を夕香は決して逃さない。

 弾かれた剣から手を離し、拳を握り締めた。手放された剣が弾かれた勢いのまま夕香の後方に流れていく。

 剣を手放す行為にリュヴィウスが微かに目を見開く。そんな彼の顔面を夕香の拳が襲う。

 眼前に迫る小さな拳に、しかしリュヴィウスは焦ることもなく首を少し傾げることで躱した――はずだった。


「ごっ!?」


 右頬を襲う鈍い衝撃にリュヴィウスがよろめく。そこへ畳みかけるように夕香が殴りかかる。


「うらぁ!」


 うら若い乙女が放ったとは思えない程に重い一撃がリュヴィウスの顎をカチ上げた。

 完全に虚を突かれたリュヴィウスの表情には驚愕の相が浮かんでいた。

 確かに躱した。完璧に見切っていたはずだった。だが現実には躱せておらず、殴られていた。

 理解できない状況に混乱の坩堝に呑まれそうになって、はっとリュヴィウスは気づいた。


 ――夕香の左腕が二本にぶれている。


 本物の腕に実体を持たぬ虚像が張り付いていた。リュヴィウスはその在りもしない虚構を躱して、本物の腕に殴られたのだ。

 その虚像の正体は勿論、イザヨイ直伝幻影魔術だ。夕香は未だ完全習得には至っていないが、それでもほんの数瞬の間に小規模程度なら行使することができるようになっていた。

 たった数瞬で何ができると思われるかもしれない。だがそれが刹那を争う戦いの最中だったなら、話は別だ。

 強者同士の戦いは常に駆け引きの連続だ。しかもその一つ一つが瞬き程の間に過ぎていくこともある。そんな駆け引きの最中に一瞬でも虚像が混じれば相手は感覚が乱され、隙を曝すこととなる。その隙が勝敗を左右することだって十二分にあるのだ。

 己が殴られたトリックを見破ったリュヴィウス。しかし気づくのが遅かった。


「――ッ!」


 無防備な状態で浮き上がっていたリュヴィウスの胴体に、夕香の全力ストレートが炸裂した。

 完全に無防備な状態で、しかも地から足が離れていてはリュヴィウスとて一溜まりもなく、くの字に折れて勢いよく吹っ飛んでいく。

 水面を切る小石のように地面を幾度か跳ねたところでリュヴィウスの身体は止まった。

 地に倒れ伏し微動だにしないまま動かぬ魔族を見据え、しばらく経っても立ち上がらないのを確認し、そこでようやく夕香は残心を解く。

 ふぅ、と小さく吐息を洩らして放り投げた剣を回収しようと踵を返して――


「――まだ、だ……!」 


 よろよろと腹部を抑えながらもリュヴィウスが立ち上がった。

 ふらふらと覚束ない立ち姿で、それでもその双眸には燃え滾る闘志を宿しており、己に土をつけた夕香を睨み据えている。


「まさかここまでやられるとは、思ってもみなかった……」


 そう言うリュヴィウスは薄く笑みを浮かべている。まるで待ちわびていた相手の訪れを歓喜しているかのような、そんな笑みだ。


「先の人間もなかなかの使い手ではあったが、如何せんあれは人型(・・)に対して特化していた。私の本気とはあまりにも相性が悪すぎた」


「アンタ、なに言って……」


 滔々と語るリュヴィウスに夕香は身構える。何か奥の手があると直感したからだ。


「だが、それも出し惜しみして負けては意味がない。故に人間、貴様に私の本当の姿を見せてやろう」


 くつくつと笑みを零して、リュヴィウスが力むように両腕を広げた。

 変化が起きたのはその直後だった。

 まず体躯が全体的に一回り以上巨大化した。ついで全身が黒い竜鱗に覆われ、爪や黒翼がより強靭さを増した竜のそれになる。顔立ちは人の面影を失い爬虫類のように縦長く、それでいて凶悪な強面へと変貌した。


「くっははぁ! 久方ぶりにこの姿になったが、やはりいかんな。どうにも昂ってしまう」


 人らしさは欠片も感じられない口で言葉を紡ぐリュヴィウス。その口調や声質、態度が変わったのは恐らく変身が原因なのだろう。今までの冷厳さはなく、打って変わって剥き出しの戦意が夕香に向けられている。

 先程までの人に竜の特徴を与えたような姿を捨てたリュヴィウスの変貌に、夕香は開けた口が塞がらなかった。これがイザヨイならば即座に固有能力だと気づけただろうが、生憎夕香はそれを知らない。故に呆けてその場に立ち尽くしてしまう。


「この戦いを止めると言っていたな、人間。ならば――」


 竜形態とでもいうのか、人間の姿を完全に捨てたリュヴィウスが一歩踏み出すと、十歩以上もあった間合いが一瞬で詰められ、


「――力づくで止めてみるがいい」


「――ッ!?」


 悲鳴を上げる間すらもなく、大気を抉り抜く一撃に夕香の小柄な身体が紙きれのように吹き飛ばされた。



      ▼



 気づいた時には眼前にリュヴィウスがいて、いつの間にか身体が宙を舞い、地に倒れていた。それが夕香自身の体感だった。

 咄嗟に左腕でリュヴィウスの一撃を受け止めたような感覚はあったが、それも殆ど意味を為さずトラックに撥ね飛ばされたかのように吹っ飛んだ。

 リュヴィウスが一歩踏み出したのは見えた。そこから一足飛びに間合いを詰められ殴り飛ばされたのも、理屈では理解できる。

 ただ、目で追うことも反応することも敵わなかった。


 ――圧倒的なスペック差。


 本来の勇者のスペックならば今のリュヴィウスが相手でも互角以上に立ち回ることができたはずだが、生憎夕香は成り損ない。中途半端なスペックでは本気のリュヴィウスには太刀打ちできない。

 ならばどうするか。答は単純だ。足りないなら補えばいいだけの話。手段もある。


 ――身体強化の重ね掛け。


 あくまで補助程度の効果しかもたない無系統の初級魔術。だがそれも何重と重ね掛けすれば、一時的ではあるものの大幅な身体能力の向上を可能にする。

 幸い身体強化は消費魔力の少ない魔術だ。成り損ないで人並み程度しか魔術を保有しない夕香でも、魔力枯渇の心配なく扱うことができる。

 だが、過剰なまでの身体強化に伴う反動は計り知れない。

 そもそも身体強化は肉体の限界を底上げするのではなく、限界を超えさせて本来なら不可能な動きを可能にさせるものだ。そんな魔術を何重にも重ね掛けすれば肉体は悲鳴を上げ、下手をすれば崩壊しかねない。

 それでも、夕香は躊躇わない。

 ここで諦めてしまえば取り返しがつかなくなる。人間は甚大な被害を受け、魔族は完全に滅亡してしまう。それだけは阻止しなければならないと、直感が訴えかけてくる。

 激痛に悲鳴を上げる身体に身体強化を重ね掛けする。すると若干ではあるが指先に力が入った。だが、まだ足りない。

 三重、四重、五重と掛けてようやく身体が持ち上がる。

 歯を食いしばり、小刻みに震える膝を叱咤し、やっとの思いで立ち上がった。だが、まだ戦うには足りない。今のままでは竜形態のリュヴィウスの相手は務まらない。

 六重、七重、八重と更に身体強化を行使したところで、夕香をリュヴィウスの一撃とは別物の激痛が襲った。


「あぐぅ……!?」 


 みしりと、身体の至る所から走る軋むような痛みに夕香が喘ぐ。

 まるで巨大な手に握り潰されるかのような痛み。それは過剰な身体強化に夕香の肉体が発する警告だった。

 痛む身体を抱きしめ、それでも夕香は身体強化を行使する。

 九重、十重、十一重、十二重と。そこまで続けたところで、


 ――パリィン!


 限界まで引っ張られた鎖が千切れるかのような破砕音が響き、夕香を取り巻く周囲の大気が俄かに揺らめいた。

 揺らめきは次第に大きくなり、目に見える青白い光の粒子へと変わる。更にその粒子が集い収束することで帯状になり、夕香の身体を柔らかに包み込む。その様子はどこか蚕の繭を彷彿とさせた。

 青白い帯に包まれた夕香に最大限の警戒を向けるリュヴィウス。そんな彼の前でゆっくりと青白い帯が解けていく。そして中から呆然とした表情をした無傷(・・)の夕香が現れる。


「え? な、なにこれ……」


 帯が解けてもなお青白い燐光を纏う身体に目を白黒させる夕香。その姿は血生臭い戦場には似つかわない程に幻想的であった。


「……あれ、身体の痛みがなくなってる」


 痛みの消失だけではない。これまでに負っていた細かな傷やリュヴィウスの拳を受けた左腕さえもが、まるで何事もなかったかのように回復していた。身体の調子も絶好調といって過言ではない。

 覚えのない超回復に首を傾げて、しかし以前これに似た光を見たことに思い至る。

 あれはイザヨイの防御結界を破った時。意識は朦朧としてイマイチ記憶が曖昧だが、あの時にこれと似た光を見た覚えがあった。

 当時は特に気にも留めていなかった。精々イザヨイの障壁が壊れた拍子に洩れ出た魔力的なもの程度にしか認識していなかった。しかしこの光景に夕香は考えを改める。

 この青白い光の正体が夕香には分からない。だが、なんとなく自分の力だということだけは分かる。全く以って覚えはなかったが、それでも自分の力だと確信して頷ける。なら、臆することはない。

 両の拳を打ちつけて夕香が構える。その頭の中からは既に放り投げられた剣の存在はすっぽ抜けており、殴り合う気満々といった様子だった。

 その姿にリュヴィウスは侮られたと憤る、などということはなくむしろ歓喜した。


「ああ、いいぞ。この姿の私に素手で挑もうなどという気概のある輩は終ぞいなかったが、肉弾戦はむしろ望むところだ」


「ちょっとアンタ性格変わり過ぎじゃない?」


 これまでの冷厳な雰囲気はどこへいった、と思わず突っ込んでしまう夕香。それ程までにリュヴィウスの変貌は見た目も中身も大きかったのだ。どうにも調子が狂わされてしまう。


「まっ、いいわ。結局やることは変わんないし」


「そうだ。今度こそ止めてみせろ、人間。失望させてくれるなよ?」


「お望み通り止めてやるわよっ!」


 牙を剥き出しに笑うリュヴィウスと青白い燐光を纏う夕香は、次の瞬間弾かれたように衝突した。





今回で書き溜めがなくなりました。今日以降はさすがに毎日更新は難しくなりそうですのでご容赦ください。

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