3 負けず嫌い
「それは、あたしなんて取るにも足らないって、ことかしらぁ……?」
頬を引き攣らせ、額にくっきりと青筋を立てて少女が言った。
「それもあるが、お前と戦う意味がない」
「アンタになくてもあたしにはあんのよ。災禍の根源、魔王様」
災禍の根源とはまた大仰な渾名をつけられたものだ、と魔王は小さく嘆息する。だが彼の所業を鑑みれば災厄と恐れられるのも無理はない。
「なら勝手にしろ。どうせお前の攻撃は俺の防御結界すら貫けない」
魔王は即座に脳内で術式を構築し、自分を中心に半球状の防御結界を展開する。半透明の障壁が少女と彼を隔てるように現れた。
「言ったわね。なら遠慮なくいかせてもらうわよッ!」
ダンッ! と少女が力強く床を蹴る音に続いて、ガキン! と鋼と鋼が打ち合うような音が響く。
剣と障壁の勝負は障壁に軍配が上がった。
「――っつ~! まだまだぁ!」
少女から感じられる魔力が俄かに高まる。身体強化の魔術を行使して身体を強化し、無理やり押し通すつもりのようだ。
「はあっ!」
先の一撃よりも鋭さを増した斬撃が障壁に叩きこまれる。しかし障壁はびくともしない。
「くっ……だったらこれで、どうっ!?」
剣では歯が立たないと悟り、少女は攻撃手段を魔術に切り替える。少女の手前に一抱え程の火球が出現し、
「くらえっ! 《火弾》」
障壁に一直線に衝突する。だが少女の放った《火弾》は初級の火系統魔術。その程度の魔術で障壁が破られるわけもなく、揺らぐこともなく依然無傷のままだ。
「どんだけ固いのよ……」
「さあな……」
召喚された当時はここまで頑丈ではなかった。それこそ今の《火弾》一発で木端微塵になっていた。ここ最近でこの障壁を破ったのは恐らく聖剣ぐらいである。
聖剣はどうしようもない。あれは恐らく魔術の術式を直接斬っている。聖剣の前では如何なる魔術もその意味を為さない。
「諦めて去るか?」
障壁の尋常ならざる強固さの前に立ち尽くしている少女に魔王が問う。彼としては純粋に諦めを促したのだが、少女にはそれが挑発にとれたようで――
「ふっざけんじゃないわよッ!!」
――少女は未だ諦める気はないようだ。
猛然と迫る少女を見て、魔王は一つ溜め息を吐いた。
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戦闘、もとい少女による一方的な攻撃が始まってかなりの時間が経過した。少女は未だ諦め悪く障壁に挑み続けている。
あまりのしつこさに魔王がいい加減力づくで追い返そうかと考え始めたところで、不意に少女の攻撃の手が止んだ。
体力尽き果てたか、それとも魔力枯渇か。少女の様子を窺おうと顔を上げた魔王の目に飛びこんできたのは――
「…ぐすっ、ううぅ……」
――涙目で睨む少女の姿だった。
…………いや待てよ、と。
「何故泣く……?」
「う、うっさい! あたしが一生懸命やってるのに見向きもしないし、喋っても無視するし。……もう、ふざけんじゃないわよ……!」
ぺたりと床に座りこんで肩を震わせる少女。自分が放った魔術の余波で防具や服がぼろぼろになっていて、瞳を潤ませ睨んでくるその様はまるで駄々を捏ねて暴れたあとの――
「――子供か。……いや子供か」
何百年と延々繰り返し戦い続けていたせいで気にも留めなくなっていたが、目の前の少女は未だ二十にも届かないであろう子供だった。
対して魔王は容姿こそ召喚当時のまま十七の少年。しかしその実は五百年もの時を生きている。人生経験豊富とは言えないが、目の前の少女より圧倒的に大人であることは間違いない。
唐突に魔王は自分が弱い者虐めをしているような感覚に陥る。だが、今さらか、とすぐに開き直る。
「まあいい。勝ち目がないことは痛い程分かっただろう。諦めて帰れ」
さっさと帰れと言わんばかりに手を振る魔王。少女は目の端に涙を溜めて魔王を睨みながら涙声で訊く。
「なんで、反撃も追撃もしないのよ……」
「する意味がないからな」
反論の余地を与えないようにキッパリと言い切る。それでもなお少女は食い下がってくる。
「意味ってなによ?」
「お前が知る必要のないことだ」
「あたしは知りたい」
「必要性を感じない」
「…………」
淀みなく押し問答を繰り返して、不意に少女が黙り込む。
少女の潤んだ瞳がじっと魔王の目を見据える。まるで彼の真意を探ろうと、心の底を覗こうとしているようだ。
その視線に堪えかねて魔王が眉を顰める。
「……何だ」
「……アンタの目」
「目が、何だ?」
「アンタと同じ目をしてる人を、見たことがある」
「ほう。そいつはさぞ輝かしい栄光を掴み取ったのだろうな」
自分で言っておいて、それはないだろう、と魔王は思う。彼なりの皮肉だった。
少女は泣き顔を引っ込めると、今まで以上に真剣な面持ちで魔王を見る。そして鈴の音のように澄んだ声で、こう告げた。
「自殺したわ」
予想だにしなかった言葉に魔王は思わず反応しかけた自分を抑える。しかし少女はその一瞬の揺らぎを見逃さず、瞳に先程までとは違う強い意志の光を湛えていた。
「やっぱり。……よくよく考えてみればおかしな話よね」
得心がいったと言わんばかりに頷いて、少女は目元の涙を拭って立ち上がる。
「予定変更よ。どうやらアンタからは、色々と訊き出さなきゃならないみたいね」
剣を魔王に向けて正眼に構える少女。その身に纏う雰囲気は今までのものとはまるで違う、どこか鬼気迫るものを感じさせる。
「それに」
にやりと悪戯めいた笑みを浮かべて、少女は言った。
「あたしって大の負けず嫌いなのよね。だから諦めろとか言われると、返って燃え上がんのよ!!」
急激に少女の魔力が高まり始める。性懲りもなくまた身体強化の魔術を使っているようだ。
「まずは、その殻をぶち破る!!」
床を踏み砕く勢いで少女が障壁に猛迫する。その勢いに、僅かに魔王は身を強張らせた。
十、二十、三十と障壁に剣が振り下ろされる。その度に剣は尽く弾かれるも、少女は弾かれる勢いさえも利用して怒涛の連撃を繰り出す。
それでも揺らがぬ障壁。自分で張ったものではあるが、理不尽な強度だと改めて実感する。それに諦めずに食ってかかる少女の諦めの悪さも見上げたものである。
「やああああああああっ!!」
瞳に萎えることのない闘志を滾らせ、何度弾かれようと少女は一心に剣を振るう。その様は今まで相手してきたどの勇者よりも勇者らしかった。
その姿があまりにも眩しく感じられて、魔王は目を眇めた。
▼
日が地平線に沈み始め、壊れた城壁の隙間から差し込む夕陽に部屋が茜色に染まる。そんな中、痛ましい程に消耗した身体でなおも剣を振るう少女。その瞳には未だ尽きることのない意志の炎が宿っている。
「もうやめろ。どうしたってお前には障壁を破れるわけがない」
「はぁ、はぁ……どうかしら、ねっ!」
既に刃が潰れてただの鉄棒と化した剣をバットのように力任せにスイングする。
剣と障壁が衝突する。すると――
――バキィ!
まさか障壁が砕けたのかと一瞬動揺する魔王。しかし実際に砕けたのは剣の方だった。
原型を留めない程に粉々に砕け散り、無手となった少女。最早万事休す、そう魔王は断じた。だが――
「諦めて――」
唐突に周囲一帯を取り巻く空気が豹変し、少女から感じられる魔力が爆発的に膨れ上がる。同時にその全てが少女の右手に圧縮集中され、青白い火花を散らし始める。
「これはっ!?」
目の前で起きている信じられない現象に驚愕しながら、魔王は大慌てで少女を止めようとするが時既に遅く、
「――たまるかあああぁぁぁああああっ!!」
少女の全身全霊を込めた拳が障壁に叩き込まれた。
瞬間、少女の右拳を基点に溜めこまれていた魔力が弾け、魔力の大奔流が巻き起こる。
――ピシィ……ピキピキッ!
何かが罅割れるようなその音は、間違いなく少女の拳が突き刺さる障壁から聞こえていた。それを理解したがために魔王は驚愕に目を剥く。
「いっけええええええええええええええ!!」
全身に魔力の大洪水を受けているはずなのに、少女はなおも一歩踏み込む。その圧力に障壁から聞こえる罅割れの音が一段大きくなり、そして、
――ピキピキッ……バキィン!
ガラスが砕け散るような音と共に、遂に防御結界が破られた。
何が起きたのか、魔王はしばらく目の前の現実を受け止められず放心してしまう。それも仕方ないだろう。
決して破られることがないと高を括っていた防御結界が、あろうことか成り損ないの勇者によって破られたのだ。それに加えて障壁を砕いた最後の一撃。あれは……
「どうよ、やってやったわよ……」
思考の海に潜りかけていた魔王だったが、少女の声によって現実へと意識を戻す。
満身創痍で全身煤塗れになりながら少女が笑みを浮かべている。
もう立っているのも辛いだろうに、少女はふらふらと覚束ない足取りで彼の目前に立つと、
「あたしの、勝ちよ……」
勝ち誇るようにそう言い、そのまま糸が切れた人形のように玉座、魔王に倒れ込んだ。
しばし突然の事態に硬直するもすぐさま我に返り、
「結界を破ったからって、勝ちではないだろうに……」
満足げな表情で凭れかかる少女を一瞥して、魔王は呆れたように苦笑した。