22 不穏な空気
二日の行程を経てイザヨイ達は無事、それこそ気味が悪い程に何事もなくテルムスに帰還した。
イザヨイ達は帰還したその足で報告のために冒険者ギルドへと向かった。一名が少々文句を言ったりはしたが、イザヨイとリリス両名が宥めて半ば強引に引っ張っていった。
時刻としては昼過ぎ。冒険者ギルドに人は少なかった。それでもいないわけではなく、真昼間から飲み明かしている猛者や、イザヨイ達と同じく依頼完遂の報告に訪れている者が何人かいる。
「ん? おう、夕香の嬢ちゃんじゃねぇか」
「あ、ギリルさん」
受付でギルド職員と話していた男が夕香を見つけるなり軽く手を上げた。夕香もそれに応じて手を上げて男の許へと行く。
彼はギリル。ランクBとテルムスの数少ない高ランクの冒険者の一人だ。
荒くれ者が多いと見られがちな冒険者の中でも比較的温和な性格の男で、その面倒見のよさから見た目も中身も子供な夕香に時折冒険者の先達として色々とアドバイスをしてくれている。
「ここ最近見ねえと思ったが、どっか行ってたのか?」
「えっと、境界の森の調査でちょっと……」
「なんだ、おめえらもか」
「ギリルさんも?」
「おうよ。丁度報告してたところだ」
と言ってギリルはギルド職員を顎で指す。指されたギルド職員は夕香にぎこちないながらも笑みを浮かべた。
ちなみにこのギルド職員、イザヨイ達の冒険者登録を請け負った職員だった。当初こそ夕香の一挙一動にビクついていたが、夕香の誠心誠意籠った態度に徐々に対応を軟化させていった。
今では世間話をする程度には交流を深めている。
「そうなんだ。どんな感じだったの?」
「そうだなぁ……まあ、有体に言えば異常だな。俺らはそこまで森の深くまで潜っちゃねえが、それでもありゃ魔物が少なすぎる」
「ギリルさんも? こっちも似たようなもんだったわ」
「他の方々からも同様の報告を受けていますね」
二人の会話に報告書片手にギルド職員が言った。それを聞いて二人は眉間に皺を寄せて唸る。
「そこの二人はどう思うよ?」
傍観に徹していたイザヨイとリリスに水が向けられる。リリスは少し悩む素振りを見せ、険しい表情で自分の考えを述べた。
「単純に魔物の数が激減した、というのとは違うと思うね。かと言って森の魔物全てが恐怖して逃げる程に強い魔物がいたわけじゃない。……ただ」
より一層深刻な表情になって、
「痕跡らしきものはあった。森の一部が焦土になっていたんだ」
リリスの言葉に夕香がぴくりと反応する。イザヨイは明鏡止水が如くの無反応、知らぬ存ぜぬである。
「規模はどんなもんだったよ?」
「同じことをするなら、上位のドラゴンを連れてこないと無理だろうね」
「……マジか」
重々しい声がギルド内にやけに響く。どうやら途中からギルド内にいた他の職員や冒険者達も四人の会話に耳を傾けていたようで、事態の深刻さに皆顔を顰めている。職員に至っては顔を青褪めさせている者もいる。
そんな重苦しい空気の中、イザヨイのローブの裾をちょいちょいと夕香が引く。
「ねえ、なんでみんなこんなに追い詰めた顔してるの?」
小声で他の面々に聞こえないように耳元に口を寄せて問うてくる夕香。どうやらドラゴン程度で悲観している彼らに疑問を抱いているようだ。
そう、ドラゴン程度。
実を言えば、イザヨイも夕香もテルムスに辿りつくまでの間にドラゴンを倒している。そのため夕香はドラゴンに対して然程危機感を抱いていないのだ。むしろ夕香にとっては目の前にいる魔王の方がよっぽど脅威である。
だがそれはあくまで規格外筆頭のイザヨイと夕香のみ。ここにいる冒険者達に二人の価値観が当て嵌まるわけがない。
それに、今このテルムスは圧倒的なまでに人材不足。未だAランク冒険者はリリスしかいないのだ。そんな状況下で上位のドラゴンが出現したとあらば、重苦しい空気になるのも致し方ない。
そこら辺の事情をイザヨイが説明してやれば、納得したのかしてないのか微妙な表情で夕香は頷いた。
「とにかく、今回の調査結果を上に報告します。恐らく辺境伯に厳戒態勢を敷いてもらうことになるでしょう。皆さんも街から出る時は十分に気をつけ、何かしらの異常がありましたら報告をお願いします」
職員の呼び掛けにギルド内にいた冒険者の殆どが真剣な面持ちで頷いた。
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「さっきの話、アンタはどう思うの?」
冒険者ギルドをあとにして、リリスとも別れ通りで食べ歩きながら昼食を済ませていると、夕香がふと気になった風に尋ねてきた。
ギルドにてイザヨイは全く発言をしなかった。それが夕香には気に掛かっていたようだ。
イザヨイは答えようかどうかしばし迷い、夕香からの刺すような視線に堪えかねて口を開いた。
「あの焦土の犯人はドラゴンじゃない」
「知ってるっての、このバカっ」
責めるように睨んでくる夕香から、イザヨイは誤魔化すように目を逸らす。
「あたしが聞きたいのは魔物のこと。明らかにおかしいでしょ」
「……そうだな」
「心当たりは?」
「あるにはあるが……」
大方予想はついているが、その予想はイザヨイにとって非常に嬉しくないものである。それに確証があるわけでもない、仮に予想通りだったとしても、言えば夕香が首を突っ込むのは目に見えている。
それを思うと、言うべきか言わずにこのままテルムスを去るか、迷うところだ。
うぅむとイザヨイが唸っていると、やや前傾になりながら夕香が顔を覗きこんでくる。
「歯切れが悪いわね。なんか問題でもあるの?」
「問題と言えば問題だが……」
「めんどくさいわね。さっさと喋っちゃいなさいよ」
煮え切らないイザヨイの態度に痺れを切らした夕香が詰め寄ってくる。イザヨイは思わず一歩引いてしまう。
これはどうやってもはぐらかせないな、と観念してイザヨイは口を開こうとして、横合いから声をかけられる。
「おや、夕香さんではありませんか?」
二人して声をかけられた方に目を向けると、人当たりの良さそうな顔をした男がこちらに笑いかけていた。その男の後ろでは、付き従うように秘書然とした女が同様に微笑んでいた。
二人に話しかけてきた男はダリエル商会テルムス支部の支部長、ジェノバ・バークス。夕香の持ち込んだ知識やアイデアを甚く気に入り、冒険者でありながらも下に見ることなく懇意にしてくれる相手だ。
イザヨイはそっとその場から半歩退き、気配を薄めて傍観者へと移る。
「ジェノバさんじゃないですか。どうかしたんですか?」
「いえいえ、これといった用事はないですが、以前夕香さんから教えて頂いた調理法がなかなかに好評でしてね。その報告と、また何か斬新な調理法はないかと」
夕香が商会に売り込んだ現代知識は、主に調理法や食料関連だった。
そもそも夕香は元の世界では中学を卒業したばかりの、ごく平凡な学生だった。そんな彼女にあれこれと求めるのは無理がある、とイザヨイは思っていた。だが驚いたことに料理などに関しては人並み以上の知識と技術を有していた。
元の世界の調理知識を総動員させ、一癖も二癖もあるこの世界の食材を美味しく調理して見せられた時は、然しものイザヨイも驚きに目を見張った。
もしや料理人でも志していたのかと問えば、微妙な表情ではぐらかされてしまったが。それでも、夕香の持つ知識と技術は間違いなくこの世界において立派な武器になる。
「うーん、そうね~。じゃあ――」
「ほうほう、なるほど。それで――」
遺憾なくその知識を披露する夕香と、商人の顔でその話に耳を傾けるジェノバ。人の行き交う通りであることを忘れて顔を突き合わせて話し込む二人にイザヨイは苦笑を洩らすと、ふとジェノバが引き連れている女と目が合った。
この女は仕事において常にジェノバをサポートする、言わば秘書のような立ち位置の役職らしい。直接的な会話こそ殆どないが、ジェノバを訪ねる度に後ろに控えているので顔は幾度となく会わせている。
女はイザヨイと同じ心境なのか、困ったような笑みを向けてくる。イザヨイも、処置なしと言わんばかりに肩を竦めて応じる。が、その内では女に対して常に警戒を張り続けている。
名前こそ知らないがこの女、身のこなしが一般人のそれではないのだ。隠そうとはしているが、その足運びや姿勢から只人ならぬ気配が滲み出ている。
ジェノバの護衛も兼ねているのかは知れないが、イザヨイがあまり印象を与えないよう気配を薄めていてもこの女は、片時もイザヨイを見失うことも、まして存在を忘れることもない。得体が知れず、油断ならない相手だ。
女に対する警戒を緩めぬまま夕香達の会話が終わるの待つことしばし。お互い納得がいく具合に話が纏まったのか、満足げな表情で二人が会話を打ち切った。
「いやはや、夕香さんと話しているのは新しい発見が多くてとても楽しいですね」
「あたしもジェノバさんと話すのは結構楽しいですよ」
「それは嬉しいことですね」
二人揃って楽しげに笑い合う。だが、唐突にジェノバが表情を曇らせた。
「しかし、どうもここ最近境界の森がきな臭い模様ですね。ドラゴンが出たとかなんとか」
「あ、あはは……みたいですねー」
頬を引き攣らせて話を合わせる夕香。その様子に一瞬訝しげな顔をするも、ジェノバは続けた。
「そのせいでどうにも商人の流入が悪くなっているようでしてね。表面的には今のところ問題はないのですが……」
険しい表情で言い淀むジェノバ。夕香もつられて眉間に皺を寄せる。
ジェノバが言うには、ここ数日境界の森から漂う不穏な空気が原因で商人の出入りが減少し、物流の流れが滞っているらしい。ただすぐに騒ぎになる程ではないようだが、それでも商人であるジェノバからするとこの状況が長引くのはあまり好ましくない。
「商人としては一刻も早い解決を望むところですね」
「私たちも早くこの状況を打破できるよう、頑張ります」
ぐっと拳を握り込んで意気込む夕香に、期待していますよ、と微笑むとジェノバは女を引き連れて雑踏に消えていった。
イザヨイは二人の、特に女の姿が完全に見えなくなったのを確認すると肩の力を抜く。
「ちょっと、まずいわね……」
「……そうだな」
隣で呟かれた言葉に、イザヨイはおざなりに同意するのだった。