【第一話】 アポロンて誰や
はい?
オレは固まってしまった。
今、何かカタカナの名前で呼ばれなかったか?
いや待て。
オレ、日本人ですし、カタカナの格好いいあだ名も今までついたことなかったですし。
哲ちんとか、馬男とか。
いやー、馬男って酷かったよな……あれ。
「アポロン様、どうなさいましたの?」
何も言わないオレを見て、女たちは心配そうな顔をした。
いやいや、そんな風に見られましても。
訳が分かってないんですが……。
アポロンっておっしゃったんですよねお姉さま?
まむろんとかじゃないですよね?
「ねぇ、何か変じゃない?」
返事しないで固まってたら、ついに何かそんな事を言われだした。
まさか、漏らしたションベンの匂いに今更気づかれたか。
しかし、そうではないらしかった。
「いつものアポロン様じゃないわねえ」
「エッチな事言わないし」
「セクハラもしないよ?」
はいはい、分かりました分かりました。
オレをどうやら人違いをされているらしいですね。
しかも、お姉さん方が間違えているのは何だかスケベな奴らしいですね。
いやぁー、困りましたね。
外人と間違えるとかどんだけ視力悪いんですかって感じですね。
ていうか、目が覚めて「エッチな事言わない」とか「セクハラしない」とかいう理由でむしろ心配されるのってどんな人間だよ。
いわゆるあれか?
リア充ってやつか?
オレは間違われているらしいそいつに激しい敵愾心を覚えつつ、体を起こした。
きっと、ものすごくイケメンの金持ちで、女に何しても怒られないタイプの人間だ。
ITとかの社長で、テレビ出てたり本出してたり、いやむしろテレビ局そのものを買おうとする奴かもしれない。
やだやだ。
オレはそんな人間と間違われるような男じゃない。
むしろ、対極にいるような非リア充でどっちかっていうと、「キモーイ! キャハハハ!」とか言われる側の人種だ。
しかし、話を聞かない人というのは困り者だ。
オレが周りの女たちの勘違いを正そうとした時だった。
目の前にいたお姉さんが妹らしき人物にとんでもない事を指示したのだった。
「ポリュムニアー、いつものを」
「はいはーい」
オレの前にすっくと立ち上がった中学生くらいの美少女は、唐突にスカート(らしきもの)をまくり上げた。
な、ななんと!
顔を出したのは雪のようにまぶしい真っ白パンツ。
イラストもアップリケもチャームも一点の曇りもない完璧な白。
オトコの夢(?)を具現化したかのような御物がオレの眼前にさらされていた。
あまりにも唐突なラッキーパンチ。
だが、非リア&チキンボーイなオレは思わず後ずさった。
「ちょ、ちょちょちょ、な、なんですかぁあああ!!」
「ねー、カリオペー姉さま、やっぱりなんかおかしいよー」
「そうねえ……ポリュムニアー。いつものアポロン様なら大喜びで顔つっこむのに……」
「全力でクンカクンカしてくれるよねー?」
「そっちの方がおかしいだろうがっ!」
オレは思わず初対面の美女たちを怒鳴りつけてしまった。
後から考えるとお礼を言った方が良いかもしれなかったかも……っていやいや。
しかし、初対面の男を破廉恥漢扱いするほうもするほうだ。
この人たちは痴女の集まりなのだろうか。
そして、やっぱりオレをどこかの変態リア充野郎と勘違いしているらしい。
そうすると、多分あれだ。
白パンツのおかげか、だんだん頭がはっきりしてきた。
ここは、誰かが作ったハーレムなのだ。
しかも、そいつは「どう見ても未成年の少女」の清きおパンティー様に躊躇なく顔を突っ込むようなうらやまけしからん変態野郎。
そうとしか考えられない。
しかし、よっぽどオレはそいつに似ているのだろうか。
美女たちは代わる代わるオレの顔を見ては首をかしげていた。
中には明らかにオレの股間を見ている者もいた。
え、何ですか?
この状況で勃たないのはおかしいって?
いやいやそんな……ビックリさせると怖がっちゃうんですよこの子。
ハムスターとかリスとかって小動物系はみんな怖がりでしょ?
それと一緒……ってなんか言ってて空しくなってきた。
とにかく、オレには女の子に免疫がないのですよ!
いきなりパンツ見せてくれる子とかいなかったんですよ今までの人生!
っていうか、お姉さん達全員で何人いるのよ。
え……と、9人??
うわ、ちょ、待って、助けて!
そんなに女ばっかにオレ一人って何なのよ!
しかも、何すかこの美女率&巨乳率!
よく見ると中にはほぼ全裸くらいの人もいるじゃないすか。
うわっ、やめてっ。
ゆっさゆっささせてこっち来ないで!
うわーん怖いよー!
女の子怖いよー!
「転生したてだもの。いきなり調子は戻らないわよ」
そう言って巨乳にビビるオレの前に立ったのは、20歳くらいの女だった。
栗色の髪をした、大きな瞳とかわいらしい唇が印象的な女。
熱でもあるような顔をしていたのだろうか。
彼女は心配そうにオレの方に手を伸ばしてきた。
オレの身体を気遣うように額に置かれる手のひら。
胸元にかかる、絹糸のようなまっすぐな髪―――
彼女の顔を見たとたん、その容姿が記憶の中の知り合いにリンクして、オレは思わずある人物の名前を口にしていた。
オレが美大に合格していれば、真っ先に会いに行っていたはずの人物。
彼女は、栗生美姫にうり二つだった。
「栗生……」
「まぁっ! 私の事、覚えていてくださったのね!!」
「え?」
「そうよ!! 私は、クレイオー! 『歴史』のクレイオ―です!!」
名前を口にした途端、目の前の美女は狂喜乱舞して抱きついてきた。
いやいやいやいや。
お姉さん、違います違います。
私は、栗生と言ったのです、く・り・う、と。
しかも、歴史ってなんですか。
あんた、若いけどどっかの先生ですか。
ていうか、おっぱい。
むしろまずおっぱい。
オレの首元らへんに魅力的なふにふにFカップ(推定)。
それが何だかいい具合にぶにゅーのむぎゅーなんですが……いやいや力込められたら、おうふっ!!
うわーん! やっぱりおっぱい怖いよー!
女の子怖いよー!
「やだ、悔しい。よりによってクレイオ―だなんて」
オレが栗生似の美女を知り合いと認識したと思ったのだろうか。
他のお姉さま方はなんだか悔しそうな顔をした。
そのじとっとした感じ、ジェラシーですか?
生まれてこの方嫉妬なんてされた事ないけど、そういう感じなんですかそうですか。
いやいやいや、待て待て待て、違いますって。
この子も知りませんって。
ていうか、このFカップをどうにかしてくれないとオレ圧死……。
オレは身振り手振りで必死に違うとアピールした。
だが、みんな痴女で思い込みが激しい上に、人の話も聞かないタイプなのだろうか。
彼女たちは呼吸困難寸前のオレに対し、先を争うように自己紹介を始めた。
「アポロン様、私の事は覚えてらして? 『合唱』と『舞踊』のテレプシコラーですわ」
「て……天ぷらコーラ?」
「じゃあこの私は? 『独唱歌』のエラトーですの。っていうか、クレイオー姉様はもう離れなさいな」
「いやぁん」
「どうなんですの? 私エラトーを覚えてらして?」
「はぁ……確かになんか偉そうですね(あ……おっぱい外れた)」
「あ、あの『抒情詩』のエウテルペーなのですが……」
「えっ、えーっと……」
自慢じゃないが、オレはカタカナ名に弱い。
しかも、インテリな会話にも疎い。
どくしょうかってどういう漢字書くの?
じょじょうしってなにそれおいしいの?
かわるがわるいろんなことを言われたが、全くなんのこっちゃであった。
オレが彼女たちの事が分からないというのはすぐに認識されたらしい。
なんか、「お医者様はどこかしら」みたいな雰囲気になり、誰かが呼ばれてやってきた。
やってきたのは、左手に杖を持った若い男だった。
これが医者なのか。
でも、やっぱり普通な感じじゃない。
杖には太いヘビ。
ガラガラヘビとかそういう系のヘビが二匹、しかも「シャー!」とか言ってる奴が巻き付いていた。
オレは一瞬ビビったが、ヘビはオレを見ると何だか大人しくなった。
あれ、毒のない系の奴らだったのかな。
「これはまた随分とお若くなられましたな」
男はそう言ってクスクスと笑った。
待ってよ、お姉さん達よりもっと視力のおかしい人が来ちゃったの?
オレ、10代で子供とか作った覚えないわよ。
っていうか、お兄さんオレと同い年くらいよ、むしろ。
そう思っていると、男はオレに深々と頭を下げた。
「お久しぶりです。『医学』のアスクレーピオスです、父上アポロン様」
「あ、あのえっと……」
「大丈夫です。すこし、お体を見させていただきますよ」
アスクレーピオスと名乗った男はオレの身体をぺたぺたと触り、瞼の下や口の中をじっくりと見た。
そして、何やらうんうんと唸っていた。
その手つきはオレの家の近所にいたかかりつけの内科医に似ている。
指先から何か薬っぽい匂いもする。
お医者さんなのは間違いなさそうだった。
「お体に異常はありませぬ。しかし、これはいけませんね」
「い、いけないって何が?」
「頭の中です」
初対面でいきなりバカ認定された。
何て医者だ。
そう思っていると、どうやら違うらしい。
脳みそに異常があるか何か。
そのせいで、記憶喪失になっている。
そんな様な事を言っていた。
「お体は元に戻っても、記憶は戻らなかったようですね。申し訳ありません、父上」
「え、え、なんであんたが謝るの?」
「不慮の事故でお亡くなりになったあなた様を蘇らせたのは、私でございます」
「亡く……なった?」
「ええ、この『ヒュペルボレイオスの野』で」
オレは周囲を見渡した。
抜けるような青い空。
遠くに見える緑の山。
目の前には、澄んだ大きな湖。
美しい声でさえずる見たこともない鳥たち。
そして、遥か遠くには何やらドラゴンらしきものが飛んでいる……。
暑くも寒くもない、常春の野の風。
オレに理解できる言葉を話す、日本人離れした顔立ちの人々。
ここは日本じゃない。
いや、むしろオレが知っている世界じゃない。
ようやくその事が分かってきた。
そしてオレ自身も、「馬室哲学」ではなくなっていた。
ハリウッド俳優みたいな彫りの深い顔に、作り物みたいに青い目、染めてないのにプラチナブロンドのウェーブヘア。
許しがたいほどのイケメンヤローがそこにいた。
「あなた様は偉大なる芸術と学芸の神・アポロン。ここにいるのはあなたが主宰する文芸の女神・ミューズの9姉妹でございます」
「ミューズ……」
「そうです、父上」
アスクレーピオスはそう言って頷いた。
何となく思い出した。
アポロンっていうのは、ギリシャ神話の神様だ。
医者のアスクレーピオスも多分、ゲームかなんかでキャラになってるのを見たことがある。
ここにいる「オレ」の正体は、神様。
現実なのか、めっちゃ夢の中なのかはよく分からないが受け入れるしかなかった。
とりあえず、分かった。
そう言うと、女神たちの顔にも安堵が広がった。
何があったのかも、自分が何なのかもわからないオレに、アスクレーピオスは暫く休息をとるように言った。
休んだり、ゆっくり散歩したりして過ごせば「自分」を取り戻せるかもしれない、と。
だが、オレはそう言われても正直困った。
みんなアポロン、アポロンと呼びたがるがオレの名は馬室哲学。
アイデンティティーは日本人のダメ浪人生だ。
今のオレにどういう「設定」があるのかは何とか把握した。
だが、いきなり他人になれと言われてもまぁ……たとえこの場が夢の中だと分かっていたりしても無理があるよな。
「父上は今、かつての記憶を著しく欠いておられる状態だ。我々がせっついても元のご状態には戻らない。女神たちよ、まずはその事をご理解いただきたい」
アスクレーピウスはそのあたりの事を9人の姉妹によく話をしてくれた。
あまり、オレにいきなり多くを求めすぎないようにと。
彼がいてくれて助かった。
あのままパンツだの巨乳だのの攻撃に遭い続けていたら多分、オレは数日持たずにどうにかなっていただろう。
とにかく、中身がすっからかんのオレにこの世界の事を少しずつ理解させる事。
なんとか「アポロン様」になれるよう、ゆるーい「リハビリ」からまずはスタートする事になった。