21 境界の森の調査
紅が舞う。焦土と化した大地を、五体のオークを翻弄するように駆け回る。オーク達が振り回す粗末な棍棒の応酬を紙一重で躱しながら、隙は逃さず容赦なく斬り付ける。その様は修羅の如く、小柄な体格に見合わぬ膂力で以って敵を薙ぎ倒していく。
その様子を少し離れた位置から眺めていると、隣で端正な顔立ちを盛大に引き攣らせているリリスが妙に悟った風に口を開いた。
「なんというか、凄まじいね……」
「まあな……」
リリスの感想に頷きながら、イザヨイは改めてオーク達と戦っている夕香へと目を向ける。
「うりやああぁぁっ!」
ある時は剣で真っ向からぶつかり、ある時はリリスから習った技術で受け流し、またある時は気合一発といった感じで殴り飛ばす。
脂肪の塊とも言えるオークが、夕香の華奢な細腕によって吹き飛ばされる光景というのはあまりにも現実離れしすぎていて、それは一周回って喜劇にも見えた。
「ははっ、オークが殴り飛ばされる光景なんて、そうそうお目にかかれないよ……」
「そうそうお目にかかりたいものではないだろう……」
イザヨイと夕香の二人に比べて常識人なリリスにとって、人間の力でオークが吹っ飛ぶ光景など悪夢以外の何ものでもない。それを自分よりも幼い夕香がやっているとなればなおのことである。
ちなみにイザヨイもやろうと思えばできてしまうのだが、それをあえて告げるようなことはしない。
「それにしても、いつもいつもユウカ君だけに任せていいものかな?」
若干困り顔で尋ねてくるリリスに、イザヨイは全く問題ないと頷きを返した。
テルムスに滞在を始めておよそ一カ月。この一カ月、夕香はとにかく貪欲に強さを求めた。イザヨイから魔術を教わり、リリスから剣術を習い、只管魔物との実戦に打ち込んだ。
結果、まだまだ剣術も魔術も未熟ながらも夕香はこの一カ月で確実にその基礎能力を高めていった。ただ、魔術に関しては魔力量の問題があってあまり強力な魔術は扱えないが。それでもこの一カ月という短い期間で、夕香は目を見張る成長を成し遂げた。
その急激な成長には勿論理由がある。
夕香はすっぱり忘れていたが、この世界にはステータスの概念がある。レベルに体力と、数値が見えないながらも存在している。それを確認できるのは勇者だけではあるが、確かに存在するのだ。
それはつまり、ゲームよろしくレベルアップの類もあるということで。それをイザヨイが夕香に伝えれば案の定、翌日から戦闘といえる戦闘の殆どを一手に引き受けるようになった。見えないけれど、経験値が入ってレベルが上がっていくのだ。これ以上になく手っ取り早くシンプルな手段である。
そのバーサーカーもかくやといった活躍のせいで、冒険者達から付けられた二つ名は【鬼姫】と物騒極まりない代物。当の本人は鬼扱いに一優し、姫扱いに喜んでいたが。
ちなみにリリスは【舞騎士】と周囲からは呼ばれているらしい。当人としては恥ずかしいことこの上ないようだが、普段の振舞いを思えばこれ以上にない程見合った二つ名だろう。
イザヨイに関しては只管目立たないように意識していたため、これといった二つ名などは付けられなかった。注目も夕香やリリスと比べれば皆無に近く、あるとしても嫉妬ややっかみ程度だ。
ここ最近は比較的平和なものだった。最初こそリリスのファンに絡まれはしたが、今では遠巻きに睨んでくる程度。無事冒険者ランクもFからEへとランクアップし、他の冒険者達ともそれなりに交流を(主に夕香が)深めて大分馴染んできた。
他にも夕香に現代知識を活用させて大陸大手の商会支部と繋がりを得させるなど、着実にこの世界においての地盤固めを進ませている。
一方、勇者や聖剣についての情報収集の方は芳しくなかった。はっきり言って進捗ゼロ。酒場で酔い潰れかけた客に堂々問いかけ、冒険者同士の会話で探りを入れて、リリスにも自然を装って尋ねたが、有益な情報は皆無だった。
何故勇者を召喚し続けたのかを問えば、皆一様に怪訝な顔をして『勇者だから』と答える。まるでそれが当然のように、彼らは言うのだ。この時点でイザヨイは人伝に勇者関連の情報を集めるのは不可能だと悟った。同時に代わりの手段を模索した。
人伝が無理ならば書物、歴史書の類を紐解けば何かしらの情報を得られるかもしれない。だがこの世界において本は貴重品や嗜好品の類であり、貴族の蔵書か王都の図書館ぐらいにしかない。
実のことを言えば、イザヨイは既にここテルムスを治める辺境伯の屋敷に忍び込み、蔵書を漁っていたりする。
幻影魔術で姿を消し、夜闇に紛れて侵入したのだが、イザヨイの望む情報は一切見つからなかった。そもそもここの貴族はあまり本の類を収拾する人間ではなかったらしい。
テルムスにおけるこれ以上の情報収集は恐らく望めない。そう判断したイザヨイとしてはそろそろテルムスから王都方面へ出立ちたいと思い始めていた。
「……やっぱりおかしい」
不意にリリスの声音が真剣味を帯びたものへと変わり、イザヨイは反射的に思考の渦から意識を引き戻した。
「五日間森を調査したけど、あまりにも魔物の数が少なすぎる」
険しい表情で言うリリスにイザヨイも同意せざるを得なかった。
ここ五日間、イザヨイ達は依頼として境界の森の調査に当たっていた。依頼者は冒険者ギルド。ここ最近境界の森が妙に静かなことを怪訝に感じたギルドが冒険者達に依頼を出したのだ。冒険者達、特に高ランクの人間もここ最近の森の異変を何となく察知していたため、多くの人間が調査に乗り出した。
イザヨイ達もその依頼を受け、五日間森にて野営をして異変の調査をしているのだが、リリスの言う通り驚く程魔物の姿がない。
これまでに遭遇した魔物の数は、今夕香が対峙しているオークを合わせて二十に満たない。人間と魔族の大陸を隔てる境界の森で、しかもかなり魔族の大陸側まで潜っているのにこの遭遇率は低いどころの話ではない。異常である。
実際に魔族側から人間の大陸へと渡ってきたイザヨイだからこそ、その異常を如実に感じ取っていた。
「それにこの場所。明らかに何ものかの手によって焼き払われた跡だよ。これ程のことが為せる魔物なんて、それこそ上位のドラゴンくらいしか思い浮かばないね」
「そ、そうだな……」
夕香とオークが戦う一帯の草木が不自然に開かれた焦土に戦慄するリリスに、イザヨイは明後日の方を向いて目を逸らした。
森の中にぽっかりと生まれた草木の何もかもがない不自然な空間。植生や土壌の関係で不毛地帯と化しているのではない、明らかに何者かの手によって意図的に焼き払われた跡地。
これを生みだした下手人はドラゴンではなく、イザヨイである。
いつぞやのオークの集団にイザヨイが魔術を放った成れの果て、それが今彼らのいる焦土である。だがそれを言えるわけがなく、事態を重く受け止めるリリスに対して罪悪感を抱きながらも、イザヨイは口を噤む他なかった。
「どうかしたの?」
五体のオークを地に沈めた夕香が深刻な表情を浮かべるリリスに尋ねる。ちなみに敬語はここ一カ月で自然と剥がれていった。
「ああ、この場所がね。森を一瞬で焦土に変える程の魔物がいるなら報告しないとならないからね」
「そ、そうねー……」
「…………」
夕香が頬を引き攣らせて視線を流してくるが、イザヨイはそれを黙殺。ただ目線だけで、余計なことを喋るな、と訴えるだけだ。
幸いリリスも思考に耽っているため二人のやり取りに気づくことはなかった。
「とりあえず、報告のためにもテルムスに戻るべきだろう」
「うんうん、大賛成! 早く宿に戻りたいわ」
余程森での野営が苦痛だったのか、イザヨイの提案に飛び付かんばかりに賛同する夕香。その様子に眉間に刻んでいた皺を解いてリリスが苦笑を浮かべる。
「そうだね。一度ギルドに報告をした方がよさそうだ。ユウカ君のためにも」
「あはは、ごめんなさい……」
恥ずかしげに頭を掻く夕香と微笑ましげに笑うリリス。そんな和やかな空気へと、
「ここからテルムスまで二日はかかるがな」
紛うことなき事実を述べるイザヨイ。すると夕香はぎぎっと音が聞こえてきそうな程ぎこちなく首を回し、イザヨイに恨めしげな視線を向けた。
「もう、疲れたわ……」
森の中での野営故に満足に眠れていないため、夕香はかなり疲労が溜まっているようだった。加えてリリスが同行しているせいで見張り番をイザヨイ一人に任せることができないのも拍車をかけている。
深い深い溜め息を吐く夕香の肩をリリスが気遣うように叩く。
「そう落ち込まないで、もう少しの辛抱だよ」
「うぅ、分かった」
リリスに諭されて渋々ながらも頷く夕香。その様子が我儘を言う妹を宥める姉のように見えて、イザヨイは生温かい目を向けるのを禁じ得なかった。
そんな視線に気づいて、夕香は誤魔化すように咳払いをした。
「それじゃあ行くわよ。……待ってなさいよあたしのベッド」
ベッドが恋しすぎるだろう、とイザヨイもリリスも夕香の異常な執着に乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。