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【第三話】 オレと、オレ

「アポロン様、どうなさいまして?」

「君は……」

「『歴史』のクレイオーですわ」


 ウーラニアーに呼ばれてやってきたのは9姉妹の次女、あの栗生美姫に似たクレイオーだった。

 妹からオレの異変を聞き、様子を見に来たようだった。

 占いのカードから現れたミニチュアのオレはいつの間にか消えてしまっていた。

 しかし、何があったのかをクレイオーはすぐに悟ったらしい。

 黙ってそれを纏めると、「片づけなさい」と言ってウーラニアーに渡した。

 ウーラニアーはカードを持ってどこかに走って行ってしまった。


「ウーラニアーのカード占いを見たのですわね?」

「うん、そうなんだけど」

「あの子は幼くて自分が何を占ったものをまだよく分かっていないのです。よかったら何をご覧になったのか、姉の私にお話しくださいませ」


 オレはどもったり噛んだりしながら、何とか自分の見たものについてクレイオーに話した。

 自分は神話の世界の人間などではなく、芸大に三浪中の情けない日本人の男であること。

 試験に落ちた憂さを晴らすためにしこたま飲んで酔いつぶれ、挙句の果てに急性アルコール中毒で死んだらしいということ。

 病院のベッドの上で冷たくなったオレを見て両親が泣いていたこと。

 最後の方はもう、オレ自身も泣きそうになっていた。


「オレはアポロンとか、神とかそういう以前にギリシャ人ですらないんだ。だから、もう……わけわかんないよ」

「では、あなたのお名前は?」

「馬室哲学、年は23。だからオレは」

「マムロテツガク……ですのね」


 クレイオーは野原で蝶を追いかけて遊んでいたウーラニアーをもう一度呼び戻した。

 そして、馬室哲学、の名でもう一度占うように言った。


「テツガク? クレイオー姉さま、それなあに?」

「あなたの占いで見えた人間界の若い男の名です。この男が今どうしているかもう一度占いをお願い」

「うーん、やってみる」


 ウーラニアーはカードをよく切り、7枚選んで円形に並べた。

 すると、その円陣の中にまた小さな人が現れた。

 白黒の横断幕。

 丸い大きな花輪。

 ここは何度も行ったから覚えてる。

 多分近所の葬祭センターの中だ。

 どうやら、まさに葬儀が行われている最中のようだ。

 白い菊やカスミソウで波を模した大げさな祭壇と、その真ん中に飾られたオレの写真。

 その前に白い棺があった。


「やっぱり……オレ死んだんだ」


 祖父が死んだときに家に来ていた近所の寺の住職が般若心境を唱え、硬い表情をした両親が焼香をする弔問客に頭を下げる。

 会場には何年も会っていなかった中学時代の同級生が何人か来ていた。

 みんなマジかよっていう勢いで泣いている。

 あんなに泣いてもらえるほど仲良かったかな、でも泣いてる。

 自分が死んだという事をこうやって見ているなんて幽霊にでもなったみたいだ。

 まぁ、今のオレはむしろ神様だっていうんだけど……。

 自分の葬式を見るのは嫌なものだ。

 きっと泣きそうな顔をしていたのだろう。

 クレイオーがそっとオレの肩を抱いてくれた。


「お気の毒に。あれが、あなたなのですね」

「……うん、そうみたいだ」

「あの白い箱の中にご遺体が?」

「そう。葬式が終わったら、あのまま火葬場に持ってって焼くんだ」


 ギリシャ神話の連中にはピンと来ないだろうが、日本ではいつまでも死んだ人間の体をそのまま置いておいては貰えない。

 葬式が終わったら速やかに霊柩車で火葬場に運んで行って真っ白な骨になるまで焼いてしまうのだ。

 オレも骨になってしまうのか。

 もうあそこには帰れないのか。

 そう思うと、つまらないばかりだった自分の人生が急に惜しくてたまらなくなってきた。


「なぁ、何とか戻る方法はないのか?」

「えっ」

「アポロンって神様を生き返らせようとしてオレ、こうなったんだろ? 何か方法ないのかよ!」

「それは……」

「何かあるんだろ!!」


 問い詰められたクレイオーは困っていた。

 オレもクレイオーに何か言ってもダメな気がした。

 でも、何か、何か。

 何でもいいから方法が欲しかった。

 その時急に、「ミニチュアの世界」に動きが起きた。

 オレの死体が入っている棺の蓋がガタガタと動き、弔問客が悲鳴を上げていた。


「な、何だ?」


 棺の蓋は中からガバッ、と開いた。

 そして、真っ白な服を着た「オレ」が起き上がった。

 キャーッという悲鳴が響き渡る。

 弔問客は大パニックになり、読経中だった住職は腰を抜かしていた。

 葬儀場が大さわぎになる中、「オレ」はオレらしからぬ大声で騒ぎ始めた。


『何だこの煙臭い部屋は! そして何だこの粗末な服は!!』

『て、哲学!? アンタ……!』

『テツガク? 無礼者めが!! 私は偉大なる神・アポロンだぞ!!』


 頭に三角の白いやつをつけ、仁王立ちして訳の分からない事を叫ぶ「オレ」。

 逃げ惑う人々。

 滅茶苦茶になる祭壇。

 両親は息子が生き返ったと泣いて喜んでいるようだった。

 だが、オレはやめてくれと叫びたかった。

 無礼者、オレは神だと叫ぶアイツは件の神……アポロンに間違いなかった。


『哲学! とにかく病院に行こう! 早く検査してもらわないと!』

『触るな、汚らわしい! 私は男は好かんのだ!!』

『な、何だお前は父親に向かって!!』

『何が父親だ! 私の父は偉大なる神・ゼウスだ! 貴様のようなハゲチャビン親父とは似ても似つかぬわ!!』

『何だとこのバカ息子!』

『やめて! お父さんも! ほら、哲学もやめてって!!』


 祭壇上で大暴れする、オレ。

 掴みかかる親父と止めるお袋。

 焼いてしまうからいいと思ったのか、死に装束の下はいい加減だった。

 ジタバタした拍子にはだけた下半身からサムシングがポロリした。


『離せ! この無礼者!』

『無礼はお前だバカ息子! っていうか母さんなんでパンツをはかさなかったんだ!』

『だって……! だって……!』

『オレのでいいから早く持ってこい!』

『ええい、離せ! 離さんかハゲ親父!』

『実の父親をハゲハゲ言うな! っていうか前を隠せーーー!』


 取っ組み合いをするハゲ親父と死に装束の息子、とぶらんぶらんするムスコ。

 いや、どこぞの愚民とギリシャ神話の神様か。

 だがそんな事はどうでもよかった。

 問題なのはあのはたから見たらDQNにしか見えない男の体がオレのだという事だ。

 しかも、アレは酷い。

 ゴミ捨て場で失禁より数倍酷い。

 式場からはもう、女性はほとんど逃げ出していた。


「何なんだよあれ!! アイツだろ、お前らが言ってるのって!!」

「そ、そのようですわね」

「あああああ!!! 頼むよ! 戻る方法教えてくれ! あのまんまじゃオレ、ただのイタイ奴……!」

「残念ながら、戻ることは不可能です」


 唐突に会話に入ってきたのはあのアスクレーピオスという男だった。

 カバンを片手に、「往診の途中のお医者さん」といういでたちでいつの間にか近くにいた。

 彼は学芸の神・アポロンを生き返らせる「治療」を行った者。

 しかし、アスクレーピオスの医術を以てしても、一度生きた人間の体に入ってしまった魂を元に戻すのは不可能という事だった。

 アポロンの「中の人」であるオレが別人であるということをどうしても分かってくれなかった彼も、ここにきてようやく何が起きたのかを把握したらしい。

 親戚の男たちに布団で簀巻きにされどこぞへ運び出されていく映像の中のオレを見て、深いため息をついた。


「貴方もあの方も、拝見する限りいたって健康そのものです。私に元気な体を治療することはできません」

「ちょ、元気ったって魂っつーか、人格逆んなってんだよ! 大問題じゃねえか!」

「何の異常もない肉体から魂を取り出すことはできないのです。異常がないとはつまり、健全に肉体に魂が宿った状態を言います。たとえ、『入れ物』と『中身』が通常の状態でなくとも」

「でも、こう、何とかなんないのかよ!?」

「無理やり治療すれば、恐らく魂は永遠にどちらの体にも戻らなくなります」


 医者としての見解はこうだった。

 肉体に魂を伴った「健全な身体」にはもはや、医者は手出しできない。

 神の医者であっても健全な状態の魂に手を出せば、患者に待っているのは何か、素人でも分かる。

 オレは黙るしかなかった。

 魂が肉体に戻れないという事は、すなわち死ぬという事だ。

 アポロン神もこのオレも、これから他人の体で生きていくしかないと、もうそういう事になってしまったのだ。


「こうなってはもう、貴方様も我々も現実を受け入れるしかありません。馬室哲学殿、これからはあなたが学芸の神・アポロンとして永遠に生きるのです」

「え、永遠?」

「はい。父上は100年前に不慮の事故でお亡くなりになりましたが、何もなければその肉体は永久に不滅です。今以上に老いる事もないでしょう」


 わが肉体は永久に不滅です。

 今以上に老いる事もありません。

 つまり、いわゆる不老不死という事です。

 って、マジで?

 オレは訳が分からなかったが、アスクレーピオスはさも当然、という顔をしていた。

 リアルな「神様」にはそれは普通なのだ。


「って、あの、オレって今何歳って事になるの?」

「アポロン様は、『3000から先は数えておらぬ』とおっしゃっていました」

「マジ……かよ」


 不老不死の肉体。

 これは人類の夢だ。

 オレは今、有史以来人類が手に入れられずに来たものを得てしまったのだ。

 不謹慎にも、オレは急にいい事を聞いた気になってしまった。

 あっちの「オレ」も、死んじゃあいない。

 何かイタイ奴になっているが、何か図太そうだしうまくやるだろう。


 サムシング丸出し事件の始末をつけんのも嫌だしな。

 そうだ、あれの責任もしっかりとってもらわなきゃな。

 もう、仕方ない!

 なってやるぜ、神様。

 オレは自分の立場を受け入れる事をアスクレーピオスに告げた。


「そういう事なら何とかやるよ。永遠に生きれるんならまぁ……そのうち何とかなるだろうし」

「安心しました、父上。あ……馬室殿でしたか」

「うーん、その辺りの事は追々話し合おうか」


 アスクレーピオスが息子、っていうのはなかなか受け入れるのが大変そうだ。

 けど、このお医者さんはいい人みたいだから何とかうまくやっていけるだろう。

 まず、じゃあ何をすればいいのか。

 そう聞くと、アスクレーピオスは首をひねった。

 どこから説明していいのか、アポロンの仕事については息子の彼もよく分かっていなかった。

 まぁ、そうかもな。

 オレも親父に仕事の話なんか聞いた事なかったもんな。

 

「でも、アポロンとしてのお仕事はたくさんありますよ。唯一無二の神ですから」

「どうしよ。もしかして激務なのかな」

「そんな様子はなかったですが……まぁ、多分すぐに分かります。心配する事はないですよ」

「多分って」

「大丈夫大丈夫。『そういうもの』なんで、難しく考えない方が良いですよ」


 アスクレーピオスは呑気にそう言って去って行った。

 クレイオーやウーラニアーにも何かやることがあるらしく、仕事だと言っていなくなった。

 大丈夫なのかな。

 だって、神様の仕事だぞ?

 ああ、でも一応リハビリ期間って事にしてたし、無理はしなくていいのか。

 オレはとりあえず目の前の屋敷の中に入ることにした。


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