11 辺境の街テルムス
荒野を踏破し、森を抜け、更に数時間歩いたところでようやく街の全貌が見えてきた。
「やっと着いた……」
「顔色が悪いぞ、夕香」
言葉とは裏腹に顔色の優れない夕香。ここにきて不安が限界に達しているのだ。それは尋常ではない冷や汗を流していることからも窺い知れる。
そんな夕香を他所にイザヨイは冷静に街の様子を観察している。
人間と魔族の境界を目と鼻の先にする街、テルムス。
常に魔族の侵攻の危機に曝されているため、領民は少なく廃れている――なんてことはない。
むしろ境界の森の魔物目当てに多くの冒険者が集まり、彼らが狩った魔物の素材が特産品となって大いに栄えている街。それが辺境の街テルムスである、とは夕香の言だ。
そして何よりも――イザヨイが潰した街の一つである。
緊張のあまり両手両足を同時に出して歩く夕香の姿に笑いを堪えながら、イザヨイは魔王城にも負けず劣らずの街を囲う防壁を見やる。
遠目からでも分かる強固な造りに、所々にある物見塔には対空兵器としてバリスタが設置されている。
あれからどれだけの時が経ったか正確には憶えていないが、あれ程に頑強そうな防壁を見せられると嫌でも時の流れを感じさせられる。いや、この場合は人間の逞しさに感心すべきだろう。
「な、なにしてんのよ? 早く行くわよ」
「……ああ」
夕香に急かされるままイザヨイは街の入り口へと向かった。
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街の中には案外すんなり入ることができた。
門の前には槍を携えた兵士がいたが、それはあくまで対魔物要員。基本人間は身分証明もなく通ることが可能だった。
ただしこれは辺境の街ならではのことで、王都方面の街や都市となると話が変わるので何かしら身分を証明できる物を用意しなければならない、と心優しい門番が親切にイザヨイに教えてくれた。
そのあたりの説明を何故先にしなかったとイザヨイが夕香に尋ねたところ「忘れてたのよ、悪い!?」と逆切れされる一幕があったりした。イザヨイの心中はとにかく、いいから落ち着いてくれ、だった。
とまあ、色々と悶着ありながらも二人は無事街に入ることができたわけだが。
「妙に騒がしいな」
「ほんとね。お祭りかなにかかしら?」
どうにも街全体が浮足立っている感じがした。そのお陰か夕香も若干ではあるが落ち着きを取り戻して首を傾げている。
行き交う人々の表情は一様に喜色に満ちており、道は食べ物などを販売する露天に埋め尽くされ、街は如何にもな祝祭モードに包まれていた。
「聞いてみるか」
夕香をその場に残し、イザヨイは丁度よく空いていた串焼きの露店に目をつけて客を装い近づいた。
「おう、そこのあんちゃん! 串焼きどうだい」
「そうだな、一本貰おうか」
「まいど! 串焼き一本、銅貨二枚だ」
懐から銅貨二枚を手に取り店主に渡し、代わりに串焼きを受け取る。何の串焼きかは知れないが、香ばしい匂いが食欲をそそる。
「しかしまあ、凄い賑わいようだな。何かあったのか?」
さも世間話をするように尋ねると店主が怪訝そうな表情を浮かべた。
「おいおいあんちゃん、知らないのかよ?」
「生憎長いこと境界の森に潜っていたものでな。ついさっき戻ってきたばかりなんだ」
イザヨイは軽く肩を竦めて見せる。後ろで夕香が「白々し~」などと呟いていたが、黙殺した。
「ほ~そりゃ知らねえのも仕方ねえか」
納得と言わんばかりに店主が頷く。
「それで、これは何の騒ぎなんだ?」
「ああ、なんでも魔王が倒されたらしくてな。それを祝っての祭りなんだぜ」
「…………ほう」
イザヨイは引き攣りそうになる表情を持てる意志の力を総動員して抑えた。そのせいで恐ろしく深刻な表情をしているように見える。
「いや~これで魔族の影に怯えることなく、毎日を平穏に暮らせるってもんだぜ」
「そうだな」
残念ながら、今も魔王は健在である。というか店主と会話している男こそが魔王である。
店主と二、三言会話を交わしたところでイザヨイは切り上げ、夕香の許へ戻った。
「それで、なにか分かったの?」
「ああ……まあな」
とりあえずイザヨイは手に持つ串焼きを夕香に渡した。夕香は何の串焼きか気になったようだが、香ばしい食欲をそそる匂いに負けてそのまま齧り付いた。
「うん、おいしい!」
満足げな表情で夕香が串焼きを頬張る。
「それで、なにが分かったの?」
「なんでも、魔王が倒されたらしい」
「むぐっ!?」
予想外の返答に驚いた夕香は肉を喉に詰まらせたのか胸を叩きだした。イザヨイも呆れながら彼女の背を擦る。
やがて飲み下すと、若干青くなった顔を勢いよく上げた。
「なによそのデマ。本人めっちゃ健在じゃない」
「そうだな」
「じゃあ、一体どうしてそんなデマが……あ」
夕香が何かに気づいたように声を上げた。
「もしかして、城が崩れたから……?」
「まあ、可能性としてはそれが高いだろうな」
誰が如何にして確認したのかは知れないが、城が崩壊したことで魔王が勇者に倒されたと勘違いしたのだろう。城が陥落すれば城主たる魔王も倒れたと考えるのは、当然といえば当然である。まさか勇者と共に乗り込んでいるなどとは夢にも思わないだろう。
しかし、イザヨイにはどうにも腑に落ちない点があった。
祭りをするのも祝祭を上げるのも大いに結構。むしろこういったイベントは街や国の繁栄にも繋がる、推奨される催事である。
だが、そこに絶対的に必要な存在が欠けている。
魔王を倒したであろう立役者――勇者の存在。
常識的に考えればこの手の祝祭は勇者の凱旋から始まるのが定石だろうに、何故それを欠いたまま祝祭を催すのか。
勇者が帰還してこないから死亡したと判断された? いや、それにしては尚早すぎる。
何故待たなかった?
いくら夕香を見限っていたとはいえ、魔王討伐という偉業を為せば多少なりと功績を認めざるを得ないはずだ。
それなのに、何故?
イザヨイの脳裏を一つの、最悪の可能性が過った。
隣で夕香が無邪気に串焼きを頬張る。
「ん~おいしぃ~」
頬に手を当てて幸せそうに目を細める夕香を見て、イザヨイは微苦笑を洩らす。
可能性はあくまで可能性。根拠なくして決めつけるのは早計がすぎる。
イザヨイはそう結論付けて、脳裏を過った一つの可能性に蓋をした。
しかし、やはり圧倒的に情報が足りない。どうにかして情報収集をしたいが、知っていて当然の事実を尋ねるとさっきの店主のように怪しまれてしまう。
そう何度も誤魔化せるものではないのだ。
情報収集の手段をイザヨイが思案していると、
「なにをそんな難しい顔してんのよ?」
串焼きを平らげた夕香が彼の顔を覗きこんだ。
「いや、何でもない。それよりもこれからどうする?」
「う~ん、やっぱり冒険者ギルドで冒険者登録した方がいいんじゃない? 冒険者カードがあれば身分証明には困らないし」
確かに、暫定最終目的地の王都に向かう二人にとって身分証明ができる物は必要不可欠。それに限らずあって困る物ではない。
更に、冒険者になれば冒険者独自の情報網に触れることができるかもしれない。それは情報不足のイザヨイにとっては願ってもないことだ。
夕香の提案を受け入れて、イザヨイは冒険者ギルドへ向かうのだった。