紫10
「やっぱり、2人を残して来ない方がよかったですかね」
時計台への侵入に成功したクォーレとリッシェは、歩みを遅めて話していた。
「けどこうするしかなかっただろ」
「それはそうなんですけどね」
クォーレが後方の扉の方に目を逸らす。
室内でも、外のざわめきはよく聞こえてくる。何かもめているのはたしかだろう。
「とりあえず早く石板を見つけて、早く戻ろう」
リッシェが割り切ったような口調でそう言って、硬い表情で前を見据えた。
名策は良作とは限らない。
クォーレも頷いて、前をみて、そして再び目を逸らす。ため息を漏らしたのは、彼か彼女か。
時計台の中は部屋などに分かれておらず、一つの長く大きい螺旋階段が存在感をしめしていた。壁のアンティークな絵画や古めかしい像は、島の名品の数々だ。
螺旋階段を見上げて、クォーレが肩をすくめた。明らかに嫌そうだ。
「登るんですか?これ」
「もう一つ方法はあるぞ?」
リッシェが、左の方を示す。
そこには古風なエレベーターがあった。だいぶ初期の手動のものだ。
「いいですね!!!」
登らなくてすむのがそんなに嬉しいのか、クォーレが食いつく。
「僕が動かしますから、どうぞリッシェさん乗ってください」
「いや待て、わたしは石板とかそういうの詳しくないんだ。1人じゃ見つけられないぞ?!」
「え」
「わたしも力には自信がある。お前が乗れば問題ないだろ」
「いやいやいやいや、女性にそんなことさせるなんて、僕の紳士道に反します!!!」
紳士を目指してるんです僕!とかなんとか主張するクォーレに、リッシェは何か言い返そうとした。
が、外のざわめきが大きくなったことに気がつき、言葉を変える。
「ハーテスたちもがんばってるんだ、やるしかないだろ」
そして、返事は待たずに螺旋階段を昇り始めた。
「…やっぱりそっちになりますよねー」
心底嫌そうにつぶやいてから、クォーレも螺旋階段を駆け昇り始める。
リーラで1番高い建物である、時計台。
そこを昇りきるのは体力、否、精神との闘いだ。
2人の見つめる先の最上階はまだ遠い。
さて、視点は外の2人に戻る。
ユイヒの活躍により少し前進した彼らであったが、それでも不利な状況には変わりなかった。
疲れが出てきたのか、時計台を見上げる回数も増えてきた。
「人、増えてきたね」
ユイヒの言葉に、ハーテスは黙って頷く。
遠くを見やっても、まだまだこちらに向かってくる人々は増えている。
「これ全部相手していると、俺たちが保たないな」
ハーテスが言う。
ユイヒは、ふと何か思いついたようで、嬉しそうな笑みを彼に向けた。
「私たち、なんでここにいるんだっけ?」
「クォーレたちの援護のためだな」
「くーくんたちは、無事時計台に入ってるよね」
やっとユイヒの意図が読めた。
「要するに、いつまでもここにいる必要性はないってことか」
「そゆこと!」
確かにその通りだった。身の安全確保もそろそろ限界だ。
「…ズラかるにしても、人が集まってきすぎて逃げにくいな」
前方にも後方にも人がいる。ハーテスの銃声にも、あまり驚かなくなってきた。
「ライブのあとに出待ちされるアイドルって、こんな気分なのかな」
「よくわからん例えをするんじゃねぇ」
「うう。とりあえず、どこか建物の中に逃げ込むのが一番だよね」
「そうだろうけど」
けど。
「どうやってここを突破するんだ?」
ユイヒは、目を逸らして口をつぐんだ。
近づいてくる人々を思い出して、物干し竿を握り直して豪快なことを言う。
「物干し竿でがーっとなぎ倒して走る」
「あんた足早いの?」
「……」
無言になったユイヒに、ハーテスはため息をつく。
実際問題、あまり銃で殺したくはないし、今頼りになる武器は、ユイヒの物干し竿だけだ。彼女の案以外に案はない。
何度目かのため息のあと、ハーテスは低く言った。
「やるか」
「うん!」
ユイヒが、大きな物干し竿をおもむろに振る。
物干し竿が宙で半円を描く。その動きに合わせて、竿から逃れようと人々が後ずさる。
後ずさった人々は、その後ろにいた人にぶつかり、しばし混乱する。
――今だ!
「待て」
走り出そうとしたユイヒの肩を、ハーテスが つかむ。
「なん…」
問いかけたユイヒを、彼は無言で抱きかかえた。
――?!
彼はそのまま走り出す。
倒れた人々をよけ、向かってくる人々が避け、人のいないところを探しながら、ハーテスはなかなかの速度で走る。
「はーくん?!」
突如抱きかかえられたユイヒは、驚いた声をあげた。
「黙ってろ。あんたが走るよりこの方が速い」
失礼な言い草だが、言っていることはもっともなので、ユイヒはそのまま大人しく抱えられていることにした。