20 変わらない為の強さ
昼夜問わず暗い路地裏で五人の女に囲まれるという、字面だけなら嬉しくも絵面を見れば全く以って嬉しくない状況に陥っているイザヨイ。普通は男女逆じゃなかろうか、と益体もない思考が脳裏を過るが努めて考えないことにした。
改めて状況を確認する。前方に三人、後方に二人。それぞれがイザヨイを逃がさんと路地を塞いでいるわけだが、正直その行動は全くと言っていい程意味がない。
イザヨイは魔術で空中に足場を形成して空を跳ぶことが可能である。即ち、道を塞がれようが上に逃走すればいいだけなのだ。通せんぼされようと痛くも痒くもない。
もし本気でイザヨイを足止めしたいのならば、四方八方どころか上も抑えなければ意味がない。それをそこいらにいる冒険者程度に求めるのは些か無理がある。
とにかく、イザヨイが置かれている状況は全く以って危機と呼べるものではないのだ。だから焦ることもない、余裕の態度を以ってしてイザヨイは臆することなどなく言う。
「断る、というよりも同行を願い出たのはリリスの方だ。リリスと俺を引き離したければ彼女本人に言ってくれ」
そもそも彼女らは昨日の酒場でのやり取りを見ていたはずだ。にも拘わらずイザヨイに突っかかってきたのは、会話の内容まで聞き取れなかったか、それとも直接本人に言う度胸がないか。恐らくどちらもだろう。
それ以前に、彼女らはリリスと面識があるのだろうか。そこらあたりを突けば勝手に自爆してくれそうだ。
イザヨイの余裕の体の返しにローブから覗く口元が歪む。
「……平民風情が貴族である私に盾突くおつもりですの?」
相手は早くも手が尽きたのか権力を笠に着始める。だがその程度でイザヨイが屈するはずもなく、むしろ彼女達の気を逆撫でするように言う。
「貴族か。貴族がどうして冒険者なんて野蛮で危険なことをしているんだ?」
「そ、それは……」
「ああ、いい。どうせ家督争いにも参加できない三女や四女で家から出されたとか、下らない英雄願望でもあるんだろう」
人間の貴族事情など一切知らないイザヨイの当てずっぽうのような指摘だったが、強ち的外れなものではなかったらしい。その証拠に五人から向けられる殺気が膨れ上がり、今にも剣を抜いて襲いかかってきそうだ。
「貴族を侮辱するとは、いい度胸ですわね。ここでその首を切り落として差し上げてもよろしくってよ」
脅迫紛いの言葉と共に各々が自らの剣に手をかける。イザヨイはその様子をどこか他人事のように眺めながら、一つの小細工を弄する。
「そう言えば昨日、リリスに貴族か騎士かと問われたな」
その言葉に、五人の動きがぴたりと止まる。その様子にイザヨイは薄く笑いながら構わず続ける。
「リリス曰く、所作や言葉遣いがしっかりしていて教育を受けた跡が見られたらしい。正直言ってそこまで見抜かれたのは驚いた」
ただし、リリスの推理は間違っていたが。それでも短い時間でイザヨイと夕香を、教育を受けた人間だと見抜いた洞察力には心底驚かされたのは本音だ。故にイザヨイの言葉は心からのものであり、嘘偽りは一つとない。
ただ、言葉というのは非常に厄介なもので、幾つか過不足があるだけで誤解を生む。現に五人はイザヨイの言い回しによって彼を貴族かそれに準ずる地位にある者だと勘違いしてしまったようだ。
イザヨイとしては、ただありのままを言葉にしただけだ。だが意図的に伏せた事実が彼女らを翻弄しているのもまた事実。
目論見通りの展開にイザヨイは洩れ出そうになる笑いを必死に堪え、五人の挙動に注視する。
五人とも先程までの威勢のよさはどこの空。全員が一様に苦虫を噛み潰したように口元を歪めている。
相手が同じ貴族である以上、下手に手出しをすれば立場が悪くなるのは自分達である。もし自分達よりも爵位の高い者だったら目も当てられない。それが彼女達に二の足を踏ませている。
全く以って現金な人間である。
小さく溜め息を吐いてイザヨイは歩き出す。彼女達はこれで迂闊にイザヨイ達に手出しできない。曲がりなりにも貴族の出であることが足枷になるとは、思ってもみなかっただろう。
などとは、イザヨイにしては甘い考えだったのだろう。こういった狂信的な連中の考えは理解できないと、自分自身が身を以って知っていたはずなのに。
「……あの女、夕香と言いましたか」
不意に呟かれた名前に、反射的に足を止めてしまう。その反応に先頭の女が口角を吊り上げた。
「よろしくて? 私達に逆らえばあの女がどうなっても――」
「――黙れ下衆が」
バン! と音が響く程の勢いで地を蹴って女に肉薄し、そのか細い首を掴み上げる。かふっ、と女が吐息を洩らす。
「随分と面白いことを宣うな。それで、夕香をどうするって? 言ってみろ」
その顔にさっきまでの笑みはない。表情は限りなく無に近いが、その双眸には睨まれるだけで竦み上がりそうな程の怒気が宿っている。
怒気を孕んだ視線に貫かれ、首を絞められていることもあって女は声の一つも上げられない。
「何だ? 聞こえないぞ。もっとはっきり言え」
ほんの少しイザヨイが手を緩めてやると、女はこれ幸いと喘ぐように息を吸い込み、
「や、やりなさい!」
叫ぶように他の面々に指示を飛ばした。その指示に、今の今まで硬直していた女達が弾かれたように剣を抜いて襲いかかる。
イザヨイは締め上げていた女を右から迫る女に放り投げ、左から剣を振り下ろしてくる女の懐に飛び込む。視界の右端で二人が衝突するのを捉えつつ眼前まで迫った剣の腹を撫でるように逸らし、無防備に曝されている鳩尾に掌打を叩きこむ。
――一人。
崩れ落ちる様を見届けることなく、イザヨイは背後から飛びかかってくる二人に意識を向ける。片方は剣での刺突、もう片方はあろうことか狭い路地裏であることにも構わず魔術を行使しようとしている。
小さく舌打ちをして、イザヨイは振り返りながら突きの一撃を首の動きだけで躱し、結構な力を込めて蹴飛ばし、魔術を行使しようとしている女にぶつける。
――二人、三人。
鈍い音を響かせて地に伏せる二人。骨の一本は逝っただろうが、イザヨイはまるで気にした風はない。むしろ命があるだけありがたいと思えと言わんばかりに睨むだけだ。
「……さてと」
戦闘になってから十秒と経たず三人も無力化、それも相手は無手という到底信じられない現実に呆けている残りの二人。夕香をどうこうと言った女と、そいつとぶつかった女のみ。
「改めて聞こうか。夕香をどうするって?」
威圧と併せて問うと、一人は腰を抜かし、もう一人は耐えきれずに気を失った。
「ひぃ……」
情けない声を上げて、腰を抜かした女が仲間には目もくれず這う這うの体で逃げようとする。が、それをイザヨイが許すはずもなく、無造作に女に歩み寄ると剣を抜いて背後から首筋に刃を添えた。
「ほら、言ってみろ。ええ?」
「ひぅ……ゆ、ゆるしてぇ……」
イザヨイのかける威圧があまりにも強いせいで悲鳴の一つも上げられない女は、ただただ許しを請うだけ。だがイザヨイがそれを聞き入れることはない。
情けなく曝される背を睥睨しながら、イザヨイは静かに剣を振り上げる。そしてそのまま情け容赦なく剣を振り下ろして――
「…………」
――女の首筋紙一重で止めた。
何故止めたのか。イザヨイは自分でもよく分かっていなかった。ただ頭の冷静な部分が、そこまでする必要はないと訴えかけてくる。
首筋寸前で剣を止めたまま硬直。そこから先、女の首を飛ばすことはしない。
以前の彼ならば躊躇いなく斬り捨てていた。いや、そもそも以前の彼ならばこうも容易く冷静さを欠いたりはしなかった。
――落ちつけ。一旦冷静になるんだ。
一度大きく深呼吸をして心を落ち着け、剣を収めようとして、
「――イザヨイっ!」
不意に聞こえた声に、イザヨイは身体を強張らせる。ぎこちない動作で視線を足元の女から前へと向けると、そこには肩を上下させている夕香の姿があった。
間が良いのか悪いのか。いや、この場合は良かったのだろう。女達にとっては。イザヨイにとっては、むしろ最悪のタイミングかもしれないが。
ついさっきまで命の価値観の相違でぶつかりあっていたのだ。その矢先にこんな場面に遭遇するなど、気まずいどころの話ではない。
本格的に愛想を尽かされるか嫌われるだろうな、とイザヨイは心の片隅で考える。
どこか他人事のように考えていると、いつの間にか夕香が目の前まで迫ってきていた。
「……とりあえず、ここから離れるわよ」
そう言って、夕香はイザヨイの手を取ると通りに向かって歩き出した。イザヨイは剣を収めて女達をちらりと一瞥だけし、そのまま夕香に引かれるがまま路地裏をあとにした。
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「よく、場所が分かったな」
すっかり暗くなった空を見上げながら隣を歩く夕香に尋ねる。手は通りに出てしばらくして周囲の視線に気が付いた夕香によって払われ、今は二人付かず離れずの距離感でテルムスの街を歩いている。
「物音がした、ってのもあるけどそれ以上にアンタの威圧が通りにまで届いてたのよ。お陰で何人か真っ青になってたっての」
「……そうか」
まさか建物を挟んで通りにまで自分の威圧が届くとは、と改めて自分の規格外っぷりを再認識したイザヨイだった。
「まったく……アンタをそこまで怒らせるって、あの人達になに言われたのよ?」
「それは……」
問われてイザヨイは返答に詰まる。まさか夕香のことを言われてカッとなってやった、なんて馬鹿正直に言えるわけがない。イザヨイは強引に話を逸らす。
「俺が襲ったとは思わなかったのか?」
「なに? 弱い者虐める趣味とかあんの?」
「いや、ないが……」
ナチュラルに弱い者認定されている女達を憐れに思うべきか、判断に困るところだ。
「アンタが理由もなく力を振るうヤツじゃないことぐらいは分かってんのよ。それくらいは信用してんの」
臆面もなくそんなことを言われて驚きつつ隣に目を向ければ、僅かに頬を朱に染めてそっぽを向く夕香の姿があった。夕香にしては珍しい、照れながらも素直な言葉だった。
「それに、アンタ枯れてるっぽいからそっち方面の可能性もないし」
全く嬉しくない信頼にイザヨイの気分は急降下する。まさに上げて落とされた気分だ。そこまで上がっていたわけではないが。
一人肩を落としていると唐突に夕香が歩みを止めた。イザヨイも二歩程遅れて立ち止まり夕香を振り返る。
「どうした?」
「えっと、その……」
夕香はほんの少し逡巡するように瞑目したのち、意を決したように目を開いた。
「イザヨイ。さっきは、ごめん。アンタの気持ちとか……考えてなかった」
夕香が頭を下げた。対してイザヨイは気にするなと、務めて軽く答える。
「いい、あれは俺も悪かった。だから頭を上げろ」
イザヨイがそう言えば夕香はゆっくりと顔を上げる。すると二つの瞳が強い意志を宿してイザヨイを見据えた。
「宿でアンタが言ったことは、きっと間違ってないと思う。むしろこの世界では正しいことなんだと思う」
でも、と夕香は続けて。
「それでも、あたしは変わりたくない」
確固たる意志を持って告げられた夕香の想いに、イザヨイは黙して静かに耳を傾ける。
「甘い考えだし、我儘だってことは分かってる。いざ戦う時に相手の命を気遣わないといけないなんて、不利なんて話じゃないってのも理解してる。それでもあたしは命を奪うことを容認したくない」
右の拳を握り締めて力説する夕香が、徐に握り締めた拳をイザヨイに向けて突き出した。
「――だから、どんな不利も無理も吹っ飛ばせるくらい強くなる!」
ここが道のど真ん中、衆人環視であることも忘れて夕香が胸を張って宣言した。
夕香の宣言に周囲の視線が集まる。そんな中、イザヨイは思わず頭を抱えてその場に蹲りたくなるのを全力で堪えていた。
おかしい。どうしてそう脳筋的理論に走ってしまうのだろうか。
夕香の自信満々の表情にイザヨイが頭痛を覚えていると、その肩が叩かれた。
「てなわけで、アンタにも協力してもらうから。具体的にいえば魔術方面。剣術に関しては……アンタじゃ規格外すぎるからリリスさんに習うわ」
本人の同意など知ったことかと話を進めていく夕香に堪らず頭を抱えるイザヨイ。
恐らくリリスなら頼めば幾らか師事を受けられないこともないとは思われる。むしろ嬉々として手合わせを願い出てくるかもしれない。
またこれから忙しく、面倒なことになっていくのだろうな、とイザヨイは憂鬱に遠いどこかを見つめる。
「よろしくね、イザヨイ!」
「……分かったよ」
満面の笑みを浮かべる夕香を無碍に扱うこともできず、イザヨイは多分に呆れを混じえながらも了承した。途端にほっと安堵するように胸を撫で下ろした夕香は軽い足取りで歩き出す。
「……ありがと」
すれ違いざまに呟かれた言葉に、相変わらず素直になれないなと苦笑しながら数歩先を行く夕香の背を追った。
▽
魔族の大陸の何処か。闇の中で八つの影が円卓を囲んでいた。
円卓を囲む八つの影は、それぞれが人間に似通った姿形をしていながらも角が生えていたり背に禍々しい翼があったりと、大凡人間とは掛け離れた身体的特徴を有していた。
――魔族である。
度重なる勇者の侵攻によってその殆どが滅ぼされながらも、今の今まで生きながらえてきた猛者達。それがこの場にいる八人と、ここにはいないがあと数人。計十数人がイザヨイ含めた正真正銘の魔族最後の生き残りだ。
その生き残りおよそ半分が、一堂に会していた。
「ついに、この時が来た」
一人がぽつりと零す。それに同意するように他の者達も厳かに頷く。
「……奴らは動かぬか」
「ふん、所詮は力のない臆病者。そんな輩が幾ら増えようが足手纏いなだけだ」
苦々しげに呟かれた言葉に、一人が忌々しげに言い放った。それに同調して他の者達も口を開こうとするも、一人の男がゆるりと手を上げて制した。
止めた男は彼らの中でも最も永い時を生きる、なおかつ屈指の実力を有する魔族だった。
背から強靭な黒翼を生やし、身体の至る所に黒々とした鱗が点在する。もしイザヨイや夕香のいた世界の人間が彼を見たなら、口を揃えてこう言うだろう。竜人と。
しかし彼は歴とした魔族だ。
彼――リュヴィウス・ドラグニルは、この八人の中で唯一イザヨイが魔王として召喚される以前から生きている個体である。その齢は六百後半。はっきり言って積み重ねてきた経験という一点に関してはイザヨイでも太刀打ちできない存在である。
そんな彼にこの場で真っ向から歯向かえる者などおらず、若干の不満を残しつつも他の面々は押し黙る他なかった。
場が沈黙に包まれたのを見計らってリュヴィウスは、荘厳な口調で語り始めた。
「魔王と勇者の召喚より永き時が過ぎ去った。多くの同胞が散り、苦汁を飲まされてきた。だが、それも終わる」
ゆっくりと鷹揚な動作で立ち上がるリュヴィウスに、続く形で他の面々も静かに立ち上がった。
「雌伏の時は終わった。魔王は倒れ、人間は仮初の平和を享受している。今こそ、復讐の時。魔族復興の時。脆弱で矮小な人間どもの目に物を見せてやろうぞ!」
憎悪、憤怒、狂気。様々な感情をその瞳に宿し、リュヴィウスの言葉に応じて声が上がる。
「我ら魔族に栄光あれ!」
『栄光あれ!』
どこまでも続く闇に、どこか誇らしげな声を響かせて、八つの影は消えていった。