青3
キッチンに残された2人は、大きな冷蔵庫を開けて肩を並べていた。
「見事に高級食材ばっかりだぞ…」
「俺こんな高級食材を扱うほど料理うまくないぞ?」
「安心しろ。私もだ」
リッシェは笑顔でそういうが、なにも安心できない。むしろ不安だ。
冷蔵庫は様々な食材で埋まっていた。種類豊富、量も多め、なにを作ろうとしても足りないものはないだろうと確信できるほど、整った冷蔵庫。
ただ、そのそれぞれが、庶民には手が届かないほど高級なものばかりだった。
しばらく呆然とそれらを見やってから、リッシェが決心した。
「私が料理するにはもったいなすぎるが、飢え死にするわけにもいかない。なにか作るぞ」
「おう。手伝う」
ハーテスも気持ちを入れ替えて、大きめのセーターの袖をまくる。
「シチューとブロッコリーのチーズ焼きをつくろう。私がシチューを作るから、ブロッコリーはお前に任せるぞ」
的確な指示。
ハーテスは頷いて、必要材料を取り出して作業を始めた。
ブロッコリーを適度な大きさに切りながら、ふと隣りのリッシェをみる。
じゃがいも、人参、玉ねぎ…一口大に切っていくその慣れた手つきは、とても17歳とは思えない。
「リッシェ…あんた普段から料理してるのか?」
「あぁ。私は1人暮らしだからな」
包丁のトントントンというリズムが、広いキッチンに響く。
銀のシンクに映る彼女の表情は穏やかだ。
「私は家族がいないんだ。なんでいないのかとか、いつからいないのかとか、そんなことはわからない。ここまで成長できたんだし、いつかまでは誰かが育ててくれたんだろうけど、今の私は覚えていない。完全に1人暮らしだ」
「…無神経なこと聞いて悪かった」
「勝手にしゃべったのは私だ。謝るな」
おだやかな表情で言ったリッシェは、包丁の手を止めた。
綺麗に切った野菜の山を見て微笑む。
「こんなにたくさんの量の料理を作るのは初めてだ。家族がいたらこんな感じなんだろうな」
ハーテスは何か答えようとして、口をつぐんだ。
独りで生きてきた過去を抱えて、どうしてこんなにも穏やかにいられるのかが不思議だった。
――でも自分で自分を肯定してあげなきゃ、他の誰も僕のこと肯定してくれる人なんかいませんから。
ふと、昨日の体育館を見回っていた時のクォーレの言葉が蘇った。
そういえば、彼も何か抱えている。
彼はこんなにも恵まれた家庭の中で育ったのに、自分を肯定する他者などいないと言い切ってしまう、そんなむなしい何かを。
「ハーテス、オーブン予熱しておくぞ」
リッシェの言葉にはっとして、ハーテスは深呼吸をした。
とにかく今は料理に集中しよう。
「とりあえず作り終わったな…」
煮込んでいたシチューを覗いて、リッシェは満足げな笑みを浮かべた。
クリーム色のホワイトシチューに人参の赤が映えており、とても美味しそうだ。特に日が落ちて冷えてきた今、暖かいシチューは本当に魅力的だった。
「わあ!いい匂いしますねー!」
ちょうどタイミングよくクォーレたちも帰ってきて、その匂いに顔をほころばせた。
ハーテスが自分の作ったブロッコリーのチーズ焼きをシンクの上に移しながら
「ほとんどリッシェが料理したんだがな。ほんと手慣れてて」
「へぇー!りっちゃんすごーい!!」
美味しそうな匂いにはしゃぎながら、ユイヒがるんるんと歩いてきて、なべを覗いた。
そして、ハーテスの手元のチーズ焼きも見る。
そのそばのパンも見やって、目を瞬かせた。
きょろきょろとキッチンを見回してから、首を傾げて、ふとなべの側面を見た。
大きな幼い瞳が、なべの深さを測るように動く。
その顔に表情はない。
「ユイヒ、どうかしたのか?」
リッシェが見兼ねて尋ねると、ユイヒは、バッと勢いよく彼女を見上げた。
「これで完成?」
「ああ…?」
「そっかぁ…」
うつむくユイヒの顔は、普段の無邪気な様子からは想像できないほど暗い。
「どうした?何か足りない?シチュー嫌いか?」
「ううん…ていうか…」
心配する3人の視線を避けて、目を伏せる。
「量が…ちょっと少ないんじゃないかと…」
「量?」
3人の目がゆっくりとなべへ移る。
6人分くらいの大きなシチューなべが、ドーンと存在感をはなっている。
……。
リッシェが、ぽんと優しくユイヒの頭を撫でた。
「お腹が空いてるから少なく見えるだけだろ。さぁ、早く食べよう」
「…う、うん…」
頷くユイヒの表情は、皿に取り分けている間も冴えなかった。