28 人間VS魔物
先手を取ったのは人間側だった。
「弓兵、バリスタ用意!」
未だ先頭集団が衝突もしていない状況下で、防壁の上に陣取る弓兵総勢二百を束ねる指揮官が声を張り上げる。
兵士達は速やかに指示に従い弓に矢を、バリスタに槍の穂先にも似た弾丸を番える。
「弓兵の狙いは小型、バリスタはドラゴンだ。撃ち方用意!」
防壁の上にずらりと並ぶ兵士達が一斉に弓を引く。バリスタを数人がかりで照準を飛行するドラゴンに合わせる。
キリキリと弦が引き絞られる音が、兵士達の緊張を煽る。そんな中でも指揮官は冷静に距離を測り、
「今だ! 撃てぇ!」
――バシュン!
弦が鳴る音と同時に二百の矢が曲射軌道で放たれた。風を切り、大気を裂きながら飛ぶ矢群は一定の高さまで昇ると、今度は重力に引かれて落下を始める。
今回、人間側が使う矢の鏃は比較的重い代物になっている。理由は威力向上と、矢を雨あられの如く降らせる戦術を採るためだ。
その目論見通り、高高度から鏃の重さを加えた矢群の強襲は魔物の群れに著しい被害を与えた。小型の魔物は命中した瞬間に身体に穴を穿たれ、中型も飛行は可能だがそれなりのダメージを受けている。外れた矢はそのまま地上へ降り注ぎ、地を往く魔物の群れを襲った。先手としては十分な打撃を与えられただろう。
ただ一つ、ドラゴンに関してはその厚い鱗に阻まれて傷一つつけられていないが。
だがそこは弓矢の役割ではない。
唸りを上げながら飛ぶバリスタの弾が下位のドラゴン数体に直撃したのは、弓矢よりも先だった。
弓矢程度は弾く鱗を容易く抉り抜き、バリスタはその巨体に拳大の穴を穿つ。
――ギャアアアアアアアアアァァァァァ!
諸に弾丸を喰らったドラゴンが悲鳴染みた咆哮を上げ、そのままバランスを崩して地上へ墜落する。地上にいた魔物が数十単位で墜落してきたドラゴンに潰されて数を減らす。奇しくも上空と地上、両方に被害を与える結果となった。
「よし、第二射用意! 今度は魔術師部隊と合わせる!」
第一射の結果に自惚れることもなく、指揮官は次の指示を出す。何せ相手は万を越える軍勢だ。百や二百削ろうが相手にとっては痛くも痒くもない。
指揮官の指示に慌てることなく落ち着いて行動する兵士達。それを見れば、彼らの練度の高さが窺い知れる。
しかし、どれだけ訓練を重ねようとどうしようもないことはある。たとえばバリスタの速射性。たとえば先の魔術師部隊だ。
どこかの魔王は詠唱なしに術式構築を一瞬で終わらすなど規格外なことをやってのけるが、普通の魔術師は、大規模魔術を行使するのには長い詠唱が必要だし術式の構築にも時間を要する。故に魔術師部隊は弓兵とタイミングを合わせるのが非情に難しい。バリスタも同様に、次弾の装填に若干時間がかかるためリズムを崩す原因と為り得る。
だが、そこを上手く纏めるのが有能な指揮官の役目だ。
魔術師達の詠唱の進み具合を把握しつつ、バリスタの装填が終わるタイミングを計る。そうして訪れた絶妙な一瞬を、指揮官は逃さない。
「弓兵、バリスタ、魔術師部隊、撃てえ!」
またも放たれる無数の矢とバリスタ。そして系統はバラバラだがどれも中級以上の魔術がそこに加わる。
飛来する無数の矢とバリスタ、そして魔術の前に魔物の軍は一方的な損害を受ける羽目になった。対して人間側は未だ被害はゼロだ。
――この調子で空中戦力を削れるだけ削る!
指揮官が胸中で意気込んだのと、境界の森上空に漆黒のドラゴンが現れたのはほぼ同時だった。
その体躯は上位のドラゴンよりも更に巨大。漆黒の鱗は陽の光を不気味に反射させ、まるで凶器のように煌めいている。
――ギィヤアアオオオオオオオオオオオ!
最早音ではなく衝撃波となった漆黒のドラゴンの咆哮が、戦場の隅々までを叩き震わす。圧倒的強者が己の存在を誇示するが如く、そのドラゴンは長い首を持ち上げた。その鋭い目が見据える先は、先程から鬱陶しい攻撃を仕掛けてくる防壁の上の兵士達。
「――ッ! 第三射用意急げぇ!」
持ち前の勘であのドラゴンがこちらを敵として見定めたことに気づき、指揮官は慌てて次の用意を指示する。
あのドラゴンは拙い。明らかに上位よりも更に格上の存在だ。それを直感的に感じ取った指揮官は内心でかなり焦っていた。
上位下位含め、ただでさえ馬鹿みたいにいるドラゴンに、更にあんな化け物染みた存在が加わったらどうなるか。確実に防壁は崩され戦況は一気に魔物優勢に傾くだろう。
それだけは避けねばならない。己の役目は少しでも長く、この防壁を保たせ時間を稼ぐことだ。たった一体のドラゴンに一発で崩されるなど、あってはならない。
己を叱咤し、指揮官は兵士達に指示を飛ばした。
▼
一方、地上では――
「おいおい、ありゃあ何だってんだ……」
額から冷たい汗を流しつつ、近くにいた魔物の首を剣で斬り飛ばすギリル。ベテランなだけあって、他所見しながらでも魔物を狩れる腕は流石というものだろう。
まあ、それ以上の兵もいるのだが。
「確かに。あれはちょっと予想外というか、どうしようもないのが出てきたね」
輝く銀髪と白刃を閃かせ、リリスが魔物を数体纏めて葬る。戦場に立ってもその凛々しさは損なわれることなく、舞い散る鮮血がコントラストとなり、より彼女の貴公子然とした雰囲気を際立たせている。
「駄目押しというか、相手さんも容赦ねえなおい」
「それだけ本気ってことなんだろうね」
地上など目にも入らないと言わんばかりの漆黒のドラゴンを見上げ、二人は揃って表情を硬くする。
今、地上は人間魔物入り乱れる乱戦模様となっている。最初こそ穴や壁に撹乱されている魔物を始末するだけの簡単な仕事だったのだが、数に物を言わせる魔物の押し寄せに穴は埋められ、壁は崩されてしまい、すぐに直接戦闘へと移行した。
今や戦場は剣戟と怒号、断末魔の叫びに溢れかえっている。
そんな中をリリスとギリルの二人は疾駆する。
「でも、こんな状況下で指揮を執るなんて不可能だよね」
横手から襲いかかってきたオークを剣の一振りで沈め、リリスは戦場を見渡す。どこもかしこも戦闘、戦闘、戦闘。周囲の状況に気を回している余裕のある者は、それこそBランク相当の冒険者だけ。それ以外の者達は自分のことで精一杯だ。
「まあ、誰も聞いちゃいねえだろうな」
「それ以前に、こうも五月蝿いと声が通らないよ。まあ、ベルサイズ辺境伯は違うみたいだけどね……」
と言ってリリスが視線を向けた先には、果敢に魔物と戦いながらも声を張り上げ指示を飛ばすエドガーの姿。その奮戦ぶりは兵士達を鼓舞し、士気を著しく高揚させている。
「あれ、絶対貴族のやることじゃないからね……。後方に控えて指示を送るのが定石だろうに、型破りというかなんというか……」
「きっとあの人は戦闘民族か何かなんだろうよ。そう思っとけ」
どこか遠い目で現実逃避しかけるリリスを、ギリルが適当な言葉で押し留める。
「それよりも、そろそろ脱落者が出てくる頃だな……」
そう言った直後、後方から野太い男の悲鳴が上がった。
ギリルが首だけ回して後ろを見れば、一人の冒険者が犬型の魔物に片腕を食いちぎられる光景が目に映った。
「ひ、あ……う、腕が。俺の腕がああああ!」
男は片腕を失くしたことでパニックに陥り、残った腕で剣をむやみやたらに振り回し始める。その錯乱に巻き込まれて何体か魔物が倒れるが、冷静さを欠いた男は魔物の格好の的となってしまう。
周囲の魔物に一斉に群がられ、男は断末魔の叫びを残してその命を散らした。
その男の末路に、一部の冒険者達が顔を強張らせる。あまりにも惨い死に様に、皆動揺してしまったのだ。それがランクの低い者ならばなおさらである。
そんな光景が、冒険者達だけでなく辺境伯の私兵達の間でも見られ始めた。
圧倒的な数の差に、徐々に人間側が押され始めている。それが今の惨劇を引き起こしたのだ。
戦士達の胸に恐怖と不安がこびりつく。それは戦場において致命的な隙を生む原因と為り得る。
「まずいぞ……このままじゃ一気に戦況が崩れちまう……!」
焦燥混じりにギリルが呟くが、打開方法は見つからない。このまま士気が低下した状況で戦い続けるのはあまりに拙すぎる。
「くそっ! リリス、なんでもいいから指示を……」
駄目もとでリリスに声をかけようとしたその時、腹の底に響くような大音量が戦場に響き渡った。
「怯むな勇士達よ! 我らが退けば、それ即ちお前達の護るべきものの最期だと知れ!」
エドガーの叱咤が、戦場に立つ勇士達の心を奮わせる。だが、それだけで伝播した恐怖や不安を絶ち切るには力不足だ。
故に――
ズシン、と巨大なオーガがエドガーの前に立ちはだかる。まるでここから先は一歩も通さぬと言わんばかりに、その巨体でエドガーを見下ろす。
エドガーはそんなオーガを睨みつけ、声高に宣言した。
「いいだろう。私の道を阻もうというならば、是非もない。斬って捨てるのみ! 勇士達よ、その目に我が勇姿を焼き付けるといい」
剣を構え、エドガーはオークと相対する。
人間としてはかなりがたいがいい部類に入るエドガーだが、オーガはそれの一回りも二回りも上をいく。鎧の如く隆起した筋肉は剣の侵入を阻み、振るわれる腕は大地を砕くことだろう。
しかし、オーガの前に立つエドガーに恐怖はない。ただ静かに闘気を漲らせ、神経を研ぎ澄ませる。
睨み合う大中の影。その間を血の匂い漂う風が過ぎ去った時、二つの影はほぼ同時に動き出した。
「おおおおおおおお!!」
雄々しい吠え声を上げて、エドガーは一気呵成とオーガの懐に飛び込んだ。対してオーガは腕を鎌のように振るって迎え撃つ。
己の命を刈り取らんと大鎌の如く巨腕が迫るのを冷静に待ち、待って、ギリギリまで引き付けたところでエドガーは力強く地を蹴った。
エドガーの身体が浮き上がり、オーガの腕を空中で回転することでやり過ごす。
「ぬぅあっ!」
現役を退いた身体に負荷がかかるが、それを堪えてエドガーは回転の勢いを乗せた袈裟がけ斬りをオーガの胴体にお見舞いする。
――ゴガアアァァアァァァ!
胴体を斜めに斬り裂かれ、オーガが怯んで一歩後退する。そこへ止めを刺すべくエドガーが突貫した。
「おおおおおおおおお!!」
エドガーの剣がオーガを刺し貫いた。
背中から剣を生やす形となったオーガはしばしその場に立ち尽くすも、ぐらりと身体を揺らして地に沈んだ。
「見たか勇士達よ。魔物を怖れることなどない、我に続いて敵の全てを駆逐し尽くすのだ!!」
オーガの死体から剣を抜き放ち、己の存在を誇示するようにエドガーは剣を高々と掲げる。その威風堂々とした姿に感化され、兵士達が一斉に雄叫びを上げた。戦士達の間に伝播していた恐怖や不安は完全に断ち切られたといっていいだろう。
その様子を見て、ギリルは呆れたような苦笑を零す。
「流石は領主様ってか……いや、普通の領主はああじゃねえか……。なあ、リリス――」
隣に並び立つリリスを振り返って、ギリルは言葉を失う。
「……見つけた」
剣呑な光を瞳に宿し、戦場の一点を見つめるリリス。そこに普段の貴公子然とした雰囲気はなく、代わりに剣のように研ぎ澄まされた殺気が迸っていた。
「おい、どうした、リリス……?」
まるで別人のように豹変したリリスに戸惑いながらも声をかけるギリル。だがそれに返答はない。
「っ! 逃がすものかッ――!」
何を見たのか、目の色を変えたリリスは形振り構わず駆け出した。
「おいっ、どこ行くんだ、リリス!?」
慌ててギリルが呼び止めるも、聞こえていないのかリリスは足を止めることなく、乱戦の中に消えていった。
「ちくしょうっ! 一体全体なんだってんだ……」
小さく舌打ちを一つして、ギリルは襲い来る魔物を次々と斬り倒していった。