16 初めての依頼
夜が明け、人々が活動を始める頃。街も昨日程ではないにしても賑わいを見せてきたのを見計らい、夕香も起きているだろうと宿へ戻ったイザヨイだったが。
「いい加減起きろ、夕香」
「うぅん……あと五分」
このやりとりを繰り返すこと六回。毛布に身を包んで一向に起き上がる気配を見せない夕香に、いい加減強硬手段に出ようかイザヨイは迷い始めていた。
ちなみに部屋のドアは普通に開いていた。戸締りされていると思って夜が明けるまで街を練り歩いた意味は何だったのかとイザヨイは一人溜め息を吐いた。
呼びかけて身体を揺すっても起きようとしない夕香に痺れを切らしたイザヨイは、彼女を包む毛布に手をかけて勢いよく引き抜いた。
「ふぎゃっ」
乙女? にあるまじき悲鳴を上げてベッドに突っ伏す夕香。女の子である自覚がないにも程がある。
「あーもう……」
眠たげに瞼を擦りながら身を起こし、安眠を邪魔した張本人イザヨイを半目で睨む。
「久々のベッドなんだからもうちょっとくらいいいじゃない」
「どうせしばらくはベッドで寝れるだろう」
既に一週間分の代金は先払いをすませてあるので、最低でも一週間はベッドの上で眠れることになっている。だが夕香は小さく息を吐くと大仰に頭を振る。
「こういうのは気分の問題よ、気分の」
「そういうものか」
小馬鹿にするように肩を竦めつつベッドの傍らに置いてあった防具やら剣を身につける夕香。あまり人の寝起きや着替えを凝視するのもどうかと思い、イザヨイは先に部屋を出て宿の前で待つことにした。
通りを行き交う人の流れをぼーっと眺めることしばし。不意に肩を叩かれて振り返ると頬に指が刺さった。
「…………」
無言かつ半目で指を刺した犯人を睨む。当の本人は悪戯が成功したのが余程おかしかったのか口元を手で隠して肩を震わせている。
その様子に非常に腹が立ったのか、イザヨイは思わず夕香の頭を軽く叩いた。
「いたっ、叩くことないじゃない」
「別に減るもんでもないだろう」
「減らなきゃ叩いていいもんでもないでしょうが!」
「うるさい寝坊助」
「なによ、この飲んだくれ爺っ!」
売り言葉に買い言葉という具合に不毛な言い争いを繰り返し、互いに睨み合う。いや睨んでいるのは夕香だけで、叩いて以降イザヨイは適当にあしらうだけに留めている。
そのあともイザヨイと夕香の言葉の応酬は続き、結局冒険者ギルドに着くまで言い争いは終わらなかった。
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「やあ、朝から元気だね」
それなり以上に混雑している冒険者ギルド前、爽やかな笑顔を振りまいてイザヨイ達に近づく人影。その正体は昨夜酒の席を共にしたリリスその人だった。
見覚えのない人物の登場に夕香が若干を戸惑っているのを他所に、イザヨイはリリスに肩を竦めて応える。
「そっちも、二日酔いにはなっていなさそうだな」
イザヨイは改めてリリスの全貌を見やる。
昨日の時点ではなかった両腰に吊られた二振りの剣。どちらもかなり質のよい代物のようだ。ただ、二本の内片方は騎士剣のようで、もう一方の剣よりも装飾が豪奢だった。
リリスは苦笑を浮かべながらイザヨイの隣、夕香に視線を向ける。夕香は自分だけのけ者にされて若干剝れているようだった。
「イザヨイ君。そちらの可憐なお嬢さんを紹介してくれるかな?」
既に名前も知っている癖に白々しい、とイザヨイは思いつつ蚊帳の外にいた夕香を前に押し出す。
「え? あ、はじめまして。夕香です」
「はじめまして、僕はリリス。よろしくね」
爽やかな笑みを浮かべながらリリスが手を差し出すと、夕香は戸惑いながらもその手を握った。お互い、掴みは問題なさそうだ。
二人の様子を傍らで見守っているイザヨイに夕香が当惑の表情を向けてきた。恐らくリリスが男か女か判別がつかなくて困っているのだろう。
それを分かったうえでリリスは、
「どうかしたのかな?」
追い打ちを掛けるが如く尋ねるものだから、遂には縋るような目でイザヨイに助けを求める夕香。
はぁ、と小さく溜め息を吐いてイザヨイはリリスを軽く一睨みする。
「あまり夕香をからかうな」
「すまないね。どうにも反応が可愛いものだから、ついね」
「か、可愛いって……」
欠片も悪びれた風のないリリスの不意打ち気味の言葉に照れる夕香。今の一言で完全にリリスを男だと勘違いしてしまっただろう。
そんな夕香に非情な現実をイザヨイは突きつける。
「リリスは女だぞ」
「――っえ?」
間抜けな声を洩らして夕香は硬直する。そのまま錆ついた歯車のように首を巡らしてリリスと向き合う。向き合うリリスは終始爽やか笑顔で、その腹で何を考えているのかは知れない。
「……なんていうか、詐欺よね」
やっとのことで絞り出した声は酷く疲れ切っていた。
見た目十七実年齢数百歳の魔王に、見た目貴公子の女冒険者と。確かに見た目詐欺な連中ばかりである。
イザヨイも自覚はあったし、心中察せなくもなかったがどちらかと言えばリリスと同じく夕香を弄るのを楽しんでいるサイドとしては同情する気は皆無だった。
強くあれ、勇者夕香よ。
イザヨイが心の中で一人合掌していると夕香のじとりとした視線が向けられた。
「で、リリスさんとはどういった関係なのよ?」
どこか険のある問いにイザヨイはリリスと目を合わせる。
「一夜を共にした仲だね」
「誤解を招く言い回しをするな。ただ酒を飲んだだけだろう」
「そんな……僕とは遊びだったのか!」
「おいやめろ。夕香だけじゃなくて周囲からも視線が険しくなっただろうが」
「サイテーね」
イザヨイに対して最大級の軽蔑を込めた言葉を吐き捨てて、夕香は一足先にギルド内へと消えていった。
その後ろ姿を溜め息混じりに見つめつつ、イザヨイは隣に立つリリスに意識を向ける。
「悪いな、面倒な芝居を打たせて」
「別に構わないさ。前もって決めてあったやり取りをしただけだからね」
気にするなとリリスは肩を竦める。
さっきのやり取り、実は昨夜の内にイザヨイがリリスと前もって取り決めておいた内容そのままなのである。
何故そんな面倒なやり取りをしたのか、それは今イザヨイに突き刺さる視線が理由である。
「それにしても、君がユウカ君にここまで過保護だったとは思いもしなかったよ。僕にも原因の一端があるからあまり言えないけど」
「さてな、何のことやら。行くぞ」
強引に話を切って、二人も夕香のあとを追ってギルドに入る。
突き刺さる殺気混じりの視線を背負いながら。
▼
相も変わらず賑やかなギルドにてその人口密度が著しく増している一帯がある。依頼書が貼られている掲示板の前と受付だ。
早朝のこの時間帯は仕事を求める冒険者、特に未だ低ランクに位置する者達が条件の良い依頼を求めて殺到する。それはお祭りの翌日でも変わらない。むしろ祭りのムードに当てられていつもに増して気張っている者も多い。
夕香は早々にその冒険者達の怒涛に飲み込まれてしまった。
そんな人の塊から一歩引いた位置からイザヨイは掲示板に貼り付けられた依頼書を見る。魔王のスペックを以ってすれば離れた位置から依頼書の内容を読むなど造作もない。
大量にある依頼書の中から現在のランクに適した依頼を探す。とはいえランクFの依頼なんて近場の簡単な素材採集か、ゴブリンやらの小型魔物の討伐程度だった。
どれも難度としては然して変わりのない、今の二人には物足りない。
どれでもいいか、と投げやりにイザヨイは比較的楽に終わりそうな薬草採集に目を付けた。
イザヨイはごった返す冒険者達の僅かな隙間を縫って掲示板から目当ての依頼書を手に取り、人の波に潰されかけていた夕香の首根っこを掴んで脱出した。
「バーゲンに集まるおばちゃんの気持ちが分かった気がする……」
猫のようにイザヨイに摘み上げられながら、夕香は虚ろな目で呟いた。
「朝のこの時間帯ともなればいい依頼を求める冒険者が殺到するからね。特に低ランクの依頼は冒険者の数に対して少ないから。僕も昔は大変だったよ」
依頼に出る前から疲弊している夕香にリリスが苦笑う。
「それで、どんな依頼にしたのかな?」
「簡単な薬草採集だ」
「どうせなら君達が戦う場面を見たかったんだけどなあ」
「残念だがこの薬草は街近辺の森に群生しているから戦闘の確率は低い。……魔物に関してだがな」
ぼそりと呟かれた言葉は夕香にもリリスにも届くことはなかった。
「ともかく依頼の受注をしなければならないな。それじゃ、頼んだぞ夕香」
「なんであたしに押し付けんのよ。自分でやりなさいよ」
「受注の仕方を知らん」
「受付持ってくだけでしょうが! あーもう分かったから、寄こしなさい」
不承不承の体で依頼書をイザヨイから引っ手繰ると、夕香はさっさと受付に行ってしまう。
その背を見送りながらリリスが首を傾げて尋ねた。
「何故ユウカ君に押し付けたんだい? 後々のことを考えるなら君も受付の対応に慣れておいた方がいいと思うのだけど」
「そうだな。まあ何というか、役割分担みたいなものだと思ってくれ」
「凄い不満そうだったけれど」
「知らん」
「……過保護なのか面倒くさがりなのかイマイチ理解に苦しむね」
イザヨイの返答に納得がいかないのか、リリスは怪訝そうに眉根を寄せる。だがイザヨイとしてはそれ以上の回答は挙げられないし、本心を曝す積もりも毛頭ない。
リリスから送られる視線を努めて流して待っていると、やがて夕香が何故か軽く落ち込みながら戻ってきた。
「……受注は終わったわ」
「何でお前は落ち込んでいるんだ?」
「いや。受付が昨日の人で、その……めっちゃくちゃ怯えられて……」
「あぁ、そういうことか」
それは致し方ないだろう。一歩間違えれば自分がテーブルのように木端微塵にされかけていたかもしれないと思えば、その職員は気が気でなかっただろう。
思わず苦笑いを浮かべてイザヨイが受付の方を見ると、間が悪いのか件の職員とばっちり目が合ってしまった。
職員は顔を強張らせると首が引きちぎれんばかりの勢いで顔を逸らし、猛烈な勢いで職務に励む。
これは良くも悪くも夕香がやりすぎたのが原因だな、とイザヨイは仕事熱心な職員の姿を見て思った。
「うぅ……なにもあそこまでびびらなくていいじゃない。あたしはいたいけな女の子なのに……」
だからいたいけな女の子は素手でテーブルは砕かない、と言ってやりたい衝動を抑えてイザヨイは夕香の戯言を聞き流した。
「まあまあ、そう落ち込まないで。ユウカ君はどこからどう見ても可愛らしい女の子だよ」
「ですよね! あたし普通の女の子ですよね!?」
「勿論だよ」
「うぅ……リリスさぁん」
リリスに慰められて気を持ち直した夕香の姿に、着々と籠絡されているなぁ、と他人事のように冷静に眺められている自分にイザヨイは少し悲しくなった。
本当に冗談だろうか。
今さらながら心配になってきたイザヨイであった。