27 勇士達の集い
テルムスと境界の森の間には広大な平野が横たわっている。その広さは徒歩で数時間はかかる程だ。
その平野で今、数百人もの兵士達が一心不乱に穴を掘り土で壁を築く作業に精を出していた。それらは魔物の侵攻を阻害し少しでも時間稼ぐために作られたものだ。ただ、
「あんなもん、意味があんのか?」
領主の私兵達が穴を掘っていく様子を遠目に見て、ギリルは呆れ混じりに呟いた。それに同意するように近くにいた冒険者達が小さく頷く。
ギリル含む冒険者達がいるのはテルムス北門の前。ここで彼らは防壁の上からの援護を受けながら、魔物達を迎え撃つのだ。単純明快でまるで捻りのない、戦術とも言えない作戦である。
「でも、ないよりはマシだと思うよ」
凛としたよく通る声が響いて、冒険者達の視線が一人の人物に向けられる。
テルムスに現在いる唯一のランクA冒険者であり、最高戦力。今回の戦いにおいて冒険者達の指揮を預かることになったリリスだ。
その関係でついさっきまでリリスはベルサイズ辺境伯と此度の方針について話し合っていたはずだが、どうやらそちらは話がついたようだ。
「僕達の目的はあくまで時間稼ぎ。その時間を稼ぐためなら、できることは全てやる。と、辺境伯が仰っていたよ」
「何だか貴族らしくねえよなぁ、うちの領主様は」
「言えてるな」
「どっちかってと、冒険者みたいな人だな」
リリスの言葉に、冒険者達が口々に軽口を叩く。これが貴族らしい貴族ならば不敬ものの発言だが、誰一人としてそれを咎める者はいない。
元より冒険者達の辺境伯に対する印象は概ね好意的だ。これが王都方面の貴族ならば話が違っただろうが、良くも悪くも辺境伯は武人気質の人であり、民を大切にする良識ある人だ。泥臭かろうと卑怯だろうと、使える手は使う。冒険者達にどこか通ずる流儀である。故に冒険者達も受け入れやすいのだろう。
「それにしても、何の冗談だってんだよなぁ」
ギリルが舌打ち混じりに境界の森上空を見上げる。
「ただでさえ絶望的な戦力差だってのに、相手さんはしっかり足並み揃えて向かってきやがる。本当に魔物か?」
ギリルの愚痴の内容は、この場にいる冒険者と兵士達、そしてベルサイズ辺境伯も同意せざるを得ないものだった。
魔物というのは基本的に知能が低い生物だ。理性といえるものは持ち合わせず、ただ欲望の赴くままに暴れる。それが一般的な魔物である。
しかし、今回の魔物はどうだ? 空を往く魔物は地上の魔物にペースを合わせ、あまつさえ人間の軍隊のように隊列を組んでいるという話だ。およそ魔物らしからぬ、しっかりと統率された行軍である。
これが空の魔物だけ先走る形で侵攻してきてくれたのならば、まず対空戦に集中して、それから地上の戦闘へ移行することができた。だが現実は甘くなかった。
それは間違いなく冒険者達や兵士達にとって嬉しくないことである。故に彼らが悲観するのも致し方ないのだが、不思議なことに冒険者達の顔は暗くなかった。
嫌そうな表情をしている者や苦々しげな表情をしている者は大勢いるが、絶望している者はいない。どちらかと言うと皆、どこか開き直ったような雰囲気がある。しかし自棄になったというわけでもない。
「まぁ、俺達がやらなきゃ後ろの奴らが逃げられねえからな。しゃあねえか」
「そうだね。せめて住民達が避難完了するまでは足止めしないとね」
ギリルとリリスがそう言うと、それを発端にあちこちで声が浮かんでは消えていく。
「お袋の奴、ちゃんと街出れてっかなぁ」
ある者は家族の心配を、
「無事に逃げてくれよ、カナリア……」
ある者は愛する人への想いを、
「俺、この戦いが終わったらエミリアちゃんに告白するんだ」
「あら、知らないの? エミリアならちょっと前に恋人ができたってはしゃいでたわよ」
「神は死んだッ!」
また、ある者達は軽口冗談を。
あちらこちらでさざめき広がっていき、まるで波のように寄せては返していく。そんな緊張した、それでいて若干浮ついた空気が流れる中、ギリルが小声でリリスに話しかけた。
「それで、嬢ちゃん達はどうするって?」
「ああ、二人なら護衛の方だよ。今頃機嫌を直すためにイザヨイ君が四苦八苦してるんじゃないかな」
笑み混じりに答えるリリスにギリルもまた苦笑を浮かべる。
「そりゃよかった。嬢ちゃんのことだから無理やりにでも残るとか言いそうで、ちっとばっか心配してたんだ」
苦笑を柔らかなものに変え、ギリルは安堵したように息を吐く。
「嬢ちゃんみたいな子供が死ぬには、まだまだ早いからな。……本音なら、おめえにも護衛に回って欲しかったんだがなぁ……」
「僕のことはお気遣いなく。これでも元騎士だからね。覚悟はできてるよ」
そう言うリリスの表情からは確かに強い覚悟が感じられた。だがどこか危うさを孕んでいる気がして、ギリルは心配でならなかった。
面倒見がいいからかそれとも年長者の勘か、夕香程でないにしろギリルはそれなりに人の感情の機微に敏感だ。だからこそ、リリスが何かしら傷を抱えていることにも気づけていた。
だが、ギリルにはどうこうできる手段がなかった。リリスは凛々しく貴公子然としていて忘れられがちだが、立派な女性であることに変わりない。如何に面倒見のいいギリルとて、踏み込める領域ではなかったのだ。
だからこそ、ギリルは夕香にかなり期待していた。
リリスは言動や容姿から多くの女性に慕われているが、それらの想いに応えたことは一度とない。むしろ常に線引きを意識している節がよく見られた。だがそんなリリスに例外が現れた。
――夕香である。
普段は同性であれ、いやむしろ同性である程一線を引いていたリリスが興味を持った少女。一カ月程前に突如現れたルーキーで、目覚ましい勢いで頭角を現してきた紅髪紅眼の冒険者だ。
夕香と出会ってから、リリスは依然と比べてよく笑うようになった。それは本人でさえ気づかない些細な程度の話ではあったが、リリスがFランクの時から見てきたギリルには一目瞭然だった。
きっとこのままいけば、リリスは遠からず夕香に心を開いていたはずだった。だがそれも、今回の戦いで元に戻ってしまった。それがどうしてもギリルには残念でならなかった。
ままならねえもんだなぁ、と胸中で零すギリル。
「嫌な世の中だぜ、まったく……」
「それには全面的に同意するよ」
思わずといったギリルの呟きに、リリスが苦々しく頷きを返す。
二人の視線の先は、俄かに騒がしくなり始めた境界の森へと向けられている。もう魔物の怒号や雄叫びが聞こえる程に距離が近くなっているのだ。
魔物の接近に気づいて、冒険者達が一斉に口を噤む。途端に静まり返る場の空気と、それに反して高まる戦意。皆が皆、迫りくる脅威を迎え撃つために精神を戦闘時のそれへと変えていっている。
全員、既に覚悟はできている。
その様子を見て、ギリルとリリスはどちらからとなく目配せを交わした。
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一兵卒の纏う鎧とは一線を画する豪奢な戦装束を身に纏い、エドガー・ベルサイズは兵士達の先頭に堂々と立っていた。
剣を地に突き立てて兵士達を見下ろす姿は威圧的で、その身から放たれる歴戦の雰囲気も相まって思わず跪きたくなるものがある。
エドガーは己を仰ぐ兵士達を見渡し、満足げに頷く。皆一様に戦意に満ち溢れた、良い戦士の顔をしている。彼らならば、きっと務めを果たすことができる。それどころか、魔物の軍勢の戦力を著しく削ぎ落すことも可能だろう。
己の育て上げた兵士達の成長に喜びつつ、それをおくびにも出さずエドガーは厳かに戦口上をあげる。
「よくぞ集ってくれた、勇士達よ。生憎長ったらしい口上は苦手なものでな。故に、私なりのやり方でやらせてもらう」
そう言ってエドガーは地に突き立てた剣を勢いよく引き抜き、天を衝かんばかりに掲げる。
「剣を取れ! 矢を番えろ! 我らが護るべき民を脅かす魔物の全てを、その命尽き果てるまで討ち滅ぼせ!」
「「「「「「「おおおおぉぉぉおおおおおおおお!!」」」」」」」
兵士達の雄叫びが大気を揺らす。
「勇猛なる戦士達よ、我に続けッ!!」
掲げた剣の切っ先を境界の森から出てきた魔物へと向け、エドガーが吠える。それに続いて兵士達が隊列を保ったまま、一気呵成の勢いで駆け出す。
魔物の軍勢もまた、人間側の動きに気づいて戦闘態勢に入る。奇声を上げ、怒号を放ち、力の限り暴虐を振り撒く。
今ここに、史上類を見ない規模の人間対魔物の争いの火蓋が切って落とされた。