10 廃スペック魔王
ギインッ! と鋼と鋼が衝突する音が森に響き渡る。それに驚いて鳥達が一斉に飛び立ち、茂みから小動物が慌てて飛び出す。しかしそんな些事に構っている余裕などない。
イザヨイは目の前で剣を構える夕香に集中する。夕香もまた、鋭い目つきでイザヨイを見据える。
互いに剣を向け合い、一触即発の空気の中で相手の動向を探り合う。重苦しい程の静寂は一匹の野兎によって破られた。
瞬間――
「――ふっ!!」
「――やあッ!!」
二人の間合いがゼロになり剣と剣がぶつかり合う。
「ぐ、このっ……!」
弾かれかけた剣を強引に引き戻して、夕香が連撃を繰り出す。イザヨイもそれに応えて一歩踏み込む。
剣と剣が衝突する度に火花を撒き散らし、昼下がりの森に甲高い金属音を響かせる。
どこまでも基本に忠実な剣。それが夕香の剣。
対するイザヨイの剣は基本を逸脱した剣。というより、人間の剣術とは掛け離れた魔族の剣。人間を軽く凌駕する膂力に物を言わせた、剣鬼仕込みの剣術である。
その二つがぶつかり合えばどうなるかは、火を見るより明らかだ。そもそも多少押されながらも打ち合えている夕香がおかしい。常人ならば最初の激突で剣が弾かれるか、腕が痺れてしまうはずだ。
そのあたりは、成り損ないでも夕香が勇者である証なのだろう。
イザヨイが内心で舌を巻いていると、押される一方の展開に痺れを切らした夕香が紙一重で剣を躱し、大きく踏み込んだ。
「もらった!」
高々と掲げられた剣が物凄勢いで振り下ろされる。だが、まだ甘い。
白刃が迫りくる最中、イザヨイは瞬時に剣を逆手に握りかえる。そのまま何気なない動作で剣の柄頭を突き出すと――
――ガキンッ!
柄頭と白刃が激しく衝突。予想外の迎撃に夕香は目を見開き、イザヨイは隙を曝す彼女の懐に踏み込み、そっとその首筋に剣を添えた。
「俺の勝ちだ」
静かにイザヨイが告げると、夕香は悔しげに唇を歪ませながらも剣を下ろした。
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「なによアレ!? 無茶苦茶じゃない!」
「無茶苦茶だろうが何だろうが、できるのだから問題ない」
「なんでできるのよ!?」
「積み重ねた経験の賜物だな」
「百年単位の経験にどう勝てっての……」
自分と彼との隔絶した実力差に、夕香は悔しげに歯噛みする。ついでに親の敵でも見るかのように睨む。睨まれる側からすれば迷惑極まりないが。
「そう睨むな。人間の身でありながら俺と真正面から打ち合えるんだ。お前も十分に強い」
「アンタに言われても嫌味にしか聞こえないわ」
「じゃあどうしろと……」
ますます機嫌が悪くなる夕香に、イザヨイは頭を抱えたくなった。
「だいたい魔術も使えて剣も達人レベルってチートすぎなのよ。昨日のアレなんて、もう……」
「アレはまあ……やりすぎた自覚はある」
夕香の言うアレ、とは昨日オークの集団に遭遇した時にイザヨイが魔術一発で葬ったことだ。
オークの数はおよそ二十というところで、イザヨイとしては結構軽い気持ちで魔術を放ったつもりだった。だがその魔術が齎した破壊は過剰火力だったようで、オークを消し飛ばすだけに飽き足らず周囲一帯を焦土に変えてしまったのだ。
そのあとの夕香の怒りっぷりは凄まじいものだった。烈火の如く怒るとはあの時の夕香のことを指すのだろうと、イザヨイは心の底から思った。
甦る夕香の般若の形相を記憶の彼方へ封じ、イザヨイは鬱蒼と茂る草木を掻き分けて進む。
魔王城を出て数日。二人は人間の大陸に向かって南下を続けている。
そもそも、人間と魔族の大陸は広大な森が隔てているだけで、森さえ抜けられれば行き来は大して難しくない。ただし森を抜ければ敵陣に踏み込むことになるので、もれなく命の危機に見舞われるのだが。
それを理解しているからこそ、夕香の表情は人間の大陸に近づくにつれ不安げなものになっていた。
「ねえ、ほんとに大丈夫なのよね?」
「心配するな。見ての通り、容姿は人間と大差ない。黒髪黒瞳以外はちょっと普通よりも魔力量が多かったり長生きなだけだ」
「ちょっとや長生きなんてレベルじゃないでしょうがバカ」
「まあ人間なら大丈夫だ。魔族相手だと気配や波長で気づかれるかもしれないが」
人間の大陸で魔族と出くわす可能性なんてほぼ皆無だろうから懸念することもない。それよりもイザヨイは、
「俺達はこっちの方が問題だ」
そう言って瞳と髪を指さす。夕香も同意するように頷く。
「そうよ、結局アンタの考えってなによ?」
「そうだな。もうしばらくしたら森を抜けそうだし、ここで披露しても問題ないか」
そう言ってイザヨイは自分自身に幻影魔術を行使する。すると彼の黒かった瞳と髪が瞬く間に燃えるような紅に変わった。
「なっ!? アンタ髪が紅く、それに目も……」
突然の変貌に夕香は驚愕の声を洩らす。
「どうだ。これなら問題ないだろう」
「ないけど……どうやったの?」
「幻影魔術。光の屈折を弄ることで幻影を見せたり姿を見えなくする魔術だ」
「そんなの初めて聞いたんだけど……」
「当然だ。俺が作ったからな」
正確にはレムと一緒にではあるが。
夕香はイザヨイが作ったと聞いて口を半開きにして硬直してしまった。余程驚いたのだろう、イザヨイが声をかけても叩いても反応がない。
面倒だな、とイザヨイが割と力を込めて頭を叩こうとするよりも早く夕香が復活。物凄い剣幕でイザヨイに掴みかかった。
「作ったってなに!? そんな小学生の夏休みの工作みたいなノリで作れるもんなの!?」
「い、いやそんなノリで作ったわけじゃないぞ?」
切っ掛けは遊び半分のノリではあったが、作っている時は真剣だった。元の世界の知識を組み込み、術式の構成を一から考え、構築するのはなかなかに骨の折れる行程だった。
「そ・れ・で・も・よっ! もうアンタ滅茶苦茶すぎ。チートもいいところよ、この廃スペック魔王……」
もう疲れたと激しく肩を落としながら夕香が一人先に進んでいく。心なしかその背中からは哀愁が漂っていた。
離れていく夕香の背中を見つめながら、イザヨイは彼女の言葉を反芻する。
「チートに廃スペック魔王か。まあ確かにそうだが――」
――気づいていないのだろうな。
夕香は気づいていない。己もまた、普通の人間の範疇を越えていることを。
魔族であるイザヨイと真正面から打ち合える異常な膂力に、尋常ならざる回復力。極めつけはイザヨイの防御結界を破ったあの一撃。
本人は気づいていなかったが、あの瞬間彼女の周囲を取り巻く大気中の魔力が拳に集中していた。
それは普通ならばあり得ない現象。
人間だろうと魔族だろうと魔物だろうと、体外の魔力を操ることはできない。それはこの世界の常識であり、勿論イザヨイも挑戦はしたができなかった。
それを無意識でもできてしまう夕香は、イザヨイ以上に稀有な存在。
果たして、彼女はイザヨイよりも劣るのだろうか。今は自身の能力に気づいていないが、もし体外の魔力を自由自在に扱うことができるようになったら――
「――なーに突っ立ってんのよ。早く行くわよ」
少し先から急かされる声にイザヨイの思考は中断させられた。
――今ここで思い悩んでも詮ないことだな。
小さく息を吐きながらイザヨイは夕香の隣に並ぶ。
「ああ、そうだ。夕香は髪と瞳、何色にする?」
「アンタと同じでいいわよ」
「そうか。分かった」
夕香の希望通りにイザヨイが魔術で髪と瞳の色を変える。
黒髪と黒瞳はイザヨイと同じ深紅に変わり、二人とも同じく日本人であることから並ぶと一見兄妹に見えなくもない。というか、傍から見たら高確率で勘違いされるだろう。
「……まあ、いいか」
その時はその時で適当に誤魔化せばいい。イザヨイはそう結論付けた。
着々と近づく人間の大陸を前に、その表情に僅かばかり不安を滲ませる夕香。その様子を見てイザヨイはこっそり苦笑するのだった。