紫11
「リッシェさん、蛙とか、好きですか?」
「蛙か?あー、まぁ、そこそこ、好きだ」
「そう、ですか。あの水かきとか、かわいいですよね」
「あぁ」
「じゃあ、カブトムシは?」
「好きだが…」
リッシェは言葉を切って、隣を走るクォーレを見た。
「話しながら、走るのって、疲れないか?」
「あぁ、それ言っちゃ、ダメですよ!考えないように、してたのにっ!」
クォーレが嘆く。
2人はまだ螺旋階段をのぼっていた。
そろそろ足も重くなり、息もきれてきた。周りの絵画を楽しむ余裕もない。
気を紛らわすための会話だったのだと気がつき、リッシェはすまん、と素直に謝る。
「すまん。気づかなかった」
「いや、このまま、迷惑、かけ続けるよりは、よかったです」
そう言って笑う彼を見て安堵したリッシェは、前方を見て目を細める。
――あれはなんだ?
「クォーレ」
低く名前を呼ぶと、クォーレも流石に空気を読んで、前方に目を凝らす。
前方には人影。どうも階段を上から降りてきているようだ。
「…人、ですかね?」
クォーレはあっさり言ってのけた。
「なんでこんなとこに人が?」
「灯台守みたいに時計台にも管理人がいたんでしょうね」
彼の説明に納得する。いや、納得している場合ではない。
「どうする?!逃げるか?」
――逃げる。
ここは螺旋階段。しかも、長い長いそれの半ばだ。逃げるということはつまり、降りることになる。そして、また昇り直さなければならないのだ。
「逃げません」
クォーレが低い声で言う。
「僕は絶対に逃げない」
その声と表情は、いつものおちゃらけた姿からは想像できないほど真剣だ。
「かっこいい言い方してるが、要はもう一度この距離を昇りたくないんだな?」
「ノーコメントでお願いします」
そういえば、クォーレは最初から螺旋階段という選択肢だけは避けようとしていた。本当に階段を上るのが嫌いらしい。
リッシェは少し考え込んで、あ、と呟く。
「思いついたんだが…」
思いついた作戦を話そうとしてから、時計台守が迫っていることに気づく。話してる暇はない。
「思いついたことがあるんだ。クォーレは囮になってくれ」
「え?あっ、はい!」
そのまま時計台守の方に走っていくリッシェを見て、思わずいい返事をしてから、クォーレは困惑した。
――単に囮って言われてもこまるんだけど…。
でも、彼女はもう走り出してしまった。ここでこのアドリブについていかなかったら、彼女を殺すのと同じだ。
疲労した脚に鞭をあて、全速力で走る。
そして、リッシェと時計台守のあいだに入り、時計台守の腹部を蹴る。ふらふらと時計台守がバランスを立て直そうとしたその隙に、リッシェは手すりを越えて、時計台守の横を抜けて上へと行く。
――なにをする気だ?
素朴な疑問は時計台守の速いパンチによって、かき消される。すれすれでよけるが、かすった頬が少し痛む。
「くっそ」
普段の敬語キャラから発されたとは考え難い苛ついた声。
殴りかかってくる時計台守をなんとかかわして、かわして、反撃のタイミングを探す。
――僕は戦闘員じゃないんですけど!!!
心の叫びを込めて、再び蹴り上げる。
と。
「クォーレ、気をつけろ!」
リッシェの叫び声。
わぁリッシェさん応援してくれるんですか嬉しいですー、とか浮ついたことを考えて前を向くと。
階段をゴトゴトと下ってくる、階段の幅と同じくらいの大きな絵画。
「ええええええええええ?!」
慌てて階段の手すりに上る。バランスとか考えている場合じゃなかった。
クォーレが上ると同時に、絵画が到着し、クォーレに殴りかかろうとしていた時計台守の脚をすくう。
「?!」
倒れた彼はそのまま、絵画に押されるようにして階段をゴトゴトと下って行く。
「リッシェさん…」
「お?」
手すりから降りながらクォーレが呼びかけると、リッシェは上から返事をした。
手すりから身を乗り出すようにして、クォーレを見やる彼女を見上げて、彼は言う。
「豪快なことしますね、あなた」
「けど、うまくいっただろ?」
「いや、僕も死にかけましたけど?!」
「だから声かけたじゃないか」
「よくある声援かと思いました!!!」
「よくある声援?」
なんのことだかわからない、と言いたげな声にクォーレはため息をついた。
「とりあえず早く上に行きましょう。僕の犠牲を無駄にしないように」
「犠牲って、まだなにも犠牲になってないじゃないか」
「僕の純情な期待を返してください!!!」
最上階まであと少し。